2006.02.01 00:16
野良(--)
~~~第一章~~~
落陽が染める茜色の世界。雲ひとつない空には飛ぶ鳥の一羽もなく、早くも姿を現した二つの月、<月>(ルナ)と<霧>(ミスト)が浮かんでいるばかり。夜を巡る二柱の女神は、遠い地上の様子を見下ろしていた。
重く冷たい鉄の悲鳴、警鐘(けいしょう)が鳴り響く戦場を。
聳(そび)え立つ分厚い街壁と、その規模に相応しい巨大な門に、数十を超える鬼人(オーガ)の群れが押し寄せていた。
ディスクロードの都が南西に位置する、『言葉要らずの森』からの襲撃者たちが。
鬼人(オーガ)族のその外観は、体毛に覆われたものもいれば、襞(ひだ)のような皺(しわ)に固められたものもいる。大きさも人間(ユージス)の子供程度から成人男子の倍もあるものまで様々。貌(かお)の種別は人に似たものが多いが、虎、熊、狼、猪、その他判別不能な獣が混ざっているようにも見えた。
人外の巣窟(そうくつ)である『言葉要らずの森』の住人達は、同種同族であっても個体の差が非常に大きい。それでも群れで襲いくるのは、生来からの気性ゆえだろう。
どの道、姿形がどうであろうと、彼らへ与えられる末路に変わりはない。
壁上に居並ぶ弓兵たちの、引き絞られた数多(あまた)の矢が、
「撃てぇ!」
号令の元(もと)一斉に放たれた。壁をよじ登ってくる小物から、大門を揺るがす巨躯(きょく)にまで、鏃(やじり)の雨は平等に降り注ぐ。
「ギオォ!」
「グアッ!」
甲高い悲鳴を上げ、動きを止めたのは鬼人(オーガ)達のごく一部。大半は変わらぬ勢いで、壁を登り門を軋(きし)ませ続けている。
壁の上では、すぐさま新たな矢が番(つが)えられるが、押し寄せる勢いには到底追いつきそうになかった。鋼鉄の門ですら、重い悲鳴を上げている。
遂(つい)に小鬼(グール)の一匹が、壁の上へと登りついた。兵の一人が間髪(かんぱつ)入れず、抜いた刃で斬り落とす。同時に後ろの平地へと叫びかけた。
「限界だっ、門を開けるぞ!」
「了解っ。いつでもこい!」
答えたのは掌上に魔力の光を宿した男。その意思と行動は、横に並ぶ者達も同様のようだ。軋(きし)む音立てる大門を、幾(いく)つもの光球が取り囲んで待ち受けている。緊張の面持ちを浮かべる人々は、容姿性別年齢までばらばらで、正規の兵どころか傭兵士団(ブレイズ)にすら見えない。
大半は対人外の仕事を旨(むね)とする、巡行士(ラウンド)と呼ばれるなんでも屋。残りの半分は魔術師(ウィザード)と、それを目指す修術士(ウェルト)達だ。常時脅威に曝(さら)されているここディスクロードでは、何者だとてのうのうと生きてはいけない。修行中の身だからこそ、彼らは半ば体(てい)よく利用されている。
今もまた、白い衣を纏(まと)った修術士(ウェルト)の一人が、杖頭に収束させた魔力の輝きを大門へと向けていた。青い瞳に緊張を宿し、微(かす)かに身を震わせて。
おかげで周りに対する注意力は欠落していたようだ。
「レジーナ~?」
「ひゃ?」
横からかけられた呼びかけに、慌てて振り向いた少女(レジーナ)の動きにつられ、金色の短い髪がわずかに浮いた。揺らして隣へと顔を向ける。自分とよく似た顔に、自分にはない余裕を浮かべた姉、リディアへと。
「ね、姉さん?」
近づけていた顔を離しても、見せる余裕はそのままに。長い金色の髪が、流れて星の瞬きを返す。穏やかながらも鋭い眼差しに浮かべたものと同じ輝きを。
「固くなりすぎ。もう少し力を抜きなさい。敵は正面ばかりから来るわけじゃないわよ」
「う、うん」
妹の返事を聞くこともなく、リディアは手にした棍を低く構えなおした。鋼鉄製のそれを苦もなく扱う姿は自信に満ち溢れて見える。羨望(せんぼう)と同時に自らへの嫌悪感がこみ上げてくるが、レジーナにはそれを噛みしめるような余裕は与えられなかった。
「来るわよ」
リディアの呟きに応じるように、巨大な門が僅(わず)かに開いた。射しこむ縦の赤光は、一息の間に大きく広がる。
