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ゼロいぬっ!-9 - (2007/09/03 (月) 13:14:43) のソース

魔法学院でまことしやかに語られる噂。 
曰く、ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔は恐ろしき悪魔である。 
曰く、その使い魔は触れたる万物を消滅させ『虚無』に帰す能力を持つ。 
曰く、使い魔の逆鱗に触れた瞬間、悪魔はその本性を現す。 

決闘を目撃した者、そうでもない者の話も交じり噂は広がっていく。 
大体の内容は彼の恐怖を伝えるもの。 
取り巻きの連中が悪評を与える為、故意に流した物もあったが、 
それを差し引いてもあの決闘は衝撃的過ぎた。 
加えて、決闘の相手が帰郷の途中で殺されたとなれば騒ぎも大きくなる。 

だが当の本人は気に留める様子も無く、軽快な足取りで廊下を歩く。 
奇異や恐怖の視線に晒されても実害が無ければ問題ない。 
だが注目されるのはどうも疲れる。 
人気の無い所へとしばらく身を隠そうと外へと飛び出す。


少し離れた場所にある一本の大木。 
いつもの先客が居ない事を残念に思いながら、 
その木陰に横たわり、睡魔の誘惑に身を任せる。 

それを建物の影に隠れ窺う者がいた。 
彼が完全に寝入ったのを確認すると彼女は姿を見せた。 

オスマンの秘書であるミス・ロングビル。 
またの名を盗賊『土くれのフーケ』。 

彼女は無言で眠りに付いた使い魔の下へと近づく。 
決して気付かれぬように足音も気配さえも消した足取り。 
そして傍まで寄ると彼女は自分の袖口へと手を伸ばした。 
そこから取り出されたのは一本の小さな棒。 
それを何の躊躇も無く彼へと向ける。


「ふ-ん、この姿の時じゃ溶かせないか」 

つんつんと前足の裏を木の棒でつつく。 
手や杖で触って溶かされたりしたら洒落にならない。  
安全を確かめてから自分の手で触ってみる。 
ぷにぷにとした肉球の感触。 
触った感じではどこにも仕掛けはないようだ。 
変化してからでなければ調べても無意味か。 

「………………」 

ぷにぷに。 
ぷにぷにぷにぷに。 
ぷにぷにぷにぷにぷにぷに……。 

「ハッ! アタシは何を…!?」 

つい夢中になって我を忘れていた事実に気付く。 
年甲斐も無く、女の子らしい一面があった事に赤面してしまう。 
こほんとわざとらしく咳をして気を取り直す。 

続けて体毛を手で梳いて彼の素肌を露にする。 
決闘で潰されたという下半分。 
だが、そこには傷一つとして残っていない。 
あるとすれば皮膚に走ったひび割れのような荒れだけだ。 
昨日の今日だっていうのに、つくづく化け物じみた生命力に驚かされる。


(しかし、どうするかね…?) 

巨大なゴーレムさえも溶かせる魔法ではない特殊な能力。 
上手く使えば宝物庫の扉さえも開ける事が出来ると思ったが、そうもいかないようだ。 
いっそ、こいつを捕まえて売り飛ばした方が手っ取り早く金になるかもしれない。 
捕獲するだけなら何とか出来るだろう。 
しかし運んでいる最中で下手に暴れられたら厄介極まりない。 

「やっぱり当初の計画通りに…」 

ちらりと下に向けられた視線。 
その瞬間、彼の見上げる視線と重なる。 
ばっちりとこっちを見つめる使い魔の両の眼。 

フーケの動きがぴたりと止まる。 
まるで石になってしまったかのような硬直。 
時間が止まったような世界の中で彼が甘えた声を上げる。 
クゥンと寂しげに響く小さな鳴き声。 

自分を撫でてもらっている。 
そう判断した彼は、お腹を向けて寝転がって再開を促す。 
唖然とするフーケの前で、ぱたぱた振られる尻尾。 

思考停止状態でわしわし撫でるフーケ。 
それを身を捩りながら気持ち良さそうに受け入れる。 
その手が止まると再び動く催促の尾。 

この日、フーケは彼が飽きるまでマッサージを続けされられた。


「ああ、くそ! 時間無駄にしちまったよ」 

どかりと自室のベッドに腰掛け、愚痴をこぼす。 

予定通りに事を進めるなら、使い魔の事を調べる必要などなかった。 
放校になった生徒から聞き出した情報も無意味となった。 
だが、どちらにせよ死んでもらうつもりだったので関係ないか。 

あの爺も容易く人を信用しすぎる。 
あんな下衆が口約束などを守ると本気で信じていたのか。 
もしアカデミーの連中に踏み込まれたら、せっかく信用を築いたのも徒労に終わる。 
それで万が一、職員の身元調査などやられでもしたら最悪だ。 
エロ爺や学院がどうなろうと知ったこっちゃないが巻き込まれるのは御免被りたい。 

(本当にそうだったのか…?) 
今考えると学院が混乱している最中に盗み出すという手もあった。 
品評会で警備が手薄になっている時よりも、その方が確実だったろう。 
じゃあ何の為にそんな無意味な事をしたのか? 
この学院での暮らしを気に入ったとでもいうのか? 

何も聞かずに自分を受け入れてくれたスケベ爺。 
真面目だけが取り柄のいつも一生懸命なハゲ。 
魔法も使えないのに意地を張り続けるチビとその連れ。 
貴族に遜る事なく自分を貫き通す暑苦しいコックども。 
嫌な事があっても笑顔を絶やさないメイド達。 
ついでに、あのバカ犬。 

頭にいくつもの顔が浮かんでは消えていく。 
それを振り切って彼女はベッドに仰向けになる。


バカらしい…。 
過去を捨てたアタシの本名は『土くれのフーケ』だ。 
ミス・ロングビルなんてどこにもいない、仕事が終わるまでの偽名だ。 
おままごとのような真似などいつまでも続けられる筈がない。 

どんなにそれが楽しくとも遊びの時間はいずれ終わってしまう。 
日が落ちたら、はしゃいでいた子供達も自分達の家に帰る。 
帰るべき場所へと皆帰っていくのだ。 
『土くれのフーケ』も帰るべき場所へと戻らなければならない。 
そして…少なくともここはそうではない。 

明かりに手をかざす。 
女性らしく繊細で白い指。 
だが彼女の目にはそうは映らない。 

彼女の目に映るのは、赤黒く血に染まった自分の手。 
人を殺したのはアレが初めてではない。 
これまでに何人の人間を手に掛けただろうか。 
たとえそれしか生きる方法がなかったとしても後戻りはもう出来ない。 
日の当たる場所に戻るなど許されない。 
たとえ誰が許そうとも彼女自身がそれを許さない。 

間もなく品評会の日がやってくる。 
それが決行の時。 
そうなればここともお別れだ、二度と訪れる事もないだろう。 

目を閉じる。 
眠りにつくまでの間に、彼女は学院の知り合い達と、 
そして『ミス・ロングビル』に心の中で別れを告げた。

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