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第八章 王女殿下の依頼 - (2007/06/24 (日) 13:41:45) のソース

第八章 王女殿下の依頼 

土くれのフーケとの戦いから一週間が経過していた。今日もリゾットはルイズについて授業へ向かう。 
フーケを捕まえた話はすっかり広まり、一時期は周囲がルイズを見る眼も変わったが、相変わらず失敗魔法で 
爆発を起こしてばかりなので、きっとキュルケとタバサの力によるところが大きいに違いない、ということになっていた。 
結局、今もルイズは『ゼロ』と呼ばれて馬鹿にされている。 
リゾットはそれを何とかしてやりたいとは思いつつ、傍観していた。 
他人が力を貸してもどうにもならない。ルイズ自身がどうにかしなければ汚名は返上できないのだ。 

キュルケやタバサ、ギーシュに挨拶して席(といっても未だに階段なのだが)に着く。 
その日の授業はギトーという講師による風属性の長所の講義だった。 
リゾットはなるべく積極的に魔法の授業に出て、魔法について学んでいるが、それぞれの教師によって意見が違うのを興味深く聞いていた。 
たとえばこのギトーは風こそが最強かつ最重要であるという主張だが、シュヴルーズは土こそが最も重要であるという主張だった。 
キュルケが火を最強だと公言して憚らないところを見ると、自分の得意系統に関してはみな、こだわりがあるらしい。 
「さて、『風』の最強たる由縁を教えよう。ミス・ツェルプストー、試しにこの私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてみたまえ」 
キュルケはぎょっとしたようだが、ギトーの挑発に乗って呪文を唱え始める。直径1メイルほどの火球をつくり、ギドーにぶつけようとする。 
しかしギトーが杖を振ると突風が起こり、キュルケの炎が消される。その突風は火球の向こうに居たキュルケ自身も吹き飛ばした。 
「諸君、『風』が最強たる所以を教えよう。簡単だ。『風』は全てなぎ払う。『火』も『水』も『土』も、『風』の前ではたつことすらできない。残念ながら試したことはないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろ。それが『風』だ」 
キュルケは立ち上がると、不満そうに両手を広げた。 


(……今のは単にギドーの魔力がキュルケのそれより上だという証明だろう…) 
フーケは錬金を使って風と炎をしのいだし、火は空気の燃焼なのだから、大爆発を起こせば風を吹き飛ばすことも可能だろう。 
正面からの力試しでさえそうなのだから、戦いではどれが最強などということはない。リゾットはギトーの偏った授業に退屈してきた。 

ギトーがなおも授業を続けようとしたそのとき、突然、教室の扉が開き、緊張した顔のコルベールが現れた。 
ちなみにリゾットが最も楽しみにしているのはコルベールの授業である。 
本人は火の系統を得意とするらしいが、火の力の破壊以外の有効利用法の研究に熱心で、それゆえ、授業も応用性が重視され、聞いていて実に面白かった。 
故に、リゾットはコルベールには一目を置いているのであるが……そのときのコルベールは実に珍妙な格好をしていた。 
頭に馬鹿でかい、ロールした金髪のカツラ、ローブの胸にはレースの飾りやら刺繍がついている。 
まるで出来の悪い芝居に出てくる、演出家が何か間違えてしまった貴族の役である。 
ギトーが授業中だと抗議すると(この男、格好に対しては全てスルーした)、コルベールは授業の中止を告げた。 
歓声に湧く生徒に、続いてコルベールが何か発表しようとのけぞると、頭にのっけた馬鹿でかいカツラがとれて、床に落ちた。 
教室中がくすくすと笑いに包まれる。一番前に座っていたタバサがコルベールのU字禿を指して、ぽつりと呟いた。 
「滑りやすい」 
教室が爆笑に包まれた。キュルケが笑いながらタバサの肩をたたいて言う。 
「あなた、たまに口を開くと、言うわね」 
が、笑われたコルベールは顔を真っ赤にさせると、大声を張り上げた。 
「黙りなさい! ええい! 黙りなさい、こわっぱどもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 
 貴族はおかしいときは下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王室に教育の成果が疑われる!」 


