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える『かたつむり踏んじゃった』

2008.05.20 01:49

水上 える

そのぽつぽつと降る雨の日、受付嬢の三宅さんは、ものすごくいやそうな顔をして出社してきた。
「どうしたの?」
「あっ、進藤先輩、聞いてくださいよ~。ここくる途中って、社宅の公園抜けてくるじゃないですか~」
「それが近道だもんね」
「そしたら、ああ、思い出すだけでだめだわっ!やっちゃったんです、ぐしゃって」
「ぐしゃ?」
「踏んじゃったんですよーかたつむり!!」
「それはかわいそうなことをしたね」
「なんでかたつむりに同情してるんですか!私にしてください!新品の靴なのに、どうしよ~」
「別に、拭けばいいじゃないか」
「そういう問題じゃありませんっ!
 えんがちょっていうか、なんていうか……生理的にいやな物ってあるじゃないですか!」
「そう?まあ、犬の糞とか踏むとすごくへこむもんね」
「ああ、でもここで先輩に会えてよかった!靴の裏、確認してもらえませんか?」
「えー?」
「ひとりで更衣室で見るなんて怖くて怖くて……」
「まあ、いいけど。じゃ足上げて」
「はい」
「こっちは別に何もついてないよ」
「え?じゃあこっちの足?」
「こっちもついてないよ?」
「ほんとですか!」
一瞬喜びかけたものの、ついてないからって踏んでないわけじゃない。
ぐしゃ、という音が頭の中でリピートされたのだろう、三宅さんはまたいやそうな顔になった。
「途中で雨で流されたのかもしれないしね」
「そうですか。ああ!でもあの感触は!ああああああ!」
ひとしきりイヤイヤをすると三宅さんはがっくりと肩を落とし、更衣室に向かっていった。
「ありがとうございました。あー……せっかく奮発して新しく買ったショートブーツだったのに……」


小さな生物をもてあそばなくなったのは、いつからだったろう。


小さな生物を殺すのが怖いと思い始めたのは、いつからだったろう。


僕たちが子供のころには、普通のことだったはずだ。
男の子も女の子も同じだったろう。
トンボや蝶の羽をもいで。蟻の行列を踏み潰して。蝉の肢体を分解して。
あのころの僕らは――世界が美しいと思えていたからこそ、無邪気に残酷でいられたのだ。
自分も、その小さな命も、すべて美しい世界の一部だと思っていたからこそ。


帰宅時間になっても雨はやんでいなかった。
薄暗く子供の姿もない社宅の公園を抜ける。
ぐしゃ。
「あ」
何かその下にある感触を感じながら、そっと革靴を上げる。
無残な姿になったかたつむりが地面にはりついていた。
「ああ、やっちゃったよ」

「ごめんな」

弱きものを殺すことで自分は生きている、と思い知らされる瞬間がいつか来る。
食べるためでもなく、着るわけでもなく、快楽主義的にもてあそぶためにでもなく、
他者を殺さなければ、自分は生きて行けないのだと気づく瞬間が、いつか、くる。
そして怖くなるのだ――
自分もいつか、より大きなものに無意味に殺されるのだろう。
それを受け入れることは、世界が美しくないことを受け入れることと同意でもあるのだ。


パンドラの箱に最後に残ったのは「覚悟」だったのかもしれないな。


ミカヅキX
僕だったら、最後の一行前は、それだからこそ世界は美しい、にしてただろうな。
その違いが、面白い。
いつも思いますが、えるさんの「世界の飛躍」は上手いですね。05/20 21:04

野良(--)
似たような詩を書いたことがあるな。
ガキのころは確かに意味もなく虫を殺したりしたものだ。05/20 23:31

モモと
よかれと思って小学生の頃やったこと……ありを砂糖水の中に放り込みました。
ミカヅキさんの言うことになるほどと思いつつ、えるさんの書き方にもへええと思ってしまいます。
自分の書き方を確立するのって難しいなあ。05/21 00:30

水上 える
世界は美しくない、だからこそ美しい…ってやると、キノのぱくりみたいになっちゃうんで避けました^^;
飛躍はたぶん日常的に思考が飛躍しまくっているからだともいます。。。05/21 01:03

abendrot
蛙を遠くに投げたことはあります。
でも……「ぐしゃ」ってのが妙にリアルで、すごく想像しちゃいました。自分の足の裏に・・・--;05/22 20:48

ミカヅキX
ああ、僕の場合はブンブンでしたね。紐をつけて飛ばしているうちに振り回して、気が付くと、ポロリと・・・。05/22 20:58
最終更新:2009年10月17日 23:57
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