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第七話 スレッジ・ハンマー/インテリジェンスソード - (2007/07/09 (月) 23:30:23) のソース
授業の終わったある日の放課後、タバサはいつも通りコルベールの研究室に向う。 途中図書館に寄ったため少し遅くなってはいるが、コルベールから指定された時間を過ぎているわけではない。 今日は、宝物庫に届いたばかりのアイテムの検分に参加することを、特別に許してもらえることになっていた。 借りてきた分厚い書籍を左腕に抱え、歩く――その足取りが、不意に緩む。 タバサが立ち止まったのは、ミス・シュヴリーズに与えられた部屋の前。 見上げる。扉の上の隙間から、赤色光が漏れている。照明とは異なるその光は、魔法の行使に伴うものだ。 「固定化?」 ようやく秘薬が届いたと言っていた、同級生のことを思い出す。 上を向いた首を元に戻すと、タバサは再びコルベールの部屋を目指して歩き出した。 シュヴルーズの部屋を包んでいた、赤色の眩い光が収まる。 宝石、岩石、粘土その他部屋の中に並べられた様々なアイテムが、元の色を取り戻す。 それを確認した部屋の主人は、握った杖の向く先を変える。 「…………レナクタカ・レナクタカ」 ミス・シュヴルーズによって、紡がれる言葉。 「――レナクナクカラワヤ!」 彼女の杖が、腕を模して形作られた鋼鉄に触れる。鋼鉄の上に薄く塗られた秘薬が発光し、鉄腕全体を包みこむ。 彼女の二つ名と同色の光はしかしすぐに収まって、少しくすんだ鈍い輝きを鋼鉄は取り戻す。 元通り――表向きは、何の変化も見られない。だが物の本質とは、目で見ることの出来る部分だけで決定されるとは限らない。 「はい、ミス・ヴァリエール。以上で非生体部の固定化作業は終了です」 杖を収めたシュヴルーズは、自身の生徒に向き直って言った。 「ありがとうございます、ミス・シュヴルーズ」 「ん……終わったのか」 礼をのべるルイズの横で、鋼鉄の腕の持ち主――シュトロハイムが起き上がる。 「どう?」 「ふむ、正直どこか変わったようには思えんぞ」 「ええ、『固定化』は外部からの力の影響を排斥する魔法で、対象の基本性質を変化させるものではありませんから」 義手を動かし、首をかしげるシュトロハイムにシュヴルーズが答える。 「ですがこれで、『ドット』や『ライン』クラスのメイジによる錬金は久しく困難になるはずです」 「ならばその上、『トライアングル』や『スクウェア』の場合はどうだ?」 「時間さえ掛ければ、破られる可能性はあります。私のような『トライアングル』なら数分程度の時間を掛ければ ……ですがこれは、互いに動き回っている戦闘状態のような場合にはほとんど無視してかまわないでしょう。 ですから問題は、『スクウェア』クラスを相手にした場合ですね。 特に高位メイジや土系統を得意とするものが相手のときは、『トライアングル』である私の『固定化』では 数秒で破られてしまう恐れがあります」 まあスクウェアクラスとなると数自体が希少なので、滅多に出会うこともないでしょうがと、シュヴルーズは付け加える。 「でも、用心するに越したことはないわね」 ルイズが、何か思いついたかのように言った。 「先生、たしか最も容易に錬金を行えるのは、杖か自分の体と対象が接触している時でしたよね」 「ええ」 土系統のメイジならある程度の距離があるものでも錬金することは可能だが、基本はやはり接触状態だ。 対象に触れないで行う錬金の難易度は、対象との距離の二乗に比例して高くなる (ギーシュの花びらを使った『ワルキューレ召喚』のような、アイテム使用下ではまた事情が異なる)。 ルイズの錬金に対する理解度の深さに感心したシュヴルーズは、何故前々回の授業ではあのような失敗をしたのかと 疑問に思い、それから彼女の意図に気付く。 「そうですね、確かに演習場での『決闘』の時のようなメイジと直接触れ合う戦い方は、 今後は避けたほうがいいかもしれません。