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仮面のルイズ-72 - (2010/01/04 (月) 04:28:40) のソース

アニエスの手でリッシュモンが”処刑”された後、達銃士隊はリッシュモンの屋敷に突入し、数々の不正を暴いていった。 

リッシュモンの屋敷で働いていた者のうち、不正に関わりがあった者は投獄された。 
それ以外の者達は一通りの取り調べを受けた後に、銃士隊によって他の仕事を斡旋され、遠ざけられた。 
隠し部屋などは徹底的に調査され、不正によって得たと思しき物品は押収され国庫へと納められた。 

また、屋敷の地下には逃走用と思しき通路が造られていた、これに利用価値があると判断したアニエスは屋敷を拠点として利用したいとアンリエッタに進言し受諾された。 
それからすぐに、アルビオンからルイズとワルドの二人が戻り、二人もこの館を拠点の一つとして利用する許可を貰っている。 

かつては調度品が並べられていた廊下も、今は壁掛け式のランプだけが等間隔に並ぶだけであった、他の貴族がこの有様を見ればそのみすぼらしさに嘆くことだろう。 
しかしそれは貴族の価値観、平民が見ればこの屋敷は巨大な調度品だ、大理石で化粧された壁や、紫檀の巨大な柱、廊下に敷かれた絨毯など、すべてが平民の手に届かない物ばかりなのだから。 
以前は高名な画家の絵が飾られていた壁にも、銀作りの彫像が並んでいた棚にも、何一つ残っていないが、屋敷で働くメイドがそれを見ても『掃除がし易い』程度の変化でしかない。 

その廊下を、一人のメイドがワゴンを押していた、アルビオンからルイズ達が帰還した際に、気を失ったワルドの看護を勤めたメイドで、名をハンナという。 
彼女は銃士隊を志したが、年若いだけでなく身体が弱いため訓練に耐えきれなかった。しかし誠実さが認められ銃士隊の下で働いている。 
14歳ばかりの少女は、慎重にワゴンを押していた。 



◆◆◆◆◆◆ 



夜のリッシュモン邸で、ルイズとアニエスの二人が顔を合わせていた。 
応接間では、ルイズの向かいのソファに座ったが、柔らかいソファは身動きを取りづらいのであまり好きではなさそうだった。 
「久しぶりね、アニエス」 
「お互いにな『石仮面』。アルビオンはどうだった?だいぶ混乱していると思うが」 
「混乱に乗じて上手くやっている連中もいたわよ」 
「武器商人と盗賊まがいの傭兵だろう?どこも変わらないな」 

魔法学院襲撃の後、アニエスはすぐさま王宮へと向かい、事の顛末を報告した。 
生徒を人質に取られる等の失態を犯した以上、任務を外されるのも覚悟していたが、マザリーニ枢機卿を通じて任務を続行するよう指示が下った。 
アニエスは分隊を招集し、部隊を再編成して魔法学院へと戻り、生徒への軍事教練と警備任務を続けた。 

更に翌日の晩、アニエスはリッシュモンの屋敷を訪ねていた、隠れ住んでいるルイズと情報の交換をするためである。 

ルイズは、そもそもが王家の傍流であるヴァリエール公爵の娘であり、社交界へ出ればアンリエッタに最も近づける位置にある。 
社交界と、両親の会話の中から、ルイズは貴族の力関係を学んでいた。更に今ではアンリエッタの影武者として王宮内でも特殊な立場を得ている。 
聞こえてくるのは、華やかな王宮の光と影であった。 

魔法の使えない落ちこぼれとしてのルイズは、貴族の力関係に敏感だとお世辞にも言えなかった。落ちこぼれに向けられる言葉の数々はルイズを傷つけ、いつしか、心の痛みに過敏な反応を示すようになった。 
魔法が苦手であっても、貴族らしい知識と行動をすべきだと自分に言い聞かせてきたのは自己を正当化して精神を守ろうとする自己防衛だったのだろう。 
しかし吸血鬼と化したルイズは、それら一切の枷が外れる気がした。暗闇の中に光が差し込むような晴れ晴れとした気分だった。 
吸血鬼となったルイズは、過敏でもなく、鈍感でもなく、貴族の力関係をありのままに観察できるようになった。 