教室中が静まり返る。普段は温厚なコルベールの剣幕に、気がつくとギトーは素数を数えていた。 
コルベールは気を取り直すと、厳かな口調で、この学院にトリステインの王女がやってくる、と告げた。 
(…フーケはこのことを伝えたかったのか…) 
実はフーケが二日前に手紙で情報を知らせてきたのだが、リゾットは未だに名詞しか読めないため、『王女』と『学院』という単語しか読めなかったのだ。 
フーケに文字が読めないことを伝達し忘れたリゾットのミスだった。誰かに読んでもらうことも考えたが、内容が分からない以上、危険と判断して放置していたのだった。 
「諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」 

アンリエッタ王女が馬車から降り、緋毛氈の絨毯の上にその姿を現すと、生徒から歓声があがった。王女が微笑みを浮かべて優雅に手を振ると、さらに歓声は大きくなる。 
(王女はずいぶんと人気があるようだな……) 
ここの生徒が貴族であり、その忠誠の対象である王女の人気がないわけはないのだが、生徒の反応を見るに、それだけでなく容姿に対する人気も加味されているのだろう。 
とはいえ、例外はいるもので、外国からの留学生のキュルケといつもどおりのタバサはあまり興味がないようだった。タバサなど座って本を広げている。 
「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの…。ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」 
キュルケが詰まらなさそうに呟いて、リゾットに尋ねる。 
「さあな……」 
実のところ、リゾットもあまり王女を見ていなかった。王女の周辺を固める護衛の錬度を測っていたのだ。 
流石に王族の護衛につくだけあった。特にグリフォンに跨った、見事な羽帽子の隊長らしき貴族からは隙というものが感じられない。 
実際にやるつもりは毛頭ないが、リゾットが王女を暗殺するとしたらあの男のいない隙を狙うだろう。 
キュルケもリゾットの視線を追ってその貴族を見つけると、視線が釘付けになり、顔を赤らめた。 
一通り護衛全体と個人ごとの錬度を見終わると、リゾットはやけに静かな主人に視線を移した。 
ルイズもキュルケと同様、隊長に眼を奪われていたが、その表情は単純にいい男に見とれるものとは微妙に違う様子だった。 



その後、ルイズは幽鬼のような足取りで部屋に戻るなり、ベッドに腰掛けてぼーっとしている。 
心ここにあらずという有様で、ベッドに腰掛けたり立ち上がったり枕を抱いてみたり放してみたり落ち着きがない。 
リゾットは声をかけてみたが、何も反応がないのでしばらく放っておくことにして、厨房に顔を出すことにした。 
厨房はまさに大忙しのようだった。あわただしく働いていたシエスタがリゾットに気がついてやってくる。 
「リゾットさん、こんにちは」 
「ああ……。忙しいようだな」 
「ええ。急に王女殿下をお迎えすることになったので、お出しする料理の仕込みなんかで厨房は蜂の巣をつついたような騒ぎです。あ、でもリゾットさんならいつ来ても歓迎ですよ! 何かお出ししましょうか?」 
そう言われたが、リゾットは首を振った。 
「いや……、多分、忙しいと思って……。手伝いに来た」 
その途端、シエスタが嬉しそうに笑った。シエスタの笑顔は裏がないので、見るたびにリゾットは反応に困る気持ちになる。 
「本当ですか? ありがとうございます! じゃあ、悪いんですけど、倉庫から小麦粉の袋を四つ取ってきてください」 
「分かった……」 
しばらくの間、リゾットは薪割り、皿洗い、各食材の移送などを手伝いながら、合間に厨房の人々に王女について聞いてみた。 
王女の人気は平民の間でも上々のようだった。しかし、一方で王女自体はほとんど政治的には飾りも同然で、実際に政治を行っているのは枢機卿のマザリーニという男だとも聞いた。 
(当然だが、権力だけあって責任を取る必要がないギャングのボスとはだいぶ違うな……) 
ギャングの世界は実力主義なので、力さえあれば権力を手に出来るが、ボス以外は同時に責任も背負うことになる。 
もっとも、責任を果たすか、部下や他人にうまく擦り付けるかはそいつ次第で、後者が多かったのも事実だが。 
実権もないのに面倒な責任と期待がかかる王女という立場に、リゾットは他人事ながら少しだけ同情した。 



