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第十八章 束の間の休息、そして開戦 - (2010/02/18 (木) 23:53:24) のソース
第十八章 束の間の休息、そして開戦 ミスタ・コルベールは当年とって四十二歳。トリステイン魔法学院に奉職して二十年。 『炎蛇』の二つ名を持つメイジであり、ある忌まわしい過去を持つ男でもある。 が、現在の彼はそんな忌まわしい過去からは想像もつかない趣味、いや、生きがいがある。 即ち、研究と発明である。彼は今、人生で最も幸福を感じていた。 二人の異界からの来訪者、リゾットとアヌビス神によって夢想だにしない世界が存在することが分かったからだ。 今日もアヌビス神と話しながら発明を行っていた彼は、研究室の窓からアウストリ広場に見えたあるものに興奮して、慌てて飛び出した。鋼鉄で出来たそれはコルベールの知的好奇心を激しく揺さぶったのだ。 それが地上に降ろされる作業を見守っていた自分の理解者の一人、リゾットに駆け寄る。 「リゾット君、こ、これは、何だね! まさか、まさかこれは!!」 リゾットはコルベールの推測を肯定するように頷いた。 「そう、これが飛行機だ」 「おお…………これが……この眼でみることができるとは……」 コルベールは感動の余り、わなわなと震えていたが、次の瞬間にはゼロ戦へと駆け寄って各部を興味深げに見て回り始めた。 「ほう! もしかしてこれが翼かね? 羽ばたくようにはできておらんな! さて、この風車は何だね?」 「プロペラだ。それを回転させて前へ進む」 「なるほど! これを回転させて、風の力を発生させるわけか! なるほどよく出来ておる!」 リゾットの質問をぶつけつつ、コルベールはため息をついたり、歓声をあげたりしながらゼロ戦を見て回る。 「……子供みたいね」 ルイズはコルベールの勢いに呆気に取られている。ルイズからすれば、ゼロ戦は玩具にしか見えない。デルフリンガーも半信半疑だ。 「相棒、本当にあれは飛ぶんかね?」 「燃料があればな……」 「あれが飛ぶなんて、相棒の元いた世界とやらは、本当に変わった世界だね」 「見方の違いだろう」 ちなみにこの間、何人かの生徒がものめずらしげにゼロ戦を見に来たが、すぐに興味を失い、去っていった。 コルベールのように興味を引かれる貴族は珍しい。 そのコルベールは歓声を上げながらゼロ戦の周りを一周すると、リゾットに詰め寄った。 「これが飛行機ということは飛ぶわけだね? では早速飛ばして見せてくれんかね! ほれ! もう好奇心で手が震えておる!」 「実はそのことで頼みがある」 リゾットはゼロ戦を飛ばすのに特殊な油…つまりガソリンが必要なことを説明した。 ついでにサンプルとして、ゼロ戦の燃料タンクに僅かに残っていたガソリンを渡す。 「嗅いだ事のない臭いだ。温めなくてもこのような臭いを発するとは……、随分と気化しやすいのだな。これは、爆発したときの力は相当なものだろう」 一般的には顔をしかめるような臭いのガソリンをかぐわしいかのように嗅ぐコルベールに、ルイズは思わず言葉を漏らした。 「前から思っていたけど、ミスタ・コルベールって、変わった方ですね」 コルベールは苦笑して頷く。 「私は変わり者だ、変人だ、などと呼ばれることが多くてな。未だに嫁さえ来ない。しかし、私には信念があるのだ。ハルケギニアの貴族は、魔法を使い勝手のよい道具くらいにしか捉えておらぬ。 私はそう思わない。魔法は使いようで顔色を変える。従って伝統に拘らず、様々な使い方を試みるべきだ」 「そうだな。俺もそう思う」 リゾットは心底、同意した。工夫や応用の大切さはスタンド使いならば殆どのものが身にしみているところであろう。 「分かってくれるかね! うむ、君やあのミスタ・アヌビスを見ていると、ますますその信念が固く、強くなるぞ! 君やこの飛行機がやってきた異世界! ハルケギニアの理だけが全てではないと思うと、何とも興味深い! 私はそれを見たい。新たな発見があるだろう! 私の魔法の研究に、新たな一ページを付け加えてくれるだろう! リゾット君、これからも困ったことがあったらこの炎蛇のコルベールに相談したまえ。いつでも力になるぞ!」 コルベールは少年のように瞳を輝かせ、リゾットにそういった。 「事業?」 学院へ戻った日の夜、シーツで身体を隠して着替え終わったルイズは、リゾットの言葉に怪訝そうな顔で振り返った。 リゾットは荒れた部屋の片づけを行いながら答える。 「ああ……。宝探しで金が入ったからな……。事業を始める許可をもらいたい」 「何で?」 「使い魔をやりながら元の世界に帰るための手がかりを探すには金がかかるからな……。まあ、宝を売った金で探しても良いが、増えない金はいつかなくなる。 帰るための方法が欠片も見えない以上、長期的な視野に立って探索をする必要があるだろう? そのためにも事業をして、金が切れないようにしたい」 「お金なら多少は私が出してあげるのに…」 「恩を返すのに余計に恩を受けてどうする」 ルイズは考えるような顔をした。リゾットも手を止める。 「駄目か? お前が反対するなら俺はやらない」 「いいわ」 「いいのか?」 リゾットが意外そうに言うと、ルイズは素直に頷いた。 「だって貴方のお金だし…。そこまで束縛する権利はないもん」 ルイズはベッドで不貞腐れる日々の中で、ご主人様たるもの、多少の寛大さを持たなければならない、と反省していたのだった。 「感謝する」 「ただし!」 礼を述べるリゾットの眼前に、ルイズは指を突き出した。薄い胸を張って精一杯、主人の威厳を保とうとする。 「使い魔としての仕事をおろそかにしないこと! あくまであんたは私の使い魔なんだからね!」 