貴族社会の中で生きざるを得ないアニエスとルイズは、上手く立ち回るためにお互いに情報の交換を望んでいたのだ。 

「ああ、そうだ、礼を言い忘れていたな。魔法学院から連れ去られた生徒を助けたのは、貴殿だろう」 
「アンリエッタから聞いたの?」 
「いや、私の憶測だ。その様子からすると事実のようだな」 
アニエスが不敵な笑みを向けた、だが、アニエスの予想よりもルイズの表情は優れなかった。 
「正直に言えばね…間に合わなかった。もっと早く駆けつけることもできたけど、私が魔法学院に近づくのは危険も伴うわ。だから…やめましょう。何を言っても言い訳になるわね、ごめんなさい」 
ごく自然に謝罪されたのに驚き、アニエスは少しばかり狼狽した。 

「ああ…その、何だ、これについて私から非難はできない。むしろ陰ながら支援してくれただけでもありがたいさ。我々の味方は少ないからな…」 
「銃士隊は嫌われてるものねえ…」 
「私は『女王陛下の足下をウロチョロするネズミ』だと言われているよ。我々の失態を心待ちにしている者がどれほど居る事やら」 
そういってアニエスは笑った。自分たちの行動に自信があっての笑みではなく、アルビオンとの戦争を目前に控えて尚権力にしか興味のない貴族をあざ笑ったのだろう。 

「我々銃士隊は、魔法学院での軍事教練を主として派遣されたが、警護をおろそかにして良いという訳ではない。女王陛下は、我々の責任は問わない形で話を進めると仰って下さったが……」 
アニエスはため息をつく、生徒達を無事解放できたとはいえ、魔法学院が占拠された事実は覆せない、これは銃士隊の失態として取りざたされるだろう。 
しかし、ルイズは笑みを見せた。 
「その点は大丈夫よ、実はね、魔法学院に隣接する領地の貴族宛に『魔法学院の警備に力を貸すように…』と書簡を出していたの」 
アニエスは、問うような目でルイズを見た。 

「それだけじゃないわ、このリッシュモンの屋敷から『国境警備に関する資料』が押収されたことにして、将軍達の危機感を煽ってもらったの、そのすぐ後に魔法学院が襲撃されたわ」 
ルイズは、足を組み、背もたれに体を預けた。 
「わかる?周辺の警備隊、国境警備隊や近隣貴族は、魔法学院に向かう不審な船に誰も気がつかなかったのよ。そんな彼らじゃ銃士隊の責任なんてとても追及できないわ」 
ふふふ、とルイズが笑い声を漏らした。 

「ただし、貴女は責任を問われない代わりに、責任を問うことも出来ないわ。争えばお互いが傷つくから、銃士隊と軍が痛み分けをした形でオシマイよ」 
話が終わると、アニエスは先ほどよりも少しだけ肩を落としている気がした。 

「油断していた自分に腹が立つ…」 
ぽつりと、アニエスがつぶやく。 
「貴女は最善を尽くしたわよ。それでも油断というのなら、私も…」 

(油断していなければ、吸血鬼にはならなかったのかしら) 

声にならぬ呟きは、アニエスに聞かれることはなかった。 




◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 




ハンナは応接間の前に立つと、緊張した面持ちで応接間の扉を見上げた。 
襟を正して、ノックをしようとしたところで「入って良いわよ」と声をかけられた。 
ほんの少し驚いたが、気を引き締めて扉を開けると、アニエスと『石仮面』がソファに座っていた。 
髪の色を除けば、アニエスと『石仮面』は姉妹にしか見えない、それほど二人は似ていた。 
ハンナはワゴンを運び入れてテーブルの上に茶器と菓子を並べていく。 