厨房での仕事を終えると、言語の勉強のために図書室へ行った。 
すると、いつもの場所でタバサが本を読んでいた。 
今現在はアンリエッタを歓迎する式典が開かれている。 
放心しているルイズはともかく、生徒は皆そちらに出席しているはずなので、タバサがいるのはおかしい。 
ちなみに、使い魔のリゾットにはもちろん、出席義務はない。 
「……式典には出ないのか?」 
尋ねると、首が縦に振られた。本が差し出される。中を見ると、走っている人間の絵と、その下に文字が書いてある。 
「これは?」 
「そろそろ、貴方は動詞も学ぶべき」 
タバサが呟いたので、リゾットは納得した。 
「わざわざ探してくれたのか。感謝する」 
またタバサの首が縦に振られた。 
「わからないことがあれば、訊いて」 
リゾットは座って本を開くと、ついでに訊いてみることにした。 
「タバサ、お前はあの王女のことをどう思う?」 
「興味ない」 
何故か微妙にいつもより冷たい口調で即答した。 
「そうか…」 
何か気に障ったのだろうか、と思いつつ、リゾットは本を読み始めた。 

やがて夜になった。 
リゾットが部屋に戻ってくると、ルイズは一瞬だけリゾットを見たが、また心を遠征させた。 
心が遠いところに行っている人間に何か言葉をかけても無駄なので、デルフリンガーの手入れをする。 
「いやあ、相棒は俺に構ってくれることが多くて嬉しいねえ」 
メタリカが復活した以上、必ずしもデルフリンガーを使う必要はないのだが、大剣の威力と、大質量の剣を生成する手間を考えると、やはりデルフリンガーを使うのが最適なような気がした。 
上機嫌のデルフリンガーの相手をしている最中、リゾットは外から人の足音がするのを聞き取った。 
学院なのだから足音があってもおかしくないが、その足音が音を殺そうとしているとなれば、話は違う。 
フーケかとも思ったが、フーケならばこんな素人丸出しの隠密はしないだろう。第一、ルイズがいる部屋に来るとは考えにくい。 
足音の主に殺気はないが、用心のため、デルフリンガーを置き、隠し持っているナイフの位置を確認する。 
「どしたね、相棒?」 
「…ん? どうしたの、リゾット?」 
疑問の声を上げるデルフリンガーと、やっと戻ってきたらしいルイズを手で制し、扉の脇に移動した。 
足音がルイズの扉の前に止まった。同時にリゾットが扉を開ける。真っ黒な頭巾を被った女と眼が合う。女はいきなり扉が開いたことと、リゾットの奇怪な瞳を見たことで硬直した。 
次に叫び声をあげそうになったため、リゾットは女の口を塞ぎ、そのまま女を部屋に引きずりこんだ。ついでに扉は足で閉める。 
「ちょっと! 何やってるのよ、リゾット!」 
あっけに取られていたルイズがようやく声を上げた。 
「こんな時間に足音を殺して近づいてくる人間に警戒するのは当然だろう…。この部屋の主は仮にも公爵家令嬢だしな……。それに……叫ばれたんじゃあ……、お互いにとって面倒になる」 
「え……?」 
声をあげないことを確認して、リゾットは女を解放した。 
女は息を整えると、声をあげないように口元に指をやる。そして頭巾と同じ漆黒のマントから杖を取り出すと、短くルーンを呟き、杖を軽く振った。 
「……探知(ディテクト・マジック)?」 
「どこに耳や眼があるかわかりませんからね…」 



女はどこにものぞき穴や魔法の耳がないことを確かめると、やっと頭巾を取った。 
「姫殿下!」 
ルイズが慌てて膝を突くと、女…王女アンリエッタは涼しげな、心地よい声で答えた。 
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」 
王女は感極まった表情を浮かべると、膝を突いたルイズを抱きしめる。 
「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」 
「姫殿下……! いえ、それよりも…まずはあの男のご無礼、お許しください。使い魔の不始末は主の不始末……。なんなりと罰を下さりますよう…。ほら、リゾット、あんたも謝りなさい!」 
「申し訳ない。少し、判断が性急過ぎた」 
リゾットは頭を下げた。判断としては的確でも無礼は無礼だ。 
が、アンリエッタはそんなことはどうでもいいようだった。 
「いいのよ、ルイズ! 貴女を守ろうとしての行動だったのだから! それより、そんな堅苦しい行儀は止めてちょうだい! 貴女と私はお友達! お友達じゃないの!」 
「勿体ないお言葉でございます、姫殿下」 
「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をして寄ってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! 
 ああ、もう、わたくしには心を許せるお友達はいないのかしら。昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、貴女にまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」 
「姫殿下…」 
ルイズは顔を上げた。そこからは二人の幼馴染の懐かしい昔話が続いた。 
要約すると、ルイズとアンリエッタが幼馴染で、幼いころ、遊んだり取っ組み合いの喧嘩をした、というようなことだった。 
二人が盛り上がっている間、リゾットは部屋の隅に控えていた。そこにデルフリンガーが話しかけてくる。 
「なあ、相棒よぉ…。俺、あのテンションについていけねーんだけど…」 
「同感だ……」 