大小の、鬼人(オーガ)の群れを逆光に現して。
押し寄せる人外の群れに、留(とど)められていた魔の力が襲いかかった。
閃光が、爆炎が、雷条が場を荒れ狂い、門の下に煉獄(れんごく)を創りだす。
苦痛の咆哮は聞こえない。大気の破裂する音が、その全てを喰らい尽くしてしまったからだ。
しかしそれも一瞬のこと。燃え踊る鬼人(オーガ)の影が炎の中に浮かび上がり、のたうつ悲鳴が聞こえてくると同時に、それらを掻き分け飛び出してくるものがあった。
一つ、二つ、四つ、八つ。
瞬く間に増えた小さな影、炎を越えた小鬼(グール)たちは、周囲を囲んだ巡行士(ラウンド)たちに飛びかかった。
一呼吸の間の出来事だったが、迎え撃つ側も並の人間ではない。襲い来る爪や牙の悉(ことごと)くを、盾で止め、剣で払い、返す一撃を叩きこむ。
普通の獣であればそれで怯(おび)えの一つも見せるものだが、鬼の属を持つ鬼人(オーガ)族相手にそんな機微(きび)は期待するだけ無駄というものだ。集団にすら臆(おく)することなく飛びこんでくる相手に対してでは、固まっている方が危うい。自然、戦いは乱戦の様相を呈(てい)してきた。
刃(やいば)煌(きらめ)く戦場に、新たな影が現れる。僅(わず)かに周囲を見渡すと、野犬にも似たそれは獲物目掛けて走りだした。
立ち竦(すく)んでいるレジーナへと。
鋭い爪が唸(うな)りを上げる。迫る危機に対し、しかしレジーナとて無縁ではない。即座に杖を小鬼(グール)へと向け、同時に呪の起動音(トリガー)を弾(ひ)き放つ。
「破弾(パム・ショット)!」
飛び出した青い魔力の弾丸が、至近に迫った小鬼(グール)と重なり、その顔面ごと体の半ばを撃ち砕いた。
飛び散る血肉と体液が、レジーナの顔と衣を汚す。
断末魔の叫びもなく弾(はじ)き飛ばされながら、残された小鬼(グール)の半身は、それでも地面でのた打ち回っていた。
こみあげてくる吐き気を抑えるように喉を鳴らしながら、修術士(ウェルト)の少女は無理にそこから目を離す。
瞼(まぶた)を閉ざしたのは、ほんの一瞬だった。
「レジーナ!」
呼びかけの声と共に気づく。すぐ横に迫る別の小鬼(グール)に。
攻撃はもちろんのこと、もはや防御も回避も間に合わない。出来ることといえば、せいぜい少しだけ身を退(ひ)く程度。突き伸ばされる小鬼(グール)の腕から逃れられる程ではない。
だが戦場では、その僅(わず)かな差が生死を分ける。
後退により生まれた刹那の刻、
「ハッ!」
裂帛(れっぱく)の気合と共に、横からの衝撃が飛び掛(かか)った小鬼(グール)を撥(は)ね飛ばした。
高速で繰り出されたリディアの鉄棍が。
打突を受けた小鬼(グール)の体は、糸の切れた操り人形のように転がっていったが、それを見ている余裕は誰にもない。
当事者である二人にも。
「ね、姉さ……」
「ぼさっとしてるんじゃないのっ! すぐ次が来るわよ、集中しなさい!」
「は、はい!」
力強い一喝に反射的に返事を返し、レジーナは慌てて杖を構えなおした。続く短い呪に応じ、その先端に光が宿る。勢いではあるにせよ、緊張からは脱したようだ。
見届け、鉄の棍を引き戻しながら、リディアは妹に背を向ける。その目が見やる先に映るのは、門を抜けた巨躯(きょく)の影。
左右から迫る二匹の小鬼(グール)を、振り回した棍の一撃で同時に屠(ほふ)り、リディアはそのままの勢いで真っ直ぐ前へと走りだした。
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~~~第二章~~~
グランディーグ帝国の崩落から生まれし四の国が一、ディスクロード。人の領域の最南に位置するこの国は、襲来する魔獣の脅威に絶え間なく曝(さら)されている。
ここ、首都ディスクロードにおいて、その猛威は特に顕著(けんちょ)だ。人外の力を育(はぐく)む広大な荒野『偉大なる法』の最外周、『言葉要らずの森』に隣接しているが故(ゆえ)に。