相手に触れずとも戦える道具を用意しておくのが無難でしょう」 「明日は幸い虚無の曜日だから、さっそく街に行っていいものがないか探してみます」 「買うときは、固定化がかかっているかどうかの確認をお忘れなく」 「どういうことだ?」 一人、事情が飲み込めていないシュトロハイム。立ち上がった彼を見上げ、ルイズは言う。 「いくら鉄の腕を持っているからって、メイジ相手に殴り合いじゃあ格好がつかないでしょ。 明日は授業がないから、街まであなたの武器を買いに行くわ。いつもより早めに起こしなさい」 [[ハルケギニアのドイツ軍人]] 第七話 スレッジ・ハンマー/インテリジェンスソード シュトロハイムとギーシュの決闘、その後の演習場片付けが行われた日から、既に十日ほどが経過していた。 あの日の夜、ルイズは渋々ながらもシュトロハイムをゴーレムではなく人間であると認めた。 おかげでシュトロハイムは鉄の棒の『食事』を前に飢えで命を落とすことを免れ、寝床もまた使い魔居住スペースからルイズの自室に買い入れた寝台へと移された――最も後者に関しては、あの日以来何故かシュトロハイムに興味を示すツェルプストー家の女から、ヴァリエール家の所有物を守るといった側面のほうが大きいのだが。 待遇がかなり改善され、キュルケからは好意のようなものを寄せられる。 その二つが、この期間のシュトロハイムの身に起きた大きな変化だ。前者はもちろん喜ばしいことだし、『この世界』の情報収集という観点からすれば、後者も歓迎すべきことだ。 おかげで魔法を含めたここの技術水準は、おおよそ把握することが出来た。 そこからシュトロハイムが導き出したハルケギニアの認識は、『祖国ドイツにとって極めて有用』 というものだ。 この世界は『柱の男』たちと異なり、祖国の脅威になるほどの力は持たない。 だがそのかわり、全く異なる系統を経て進化を遂げた『魔法技術』が存在する。 それが『ナチスの科学力』との融合を果たした時、祖国にもたらすであろう利益はあの『エイジャの赤石』さえ上回る。 ナチスドイツとトリステイン、両国間の行き来が自由になった暁には、この世界は日本イタリアにも劣らない ドイツの主要同盟国となるだろう――問題は、その肝心の祖国との連絡方法がさっぱり分からない点にあるのだが。 「ドイツ本国との連絡、か……やはり俺が召喚された時と同じく鍵となるのは魔法だろうか?」 となると、メイジではないシュトロハイムには手の施しようがない。 だがまあ、俺はここに来れたのだ、ならば他のものがここからドイツに行けないなどということはない。 焦ることはない、なるようにはなるだろう、と、シュトロハイムは問題を先送りする。大きな戦果を上げるためには、それなりの下準備が必要となるものだ。 それに第一、今のシュトロハイムには本当のところ、そんなことを考える余裕などない。 現在のシュトロハイムは、馬でルイズと共に街まで遠乗り中。 昨日話していたように、学院近くの街『ブルドンネ』へ剣を買いに行くためである だが走り始めてまだ三十分も経っていないというのに、彼の馬はルイズからずるずると引き離されていく。 「ヒヒィィィィィィィインン!!!」 手綱を引いて急かしたにも関わらず、シュトロハイムの乗る馬は、前を行くルイズのそれからまた五馬身も差を開き、苦しそうに嘶く。 このままだと、街に着く前には完全にはぐれてしまう。原因が自分の重さにあることは、明らかだった。 ――『カチリ』 その日、タバサの部屋を支配する静寂を破ったのは、扉の開錠音だった。 部屋の主、部屋のベットに腰を下ろしていたタバサはその音を聞くと、広げていた分厚い本をぱたりと閉じる。 挨拶も断りもノックすらも無しに、校則で禁止されている『アンロック』で鍵を開ける。そんなことをする人間を、 タバサは一人しか知らない。学園の長であるオスマンや恩師であるコルベールでもここまでの無茶はしないだろう。 次に発生する事態に備え、両耳に手をあて口を大きく開けるタバサ。 