ティーポットから漏れる微かな香りから上等な紅茶だと解る、ルイズは飾り気のないティーポットを見て、口を開いた。 
「香しいわね…アルビオンあたりの茶葉かしら。リッシュモンの置き土産?」 
「はい。こちらは、お屋敷のお茶類をメイジ様が鑑定した際『アルビオン産の上等な物だ』と仰っていたものです」 
屋敷には食料や嗜好品も残されていたが、これらはルイズ達がこの館を使うため、高級な物も回収されずに残っている。ただし食器類は安物しか残されていない。 
「そう。注いで頂戴」 
「はい」 

給仕を終えたハンナが応接間を出ていくと、ルイズが感心したように言った。 
「あの娘、よくやってくれるわ。不用意に近づこうともしないし変な詮索もしない、仕事は忠実。とても誠実な娘ね」 
石仮面ことルイズが呟くと、小さなテーブルの向こうでアニエスが笑みを浮かべた。 
「私が傭兵をしていた頃、トロル鬼から逃げていた彼女を保護したんだ。それ以来色々と世話を焼いてくれる。いい子だよ」 
そう言って微笑むアニエスを、ルイズが身を乗り出してじっと見つめた。 
「………ふぅん…へえ…」 
「何だ」 
「いい顔で笑うようになったじゃない」 
「…そうか?」 
背もたれに身体を預け、足を組むと、ルイズは紅茶に口を付けた。 
アニエスは、不思議そうにルイズを見返して、ティーカップを手に取った。 

しばらくの沈黙の後、ルイズが口を開く。 
「ところで…」 
「ん?」 
「魔法学院が占拠されたのが一昨日の夜で、解放されたのは昨日の朝夜明け近く。そして…貴方が王宮に報告したのは昨日の昼前頃で間違いはないわね?」 
「ああ。その通りだ」 

頷いたアニエスも、ルイズが嫌に真剣な表情をしているのに気づいた、鋭い視線はアニエスを捉えているが、アニエスではなく別の何かを見定めている気がする。 
「『”白炎のメンヌヴィル”率いる傭兵の一団が、アルビオンのフリゲート艦で魔法学院を急襲、生徒が犠牲になった』…この噂はすでに流れているわ」 
「なに」 
目を見開き驚くアニエスを、真っ正面から見つめ返しつつ、ルイズが紅茶に口を付けた。 
「この噂は、一昨日夜にトリスタニアの酒場や宿で流されたと見ているわ。明日の朝には地方貴族の領主にも噂が伝わっているでしょうね…この意味解るわね?」 

アニエスは少々乱暴にティーカップを置くと、忌々しげに拳を握りしめた。 
「魔法学院に子弟を預けている貴族達は黙っていないだろうな」 
「さっきも言ったとおり、貴女たちの責任は問われないだろうけど、矛先は女王陛下とウェールズに向けられるでしょうね」 
「噂を流したのは、いったいどんな奴か目星はついているのか?」 
「商人風の男だと聞いているわ。昨日からワルドが追ってるから、何か分かったらすぐに知らせるわよ」 
「そうしてくれると有り難い。 しかし…」 

アニエスは祈るように両手を組んだが、その手には力が、表情には苦々しさが見て取れた。 

「ねえアニエス、アルビオンは兵も民も疲弊しているわ。トリステイン・ゲルマニアとの輸出入を封じられたら国力は衰える一方…そんな状況で戦争をするとしたら、貴方はどうする?」 
「…アルビオンはハルケギニア最強と呼ばれる艦隊と竜騎士があるな、数で勝るトリステイン・ゲルマニアの戦力を相手するには、防衛戦ぐらいしか思いつかない」 

その答えに、ルイズがにやりと笑った。 
「ごく一般的で模範的な回答だと思うわ。ウェールズも、今の段階でアルビオンに攻め込むのは難しいわ。アンリエッタも慎重に事を進めようとしている。たぶん…ヴァリエール公爵やも同じ意見でしょうね」 
「だが、魔法学院が襲撃された以上、猶予は無い…アルビオンの誘い通りに、罠の中へ飛び込む事になる…そういうことだな?」 
「ええ。罠の中に飛び込まざるを得ないの」 
話をしつつルイズは、ポットに残った紅茶をカップに注ぎ、二杯目に口を付けた。 

