2008.05.01 19:43
野良(--)
――1――
ホール
四階分の吹き抜けを持つ広大な広間。灯りの落ちたその場所は、
さび
寂れた薄闇に満たされていた。
へんせん
動くものはなにもない。時代を語る刀剣武具も、美の変遷を伝え
る像の群れも、王家を飾ってきた宝具美具も、写実極まる絵画の数々
あまた
も。展示された数多の宝は当然のごとく、何一つ動かない。
聞こえてくるのは靴音だけ。見回りの兵が刻む規則正しい低い音
かす こだま
が、微かに木霊して響く。
それも徐々に離れ行き、遂には聞こえなくなった。
女は止めていた息をゆっくりと吐き出すと、潜む闇から這い出で
かたわ
た。傍らの男も、また同様に。
王立美術館の四階部。秘宝を飾るその階に、二つの影だけが動い
ていた。
小さく安堵する息を背中で聞き、女は少しだけ笑みの声を漏らし
ていた。音もなく見張りの二人を落とした者が、なにを臆している
のだろうと。
それを聞き止めたのか、背に刺さる視線が鋭さを増す。不機嫌に
答えるように女は振り返った。黒い覆面ごしにもわかる表情は、喜
ガラス
びを隠さぬ満面の笑み。そのまま、手がけていた丸い硝子の陳列器
を音も立てずに持ち上げる。空いたもう片方の手は、そこに収めら
れていた拳ほどもある真珠を、無造作に掴み上げていた。
「問題ないか?」
「当然。この程度なら楽勝よ」
心配する声に気安く答え、同じ黒ずくめの男にそれを手渡しなが
ら、女はその部屋を出た。通路には居並ぶ扉と同じように、物言わ
ぬ二人の見張りが変わらぬ姿で転がっている。巡回の兵が気づくま
で、まだまだ時間はあるはずだ。
確信を抱くと同時に、女は新たな扉に取り掛かっていた。
「おい?」
「なにビビってんの。あと二つぐらいイケるって」
「で、でもな」
「王立美術館を漁る機会なんて、こんな時でなきゃ二度とないわよ。
稼げるときに、稼いでおかないと、ねっ」
数度の言葉を交わす間に、女は前にした扉を開けていた。魔導の
錠すら苦労もなく、鍵を差しこむような手軽さで。
そのあまりの手際のよさに説得を諦めたのだろう。男は肩を盛大
に落としながらも、開いた扉の前で気配を殺しての警戒を始めてい
た。
うれ
後ろの憂いをきれいに晴らし、女は室内の宝を見る。
「さて、と……」
ダガー
そして、言葉を失った。ガラス硝子球の内に置かれた、銀の短剣
のその魅力に。
かたまり
決して美しいものではない。全体の銀はくすんだ色で、塊から削
りだしたままのよう。刀身も鍔も柄も一体で、装飾すらまるでない。
ぞうけい ぶこつ ためら
人外の魔物ですら手にせぬであろう造詣は、無骨と呼ぶ事すら躊躇
われた。
にも関わらず、目が離せない。魅入られていると言ってもよいだ
ろう。その魅力は魔の力によるものではなく、故にますますの妖し
さを感じさせる。
ロッド
それを自覚しながらも、女は腰の短竿を抜いていた。その柄根に
は エグザイラ
嵌まる赤い石、呪換石を台座に向けて。
リ・サーチ
「“解析”」
トリガー つぶや マギウス
起動音の呟きに魔石が応じ、女の意識を拡大させる。直面した状
ガラス
況に、第六の感覚が吐き気にも似た不快感をもたらしてきた。硝子
球を台座ごと覆う、魔導の技が張る力のせいだ。
シール アラーム パラライズ
「“封印”と“警報”、それに“麻痺”か。さっきのと同じね」
こころ
それは、先に試みた二つから感じたものと同じ感覚。余裕の軽口
しか
を叩きながらも、女は気を緩めはしない。不快に顔を顰めながらも、
すでに機構的な錠は外していた。
本番はここからだ。
まずは覗きこんでくる心配そうな気配に、振り返らぬまま応えて
みせた。
「大丈夫だからしっかり見張ってて。少しは信頼しなさいよ」
「わかってる。急げよ」
いさぎ
答えは短く、潔い。相変わらずの過剰な心配だが、それも決して
気を悪くさせるものではなかった。
アンプ
少しだけ緩んだ緊張を再び深く集中させ、女は触媒を取り出した。
右手の指間にそれぞれ一つ、合わせて三つの結晶体を。
それは女の意思に従って、熱を持たない青火を放つ。