なんとも間の抜けた格好だが、至近で大衝撃が発生した場合にはそうでもしないと圧力の差で鼓膜や肺をやられてしまうらしい (ちょうど今呼んでいる本に、そんな場面が出ていた)。 「タバサ!! 今から出かけるわよ!!! 早く支度をしてちょうだい!!!!」 予想に違えず、キュルケの発する大音響が部屋を襲う。 その第一撃をやり過ごし、少し落ち着いたキュルケを確認後ようやくタバサは両手を自身の耳から離す。 「なにごと?」 「恋よ、恋! あなたも知っているでしょ、いま私が恋をしていること。 なのに今朝その愛おしい人が、ヴァリエールと一緒に出かけちゃったのよ! だから私も二人を追って……って、あんたどうしたのよ、この手!?」 タバサに対し自らの胸に抱いた熱い思いを説くキュルケだが、耳から離されたタバサの手を見ることで、 その言葉はいったん中断される。物欲しそうに、いったんは置かれた本を引き寄せようとするタバサの右手、 それを掴み、キュルケはグイと持ち上げる。指先に、小さな傷が見える。 「ほらやっぱり、切れてるじゃないの! どうしたの?」 「自分でやった」 「ええ?」 「昨日の実験」 タバサの説明で、だいたいの事を理解するキュルケ。 昨日参加した、アイテム検分。 その中の『闇の顔あて』というアイテムに対して、上に数滴の血を垂らすという実験を行ったらしい。 「それは分かったけど、ならしっかり手当てぐらいしておきなさいよね。 あなた魔法と本以外のこととなると本当に無頓着なんだから」 ベッドの隣の引き出しに向け、キュルケは己の杖を振るう。 勝手知ったる友の部屋、どこに何が置いてあるのかは下手をすればタバサよりも把握している。 キュルケの唱えたレビテーションで口を開けた引き出しから、浮かび上がる消毒薬と包帯。 「ほら、ばい菌が入んないように気をつけなさいな」 消毒し、傷口を包帯で巻く。右手をキュルケに預けたタバサはコクリ頷くと立ち上がる。 左手を口に当て、口笛を吹いた。 「どっち?」 本と小振りの杖を抱え、窓を開けたタバサがキュルケに問う。外からは、何かが羽ばたく音が聞こえる。 「やったぁ! 行ってくれるのね! ええと、たしか南のほうだったと思うけど……」 「分かった」 喜色を浮かべるキュルケに対し再度頷き、窓の外へと身を乗り出す。そこにいたのは、蒼き風竜。全長は5メイルを超えている。 タバサの使い魔、シルフィールドだ。その背に降り立つ、タバサ。キュルケも慣れた様子で親友に続く。 「ルイズとシュトロハイム。移動手段は……」 「馬よ、馬!」 「きゅいきゅい!!」 二人が乗り込んだことを確認し、シルフィールドは大きく羽ばたく。 「ほんと、あなたのシルフィールドはいつ見ても惚れ惚れするわ」 たちまち小さくなる地上の風景に、感心したようにキュルケが言う。それを聞いたシルフィールドは、 「きゅっ、いぃー!」 青空に大きくインメルマンターン。 「調子乗りすぎ」 懐から取り出した本の角で、タバサはシルフィールドの頭をポカリと殴りつけた。 トリステイン学院から南西に、馬を走らせること約三時間。王都を囲む山脈の間を走る細道を通り、深く生い茂った森を抜ける。 過去の対ゲルマニア戦争では堀の役目を果たしたこともある運河に架かった橋を渡ると、見えてくる宿場通り。 王宮殿を囲む四大城下町の中でも最大の規模と賑わいを誇る、ブルドンネ街の入り口だ。 その宿場通りに、一頭の馬の蹄が響く。上に乗るのは、桃色の髪を持つ少女。背に翻すマントから、貴族であることが分かる。 少女は手綱を見事に操り、愛馬の歩みを辻馬車駅の前で緩めるとひらりと地面に降り立つ。振り返り、言う。 「ついたわよ、シュトロハイム」 彼女の後ろには――誰もいなかった。 いや、違う。後ろの後ろ、更にそのずっと後方に、かすかな点が見て取れる。その点は徐々にではあるが大きくなり、 ルイズがいらだたしげに足を踏み鳴らし始めた頃にようやく馬の影を形作る。 かなりの、よたよたした足取り。跨った大きな男の影が、その馬を騙し騙し操っている。 