都市は昼夜を問わず襲いくる人外の力に、二重の防壁と嫌香(けんか)の煙蓋(えんがい)、そして供給され続ける巡行士(ラウンド)たちの戦力を持って対抗し、かろうじて均衡(きんこう)を保っていた。
リディアのような修術士(ウェルト)も含めて。
刀剣武具が雑然と並べられた店内の片隅にある、そこだけ整えられた卓の上に、彼女は空けたカップを置いた。薄く開いた目の下は、ほんのりと朱に染まっている。
「だから、あの子は実戦には向いてないのよ。研究だけやってればいいのに」
「この街じゃそういうわけにはいかないんだもの。がんばってるんでしょ、レジーナも。応援してあげなさいよ」
手にしたポットから酒精の香る茶を注ぎながら、赤毛の娘がそう応じた。子供のような容貌に不似合いな大人びた口調で。彼女は名をマイヤといい、この武具屋『鋼の協奏亭』の若き女店主だ。平均よりも発育していない身体に、普段は必要以上に幼さを演じたりもしているが、これでもリディアと同い年で、彼女とは気の合う友人でもあった。
今宵(こよい)もまた、街衛(がいえい)の務めを終えたリディアのために、閉めた店の中でささやかな酒宴を開いている最中だった。普段気を張り続けている彼女も、マイヤの前でだけは姿勢を崩し、気兼ねなく言葉を交わせるらしい。注がれた茶酒(ティカ)を口元に運び、冷ますように吐息を吹いた。
「わかってるわ。わかってるのよ。でもさ、あの子、危なっかしくって。魔導学院(アカデミー)だったらプラズマルドだってあったのに、なんでこっちなのかしら……」
「まがりなりにも他の連中と同等に働けてるんだから、それほど捨てたものでもないと思うけど? まあ、誰にでも向き不向きってあると思うけど……」
窓から射しこむ月明かりの下、交わされていた言葉を遮り、店の奥からこもった震える声が聞こえてきた。
「てん、ちょおー。あり、ましたよ、リディアさんの、棍の代わりぃ」
現れた人物、発揮している渾身の力に顔を赤らめた青年の足取りは、酔ったように右へ左へと揺れている。
両手で抱えられた棍は、端を安定なく上下に揺らし、
「こ、これ、めちゃくちゃ、お、重おぉぉ!?」
ガランガランガラン!
ついには地へと逃げだした。通り道の脇に立て掛け並べられていた、槍の群れを薙ぎ倒しながら。
「う、どわぁぁぁ!?」
そして降り落ちてきた輝く穂先を、細身の青年は伏せたままで避けかわす。
ドスドスドスとしばし続く、床へと突き刺さる鋼の音。
青年は悲鳴を上げながら転がり進み、なにかにぶつかってようやく止まった。
その場で薄茶色の瞳を頭上に向ける。
腕組み口元を吊り上げたマイヤへと。
「て、店長……」
その表情は笑みを浮かべていたが、見下ろす視線は落ちてきた穂先よりも鋭かった。
「あ、の、す、すいません……」
「アジス……アナタは武具屋に向いてないようね。適職、考えてみたら?」
「そ、そんな、お嬢さん! 見捨てないでくださいよっ。俺はお嬢さんのために……!」
「お嬢さんじゃないっ。店長と呼べと言ってるでしょうが!」
「いてっ、店長っ、踏むの、痛い……!」
唐突にはじまった暴力混じりの雇用問題もいつものことだ。
転がり寄ってきた新たな棍を、リディアは無造作に拾い上げ、その重さと前で繰り広げられている光景を肴(さかな)に、カップの残りを楽しんでいた。
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~~~第三章~~~
ディスクロードに存在する魔導学院(アカデミー)分校『フランドル』は、辺境最強の呼び声高い、名物的な魔導の学び舎である。立地環境の特殊さから、修術士(ウェルト)の実戦経験数に於(お)いては他の追随を許さないためだろう。
その事実とは反するように、魔術師(ウィザード)として認められる者の数は圧倒的に少ない。
理由の半分は推して知れるように、その実戦の中で最期を迎える者の多さ故(ゆえ)に。