やることもないので、リゾットはアンリエッタを観察していた。地位が上の人間が密かに訪ねてくるのは大抵、碌でもないことが起きる予兆だからだ。 
それはリゾットたちが暗殺チームだったからかもしれないが、ともかく用心しておくことにした。 
王族の生まれのせいか、言葉や素振りが一々芝居かかっているのも、リゾットの警戒心を掻き立てた。 

そうこうしていると、二人の会話のテンションが急に下がった。 
「結婚するのよ。わたくし」 
「………おめでとうございます」 
沈んだ声で告げられた結婚報告が望んだものでないことはほぼ確実だ。それに答えるルイズの声も自然と暗くなった。 
せっかく会えた旧友との会話が奇妙な方向に進みかけたことにあせったアンリエッタが、リゾットに視線を移す。 
「そういえば、ごめんなさいね。お邪魔だったかしら?」 
「お邪魔? どうして?」 
「だってそこの方、貴女の恋人なのでしょう? いやだわ。わたくしったら、つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をしてしまったみたいね」 
「はい? 恋人? アレが?」 
「人の相棒をアレよばわりかい。貴族の娘っ子」 
思わずデルフリンガーが抗議の声をあげると、アンリエッタは眼を丸くした。 
「あら? その剣、インテリジェンスソードなのね」 
「え、ええ…。それはそうと…姫様! アレはただの使い魔です! 恋人だなんて冗談じゃありません」 
ルイズは首を思いっきり振って否定した。 
「いやだわ、ルイズ。私が言ってるのはそこの彼のことよ。いくら使い魔として珍しくてもインテリジェンスソードが恋人だなんて勘違いしないわ」 
ややピントのずれた言葉が返ってきた。どうやらデルフリンガーが使い魔だと思ったらしい。 

「いえ、そうではなく! そこの男が私の使い魔です!」 
「え? ………」 
まじまじとリゾットを見る。なるほど。確かに眼が奇妙だ。自分が知らない亜人なのだろう。 
「ごめんなさい。人にそっくりだから勘違いしてしまいましたわ」 
「「人だ(です)」、姫様。確かに多少、瞳が変ですが」 
ルイズとリゾットが同時にツッコミを入れる。 
「そ、そうなの…。ごめんなさい。……そうよね。ルイズ・フランソワーズ、貴女って昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」 
「好きでアレを使い魔にしたわけじゃありません」 
ルイズは憮然として答える。そこに、アンリエッタが再びため息をついた。 
「姫様、どうなさったのですか?」 
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……。いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに頼めるようなことじゃないのに……わたくしってば……」 
「おっしゃってください。あんなに明るかった姫様が、そんな風にため息をつくってことは、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」 
「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい、ルイズ」 
「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! 私をお友達と呼んでくださったのは姫様です。そのお友達に、悩みごとの解決を託せないのですか…?」 
ルイズの真剣な口調に、ついにアンリエッタも決心したらしく、嬉しそうに微笑んだ。 
「わたくしをお友達と呼んでくれるのね。ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」 
頷いて、語り始めた。 
「今から話すことは、誰にも話してはいけません」 
それからリゾットをちらりと見た。 