「分かった」 元よりルイズの使い魔を続けるために事業をするのだから、リゾットにも使い魔の仕事をおろそかにするつもりはない。 「よろしい。ところで何の事業をするの?」 「まずは確実に当たる造船だな。空を飛ぶ方だが」 なぜそれが確実なのか、わからない、といった顔のルイズに、リゾットは説明する。 「お前はレコン・キスタがこのまま大人しくすると思うか?」 「いつかは戦争すると思うけど、まだ不可侵条約を結んだばかりじゃない。ゲルマニアとの軍事同盟もあるし、すぐには来ないわよ」 「そうだな。それに、政治上の外交で物を考えれば、今、ルイズが言った通りになるだろう。だが、俺はそうならないと思っている」 フーケからの途中報告によると、アルビオンでは主戦力となる航空戦力を着々と整えているらしい。近いうちに戦争を仕掛ける気があるのは明白だ。 各種のやり方をみていると、レコン・キスタのやり方はギャングに近い。 ギャングの世界でも不戦条約のようなものはあるが、相手が油断しているなら平然と破り捨てる。 レコン・キスタもギャング同様、必ず破ってくる、とリゾットは思っていた。 「だから、造船業を今のうちに買収しておく。今はまだ、トリステインもゲルマニアも大した準備をしていないからな。 アルビオンと戦争になれば必ず必要になるってわけだ……。できれば武器の製造も出来る鉄工業の方も始めたいが、こっちは交渉次第だな」 「いまいち信じられないわね……。大体、そんなに簡単に条約を破り捨てたら、レコン・キスタはハルケギニア中から非難を受けるのよ?」 「そうだな……」 リゾットは頷いたが、レコン・キスタの目的がハルケギニアを統一し、聖地を奪回することなら、それでも必ずやってくるだろう、と踏んでいた。 ルイズは淡々としたリゾットの表情から何を考えているか読み取ろうとするが、まったく分からない。 「ま、いいわ。貴方のお金でやることなんだから。失敗するのもいい勉強になるでしょ。ところで、トリステインで商売をするには許可がいるのよ? あんた、取れるの?」 「ああ、それは問題ない。事業の本拠地はゲルマニアにおく。あっちの方が許可を取りやすい。何しろ金で公職が買えるくらいだからな」 ピシ、と音がして、ルイズが硬直した。ルイズはゲルマニアが大嫌いである。トリステイン人から見たら、下品で野蛮だからだ。 そこには多少の嫉妬が含まれているのであるが、ともかく、ルイズはゲルマニアが嫌いである。 そして、そこからの留学生も、最近はマシになってきたとはいえ、嫌いである。 「あんた、まさか……キュルケの力を借りるんじゃないでしょうね?」 来たか、とリゾットは思った。しかしここをクリアしなければ事業の成功は望めない。 なるべくゆっくりと、落ち着いてルイズに言い聞かせる。 「ああ………。共同経営になると思う。その方が金銭的に余裕が出るし、商売の始めには信用が必要だからな」 「そんなの……!」 ルイズは怒鳴りかけたが、そのキュルケの言葉を思い出して踏み止まる。リゾットは人間であり、ルイズの奴隷でも玩具でもない。 それにここで怒鳴って追い出したりしたら、今度こそ愛想をつかされてしまうかもしれない。 ルイズは人生でもベスト3に入るくらいの忍耐力を駆使し、思いとどまった。 「………いい。分かった。好きにしたら?」 「……本当にいいのか?」 一晩くらいかけて説得するつもりだったリゾットは拍子抜けした。 「いい。私が貴方のご主人様だってことを忘れなければ、それでいい」 そういって、ベッドの中に潜り込む。それから、リゾットをベッドの脇まで招きよせて、その手を握った。 「私が眠るまで手を握ってて」 「……前にもそれをやらせたな。なぜだ?」 「いいから、握っていなさい」 (そういえば彼女も、寂しい時は俺に手を握ってもらいたがったな……) かつて交通事故で死んだ親戚の少女を思い出し、リゾットは頷いた。 「分かった」 しばらく、沈黙が流れた。ルイズは眼を閉じているが、寝てはいないことが息遣いから分かっているため、リゾットはその場にじっとしている。 不意に、ルイズが目を閉じたまま口を開いた。 「ねえ、リゾット」 「何だ?」 「元の世界に……帰りたい?」 「ああ……」 「私が帰るなって命令しても、帰っちゃうの?」 「いや、恩を返すまでは帰らない。だが、そのための準備はしておくべきだ」 目を開き、ルイズはリゾットを見た。 「アヌビスのときで恩を返してないの?」 「あいつが狙っていたのは俺だ。お前たちを巻き込んで、悪いと思ってる」 「フーケのときは?」 「フーケを倒したのは俺じゃない。お前だ。むしろあの時、俺はお前たちに助けられた」 「じゃあ……、ワルドのときは?」 「奴と戦ったのは恩のためじゃない。俺の誇りが奴を許さなかったからだ」 「そうなの……」 ルイズはがっかりした。リゾットはあくまで自分への恩義で仕えてくれているだけなのだ。 「じゃあ、私への恩を返して、帰る方法が分かったら、元の世界へ帰るの?」 「……そうするつもりだ」 リゾットは即答しなかった自分の内心の変化に戸惑っていた。 タルブの村でシエスタに言ったとおり、元の世界へ戻り、ボスに報いを受けさせることは自分が進むために必要なことだと思っている。 とはいえ、復讐さえなければ、この世界での暮らしもそこそこ気に入ってはいるのだ。 永遠に、とは言わなくてもすぐに帰らなくてもいいとは思っている。 だが、復讐への思いは殆ど渇望に近く、決して癒されることはない。 しかし、ルイズと一緒にいると、その思いが微妙に鈍るのを感じるのだ。奇妙な感覚だった。 (俺はルイズをそこまで大切に思っているのか?) 確かに命の恩人である以上、恩を返さなければ元の世界に戻れないという気持ちはある。