本舎の入り口に飾られている三階分ほどの大胸像画、老フランドル師の胸下の台座には、志(こころざし)半ばに散っていった学徒達の名が刻まれている。
斜めに射しこむ朝の光を浴びながら、レジーナはその空いた箇所を見つめていた。刻まれていない自らの名を映そうとでもするように。
その光景は、人によっては早朝の静謐(せいひつ)に相応(ふさわ)しくすら思えただろう。指差すことすら躊躇(ためら)われる、歴史ある古い絵画のような。
だが、まったく気にしない者も当然いる。薄黄の髪を揺らして近づいてきたのは、いつも元気な彼女の友人だった。
「おっはよう、レジーナっ」
「あ、トリス、おはよう。サリネアも」
「おはよ。ごめんね、騒がしくしちゃって」
続いてやってきた波打つ菫(すみれ)髪の少女とも挨拶を交わし、レジーナは二人とともに歩き出した。
朝の静寂に靴音が響く。使われている石材の年季に比べ、校舎自体の造りは真新しい。全壊し、数年前に立て直されてからも、部分的には頻繁(ひんぱん)に打ち壊されているためだ。
ディスクロードでは全市に渡り、建物に関しては似たような事情を抱えている。壊されることを前提に考えるのは、国全体の気質となっていた。
魔導の学び舎としての厳格さも、他国に比べれば緩(ゆる)やかなものだ。友人との会話を楽しみながらの移動すら、国によっては許されない学院もある。『フランドル』に関しては、やや緩すぎなきらいはあるが。
徐々に人気(ひとけ)が増していく、中庭に面した回廊を通り、三人の修術士(ウェルト)は食堂へと向かって行った。
ただ、いつもとは少しだけ異なる雰囲気を孕(はら)んだまま。
「昨日は街衛(がいえい)だったんだよね、お疲れさま。……どうしたの?」
普段通りなトリスもようやくその気配に感づいたらしい。覗きこんできた不安げな表情に、レジーナはぎこちない笑みを見せて答えた。
「なんでもないよ。ちょっと、失敗しちゃって」
「失敗って、大丈夫!? 怪我とかしたのっ?」
「ううん、そういうのじゃないんだけど……」
足を止め、短い金色の髪を小さく揺らし、レジーナは小さな溜息をつく。
「私、やっぱり魔術士(ウィザード)なんて無理なのかな……」
「そんなことないよ! レジーナはすごいじゃない」
落ちこみかける友人に、トリスは大きな声で反論した。元気づけようと、大仰(おおぎょう)な身振りを交じえて。
「魔導理論だって成績いいし。こないだの論文よかったんでしょ? ルーヴィン先生が褒めてたよ」
「トリスはひどいもんね、魔導理論。ルーヴィン先生、呆れてたわよ」
熱弁を振るうトリスの頭の上から、サリネアが絶妙な茶々をいれた。うぐ、と声を詰まらせた友人に、レジーナは小さな笑みで気を使う。
「でも、トリスは実戦が得意でしょう?」
「ま、まあ、そうかな。動きながらの方が性に合ってるみたい、わたし」
「魔術士(ウィザード)を目指すなら実践的な能力に秀でていた方がいいと思うから……」
「うーん、そうかなあ」
頭の中でなにかを天秤にかけはじめたトリスに代わり、その頭上からサリネアが言葉を補う。
「でも実践的といっても、戦闘ばかりじゃないでしょう?」
「そう、そうだよね。サリネアもたまにはイイこと言うねー」
賛同の声に対し、にんまりと怪しく微笑みかけながら。
「例えば、敵の正体がわからないまま突撃して未知の毒をもらう、なんてこともあるわけだし」
「……そ、そえわ……」
途端、トリスの顔が朱に染まっていく。その動揺に明らかに気づいていながら、サリネアは知らぬふりをしてレジーナに顔を向けた。血色をよくした頬の熱を、右の掌(てのひら)で冷ましながら。
「レジーナはバストラってキノコ知ってる?」
「バストラ……? ごめんなさい、わからないわ。どんなキノコなの?」
「珍しいキノコでね、精製すると興奮作用を促(うなが)す薬になるの。でもね、このキノコ、アルジアの胃液と混ざると異なる作用を生み出すらしくてね、この前……」
「わーわー、わーー!! そ、その話はやめー!」