「そのくらいの分別はある……。が、問題はルイズ、お前だ」 
「何よ? 私が秘密を漏らすって言うの?」 
「違う。……いいか? 王族なんて連中の秘密を知るってことは……不都合が出てきたときに消される可能性があるってことだ……。 
 そして…、秘密を聞いた以上、その後に来る頼みを断ることはできない。……そこまで覚悟して聞くんだな?」 
「私たちが消されるですって!? 姫様を侮辱する気!?」 
気色ばむルイズを無視して、淡々とリゾットが諭す。 
「……俺は王女を信頼できるほど良く知らない…。 
 だが、上に立つ人間の秘密を関わるということは命を賭ける『覚悟』が必要だ……。お前にその『覚悟』はあるか?」 
ソルベとジェラートが死んだのはボスの秘密を探ったのが原因だった。 
組織にほとんど不要になった暗殺チームが飼い殺しにされたのは組織の後ろ暗い秘密の数々に関わったからだった。 
「あるわ! 私は姫様のためなら命を賭ける!」 
二人がしばし睨み合う。リゾットはそれなりに意思をこめて睨みつけたのだが、ルイズの視線はぶれなかった。 
やがて、リゾットはため息をついて壁に寄りかかる。 
「………わかった。ならば俺もお前に従い…、命を賭けよう」 
「ルイズ、貴女の使い魔は主想いなのですね」 
そのやり取りを見ていたアンリエッタが感心したように声を出す。 
「礼儀知らずなだけです」 
「いいえ。確かに礼は失しているところもありましたが、彼の言葉は貴女を思ってのことです。彼のような使い魔を従えられることを、羨ましく思います」 
「光栄です。……姫様の買いかぶりだと思いますが」 


「それよりも続きをお話ください」 
「ええ。分かりました…」 
アンリエッタは再び沈んだ調子で語り始めた。 
現在、アルビオンでは貴族による反乱が起きており、王室は今にも倒れそうなのだという。 
反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに攻めてくることが予測されるため、トリステインはゲルマニアとの同盟を画策している。 
そのための条件としてアンリエッタとゲルマニア皇帝の結婚があるのだという。 
いわゆる政略結婚であり、アンリエッタ自身が望むものではないが、アンリエッタは王族としての責務としてそれを実行することにしたのだという。 
「なんてこと…あの野蛮な成り上がりどもの国に、姫様が嫁がなければならないなんて……!」 
「仕方がないの。成り上がりの国とはいえ同盟を結ぶためなのですから…」 
そういいつつも、アンリエッタの表情と口調は暗い。 
リゾットはゲルマニアについて、キュルケに聞いた話を思い出していた。 
ゲルマニアは国の中では歴史が浅く、金を積めば平民でも貴族になれるのだという。それゆえ、他の国々から嫌われているのだった。 
(どこにでもあるものだな……) 
イタリアでも北イタリアと南イタリアの間では貧富の差があり、南イタリア出身者が何らかの成功を収めても、 
北イタリアの人間からは「成り上がり」とどこか蔑むような眼で見られることが多い。 
ハルケギニア諸国、そしてその民のゲルマニアを見る眼はそれに似ているのだろう。 

アンリエッタの話は続く。 
トリステインとゲルマニアの同盟は当然、反乱軍には好ましくないため、反乱軍はこの同盟をぶち壊すための材料を探しているのだそうだ。 


「では、もしかして、姫さまの婚姻を妨げるような材料が…?」 
「おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお許しください……」 
アンリエッタが顔を両手で覆い床に崩れ落ちた。別に嘘というわけではないだろうが、意識的にしろ、無意識にしろ、かなり大げさに演出しているようにリゾットには見えた。 
何でも、アンリエッタがアルビオンの皇太子ウェールズへ送った手紙(明言はしなかったがおそらくは恋文の類)があるらしく、 
それがゲルマニアに対して明るみになった場合、即座に結婚は破談になり、トリステインは一国でアルビオン反乱軍と戦わねばならなくなるのだという。 
「では、姫様、私に頼みたいことというのは…?」 
「無理よ! 無理よ、ルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 
 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」 
「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりと向かいますわ! 
 姫さまとトリステインの危機を、 このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけには参りません!」 
ルイズは膝を突いて恭しく頭を下げた。 
「『土くれ』のフーケを捕まえた、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」 
「ルイズはあんたのために命を賭ける覚悟をした。それに応えるんだな……」 
なおもアンリエッタは迷っていたようだが、 リゾットの口ぞえで決心したようだった。 
「覚悟に応える……。そうですね……。ルイズ、わたくしの力になってくださいますか?」 
「もちろんです! なんなりと」 
「では……アルビオンに赴き、ウェールズ皇太子を探し、手紙を取り戻す任、貴女に託します」 
「一命に変えましても。急ぎの任務なのですか?」 
「アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅までおいつめていると聞き及んでいます。敗北は時間の問題でしょう」 
「分かりました。では早速、明朝にでも、ここを発ちます」 