だが、それ以上の感情はないはずだ。 自分の中にもう一人の自分がいるような感覚に、リゾットは苛立った。 「そうよね……。ここはあんたの世界じゃないもんね。帰りたいわよね」 ルイズは最後にリゾットの手を一度強く握り締めると、眠りに落ちた。 しばらくリゾットはその場に留まり、完全に眠ったのを確認してからルイズの側から離れ、床に座り込んで目を閉じた。 そうしていると、先ほどまで感じていた苛立ちと疑問は徐々に何かに邪魔されるように霧散していった。 次の日からリゾットは忙しくなった。ルイズの使い魔として掃除やら授業のお供やらをこなしつつ、様々なことをしなければならないからだ。 まずはコルベールの研究室を訪れ、ガソリンの作成のためのアドバイスをする。 化石燃料である石油はこの世界にはない。あるかもしれないが、採掘されていない。それに近いものは何か、ということから始まった。 アヌビス神も元刀鍛冶という職業柄、物作りには興味があるようで、相談に加わってきた。 石油を発掘して『錬金』すればいい、という案も出たが、そもそもそのための技術がないだろう、ということで却下された。 火竜の喉にあるブレスを吐く為の油を使おう、という案も出た。 アヌビス神はむしろ乗り気だったが、リスクが高すぎるため、却下された。飛行機を一回飛ばすごとに何匹も火竜退治していたのではとても命が持たない。 結局、似たような性質である木の化石……石炭を元に錬金することになった。 そこまで決めた後は魔法の分野なので、コルベールに任せることにする。 次に商売の開始である。 DIOの財宝や美術品を売った金は分配しても相当な額であり、それを使ってゲルマニアで造船業と鉄工業を開始した。 ゲルマニアを選んだ理由は許可がとりやすいという他にもいくつかある。 まず、アルビオンとの戦争においては地理の関係上、戦火にさらされるのはトリステインが先という予測がある。 せっかく起業しても戦争で灰になっては意味がない。 さらにゲルマニアの治金技術はトリステインを上回っており、平民でも貴族になれるためか、魔法以外による技術も低くないのもゲルマニアを選んだ理由だった。 貧乏貴族や民間の商人から造船および鉄工に関する権利と設備(錬金魔術師含む)を買い上げ、まとめて一つの工場にする。 アヌビス神にも協力を依頼したが、人を斬らせてくれるなら、という条件を提示してきたので断念した。 経営に関しては経営知識の必要性と、自分たちがトリステインから離れるわけには行かない事情から、株式に近い形態をとることにした。 つまり、実際に経営を担う、信頼できる人間を代理として経営を行うのである。 以上の計画はリゾットが立て、キュルケが手配することになった。 商売の許可の取得、身元の証明、信頼できる人間の手配など、キュルケは実にスムーズにこなして見せた。 特に、鉄工業については簡単に許可は降りないと思っていたが、ツェルプストー家が身元を証明しているというのが効いたらしく、あっさりと許可が降りた。 「悪いな……。世話になりっぱなしだ」 アウストリ広場でゼロ戦に積んだ武装にメタリカを潜行させて点検していたリゾットは、キュルケから進捗具合を聞いた後、呟いた。 「いいのよ。ダーリンが考えて、あたしが実行する。よく出来た役割分担でしょう? それにダーリンの予想が正しければ、あたしにも利益が出て、実家に自慢できるわ。もしダメでも、もともと宝が手に入らなかったと思えばいいし」 キュルケは笑顔でそういったが、何かを思いつき、急に語気が弱くなる。急に俯いた。 「でも、そうね……。もしも、お礼してくれるなら……」 「何だ?」 リゾットの問いに、言おうか言うまいか迷った後、キュルケは頬を染め、蚊の鳴くような声で呟いた。 「あの……頭を撫でてくださらない?」 「頭?」 「前にしてくれたみたいに……」 「ああ……。あれか」 リゾットは何でもないように頷いたが、キュルケの方は心臓が爆発しそうだった。 (愛してるって言葉なら今まで平気で言ってきたのに……、あたしらしくないわね) 内心で苦笑していると、リゾットの手がキュルケの頭におかれ、撫でられる。 キュルケは目を閉じてリゾットの手を感じた。鼓動が落ち着いていくのを感じる。自然とほぅ、とため息が漏れる。 「ん……なんか…安心するわ……。ダーリン、頑張りましょうね」 「そうだな……」 こうして、リゾットとキュルケの商売が始まった。 規模は中の上程度。もう少し大きくすることも出来たが、何でも軌道に乗るまではほどほどの規模の方がいい、ということでこの程度になった。 リゾットとキュルケは財宝を売り払った金を事業に使ったが、他の面々は別のことに使った。 ギーシュは半分ほどは実家に収めて家計の足しにし、売り払わなかった装飾品をモンモランシーにプレゼントした。 モンモランシーはギーシュのセンスの悪さに辟易したものの、やはり憎からず思っている男が命を懸けて持ってきたと聞いては悪い気はしないらしく、そこそこ良好な関係に戻った。 もっとも、ギーシュの浮気癖が直ったわけではないので、なかなか思う通りには行かなかったようだが。 タバサは最初、分け前を辞退したが、あとで何かを思いついて受け取った。 何に使ったか明かされることはなかったが、しばらくタバサが街の様々な秘薬屋に出没しているという噂が流れた。 シエスタは分け前を得ることを固辞した。貴族ならともかく、平民がそんな巨額の金を手にすることは命の危険につながるからだ。 話し合いの末、給金の半年分の額を分配することで話がまとまった。彼女は堅実派らしく、将来のために貯めておくらしい。 それから数日後、コルベールの研究室に、静かな寝息が響く。