ルイズとの間にしばらく沈黙が流れるが、その沈黙を破ったのもアニエスだった。 
「…私も傭兵としてメイジを相手にしたことはある、卑怯と言われても仕方のない手をさんざん使ってきた。だが奴らのやり口は私には思いつかない。タガの外れたやり方だ。 
なあ、石仮面、奴らは貴族だからかこんな手段ばかりを使うのか? 
名誉などという美辞麗句で権力を欲しがる貴族連中はみんなこういう手を思いつくのか?聖地を奪還するために虐殺をしたいのか、何なんだ、奴らは!」 

ルイズには、アニエスの不満が至極もっともな事だと思えた。レコン・キスタはタルブ戦で自軍の船を燃やして開戦の名目を作った、また貴族の子女ばかりが残る魔法学院を襲撃し人質に取るなど、トリステインはレコン・キスタの後手に回っている。 
いつ来るのか分からない敵、どんな卑怯な手でくるか分からない敵を相手にし続けるのは心理的な負担が大きい。 

「落ち着きなさい、今の貴女の反応そのものが彼らの狙いかもしれないわよ」 
ルイズの言葉はアニエスを小馬鹿にするような雰囲気を纏っていた。 
「…すまない。確かに、そうかもしれない」 

気を取り直したアニエスは、さめかけた紅茶を口にした。 
ルイズはポットを手に取り自分の紅茶をつぎ足しつつ、話を続けた。 

「ほかにも懸念はあるわ。ガリアは中立を表明したけど、元々アルビオンとガリアの間では風石のコストがかかりすぎて、ラ・ロシェールほど頻繁な交易はできなかったわ。でもこれからは違う。 
木材に恵まれたアルビオンは軍艦の材料こそ豊富、それを対価に風石をガリアから輸入せざるを得ないでしょうね。」 
「ガリアは風石の鉱山を持っていると聞いたが、これを機に一儲けするつもりか」 
ルイズはアニエスの言葉に頷いた。 

「…それだけじゃないわね。ガリアにリッシュモンのような裏切り者や、レコン・キスタに人質を取られた貴族が居たとしたら、もっと大変よ。 
既に、ウェールズに取り入ろうとする者もいるわ。彼はまだ賄賂をはね除けているけど、誰かが『ウェールズ派』を名乗り口火を切れば、トリステインは派閥争いで自壊するかもしれない。 
後はゲルマニアね。トリステインの兵は、タルブ戦への助力を無視したゲルマニアを心の底で恨んでいるわ。この火種が連合軍という”わら”に燃え移れば………」 

アニエスは目を細め、心底いやそうな顔をした。 
「あまり想像したく無いが、それも有り得るだろうな。何せ私はよくゲルマニアと比べられる。『貴族を名乗る成り上がり平民』と…なんとまあ、ちぐはぐな国で同盟を結んだものだ」 
「時勢って、そういうものでしょ」 
「かもな」 


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 


それから間もなくしてアニエスは、魔法学院の警備を続行するため、魔法学院へと戻っていった。 

アニエスが去った後、ベッドルームに戻ったルイズがつぶやく。 
「お疲れ様。貴方も一緒にお茶すればいいのに」 

するとタイル状の模様が入った壁が、扉のように開かれ、ワルドが姿を現した。 
「女性が二人で密談していると、入りにくくてな」 
「のぞき見は良いの?」 
「覗かれるためにあの部屋に居たんだろう?」 
「まあね」 

ルイズが使った応接間は、覗き穴から監視できるように作られていた。 
監視用の部屋は地下の隠し部屋へと通じており、そこにはリッシュモンが残した魔法薬や麻薬などが残されていた。 
「帰るのが随分早かったじゃない、噂を流していた男は捕まえたの?」 
「三人捕まえたよ。眠らせて地下に転がしてある」 
「そう、それじゃ早速尋問しましょ。貴方は明日に備えて休んでいいわ」 
ワルドにそう告げて隠し部屋へと降りて行くと、壁はゆっくり閉じられた。 