「ヒ、ヒィィン……」 ようやくやっとこさ辿り着いたその馬は、力尽きたように一声鳴くと、力無くその場に倒れ伏せる。 馬から起き上がった男。懐から取り出した杖を、ルイズは彼に向ける。 「遅いわよ!」 顔を赤くしたルイズが怒鳴る。と、同時に爆発音。 「貧弱なこの馬が悪いのだ」 顔のすぐ横を駆け抜ける爆風に臆する風も無く、シュトロハイムは答えた。 ルイズの使い魔の体は、硬い。比喩表現でもなんでもなく、文字通りの意味で。 何せ体の七割強は鋼鉄で出来た擬体なのだから、何かあるたびに殴りつけていたのでは主人のほうの拳が持たない。 約三日間の経験でそのことを(赤く腫らした両手と引き換えに)学んだルイズは、その後制裁方法を 自身の『失敗魔法による爆発』に切り替えた。何せこの爆発、『失敗』であるためか魔力消費はほとんどない。 よっていくらでも気前よく、爆発させることが出来るのだ。 最もシュトロハイムのほうも、小規模程度の爆発ではてんで応える様子はない。 おかげで今では爆発は、二人の間での少々物騒なコミュニケーション方法にまで成り下がっていた ……その結果としてルイズが爆発の『発生場所と威力』をある程度コントロールできるようになったというのは、なんとも皮肉な話であったが。 宿場通りを潜り抜け、ルイズとシュトロハイムはブルドンネ街へ。 いつでも騒がしいそこは、虚無の曜日であるこの日、いっそうの賑わいを見せている。 麗らかな春の陽光が降り注ぐ約五メイルの道幅を、買い物客たちが埋め尽くす。 「さすが首都だけあって、凄まじい人ごみだな。だが道幅は、少々狭い」 「狭い!? ここはトリステインでも一番の大通りよ」 「これでか? ふむ……とするとこの国は、流通の推進にはあまり熱心ではないということか」 「そうでもないわよ。基本的に大量輸送は魔法に頼っているから、わざわざ道を整備する必要がないだけ。 それに下手に舗装路を張り巡らせておいたら、戦争になった時あっという間に敵に攻め込まれちゃうじゃない」 「なるほど、それもそうだ」 思い出すのは、ドイツ軍補給部隊の大渋滞を引き起こしたロシアの道とも思えぬ道。 確かにあそこまでアウトバーンが走っていれば、ドイツ軍によるソ連邦制圧はもっと容易く達成されていたはずだ。 「ところで、あそこの柄の悪そうな連中がいるのはなんだ?」 「ああ、あそこは傭兵所。最近色々ときな臭いことも多いから、ああいうところも賑わっているみたいね」 「土くれのフーケに、アルビオンでの革命騒ぎか」 「それだけじゃなくて、治安も少しだけど悪くなっているそうよ。 スリも多いって聞くから、お財布取られないように気をつけてね」 「ふ、そこまで間が抜けてはおらんわ」 そう言いつつ、ズボンのポケットを確認するシュトロハイム。だが…… 「財布ならちゃんとここに……な、ない!」 「嘘! あれには今私が自由に使える全額を入れてあるのよ!」 顔面を蒼白にするルイズ、人目も気にせずに叫ぶ。 「どこで失くしたの、それとも盗られたの? ああ、とりあえず早く衛士詰め所に連絡を……」 「確かにここに入れたはずなのだが、いつの間に……いや、待てよ――」 騒ぐ二人の周りに野次馬たちが詰め掛けて、トリステイン一の大通りに自然と人の輪が出来る。 何せ、貴族の少女と大男の組み合わせ。黙っていても目立つ彼等が大声で怒鳴りあっているのだ。 人の輪の中心の片割れ、シュトロハイムが体を探る。 ズボンのポケットをひっくり返して覗き込み、今度は上着に手を移し…… 「……あった」 「はぁ?」 「いや、すまんすまん。馬に乗る前に胸のポケットに入れ替えたのを忘れていた」 上着を探っていた右手が、丸々太った財布を取り出す。 ほぅと、息をつくルイズ。ついで群集の注目を集めに集めまくっている自分たちに気付く。 青白かった顔が、赤く染まる。信号機のような忙しさだ。 「この……バカゴーレム! どこに入れたかくらい、しっかり覚えておきなさいよね!!」 怒鳴り声と共にルイズは詠唱。