ミスタ・コルベールである。 彼はリゾットとガソリンを作る約束をして以来、授業も休講にし、研究室にこもりきりになっていた。この数日間、接触したのは同室に安置されているアヌビス神だけである。 そのアヌビス神が乗っ取るガーゴイルの前に、アルコールランプに置かれたフラスコがあった。ガラス管が伸び、左に置かれたビーカーの中に、熱せられた触媒が冷えて凝固している。 アヌビスは目視でも完璧に固まったことを確認すると、コルベールに呼びかけた。 「起きろ! 起きろ! 起きろ! ミスタ・コルベール! 出来上がったぞ! あとはお前の『錬金』で仕上げろ!」 「ん……? おお、ミスタ・アヌビス。いつの間にか眠ってしまっていたか。すまないね」 「いや何、気にするな。俺と違ってお前は生身だからな」 コルベールとアヌビス神はこの研究室で居住をともにしているうちに、同志意識のようなものが芽生えていた。 何しろアヌビス神は倉庫の奥やらナイルの川底やら、一人で放置される期間が長かった。それだけに進んで話相手になってくれるコルベールは貴重な相手だった。 ただ、コルベールは殺人に対して強い禁忌を持っているようだったので、アヌビス神も自分の性はなるべく抑えるように接していた。 コルベールは凝固した触媒を確認すると、リゾットから貰ったガソリンを取り出し、臭いを嗅いだ。 イメージを補強し、慎重に『錬金』の呪文を触媒にかける。 ぼんっ! と煙をあげ、ビーカーの中の冷やされた液体が茶褐色の液体に変わる。その臭いを嗅ぎ、コルベールは叫んだ。 「ミスタ・アヌビス! ついに出来たぞ! 調合成功だ!」 「ようやくか。いや、おめでとう、おめでとう」 二人は成功を喜び合う。 「では、早速、リゾット君に報告してくる! ついに飛行機が飛ぶところが見れるぞ!」 コルベールは外に飛び出していった。アヌビスはそれを見送って、ふと気がついた。 「……あれだけの量で、ゼロ戦が飛ぶか? とばんよな……」 「リゾット君! できたぞ! できた! 調合できたぞ!」 朝のアルヴィーズ食堂に、コルベールが駆け込んでくる。途端、コルベールの身体についた様々な異臭が周囲に満ちた。 数名の生徒が顔をしかめて退席する。せめて食事が終わっていたのが幸いだろう。 「み、ミスタ・コルベール、何なんですか、この臭いは?」 ルイズを始め、周囲の生徒は引きまくりだ。 そんな周囲に構わずにコルベールが突き出したワイン瓶の中には、茶褐色の液体があった。 「出来たのか?」 コルベールはリゾットの言葉に大きく頷くと、リゾットに促し、移動し始めた。 余りに急展開に、ルイズたちは呆然とリゾットたちを見送っていた。ただ一人、タバサを除いては。 アウストリ広場に着くと、リゾットはメタリカで作っておいた鍵でゼロ戦の燃料コックの蓋を開き、ワイン瓶二本分のガソリンを流し込む。 「早く、その風車を回してくれたまえ。わくわくして、眠気も吹っ飛んだぞ」 リゾットは操縦席に座る。エンジンの始動方法や飛ばし方が、ルーンを通じて頭に流れ込んできた。 エンジンをかけるにはプロペラを回さなければならない。 リゾットは風防から顔を出し、興味深げにゼロ戦を見守っていたタバサとコルベールに声を掛けた。 「タバサ、コルベール。どっちでもいいが、魔法を使ってこのプロペラを回せないか?」 「ふむ、あの油が燃える力で回るのとは違うのかね?」 「初めはエンジンをかけるために中のクランクを手動でまわす必要があるんだが……、まわし方なんて分からないだろう? だから魔法で回してくれた方がいい」 コルベールがリゾットに説明を受けている間、タバサは杖を掲げてプロペラを回し始める。 リゾットは、ベテランのパイロットのように慣れ親しんだ動きで各操作を行った。ガンダールヴの力か、意識しないでも滑らかに手が動くのだ。 最後に右手の点火スイッチを押し、左手で握ったスロットルレバーを心持ち前に倒して開いてやる。 くすぶった音が聞こえた後、プラグの点火でエンジンが始動し、プロペラが高速で回り始める。機体が振動した。 コルベールは感動の、タバサは驚きの表情でそれを見つめていた。 リゾットは計器類が正常に動作しているのを確認すると、しばらくエンジンを動かして点火スイッチをオフにした。 操縦席から降りると、コルベールが興奮した面持ちで駆け寄ってきた。 「コルベール先生、あんたは偉大なメイジだ。こんな短期間でエンジンをかけられるようになるとは思わなかった」 リゾットも流石に感心したのか、敬称をつけている。 「うむ! やったなぁ! しかし、何故飛ばんのかね?」 「ガソリンが足りないからな。飛ばすなら樽で五本は必要だ」 「そんなに作らねばならんのかね! まあ、乗りかかった舟だ! やろうじゃないか!」 コルベールは意気揚々と研究室へと戻っていった。 リゾットは戻ろうとして、タバサがこちらを見つめているのに気がついた。 「何だ?」 「これは……どうやって飛ぶの?」 「興味があるのか?」 タバサが頷いた。 「分かった……。説明する」 リゾットがゼロ戦に触れて得た情報から一つ一つ説明していくのを、タバサは黙って聞いていた。 表情は変わらないが、その目にはわずかに満足げな光があった。 しばらく説明していると、ルイズがやってきた。 「もう授業の時間よ。何をやってるの?」 「エンジンが動くかどうか確かめていた」 「そう。で、そのえんじんがうごいたら、どうなるの?」 「この『ゼロ戦』が空を飛べる」 「飛べたら、どうするの?」 ルイズが寂しそうに言った。 「そうだな……。東方に行こうと思っている」 「東方? ロバ・アル・カリイエに向かおうというの? 呆れたわ!」 「この飛行機の持ち主はそこから飛んできたらしい。なら、逆も可能だろう。