残されたワルドは漆黒の外套を脱ぎ、ベッドの上に腰掛けた、ちらりと机の上を見ると、女王陛下宛に出されたアニエスの報告書が置かれていた。おそらく、アンリエッタからルイズへと渡されたものだろう。 
ワルドは何気なくそれを手に取り、中身を読み進めた。 

報告書には、魔法学院が襲撃されて生徒達が人質に取られたという事柄と、幾人かの生徒と一人の教師の機転で反撃に転じ、返り討ちにした事について記されている。 

さらに読み進めていくと、コルベールという教師は白炎のメンヌヴィルを圧倒する実力者だったらしい。 
「………魔法学院のミスタ・コルベールが、『白炎のメンヌヴィル』を圧倒した……コルベールか、あまり聞かない名だが、そんな実力者が潜んでいたとはな」 
ワルドは実力のある者が無名であることに驚いたが、すぐにそれが自分の先入観であると気づき、無名の実力者に敬意を向けた。 
なぜなら、シュヴァリエを賜ったという『モンモランシー』と、元平民の『シエスタ』が治癒を施したが、ミスタ・コルベールは戦闘の怪我が元で息を引き取ったらしいのだ。 

ワルドは、リッシュモンへの復讐をアニエスに譲った。 
センチになったからではない、ワルドはワルドなりの考えがあったのだ。 

ルイズの力で蘇った母を見て、死人が蘇るおぞましさを目の当たりにしたワルドは、リッシュモンへの怒りだけでなく、今まで自分が何をしてきたのかという絶望も感じていた。 
しかし、それはルイズという『あこがれ』が全てを変えてしまった。 
激しい怒りでも、深い悲しみでもない、死への納得……『リッシュモンを殺して死ぬのも悪くない』『ルイズのために死ぬのも悪くない』という、死への納得を得ていた。 

「敵討ちを済ませたは良いが…おまえの魂は決着がつくのか?アニエスよ」 

ワルドはパチンと指を鳴らし、マジックアイテムであるランプを消す。 
暗くなった部屋で、カーテンの隙間から差し込む月明かりがやけにはっきりと見えている、斜めに差し込む光は、自分には上ることの出来ない、天国への階段のようだと思った。 




◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 




あの日、ダングルテール。 
海に面したトリステイン北西部の村々は、赤く燃えていた。 

アニエスがまだ三歳の頃、浜辺で貝殻を拾っていたアニエスは、一人の女性が倒れているのを発見した。 
指に輝く、赤いルビーの指輪が強く印象に残っている。 

アニエスは恐る恐るその指輪に触れた、すると女性は目を覚まし、かすれたような声でこう問いかけたのだ。 
「……ここは…?」 
「ダ、ダングルテール」 
そうアニエスが答えると、女性は満足そうに頷いた。 
ぐったりとしている女性を見捨てておけなかったのか、アニエスは急いで村に戻り『浜辺に倒れている人がいる』と村人達に告げたのだ。 

女性は瀕死の重傷を負っていたが、村人の手厚い看護によって一命を取り留めた。 
ヴィットーリアと名乗るその女性は、貴族でありながら旧来のブリミルと貴族を中心とする教えから身を遠ざけ、平民の間で『新教徒』と呼ばれる実践的教義を信仰し生きようとしたらしい。 
ロマリアに住んでいたが、いつしか新教徒への弾圧が激しくなり、なんとか逃げてきたと語った。 



それから一月の後、トリステイン軍のある部隊が、ダングルテールへとやってきた。 

村人達のほとんどは、悲鳴を上げることすらできずに火にまかれ命を落とした。 
軍隊は問答無用で村を焼き払った、念入りに、確実に全てを焼き尽くしていった。 

自分が生まれ、育った家は一瞬で炎に包まれた。 
家族もまた、炎の中に消え、アニエスは自分が死ぬということを直感的に悟った。 
アニエスは必死で炎の中を逃げ惑い、ヴィットーリアが隠れている家へと逃げ込んだ。 
その時ヴィットーリアは、アニエスを抱きかかえ布団の中へと放り込む、するとすぐに男たちの声が聞こえた。 