「アレの解呪は大変だったのよ、トリス。覚えてる? 一昼夜……」
「やーめーろー!」
身長差のあるサリネアの口を、飛びつくようにしてトリスは塞(ふさ)いだ。必死に縋(すが)るその様に、されている方は妙に楽しそうだ。
突然の騒ぎに呆然としているレジーナに気づき、トリスは慌てて口にする言い訳を探す。だが、真っ白になった頭では咄嗟(とっさ)に言葉もでてこない。
「あ、あのね、レジーナ、わたしたち、用事が……」
きょろきょろと彷徨(さまよ)った視線は、中庭に集まっている一団を見て止まった。その中心には、高さで人の身の倍はある、動かぬ双頭の狼獣が居る。仕留めた魔獣の剥製神輿(シュラフ)だ。祭が近く迫るに従い、学院内でも徐々に興奮が高まっている。
これだ、と口にだしながら、トリスは声を弾ませた。
「そうっ、お祭! もうすぐ『国誕祭(デュクロス)』でしょ。準備を手伝ってほしいって言われてるんだっ」
「そうだったっけ? でも、それならレジーナも手伝ってくれ……」
「そういうわけでっ、ごめんね! また後で!」
赤い顔で釈明と謝意を叫びながら、トリスはサリネアを引きずるようにしてその場から走り去っていった。文字通り逃げだすように。
レジーナはしばし呆気に取られていたが、やがて自然な笑みを浮かべていた。ゆっくりと中庭に目を向ける。賑(にぎ)やかな一団のその方に。
「そっか、もうすぐ『国誕祭(デュクロス)』か」
揺れる短い金色の髪。吹き抜ける風に撫でられながら呟いた一言は、確かな弾みを含んでいた。
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~~~第四章~~~
街衛(がいえい)の任とは別に、巡行士(ラウンド)には様々な仕事が与えられる。調査、護衛、殲滅、捕獲と、その内容は多岐に渡り、依頼の出所も村の民から国家の中枢まで様々だ。
雑多混沌としたそれらをまとめ配するのが、斡旋所(ポート)と呼ばれる酒場兼宿屋である。
ディスクロードには裏表を合わせ、その手の店が数多く存在する。ここ『茂る若草』亭もその一つだ。
構えこそ真新しいが、佇(たたず)まいにはなぜか年季を感じさせる。あえて古い木材を使ったようで、黒光りする床や壁は落ち着かせる雰囲気を醸(かも)しだしていた。香ってくる独特の匂いが、僅(わず)かに緊張を纏(まと)わせる。
昼日中だというのに三割ほどが人で埋まっている一階酒場。その入り口に程近い卓のひとつを、年配の男女三人が囲んでいた。
空にした木製のジョッキを卓に置きながら、鷲鼻(わしばな)まで赤くした小男が話の口火を切る。
「やっぱり『国誕祭(デュクロス)』の最中だな、なにかあるとすりゃあ」
眠そうな眼をしたガルボの言葉に、対面に座したガゼスは開いていた本をパタンと閉じた。体格のよい彼が持つと、厚みのある辞典ですら掌の中に納まってしまう。彼は鼻の上の小さな眼鏡を押し上げてから、きれいに剃り整えられた顎鬚を撫でさすった。
「ふむ。毎年の事とはいえ、やっかいなことだ」
「だからって止めるわけにもいかないわさ。みんな楽しみにしてるさね」
吸った煙を吹きつけながら、肉付きのよい小金持ち風の中年女(ナフス)が応じる。強い訛(なま)りが濃い化粧になぜか馴染んでいる彼女は、卓の上をたゆたう紫煙が宙に溶けるまで眺めてから、指で挟んだ紙巻煙草を再度口に咥えた。
『国誕祭(デュクロス)』。
ディスクロードの建国を祝うこの祭の最中、都市の人口は遠方からの来訪者により倍にも増え、年を通じても最大級の賑わいと興奮に包まれる。
通りには異国の珍品を扱う露店や軽食を供する屋台が並び、広場では種々の酒が振舞われ、旅芸人たちの歌や踊りが人々を楽しませるのだ。
また、騒乱の街に相応(ふさわ)しく、往来には絶えず馬車ほどの、時にはそれを上回る大きさの魔獣が走り抜けていく。
駆逐(くちく)した人外の外皮を用いて造られた剥製神輿(シュラフ)が。