そこに元の世界に帰る手がかりがあるのかもしれない」 リゾットは淡々と答える。ルイズはあまり興味なさそうだったが、表情には不安が見えた。 「心配は要らない」 「え?」 「言っただろう? お前に恩を返すまでは元の世界へ帰らない。だから、東方へ行くのに時間がかかりそうなら、しばらくは行かない」 「本当!?」 嬉しそうに笑う。が、次の瞬間、ルイズは顔を赤くして不機嫌そうな顔をした。 「そ、そんなこと、分かってるわよ! ほら、授業行くんだから、いつものようについて来なさい!」 リゾットはルイズについていこうとして、振り返った。タバサはいつの間にか居なかった。 「ルイズ、今、ここにタバサがいなかったか?」 「どっか行っちゃったわよ。教室に行ったんじゃない?」 「そうか」 リゾットは深く考えずにルイズについていった。 アルビオン空軍本国艦隊旗艦『レキシントン』号の艦長、ボーウッドは沈んでいくトリステインの船を見つめ、不快そうに鼻を鳴らした。 これでアルビオンはトリステインの歴史に残る不名誉を受けると思うと気持ちが沈んだが、首を振ってその考えを振り払う。 戦闘が始まったからには軍人たるもの、感情も思考も全てこの作戦の達成に向けねばならない。 この作戦、つまり式典に出席するアルビオンの大使を迎えに来た戦艦の答砲を実弾であると偽り、自衛を装ってトリステインに宣戦布告を仕掛ける作戦は始まっているのだ。 いまやトリステインの艦隊はアルビオンの艦隊によって押さえ込まれつつあった。 すぐにこの事態はトリステインの王宮に伝わり、王宮は大混乱に陥るだろう。その隙にこちらは兵を展開し、トリステインを蹂躙することができるわけだ。 制空権が奪い返されることは二度とない。 「やつらは、やっと気付いたようですな」 ゆるゆると動き出したトリステイン艦隊を眺めつつ、ボーウッドの傍らでワルドが呟いた。 司令官はジョンストンという男が別にいるが、名ばかりの政治家であり、実際の上陸作戦の指揮はワルドが執ることになっていた。 「の、ようだな。しかし、既に勝敗は決した」 呟くボーウッドの眼下で、トリステイン艦隊旗艦『メルカトール』号が炎に包まれていく。地上にその船体が着く前に、轟音とともに空中から消えた。 旗艦を失った艦隊は混乱し、バラバラの機動で動き始めた。 まだ戦闘行動中だというのに『レキシントン』の艦上のあちこちから「アルビオン万歳! 神聖皇帝クロムウェル万歳!」と叫びが響く。 「艦長、新たな歴史の一ページが始まりましたな」 ワルドの言葉に、苦痛の叫びをあげる間もなく潰えた敵を悼むような声で、ボーウッドは答えた。 「何、戦争が始まっただけさ」 その言葉にワルドは肩をすくめると、上陸作戦の指揮を取るべく、甲板から立ち去った。 生家の庭で、シエスタは幼い兄弟たちを抱きしめ、不安げな表情で空を見つめていた。先ほど、ラ・ロシェールの方から爆発音が聞こえてきた。 驚いて庭から空を見上げると、恐るべき光景が広がっていた。空から何隻もの燃え上がる船が落ちてきて、山肌にぶつかり、森の中へと落ちていった。 村が騒然とする中、雲と見紛う巨大な船が下りてきて、草原に鎖のついた錨を下ろし、上空に停泊した。 その上から何匹ものドラゴンが飛び上がる。 シエスタは不安がる兄弟たちに促して家の中に入る。 中では両親が不安げな表情で窓から様子を伺っていた。 「あれは、アルビオンの艦隊じゃないか? アルビオンとは不可侵条約を結んだってお触れがあったばかりなのに……」 「じゃあ、さっきたくさん落ちてきた船はなんなんだい?」 そう話している間にも、艦から飛び上がったドラゴンが、村めがけて飛んできた。父は母を抱えて窓ガラスから遠ざかる。その直後、騎士を乗せたドラゴンは村の中まで飛んできて、辺りの家々に火を吐きかけた。 ガラスが割れ、室内に飛び散った。村が炎と怒号と悲鳴に彩られていく。平和な村は一瞬にして灼熱の地獄に変わった。 シエスタの父は気を失った母を抱いたまま、震えるシエスタに告げた。 「シエスタ! 弟たちを連れて南の森に逃げるんだ!」 父の言葉に従って逃げつつも、シエスタの胸に悔しさが駆け抜ける。 (また、なの……? なぜ私たちは、いざというときに貴族に踏み躙られるだけなの…?) 一際大きな風竜に乗り込んだワルドは薄い笑みを浮かべ、かつての祖国を蹂躙した。近くを、直接指揮の竜騎士隊の火竜が飛び交っている。ワルドが火力で火竜に劣る風竜を選んだ理由は至極簡単。スピードで勝るからだ。 本体の上陸前の露払いとして、ワルドは容赦なく村に火をかける。振り返らずとも後方では『レキシントン』号の甲板からロープがつるされ、兵が次々と草原に降り立っているのが分かる。なぜならその指揮を執るのはワルドの遍在だからだ。 草原の向こうから、近在の領主のものらしき一団が突撃してくる。ワルドは合図をすると、竜騎士とともに、その小集団を蹴散らすために急行した。 トリステインの王宮に、国賓歓迎のため、ラ・ロシェール上空に停泊していた艦隊全滅の報がもたらされたのは、それからすぐのことだった。 ほぼ同時に、アルビオン政府からの宣戦布告文が急使によって届いた。不可侵条約を無視するような、親善艦隊への攻撃に対する非難がそこには書かれ、最期に宣戦布告文が添えられていた。 すぐに将軍や大臣が集められ、会議が開かれたが、停戦交渉案、ゲルマニアへの救援要請案などの意見が飛び交い、一向に会議は進まなかった。 だが、この案は二つとも無駄だということは明らかだった。 アルビオンには打診を送っても、まるで無視された。明らかに敵は悪意を持ってこちらを攻め込んでいた。 ゲルマニアへの救援要請にしても、到着まで何日かかるか分からない。