「ロマリアの女がいたぞ」 

野太い男の声、続いて聞こえる呪文の詠唱。 
アニエスがひっ、と怯えた瞬間に、ヴィットーリアが炎に包まれた。 

薄れ行く意識の中、アニエスはヴィットーリアの水魔法が自分を包み込んでいるのだと、何となく理解できた。 
炎からアニエスを守ろうと、自分の身を顧みず、身体を真っ黒に焦がしながらも詠唱を続けていた。 



……そして、アニエスは目を覚ました。 
毛布から顔を出すと、そこは浜辺だった。遠くの空が赤く揺らめいていた。すぐにそれが炎に包まれた村の明かりだと気づく。 

どうして自分だけが浜辺に居るのか解らず、辺りを見回すと、途切れ描けた意識の中で見えたヴィットーリアの最期と、誰かに背負われていた記憶が蘇る。 

自分を背負っていた『誰か』は、首筋に火傷を負っていた。 
首の後ろから肩にかけての、引きつったような火傷の痕は、アニエスの脳裏に深く深く刻み込まれた。 

火傷痕を持つ男は、手に杖を持っていたはずだ、つまり、その杖で村を焼き尽くしたのだろう。その男が魔法で村を、人を、両親を、すべてを焼き尽くしたのだろう。 

あれから二十年の月日が過ぎたが、火傷痕の記憶は決して薄れる事がない、だから、見間違えるはずもない。 



魔法学院を襲撃したメイジの一団を撃退し、中庭へと走り出たアニエス。 
彼女は、倒たメンヌヴィルを冷たい目で見下ろす男の首筋に、コルベールの首筋に、見間違えるはずもない火傷の痕を認めていた。 


◆◆◆◆◆◆ 


アニエスは全身を粟立たせ、怒りと喜びとに震えていた。 
「貴様が……、貴様が魔法研究所(アカデミー)実験小隊の隊長か」 
その問いにコルベールが頷く。 
「応急の書庫では貴様のページだけが破られていた、リッシュモンがやったのかと思ったが…貴様がやったのか?」 
「そうだ」 

アニエスは無言で剣を抜き、コルベールに突きつける。 
「教えてやろう。わたしはダングルテールの生き残りだ」 
「……そうか」 
「なぜ我が故郷を滅ぼした?答えろ」 

コルベールは俯くと、静かに、しかしハッキリと答えた。 
「……命令だった。疫病が発生したと告げられたんだ」 
「疫病か…貴様、もう知っているのだろう。 疫病など嘘だったと、いつ気が付いた、最初から知っていたのか」 

「焼かねば被害が広がる。そのように告げられた私は、仕方なくすべてを焼いた…。だが、部下の一人はロマリアの女を確実に殺すよう言いくるめられていたのだ、それを不審に思った私は、部下を問いただした」 
「部下の責任にするつもりか?貴様は何も気が付かなかったと言うのか?」 
「いや、火を放ったのは私だ。疫病が漏れぬよう作戦を決めたのも私だ。あの作戦が…要は〝新教徒狩り〟だったと知ったのは後の事だ。 
わたしは毎日罪の意識にさいなまれていた…。先ほどメンヌヴィルの言ったままの事を私がやったのだ、女も子供も見境なくすべてを焼きた。 
許されることではない。忘れた事もただの一度もない、忘れようはずがない…それで私は軍を止め、身元を隠すために部隊の名簿を破いた。 
二度と炎を……、破壊のためには使うまいと誓って、間違った使い方をさせたくはなくて、魔法学院の教師になることを選んだのだ」 