それを聞いた後と、アンリエッタはリゾットに向いた。 
「使い魔さん。貴方はさきほど、わたくしが秘密を知ったルイズと貴方を抹殺する可能性を示唆していましたね?」 
「ああ…」 
「恥ずべきことですが、先ほどの使い魔さんの言葉を聞くまで、お二人に命を賭けてもらうということを、わたくしは忘れておりました。いえ、意識しないようにしていたのかもしれません」 
アンリエッタは杖を掲げた。 
「あなた方と等価の危険を背負うわけでもないし、ただの言葉ではありますが、わたくしも、ここに始祖ブリミルの名において誓いましょう。 
 わたくしがこの件について二人に不義をなすことあらば、わたくしは地獄の業火で焼き尽くされることを」 
「三人だ」 
「え?」 
リゾットの言葉に、アンリエッタが聞き返す。 
「三人だ。ルイズと、俺と……」 
扉を思いっきり開ける。 
「うひゃぁ?」 
そこにはギーシュが居た。突然戸が開いたのに驚き、尻餅をついている。 
「ギーシュ! あんた! 立ち聞きしていたの? 今の話を!」 
「いや、その……」 
「ずっと聞いていたはずだ。扉の前でこいつの気配を感じたからな…。つまり、あの警告も聞いて……『覚悟』したわけだ」 
ギーシュはその言葉で突然立ち上がって敬礼した。 
「姫殿下! その困難な任務、ぜひともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」 
「グラモン? あのグラモン元帥の?」 


アンリエッタが突然の事態についていけず、きょとんとしてギーシュを見つめた。 
「息子でございます。姫殿下!」 
ギーシュが恭しく一礼をした。 
「貴方も、わたくしの力になってくれるというの?」 
「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」 
「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、貴方もその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」 
「姫殿下が僕の名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこの僕に微笑んでくださった!」 
ギーシュは感動のあまり、キリキリと回転すると、後ろにのけぞって失神した。 
「……大丈夫か、こいつ?」 
「味方になるならいいかと思って放っておいたが、失敗だったか…」 
デルフリンガーが呟きに、リゾットがため息混じりに答えた。 

「では明日の朝、アルビオンに向かって出発いたします」 
ルイズがアンリエッタに提案する。ギーシュのことは完璧なスルーである。 
「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」 
「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」 
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったらありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」 
そういうとアンリエッタは手紙を書き始めた。一度、筆を止めたようだが、始祖への謝罪を口にし、朱に染まった顔で最後に一文を書き加える。 
書き終わると、手紙を巻き、杖を振る。すると、手紙に蝋封がなされ、花押が押された。その手紙をルイズに渡す。 
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙をお渡しください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」 

それからアンリエッタは右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。 
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金に当ててください」 
「そんな……そこまで…私に信頼を…」 
ルイズは感極まった様子で、深々と頭を下げた。 
「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、貴方がたを守りますように」 

暗い廊下の中、リゾットは帰路に着いたアンリエッタに続いて歩いていた。 
ルイズが「姫様に何かあったら大変だから、途中まででもいいから送っていきなさい」と言ったのだ。 
ちなみにギーシュはその時、まだ失神したままだったので部屋に放り込んでおいた。 
「………一つ、いいか?」 
黙々と送っていたリゾットが不意に口を開く。 
「何でしょうか、使い魔さん」 
「もしも……次にこういう任務をルイズに頼むならば……、同情を引くような頼み方はやめてくれ。自分が撒いた種の始末を友人に頼む後ろ暗さ…………それは分かるが」 
「!」 
アンリエッタが言葉を失う。意識的ではないにしろ、そういう意図がなかったとは言い切れないのだ。 
「ルイズは純粋にお前のために戦おうとしてる。ああいう頼み方じゃなくても引き受けるさ…。それを同情を引くような頼み方をするってことは……お前とルイズの間にあるらしい『友情』に泥を塗りつける行為も同然だ……」 
「……そうですね。今回のわたくしの頼み方は相応しくなかったかも知れません。以後、気をつけます」 
「素直に認められるなら……まだお前は救いがある方だ…」 
「ありがとうございます」 
アンリエッタは礼を言って、少し含み笑いをした。 