待っている間にトリステインは滅ぼされるだろう。 アンリエッタは風のルビーを見つめた。これを遺したウェールズは、各地に残る王家が惰弱でないと見せるために命を懸けたという。 そしてあの男……リゾットは言った。『死んでいった者たちから何を受け継ぐかは残された者次第だ』と。正直なところ、アンリエッタはリゾットが好かない。ウェールズを見殺しにした男だからだ。 だが、言っていることは正しいのは認める。ここでただ無為に時を過ごすことはウェールズに対する侮辱だ。 アンリエッタは指に嵌った風のルビーを見つめると、大きく深呼吸して立ち上がり、自らを注視する群臣に言い放った。 「兵を集めなさい! アルビオンの侵略に対し、抗戦を開始します!」 「しかし、殿下! 誤解から発生した小競り合いですぞ?」 「誤解から始まったのならば相手も返答くらいは遣します。不可侵条約すら、この日のための口実なのでしょう」 「しかし……」 「黙りなさい! 我々がこうしている間にも民の血が流れ、国土が侵されているのです! このような危急の際に民を守れないようでは、我々に貴族たる資格はありません! 責任が恐ろしいというのなら、私が負いましょう。貴方がたはここで会議を続けなさい」 決然と言い放つと、アンリエッタはそのまま会議室から飛び出ていく。宰相マザリーニを初めとして大勢の貴族がそれを押し留めようとする。 「姫殿下! お輿入れの前の大事なお体ですぞ!」 アンリエッタは、結婚のための本縫いが終わったばかりのウェディングドレスの裾を、膝上まで引きちぎり、マザリーニに投げつけた。 「貴方が結婚なさればよろしいですわ!」 そのまま宮廷の中庭に出ると、アンリエッタは自らの馬車と近衛隊を呼び寄せ、馬車につながれていたユニコーンを外し、その上に跨った。 「これより全軍の指揮は私が執ります! 各連隊を集めなさい!」 アンリエッタを先頭に、魔法衛士隊が出撃していく。やがて会議をしていた高級貴族たちも慌てて出撃する。 だが、一連の騒ぎを隈なく観察していた下働きのメイドには、誰一人気付くことはなかった。 「意外にあのお姫様、決断が速かったじゃないか。タルブの村っていや、確かあの娘の故郷か……。もう少し詳しい情報を集めたらリゾットに報告するかね」 フーケはそう呟いて姿を消した。 さて、一方、トリステイン学院では、ルイズは自室で『始祖の祈祷書』を広げていた。 色々あって取り掛かれなかったが、ルイズはアンリエッタ王女の結婚式で詔を読み上げなければならないのである。 その中で四大系統に対する感謝の辞を、詩的な言葉で韻を踏みながら詠み上げる部分があるのだが、ルイズはその詩を未だに思いつかなかった。 リゾットならどうか、と思って訊いてみたものの、リゾットも詩についての造詣はなく、作業は難航した。 (なお、リゾットはデルフリンガーにも相談してみたが、「剣に変な期待をするなよ」、と一蹴された) 全く出来ないわけではなく、いくつかは作ってみたのだが、詩的でもなかったり、韻を踏んでいなかったり、感謝の辞ですらなかったりと散々な出来だった。 リゾットがいちいちそれを指摘していると、ルイズは徐々に不機嫌になってきた。 「少し、息抜きをしたほうがいいと思うが……」 「姫様の結婚式までもう、日がないのよ!? のんびりはしてられないわ!」 ルイズは再び白紙の祈祷書を広げてああでもない、こうでもない、と悩み始める。 「真面目なことだな……」 「まあ、相棒も真面目さじゃ引けをとらねーと思うぜ」 そんな会話をデルフリンガーとしていると、扉の鍵が勝手に開いた。 学院広しといえども主がいる部屋に『アンロック』で入ってくるメイジはただ一人である。 「ダーリン! 遊びに来たわ!」 キュルケは部屋に入ってくると、抱き着かれると思って身構えていたリゾットに笑いかけた。 「嫌だわ、ダーリン。簡単に抱きついたりするのはもうやめたの。本当に抱きつきたくなったとき以外はしないわ」 「……そうか」 リゾットが警戒を解く。と、そこにルイズの怒声がとんだ。 「ツェルプストー! 『アンロック』で入ってこないでって、言っているでしょう!?」 「それは無理よ、ヴァリエール。あたしはダーリンと会える時間を一秒でも長くしたいの。ノックして返事を待つ時間も惜しいわ」 「ここは私の部屋なの!」 いつもの調子で始まりそうになったため、キュルケは思い出したように身を引く。 「そうそう、でも今日は私が用があってきたんじゃないのよ。この子がダーリンに用があってきたの」 と、今まで後ろで黙っていたタバサを前面に押し出した。 「タバサが? どうした?」 「お茶の誘いに来た」 「お茶?」 「そう、タバサがダーリンのために『お茶』を手に入れてきてくれたんですって」 「……リゾットのためだけじゃない」 「あら、でも貴方がお茶をご馳走するなんて初めてじゃない」 「そう?」 デルフリンガーがカタカタとゆれる。 「茶ってーと東方から来たって言う、このあいだの『緑茶』かい? 何でまた?」 「お礼。一応、ギーシュも呼ぶつもり」 リゾットは一瞬、お礼の意味を考えた。 「…DIOの館での件か?」 タバサは頷く。 「あれはお前がスタンドの性質を調べてくれたから勝てたんだ。礼をされることじゃない」 「勝てたことじゃない」 「?」 リゾットもタバサの内心までは分からないので、その意味を理解することは出来なかった。 「いいじゃないの。お茶を飲む理由なんてどうだって。ねえ、タバサ?」 キュルケの言葉に、タバサは深く頷いた。 「確かにそうだな……」 呟いたリゾットは視線を感じ、振り向いた。ルイズが睨んでいる。 「タバサ、ルイズも一緒でいいか?」 「………いい」 何故か一瞬、間が空いたが許可が下りる。 「ルイズ、一旦、休憩しろ。