唱えたのは、最も大規模な爆発を起こしやすい『アンロック』の呪文。 シュトロハイムの右斜め後ろで、一瞬収縮した空気が火を吐く。不意を突かれたシュトロハイムが倒れこみ、 観衆からは、やんややんやと囃し立てる声が上がった。 ばさりばさりと羽音を立てて、シルフィールドが舞い降りる。ブルドンネ街入り口の、宿場通りの辻馬車駅に。 駅には、繋がれた二頭の馬。片方は平然としているのに、もう一方は息も絶え絶えだ。 「ここなの?」 「多分。少し待って」 シルフィールドの背中から降り、タバサは馬に歩み寄る。 「ヒヒィン……」疲れ切った馬の声。 どこか唖然としたその嘶きに秘められた想いは…… 『あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! ――俺は普通の人間を一人だけ乗せていたはずなのに、いつの間にか重さで押しつぶされそうになっていた―― な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった…頭がどうかなりそうだった。 隠れ肥満だとか実は筋肉質だとか、ましてや単なる俺の運動不足だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ』 「――と、この馬は言っている」 シルフィールドのテレパシーを介して理解した馬の言葉を、タバサはキュルケに伝えた。 「なら、間違いなくあの人はここね!」 力強く、キュルケが断言。確かに『一人乗っただけで馬が押しつぶされそうになる人間』など、 全身が鋼鉄で形成されたシュトロハイム以外あり得ない。 ――ドグォォオオォォン!! タバサが頷くのとほぼ同時に、通りの奥で起きた爆発が建物をこだまして音を伝える。 「ルイズの爆発、あっち」 杖で方向を示したタバサはシルフィールドを空で待機させ、キュルケと共に街の奥へと歩を進めた。 「おう、ぃらっしゃい」 入店したルイズとシュトロハイムに、武器屋の店主がカウンターから顔を上げる。 底暗い顔立ち、にごった瞳。手元のグラスの中にある琥珀色の液体の影響か、赤黒い頬。 口元についた刀傷が、かつて傭兵だったことを物語っている。 「あんた貴族かい。うちじゃあ杖は扱ってねぇぜ」 「買いに来たのは武器よ。使うのは私じゃなくてこっち」 「ほぅ」シュトロハイムを、値踏みする様に見つめる店主。 「なるほど。そういや最近は、従者に武器を持たせるのがはやっているらしいな」 「そうなの?」 「しらねぇのかい? ここ二、三年出回っている『土くれのフーケ』とかいう泥棒のせいだ。 そいつに備えてお偉い貴族様方が結構な業物を買い揃えていく」 「へえ、じゃあ、儲かってるのね」 「ああ、フーケさまさまって所だな。それで、お客様のお求めは?」 「そうね……丈夫なのがいいわ」チラリとシュトロハイムの腕に目をやったルイズは、店主に答える。 「最低でも、彼が振るうだけでは折れないくらい丈夫なもの。錬金対策がしてあるものならなおいいんだけど」 「折れない、ねえ……」 ルイズの言葉に少し考え、店主は足もとから剣を引きずり出す。 「これなんてどうでぃ?」 両刃、長さ1.5メイル――無造作に放られたその大剣を、シュトロハイムは受けとめる。 柄を握り、一度、二度と振ってみる。 「どうで?」「脆いな」 「折れるくらいに?」「ああ」 シュトロハイムの右腕が、柄から刃へと移される。鉄指に挟まれた大剣は――ミシリと軋み、バゴギィと音を立ててあっけなく折れた。 店主が、感心したように口笛を鳴らす。ルイズが、慌てて言う。 「ちょっとあんた、何やってんのよ!? それ売り物でしょ!」 「なーに気にすんな、5エキューもしねえ安もんだ。弁償しろだなんてケチ癖ぇことは言わねえよ」 悪戯っぽく笑う店主だが、店のすみから反論が飛ぶ。 「だ、だからって危ねぇだろうが、バッキャロー!! こちとら危うくブッ刺さるところだったんだぜ!」 その声の元を振り返る――が、誰もいない。ただ折れた大剣の先端が、店の床に刺さっている。 