なんとなく…なんとなくだが、アニエスは『嘘はついてない』と感じていた。コルベールという男は本気で罪の意識に苛まれていたのだろう。 
それが嫌だ。 
何が嫌かと説明する事はできないが、とにかく、嫌だった。 

「……それで、貴様が手にかけた人が帰ってくると思うのか?」 
コルベールは首を横に振った。 
「…私が何をしても罪が消えるとは思っていない、ただ、あの時の子供が、私を殺しに来るのなら、それでいいと思っていた」 

「ふざけるな」 
アニエスは得体の知れない苛立ちが身体を駆けめぐったのを感じ、氷のように冷たい怒気を放った。 
リッシュモンを殺した時に感じたのはただの虚しさだった、それと同じ虚しさを目の前の男から感じるのだ。 
ワルドがとどめをアニエスに譲ったとき、『こんなものか』という感想が頭に思い浮かんだのだ。 
目の前の男からも、その時と同じ雰囲気が感じられてしまう、それが気に入らない。 

しかしコルベールは杖を手にしている、戦う気があるのだ、生きるのを諦めていないはずだ。そうでなければ殺し甲斐がないではないか。 

おもむろにコルベールが膝をついた、メンヌヴィルの首に指を当て、何かを確認している。 
「何をしている」 
「脈を取ったんだ、生きているかもしれないからな」 
「自分で殺したのに、今更脈を取るのか?」 
アニエスが訝しげな視線を向けると、コルベールは立ち上がり、杖を放り投げた。 

「敵は居ないようだ、私を殺すのなら、いつでも構わない」 

苛立つ。 

「…ふざけるな」 
はらわたが煮えくりかえる。 

「ふざけるな!」 
何が不満なのか自分でも理解できない。 

コルベールはそんなアニエスを見て、こう呟いた。 
「やりたまえ、君にはその権利がある」 
その言葉がいつかのウェールズと重なった。瞬間、アニエスの怒りが頂点に達する。 
「ふざけるなあ!!」 

アニエスが全力を叩きつけるために剣を振り上げた、確実に殺すのなら突き殺したはずだが、苛立ちが彼女の冷静さを奪っていた。 
だから、シエスタが間に合った。 

「やめて!」 
ズシャッ!という変な音と手応えが、アニエスの頭を冷やした。 
頭を真っ二つに割るつもりで振り下ろした剣は、布に遮られて狙いを外した。 
シエスタの持っていた布は自分の怪我に当てていた布で、血に塗れている、血は波紋を伝え、布を木材よりも堅く石よりも柔らかい『こん棒』へと変化させていた。 
「邪魔をするな!」 

邪魔者ごと着るつもりで逆袈裟に切り払うが、シエスタは棒状に変化した布で剣の軌道を逸らした。 
その時、アニエスの手に不快感があった、シエスタの波紋が手を痺れさせたのだ。 
咄嗟に距離を取り、剣の柄を握りしめて感触を確かめる、握力が失われていないと判断しもう一度剣を構えた。 
「もうやめてください!コルベール先生は私たちを助けてくれたじゃないですか!」 
「何も知らない奴が、邪魔をするな!そいつは村を、私の故郷を焼きすべてを奪った、そいつを殺すために私は二十年耐えてきたんだ!」 

アニエス剣は、はっきりとシエスタに向けられた。邪魔をするならお前も殺すと目が語っている。 
シエスタは故郷を焼き払ったという言葉に、思わず瞳孔が開いた気がした。だが、逃げようとはしない。 
「…いいえ引きません。貴方の仇であっても、私たちを助けようとしてくれたんです、殺させたくありません!」 
シエスタが叫んだ。 

「よしなさい。私の事はいいんだ」 
コルベールはシエスタの肩に手を置き、呟いた。 
「でも…」 
「いいんだよ」 
シエスタを押しのけて、コルベールはアニエスの前に立った。 
「……………」 
無言のまま、コルベールはアニエスを見、アニエスはコルベールを見つめる、だがアニエスの目はどこか揺れていた。 
仇を討つ、仇を討つ、仇を討つ、そう自分に言い聞かせて剣を握る。 