根つめても思いつかない」 ルイズは考えた。実際、疲れているのである。それに、リゾットが主人を置いてキュルケやタバサと一緒に別行動する、というのも嫌だった。 「いいわ。そこまで言うなら休んであげる。べ、別に詩ができないわけじゃないわよ。使い魔の気遣いを受け取ってあげようっていうご主人様の寛大な処置なんだから」 「………分かった。そういうことにしておく…。ん?」 そのとき、リゾットは部屋の窓にいつの間にか紙切れが挟まっているのに気がついた。 引き抜いて、広げてみる。中を一読すると、リゾットの顔が険しくなった。 「すまん、タバサ、キュルケ、ルイズ。茶はまた今度だ」 言うなり、リゾットは部屋から飛び出した。コルベールの研究室を目指して駆ける。 リゾットが読んだ紙片にはこう書いてあったのだ。名詞と動詞だけで綴られた、単純な文章だった。 『アルビオン、宣戦布告する。タルブ村、占領される』 リゾットはコルベールの研究室の扉を蹴り開け、中へ入った。 「コルベール先生! いるか!」 「おお、リゾット君、どうしたんだね?」 「ガソリンはもう出来たか?」 「ちょうどさっき、言われた量が出来上がったよ。いやはや、流石に疲れた」 コルベールが指し示した先には荷台があり、樽が積んであった。 「悪いが、早速使わせてもらう。運んでくれ」 「もう飛ばすのかね? 少し休んでからにしたいんだが……」 ぶつぶつ言いながら荷台を浮かして外に出て行く。 リゾットもそれに続こうとして、アヌビス神に呼び止められた。 「殺気だってるな。何があった?」 闘争の空気を感じ取ったのか、実に楽しそうだ。 「アルビオンがトリステインに宣戦布告した」 「ほーぉ? 戦争か、いいねえ。俺も出てーな」 「お前みてーな危険な奴を連れて行けるか」 デルフリンガーが嫌悪感も露に呟く。デルフリンガーも剣であるが、アヌビスのように無差別な殺戮を好むわけではなく、この二人(?)はあまり仲が良くなかった。 「そうかい? まあ、今後も戦争があるなら、いつか俺を連れて行ってくれよ。協力してやるからさ。ククク……」 忍び笑いをするアヌビス神を残し、リゾットはアウストリ広場へ向かった。 リゾットがガソリンを注いでいると、ルイズがやってきた。探していたらしく、息を切らせながら走ってくる。 「ようやく見つけたわ! リゾット、突然なんなのよ!」 「アルビオンがトリステインに宣戦布告した。タルブの村が襲撃されている」 ぼそぼそと、機体の観察をしているコルベールに聞こえないようにルイズに教える。 コルベールに知れれば止められるに決まっているからだ。 「嘘!? そんな話、聞いたこともないわ」 ルイズが叫んだ。 「だろうな。俺もさっき、使っている人間からの情報で知ったばかりだ」 「な、何かの間違いよ。確認したの?」 「間違いなら間違いでいい。タルブ村まで行って、こいつが飛んでいるところを見せて帰ってくればいいだけだ」 口ぶりとは裏腹に、リゾットは戦争が起きていることを疑っていないようだった。 リゾットがここまで信じているということは多分、本当なのだろうとルイズも悟った。 「ダメよ! そんな危険なところに勝手に行くなんて、私が許さない! 何であんたがそんなところに行くのよ! 王軍にでも任せておきなさいよ!」 「そうだな……。別の場所なら、俺も放っておくさ。だが、タルブにはシエスタがいる……。あいつと、あいつの家族には恩がある。このゼロ戦を譲ってもらった恩がな」 「シエスタってあのメイド……?」 リゾットは頷く。それからガソリンの注入が終わったゼロ戦に乗り込もうとした。だが、ルイズに腕にしがみつかれる。 「とにかく、駄目よ! これは命令よ!」 「悪いが、その命令は効けない」 「何でよ……。いくらあんたが強くたって、死んじゃうわ!」 「死ぬ……。死ぬか……」 リゾットはルイズの目を見据えた。その目には怒りもない、悲しみもない、ただ『覚悟』が宿っていた。いつものように。 「ここでシエスタを見殺しにしたら、それこそ俺はまた死ぬことになる。肉体じゃなく、『誇り』がな」 ルイズは泣きそうになった。だが、精一杯虚勢を張ってこらえる。泣いたところでリゾットはこの場に残ったりはしない。 いつもこの使い魔はそうなのだ。相手が何者であろうと、障害がなんであろうと、自分の、そして仲間の本当に大切な『誇り』を守るためなら恐れずに向かっていく。 泣いても無駄なため、涙の代わりに言葉を振り絞る。 「何よ! 馬鹿! いっつもいっつも、『覚悟』とか『誇り』とか言って、かっこつけて死にそうになって! 怖くないの!?」 「……怖いさ。死ぬことをやめて以来、いつだって死ぬことは怖い。だが、恐怖を感じることと、それから逃げ出すことは別だ。お前だって分かっているはずだ、ルイズ」 「何をよ!」 「お前はフーケから逃げずに戻ったとき、ウェールズ皇太子の化けた海賊の頭領に啖呵を切ったとき、ワルドに人質をされたとき、死の危険を感じながらも逃げなかっただろう? それと同じだ。お前が貴族の誇りを貫くように、俺も俺の誇りを貫く」 ルイズははっとして手の力を緩めた。その隙にリゾットはゼロ戦に乗り込んだ。デルフリンガーを操縦席に立てかける。 「大丈夫だ。俺は死ぬつもりはない。死が前提の任務になど、俺は挑まない」 「私も一緒に行くわ」 「ダメだ」 遠巻きにしていたコルベールに合図を送る。魔法でプロペラを回り始めた。タイミングを計り、エンジンをかける。 「ち、拙いな」 離陸するための滑走距離が足りないことをガンダールヴのルーンによって理解し、リゾットは舌打ちした。 そこでデルフリンガーが口を開く。 「相棒、あの貴族に頼んで、前から風を吹かせてもらいな。