「小せえこと言うなよデルフさん。 そんな二束三文が刺さったからって、どうにかなるようなやわな体してるわけじゃねぇだろう?」 答える店主の視線の先には、古びた剣が一振り。鞘からはみ出した鍔が、カタカタと動いている。 「そりゃ、あんな見掛け倒しにどうにかなるような俺じゃねえがよぉ……」 「これってもしかして……」 「おう、インテリジェンスソードだ。名前はデルフリンガー。錆び付いてるうえに口も悪い、ポンコツだがな」 「なんだとー、オィ!」 「俺は倉庫行ってくる。デルフさん、ちょっくらお客の相手を頼むぜ」 カウンターから立ち上がり、裏口から去る店主。酔いは薄れ、先ほどまでは見えなかった光を目に宿している。 「おいおい、俺が店番かよ! 人使いが荒ぇなあ。ま、雨風凌がさせてもらっている礼だ、相手になってやるぜ、嬢ちゃん」 愚痴をこぼしつつも承知するデルフリンガーを、ルイズが手に取る。 「意思のある剣、ね。だったら『錬金』にも強いはずよね」 「あたぼうよ。土の基本魔法なんぞでこの俺様がどうにかされると思うかい?」 自慢げに喋るその剣を、ルイズはシュトロハイムに渡す。 「どう、それ? インテリジェントだから強度はあるし、魔法による破壊もされにくいとは思うんだけど」 「おりょ、こりゃ驚きだ! お前、『使い手』なのかよ!」 そう答えたのはシュトロハイムではなく、彼が握っている剣のほう。 「驚いたねえ、まさかまた『使い手』に巡り合えるとは思わなかったぜ!」 「『使い手』とはいったい何のことだ? まあいい、とりあえず強度のほうを見せてもらうぞ」 「なあアンタ、気に入ったぜ。俺を……って、あの、ちょっと? いったい何をやるおつもりで?」 デルフリンガーの刀身を、シュトロハイムの指がつまむ。先ほどの、折れた剣と同じように。 そのままゆっくり、しかし確実に、指に力を込めるシュトロハイム。 「イ、痛ェ! ダ、ダメェ!! 折レチャウ、折レチマウヨォー!!!」 悲鳴をあげるデルフリンガー、だがシュトロハイムは容赦しない。 更に十秒ほど刀身に力を掛け続けた後、歪みをないことを確認し、言う。 「ふむ、強度のほうもなかなかだな」「ひ、ひでぇよぉ……」 『私、汚されちゃったの』と言わんばかりにデルフリンガーは涙目だ(いや、目はないけど)。 ほんの少しだけ剣に同情しつつ、シュトロハイムにルイズは言う。 「なら、それにする?」 「待ちねぇ!!」 倉庫から戻った店主が、自身の体ほどもある木箱を抱えて呼び止めた。 ゴトリと、音を立てて置かれる箱。店主がふたを開け、中身を示す。 「これを見ていってくれや。うちの店の一品物だ、値は張るがそれだけの価値があることは保障するぜ」 「ほう」取り出されたその二メイルを超える中身に、シュトロハイムが感嘆の声を上げた。 「ただし、使いこなせれば、だ。並の人間じゃあこいつを振るうんじゃなくこいつに振り回されちまう ……お前さんみたいな、馬鹿力の持ち主でねぇ限りはな」 店主の言葉には、嘘も世辞もない。それは店主の顔と箱の中身を見れば、言葉ではなく実感として理解することが出来る。 並の人間には扱えない、重量。装飾品を一切排し、実用性のみを追い求めた武骨なデザイン。 木箱の中にあったそれは、馬車さえも一撃で砕く大型のスレッジ・ハンマー。 まるで『運命に導かれた恋人同士』のように、一目見て、気に入る。 『ジグソーパズルの最後の一ピース』のように、自分の手にぴったり填まると理解る。 初めて見たはずなのに、以前にも見た気さえする。 「それで、いくら?」 使い魔の想いを感じ取ったのだろう、ルイズが店主に聞いた。 「エキュー金貨で二千、新金貨なら三千」 「立派な家と、森つきの庭が買える値段じゃない!」 あまりにも法外な価格に、叫ぶルイズ。だが、店主は譲らない。 「払えないのなら、無理に買えとは言わねえ。縁が無かったというだけだ」 「いったいどういう代物なのよ、有名な錬金魔術師が鍛え上げでもしたのかしら」 「いいや、こいつは拾い物だ。