ワーズ、レット。ヴィギン
「“三つ持ち、刻め。創鍵”」
紡がれる呪の音と共に、火は炎にへと変じていた。青い揺らめき
は魔を育て、心的な形を変えていく。
こころ
精神を蝕む不快な想いを、少しずつ消していくように。
キー
異なる三つの術式に対し、同時に“鍵”を組み上げていく。ゆっ
くりと、正確に、細心の注意を払い続けて。
緊張を保つ守りの術は、グラスに満ち満ちたワインに似ていた。
こぼ
触れれば、揺らせば、息をかければ零れてしまう血の色を、落とさ
ぬように減らしていく。
綿の糸で吸うように、少しずつ、静かに、だが確かに。
喉の渇きを覚えても、決して焦ってはいけない。一つ目、二つ目
が終わっても、三つ全ての鍵を創りあげても。
こころ キー
精神の内に生まれた“鍵”を右手に宿す。そして、台座の下にそ
み
れと霊える、不快感の源である呪力へと、ゆっくりと近づけていっ
た。
わず
心によぎる僅かな不安を、自信と覚悟で振り払う。
最後の一手は一息に。
弾けるような感覚は一瞬。
不安はこころ精神を侵していた不快感と共に、流れるように消え
ていた。
それでも、集中は切らさない。
おさ
頭の中のざわめきが治まるまで。
そして、消え去った後もまだしばらく。
「……おい、終わったか?」
不安げな問いかけに答えることで、作業はようやく終了する。
「……楽勝よっ」
女は爽やかな声と共に、親指立てた右手を後ろへ向けていた。
「あんまり冷や冷やさせるなよ。さあ、そろそろズラかろう」
「なに言ってんの、これからじゃない。この調子ならあと三つぐら
い……」
ガラス
返ってきた安堵の想いに応じ、外した硝子球を持ち上げる。
途端、背を寒気が貫いた。
いや、それは体の中から響いた音。頭を内から殴られたような衝
撃。
ダガー
気がつけば、前にした短剣が消えていた。
視界の左半分と共に。
「え……?」
考えるより先に手が動いていた。
闇に閉ざされた左の目を確かめようと。
そこに触れてようやく悟る。
ダガー
手に取るはずだった銀の短剣が、自分の眼球を貫いていた。
「ひっ……ぃ、あああああああああああああああ!?」
途端、絶叫が響き渡る。
ほとばし
だが、自分の口から迸っているはずの悲鳴の声が、女には他人の
もののようにしか聞こえなかった。頭の中には痛みではなく、混乱
ダガー
の想いだけがある。確かに罠は外したはず。何故、この短剣が自分
に刺さっている?
答えは奇妙にすんなりと、頭の中に浮かんでいた。
外からの力でないのなら、これは自らの力で自分に突き刺さって
きたのだと……。
「ラ……っ」
呼びかけようとした男の声が、その途中で止まっていた。近づい
てくる無数の気配に遮られるように。
「なんだ、今の声はっ」
「ここから聞こえたぞ……?」
「おい、お前ら、どうしたっ。おいっ」
満ちていた静寂は、瞬時に喧騒へと変わっていた。乱れた足音は
たやす
多くはないが、容易く打ち倒せるものではないだろう。
その結果を、女には見届けることは出来なかった。痛みのままに
抱えられ、残る視界も埋められてしまったから。
「あっ、グ……」
「もう少しだけ、我慢してくれ……っ」
恐慌に震える女を抱え、男はその場を離れていった。揺れ乱れた
薄闇の大気も、撒き散らされた血もそのままに。
「おい、陳列室が破られてるぞっ」
「こっちに……な、誰だ、お前たちは!」
「待てっ。くそ、逃がすなっ。追え!」
騒乱は一際高まり、そして急速に冷めていく。
後にはただ血の跡と、空の台座が残るだけ。
逃げ去った二人も、駆けつけ追っていった兵たちも、そこに刻ま
れた文字には気づかなかった。
ダガー
置かれていた短剣のその由来。『刃の王』の心臓より抜き出され
たものであるとの、信憑性のない一文には。
水上 える
この行がえはあれですか、ふりがな乗っけるためですか。
副題ないのー(・∀・)?05/02 02:27
野良(--)
ルビと読みやすさのためなんだけど、逆効果かな? 字が小さい気はするんだが。
副題はない。あった方がいい?05/02 20:03
最終更新:2010年03月17日 02:37