そうすりゃ、こいつはこの距離でも空に浮く」 「分かるのか?」 「こいつは、『武器』だろ? ひっついてりゃあ、大概のことはわかんのよ。俺は一応、『伝説』なんだぜ?」 リゾットはデルフリンガーを軽く叩いた。 「デルフ、お前は頼りになる相棒だよ」 「だろ?」 ジェスチャーで伝えると、コルベールは頷いて、呪文を詠唱し、前から烈風を吹かせた。 シエスタから預かったゴーグルをつける。エンジンの音を聞きつけたのか、向こうからキュルケとタバサが走ってきていた。 軽く手を振る。 ゼロ戦が勢いよく加速し始めた。魔法学院の壁が迫り、ぶち当たるギリギリのところでゼロ戦は浮き上がる。 数十年の時を越え、ゼロ戦は再び戦いのため、空へと駆け登った。 その直後、キュルケとタバサがルイズの下に駆け寄った。 「今の、ダーリン? 一体、どうしたっていうの?」 だが、ルイズは答えない。ただ呆然と、空を飛んでいくゼロ戦を見送った。 「何で……何で肝心な時に限って命令をきかないのよ、あの馬鹿……」 「うおー、飛びやがった! おもれえな!」 デルフリンガーが興奮した声を出した。リゾットが呆れて答える。 「飛ぶように出来てるからな。……信じてなかったのか」 「ははっ、わりーわりー。俺も六千年も生きてるけど、こんなの見るのは初めてだからよ」 デルフリンガーは一通りはしゃいでいたが、やがてぽつりと尋ねた。 「相棒よぉ。あの貴族の娘っ子、残していってよかったのか?」 「……アルビオンの軍隊ってことは空と陸の敵を両方倒す必要がある。向こうの状況は分からないが、俺のメタリカは近くに誰かがいると全開にできないからな」 「そうかい……」 「やれやれ、突っ張ってるねえ、相変わらず」 突然、後ろから聞こえてきた第三者の声に、リゾットは振り返った。 ゼロ戦の後部にある邪魔な通信機類を取り払ったスペースから、見知った女性が顔を出していた。 「しかし本当に飛ぶんだね、これ」 「フーケ!?」 珍しく大声を出したリゾットに、フーケは微笑みかけた。 「久しぶりじゃないか、リゾット。無事、『竜の羽衣』が手に入ったようでよかったよ」 「……最初から乗っていたのか?」 「まあね。タルブの村に向かうなら使うだろう、と思ってね」 リゾットは顔をしかめた。自分が焦っていたことを思い知ったからだ。 「降りろ。情報収集役の出番じゃない」 フーケは手でリゾットの言葉を遮った。悪戯っぽく笑う。 「さっきの手紙じゃ情報を渡しきれなかったからね。ちゃんと伝えておかないと。で、それが終わったらあんたはもう私に命令する立場じゃない。雇い主でもなくなるからね」 「……なら、なおさら俺に付き合う理由はないだろう」 その言葉に、フーケは一転して複雑そうな表情を浮かべた。 「…………本当に、そう思う?」 「何がだ?」 素の反応を返すリゾットに、フーケはため息をついた。 「ああ……、わかんないならいいよ」 「言いたいことがあるならはっきり言え」 「うるさいねえ……。ま、あのシエスタって子も知らないわけじゃないしね。乗りかかった船ってことで、いいだろ?」 リゾットはしばらく考えて、諦めた。 「……好きにしろ」 「そうさせてもらうよ」 フーケは実に楽しそうに言った。抑えても抑えきれないようで、ニヤニヤと笑っている。 「何を笑っている?」 「いや、何。大したことじゃないんだけど、やっとあんたから一本取れたと思ってね」 「ふん……」 リゾットは前を向いた。フーケが上機嫌でアルビオンの兵力やトリステインの動向などを語り始める。 リゾットとデルフリンガー、そしてフーケを乗せたゼロ戦はタルブの村を目指して飛び続ける。 「てわけで、空に竜騎士と戦艦、地上に通常の軍の二面作戦だね」 「トリステイン二千対アルビオン三千か……。制空権を取られているのが辛いな」 「逆にいえば戦艦と竜騎士を何とかできれば勝てると思うよ。ラ・ロシェールに篭城できるし、数は不利だけど、トリステインはメイジが多いからね」 「問題はその間もタルブの村は焼かれるってことか……」 「そっちは私に任せてくれない? 地上の敵の押さえくらいならやってみせようじゃないか」 リゾットはしばらく考えて、頷いた。ゴーレムを使う彼女なら、比較的危険も少ないだろう。 「分かった。それが一番効率がよさそうだな……。念のため、これを持っていけ」 リゾットは後ろのフーケに座席の隙間からある物を渡す。 「何だい? これは…。見たことある感じだけど」 「使い方は今から教える」 使い方を簡単に説明すると、フーケは納得したようにしまい込んだ。 「なるほどね。ありがたくもらっとくよ」 それからしばらく飛び続けると、タルブの草原が見えてきた。 「じゃ、私は行くよ。お互い、武運があることを願おうじゃないか」 「ああ。死ぬなよ、フーケ」 フーケは驚いたような顔でリゾットを見た。 しばらくして、フーケはぽつりと呟いた。 「マチルダ」 「いきなり何だ?」 リゾットは振り返った。フーケは地上を眺めている。その表情は風になびく髪で見えない。 「私の名前さ。マチルダ・オブ・サウスゴータ。フーケってのは昔、貴族を追放された時につけた名前でね」 「………なぜ俺にそれを今教える」 「さあね。何となくね。……何となくあんたには知っておいて欲しい気になったのさ……。それじゃ、行って来るよ」 リゾットが呼び止める間もなく、フーケはゼロ戦から飛び降りた。レビテーションをかけて空中で制動をかける。 それを見送ってしばらくして、デルフリンガーが警告を発した。 「おい、相棒。うじゃうじゃいるぜ。覚悟はいいか?」 ゼロ戦の行く手に十数騎の竜騎士が待ち受けている。何騎かは既にこちらに気づいて向かってきていた。 「当然だ」 リゾットはゼロ戦を加速させ、空高く舞い上がった。