つくられた経緯は知らん」 「拾い物? ああ、所謂『お宝』ってやつね」 顔を顰めつつも、納得したように頷くルイズ。店主はハンマーを箱に戻すと、カウンターに腰掛けなおす。 「こいつは、俺が傭兵としての最後の仕事で手に入れた代物だ」 机に置かれたグラスを手に取り、中身を啜りながら言った。 「仕事の内容は、夜に人を襲う化け物の退治――このハンマーは大小二種類のボーガンと共に、その化け物が持っていたものだ。 化け物退治に当たったのは、当時俺が所属していた二個中隊規模の兵団。だがそれが、たった数匹の化け物相手に壊滅した。 生き残ったのは、俺を含めて十名にも満たなかった」 その時の仕事で付けたものなのだろう、店主の左手が口元の傷を無意識になぞっている。 「自分でも情けねえとは思うが、それ以来俺は恐くて剣が握れなくなった。だから今は、こうしてしがない武器屋の店主だ。 だけど俺は、傭兵だったことにもあの化け物と対峙したことにも後悔だけはしていねぇ。 このハンマーは、あの仕事の報酬だ。そして同時に、あの時まで俺が生きてきた道に対する代価だ。 それを値切るってことは、俺の人生に後ろ足で泥を引っ掛ける行為だぜ」 「つまりそのハンマーが、傭兵であったあなたの誇りってことね」 諦めたように息を吐き、ルイズが言う。 「でもなら、どうしてそれを売る気になったの? そんな貴重なものだったら、普通手元においておきたいと思うんじゃないかしら」 「そうも思わなくは、ねえ。だが、俺じゃあこいつは使えない。 武器ってのは実用品だ、倉庫の中に大事に飾ってそれでいいってもんじゃねえ。使えるやつがいるんなら、そいつに託すべきだ。 あんたの従者の馬鹿力なら、こいつを使いこなしてくれる……そう睨んだから、お前にこの話を持ちかけたんだ」 店主の返答に、唸るルイズ。 彼の言葉に嘘はない。ただの商品ならともかく、『誇り』を値切ることは不可能だ。 それに二千エキューという法外な価格だけの、値打ちもこのハンマーにはあるのかもしれない。 だが、今は金がない。シュトロハイム用のベッドと、固定化に使う秘薬の代金で、今の自分の懐には既に季節はずれの木枯らしが吹き始めているのだ。 財布の中身、武器の必要性、その他様々な要素を考慮に入れたルイズは、店主に妥協案を提示する。 「今は、このインテリジェンスソードを頂くわ。スレッジ・ハンマーは一ヶ月だけ取っておいて。 今から五度目の虚無の曜日に、二千エキューを持ってもう一度来るわ」 「……わかった、それまでこれは倉庫に取って――」 「ちょっと待ったー!!!」 頷きかけた店主を、遮る声。それにあわせ、店の入り口の扉が勢いよく開けられる。 「なんだぁ?」 「って、キュルケ!?」 「YES,I AM!」 『バーン!』という効果音を背負って、キュルケが入店。 後ろには、『食玩についてくるラムネ菓子』のように、ぴったりとタバサも続いている。 「話は、聞かせてもらったわ!」 どうやら先ほどまで、店外で立ち聞きしていたらしい。 「盗み聞きしてたの! さすが、ツェルプストーの女は恥じらいってものを知らないのね」 「こういうのは『自分に正直』って言うの、あなたのようなお子様には分からないかもしれないけど。 恋の前では恥じらいなんて、『髪をとかしたとき櫛に残った抜け毛』ほどの価値もなくってよ!」 ルイズの非難を軽くいなして、キュルケは店主へと向き直る。 「つまりあなたが望むのは、『誇りを満たすだけの対価』と『ハンマーにふさわしい使い手』なわけね」 「ま、まあそうだが」 動揺気味の、店主。いきなり入店してきた赤毛の女に、明らかにひいている。 だがそんな些細な事柄は、恋をしたツェルプストー家の女は気にしない! 「ならば私は、今この場でその二つを同時に満たす!!」 「どういうことよ!」 「簡単な話よ。今ここで私がハンマーを買い取って、シュトロハイムにプレゼントする。 そうすれば、一ヶ月も待つ必要など無くすべてが丸く収まるわ」 懐から取り出した紙に何かを書き込み、右手で店主へと突き出す。 