区画ごとに担ぎ出されたそれは、『国誕祭(デュクロス)』の期間中、街の至るところを駆け巡り、人外の脅威と人間(ユージス)の勇猛さを知らしめて廻る。それ単体では国より長い歴史を持つ、『魔討宴』と呼ばれる催(もよお)しだ。
だが、『国誕祭(デュクロス)』最大の見物といえば、修練場で行われる魔獣戦『勇猛祭』だろう。趣(おもむき)の異なる五種の戦いは、いずれも魔獣との真剣勝負。常日頃人外を目にしている者が見ても、珍しくも恐ろしい命のやりとりは、人々の恐怖と好奇をかきたててやまず、その様は毎年吟遊詩人(バード)や芸術家(アート)たちの題材としても扱われている。
祭が行われる三日の間、街は常にない熱狂に包まれる。当然、その混乱に乗じて騒ぎを起こそうとする輩も多い。
「例年よりも偉いさんに関する情報(ネタ)の動きが多くてな。まあ、まだ安いモンだが」
祭にかけても情報屋らしい感想を吐きながら新たなジョッキを傾けるガルボに、慣れた調子でナフスは問いかけた。
「得意先のは?」
「当然ある。引っかかってない方が少ないぐらいだ。報告はいれておいたが、もしかすると他所に回さにゃならんかもしれん」
斡旋所(ポート)には仕事を担当する区画の他に、懇意(こんい)としている個別の顧客というものもある。要請があれば優先的に人を手配するのだが、『若草亭』がディスクロードでも最大規模を誇ってはいても、人手自体が足りなくなる状況では仕事の引き受けようがない。
もっとも、そんな状況に陥(おちい)る事態など、あまりに考えにくいことだが。
ナフスは少し呆れてみせる。
「そりゃまた随分さね。撹乱(かくらん)じゃないのかね?」
「可能性は高そうだな。問題は、なにを隠そうとしているのか、だが」
応じたガゼスの硬い声。二人の放つ雰囲気は若干の深刻さを滲(にじ)ませていた。
卓を囲んだ三人の中で、情報をもたらした当人だけが軽いままだ。
「そんな難しく考えるない。お得意さんとこの護衛なんざ、毎年のことだろう?」
飽きもせずジョッキを空けては、追加を頼むのに余念がない。
「悪くったって人が死ぬ程度のこった。最悪でも街が壊滅するぐらい、ここじゃよくあることじゃねーの」
緊張感の欠片もなく、酒を飲み続けていた。
「そうそうあられてたまるか、そんなこと」
深く息を吐くガゼスに向けて、ガルボは酔い払った笑いを返す。
呆れたままの表情で、それでもナフスはいつものように紫煙をくゆらせていた。
「ま、そっちは他に頼むことになるかもしれないとしてさ。祭の最中の街衛はどうしようかね」
「所属の者で持ち回りだろう。『国誕祭(デュクロス)』の最中だからこそ減らすわけにもいかない」
人外の存在が人の定めた祭に合わせて休日をとるわけもなく、街がごたつくその間の街衛(がいえい)は、むしろ常より重要なものとなる。
だが、それを行うのも人間なわけで。
「そりゃそうなんだけどさ。誰もやりたがらない時間帯もあるわさね」
「む……『勇猛祭』か。我々としても後学のために観戦しておきたいところだな。では、今から一番最初に……」
ガゼスが提案しかけたところで、店の扉が大きく開いた。賑やかな会話とともに。
「ちぇー、いい曲ができそうだったのになー」
「リュートを掻き鳴らすな。それのせいであの女の子に逃げられたんだぞ。あと一押しだったってのに」
「ナンパもすんなっ。お前ら、少しは真面目に……え?」
話しながら入ってきた三人の、先頭の一人が動きを止めた。
自分達に向けられた、重鎮(じゅうちん)二人の視線に気づき。
「な、なんすか?」
問いかけには応えずに、ガゼスとナフスは頷(うなず)きあった。
「店に来た者に任せる、ということで」
「異議ないわさ。じゃ、あんたら、頼んだわさ」
「だから、なにをですかー!?」
叫ぶ若者に拒否権はない。
斡旋所(ポート)ではこのように、日々の仕事が振り分けられていくのであった。
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最終更新:2009年12月13日 03:06