『オレは……貴様のような腑抜けを、二十年以上も追ってきたのか……、貴様のような、能なしを!許せぬ!』 
アニエスには聞こえなかったはずの、メンヌヴィルの言葉が聞こえた気がした。 
自分でも気が付いている、自分はメンヌヴィルと同じだと、敵討ちのために戦い続け、シュヴァリエの立場を得るまでになったが、本質は強大な敵を討ち果たす事に充足を感じていた。 

死ぬのが当然だと思っている相手を殺す程、むなしいことはない。 


だが、それでも、かたきはうたねばならない 


「……ッ!」 
アニエスは剣を振り上げた、今度こそコルベールを一刀両断し復讐を終わらせるために。「いかん!」 
コルベールが叫ぶ、本塔の脇に見えた人影から、魔法の矢が放たれるのに気が付いたからだ。 
アニエスの懐に入りつつ、コルベールは身体を捻ってアニエスの身体をはじく、アニエスは体勢を崩されたが、なんとか踏みとどまってコルベールの背中に一太刀を入れた。 
次の瞬間、ドバッ、という音と共に赤い血しぶきが、霧のように舞う。 
「先生!」 
シエスタがコルベールに近づく、コルベールは背中だけでなく胸から大量の血を流していた。崩れ落ちたコルベールへすぐさま波紋を流していく。 

アニエスは、コルベールの負傷に驚きつつも、本塔の近くに目を懲らした。 
傭兵のメイジと思しき男が、杖を握りしめてうつぶせに倒れている。 
数回、赤く染まったコルベールの身体と、倒れているメイジを見比べて、ようやく理解した。 


自分は今、この男に庇われたのだ。 

昔と同じように。 


それから、本塔の中で治癒を続けていたモンモランシーがこちらへと走ってきた、コルベールの怪我に気づいたモンモランシーは必死になって呪文を唱え、治癒を施していく。 
治癒の苦手なキュルケも追いつき、コルベールの顔を覗き込んでいた。 

アニエスは、わなわなと頬を震わせながら、横たわるコルベールを切り裂こうと剣を向けた。 
しかし、キュルケがコルベールをかばうようにして覆い被さった。人を小馬鹿にするような笑みは消えて、どこまでも真剣な表情で、キュルケが叫んだ。 
「お願い、やめて!」 
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」 
緊張で、すべてが凍り付きそうな時が流れた。 

だが、モンモランシーが杖を下ろした事でその緊張は解かれた。 
「モンモランシーさん!」 
「……無理よ……もう…先生は…」 

アニエスの手から力が抜け、剣はカラン、カランと音を立てて地面に落ちた。 

皆が言葉を失う中、アニエスははっとして剣を拾い上げ、何も言わずに本塔へと戻っていった。 

シエスタは、その後ろ姿を見送りながら、胸を痛めていた。 



◆◆◆◆◆◆ 



本塔・学院長室。 
傭兵を排除した後、オールド・オスマンは学院長室へと駆け上がっていった。 
杖は寝室に置かれているので、走って階段を上がらなければならなかったが、波紋の効果により若者と変わらぬ勢いで走っていられる。 
オスマンは学院長室に保管してある、予備の『水の秘薬』を水メイジに渡し、怪我人の治療に使わせるつもりだった。 

学院長室にたどり着いたオスマンは、部屋を見渡して窓が一枚割られているのに気が付いた。 
しかも、破片がほとんど落ちていない事から、外からではなく中から割られていると解る。 

オスマンは机の中に隠されている秘薬を探そうと、自分の机を見た。 
引き出しの鍵は壊され、中には物色された痕がある。 
だが、不思議な事に金品や秘薬には手を付けられていなかった。 

しかし、あるはずの大事なモノが、そこから抜き取られていた。 
「…ない。無いぞ、奴ら、これの存在を知っていたのか!」 


オールド・オスマンの机から奪われたのは、波紋の伝承書としてオスマンが記した『太陽の書』であった。 


[[To Be Continued→>仮面のルイズ-73]]

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