覗き込む、ルイズ……小切手だ。『2』の次に、四つのマルが続いている。 「……面白いな、お前」 カルチャーショックから抜け出せた店主が、小切手を受け取る。 「面白い! お前みたいな奴は嫌いじゃねぇし、何よりここは武器屋だ。お代さえもらえりゃあ文句を言う筋合いはねえ! よし、このハンマーはお前に売った!!」 「なっ、何でそうなるのよー!!!」 当然、納得いかないのはルイズ。鳶に油揚げをさらわれたような心境だ。 「ならばお前は、俺を買えぇ!!!」 その心の隙に入り込んだのは、忘れられかけていたデルフリンガー。 何しろ書いている人間も、半分以上忘れていたのだ(いや、まて!)。 自身の存在を維持するために、何というかもー必死である。 「ええ、買うわ。このままキュルケだけに大きな顔をさせておくなんて断じて絶対に許可できない! キュルケのことを見返せるならあんただけじゃなく、『矢』でも『ペンダント』でも買ってやるわ!!」 いや、確かに『矢』もそれと同じ素材で作られた『ペンダント』も店内のどこかに転がっているような気がしないでもないが、 そういったものを買われると今後の展開が収拾つかなくなること請け合いなので、マジで勘弁してください。 「……しょうがないわね」 ご理解、ありがとうございます。 「で、このデルフリンガーっていくら?」 視線を『パソコン画面のこちら側』から武器屋の店主へと戻し、ルイズがきく。 店主はシュトロハイムの持つデルフリンガーに目をやって、答える。 「もともとそいつは売り物じゃねえ、行くあてがないというから、軒を貸してやっていただけだ。 そいつが認めるんならどこにでも好きに持って行っていい」 「それって、タダでいいってこと?」 「売り物じゃねぇものから金は取れねえからな。 だいたいインテリジェンスソードっていうのは、そうやって持ち主から持ち主へと渡り歩いていくもんだ」 「そう……でもそれじゃあ、私の気がすまないわ。私は貴族よ、施しを受ける気はない」 店主の目が、丸く見開かれる。 そりゃそうだ。高い商品を値切ろうとするやつなら山ほどいるが、タダであることに文句をつける客になど滅多に出合うことはない。 首を動かし、隣を見る。そこではシュトロハイムが、半分呆れ、それでも半分は納得したような顔で、預かっていた財布を取り出している。 「ッハ! 頑固だねぇ、お前さんたちは。いや、貴族って奴はみんなそうなのかい? まあ、そいつも面白い。ならそいつの宿代として、100エキューくらい置いていきな」 金を受け取り、デルフリンガーをルイズに手渡す。 「ま、達者でやれや、デルフさん」 「おう、世話になったな、親父。で、あんたが次の俺の使用主か。お手柔らかに頼むぜ、ルイズにシュトロハイムさんよう」 「よろしくね(なんで私は呼び捨てで、シュトロハイムは『さん』付けなのよ!)」 「うむ……(喋る剣だと!? なんてこった、まだまだこの世界は俺の理解範疇を超えている! もっと情報を収集せねばならん!)」 キュルケも店主に小切手を渡し、店主からハンマーを受け取る。 「きゃっ! これ本当にずいぶんと重いのね。持ち運びが大変……って、あら?」 「『レビテーション』。これなら、重さは関係ない」 「サンキュー、タバサ」 スレッジ・ハンマーを持つキュルケが、デルフリンガーを持つルイズが、それに続いてシュトロハイムがタバサが店を出る。 彼等を見送った店主は、どことなく晴れ晴れとした顔で息を吐く。カウンターに座りなおし、グラスをあおる。 「まったく、面白い連中じゃねえか。まだ若いのも多いが、何かやらかす可能性を目の中に秘めていやがる。 付いていきゃあ、絶対に面白い目に会えるぜ。 俺は武器屋だ、もう傭兵にゃ戻れねえ……悔しいがな。 だがあのハンマーもお前も、ただの骨董に成り下がるにはまだずいぶんと早すぎる。 お前等はまだ、進んでいくべきだ。そうだろう、デルフさん」 一人きりになった武器屋店内に、店主の声が寂しく響いた。 To Be Continued………………