「?」 
「貴方はいつもルイズのことを心配しているのですね」 
「……恩人だからな」 
そっけなくリゾットが答える。別に嘘をついたわけではないが、それが全てではないことは、リゾット自身にもいまや明らかだった。 
「わたくしにも貴方のように誠実な部下が居ればよかったのですが……」 
「……なければ作ることだ。そしてそのためには他人を徐々にでも信頼することから始めるんだな……。そういう発言をすること自体、誰も信じていない証拠だ」 
「…………信じた相手に裏切られたら?」 
「そのときは自分の人を見る眼のなさを恨むしかないな。二度目があるなら慎重になることだ」 
「貴方は使い魔なのに、まるで誰かの上に立つ人間のようなことを言うのですね……」 
「…………」 
異世界ではそういう立場にあった経験から言っているのだが、それを説明する必要はないため、リゾットは口を閉ざした。 
やがて、行く手に明かりが見えてきた。 
「ここまでだ…。あとは……自分で行け…」 
「ええ、ありがとうございます。ルイズにもお礼をお伝え下さい」 
「分かった……」 
アンリエッタの姿が見えなくなるまで見送ると、リゾットは踵を返す。その足が何かを蹴った。 
足元で土で出来た小型のゴーレムが転んでいた。ひょこりと立ち上がると、ついてこいというような身振りをして、のこのこ歩き出す。 
リゾットがゴーレムの後に続くと、人気のない場所にきたところで、ゴーレムが消えた。 
「一週間ぶりだね。こないだ送った情報は役に立ったかい、リゾット?」 
茂みが揺れ、土くれのフーケが姿を現した。それをみてデルフリンガーが声を出す。 
「おでれーた! こないだ倒したフーケじゃねーか」 

「ふーん……。なるほどね。アルビオンへウェールズを探しに行くのか」 
リゾットの話を聞くと、フーケは腕を組んだ。その言葉には何とはなしに『嫌悪』が伺える。 
「ああ……。ルイズの任務でな……」 
「何のために会うのかは、聞かせてもらえない?」 
「…………念のため、止めておこう」 
リゾットの答えに、フーケは不満そうに唇を尖らせた。 
「そ。ま、しょうがないね。で、どうする? アルビオンへの港町、ラ・ロシェールまでの道のりなら、調べてやっても構わないけど…」 
「アルビオンへは……来ないのか?」 
「貴族派と王党派が戦争やってるような危ない所に行くほど金はもらってないよ」 
フーケが吐き捨てるように言ったが、リゾットはその表情からはっきりと『嫌悪』を読み取った。 
先の言葉から考えると、フーケはアルビオン王家を嫌っているのだろう。嫌いなものを無理に近づけようとは、今は思っていなかった。 
「そうだな……。では、その港町までの道のりの調査は頼んでおこう」 
「ん、分かったよ。じゃ……連絡は手紙で…ってあんた、字が読めないんだっけ?」 
「ああ……」 
フーケはどうやって伝えるか、首をひねった。 
「世話が焼けるねえ……。じゃあ、そうだね。行く手に危険が待ち受けてるなら道に印をつけておくってことで。 
 ラ・ロシェールまで急いで向かうなら選ぶ道は限られてくるし、あんたが見落とさなきゃ、大丈夫だろ」 
「分かった……」 
「あと、あらかじめ言っておくけど……。危険を何とかするのは自分でやりなよ。私は手を貸さないからね」 



「ああ。俺がお前を雇ったのは、あくまで情報収集のためだからな……」 
「わかってるならそれでいいんだけどさ……」 
フーケは頬を掻く。どうも木石に話しかけているような淡白な反応で、面白くなかった。 
自分と戦っていた前後はそれなりに感情を見せていたので、感情がないわけではないのだろう。 
(やりこめてやれば、少しは表にだすかね…) 
考えて見れば出会ってから今まで、リゾットに勝った事がない。やられっぱなしでは面白くないし、相手より下に見られるのも仕方ない。 
フーケは密かに、何とかしてリゾットをやり込めることを誓うのだった。 
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