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――3――

2008.05.02 21:14

野良(--)


            まぶた                    のうたん とうえん
 ゆっくり開いた瞼の下から、丸い瞳が現れる。濃淡の橙円が重なっ
                                         まばた
た、輝く宝石のような瞳が。上下左右に動いても、数度の瞬きを経

た後も、やはり変わらずそのままに。

 不審の想いに傾きながら、それを少しずつ離していく。見えてき

た細い眉も、低い鼻も、少し張りでた頬も、以前とまったく同じ形。
     ダガー
 銀の短剣に貫き潰された痕跡など、傷の一つも残ってはいない。

 橙色の短髪を整えながら横顔を眺め、鏡に映った己の姿がなにも

変わっていないことを確かめると、ラディールはその顔を後ろへと

向けた。

「やっぱりなんともないみたい」

「そんなわけないだろ」

 だが、安心させようとした軽い言葉は、男の抱いた不安にはなん
                                かぶ
の影響も与えなかったらしい。ギルバートは被さらんばかりの勢い

でラディへと歩み寄ると、その頬を両手で挟み、顔を覗きこんでい

た。

「本当に、大丈夫なのか? あんなに血が出ていたのに……」

「大丈夫だって。あた、ててて」

 上へ下へと振り回され、右へ左へとこねくり回される。だが、ラ

ディは表情を歪めながらも、ギルを突き放そうとはしなかった。心
                     まなざ                   つくろ
配してくるその想いが、青い眼差しから知れたからだ。身を繕う余

裕も見出せなかったのだろう。その顔は、日頃であれば手入れを欠
        あごひげ
かさぬ髪も顎髭も、心と同じく乱れたままで。

 ラディには、それが素直に嬉しかった。
   しき
 一頻り撫で回し、ようやく納得したのだろう。ギルは安堵の溜息

と共に、ラディの顔を開放した。

「……よかった」

「大丈夫だって言ったじゃない。まったく、顔が伸びるかと思った

わ」

「ああ、すまない。しかし、本当によかった。わかってはいたんだ

が、やっぱり大したもんだな。ラディの治癒術は」

「えーっと、うん。それはまぁ、使ったんだけどね……」

 ギルが自らの魔術に対して抱く絶大な信頼に、ラディは小さく頬
                                           ヒール
を掻いていた。美術館から逃走した後、負傷した目に自ら“治癒”
                  ウェルト      アカデミー
を施したのは確かだが、修術士の身で魔導学院を離れた己の力をラ

ディは正しく理解している。自己の治癒力を高めるだけという初歩

的な術式で、潰れた眼球を再生できるはずなどないのだが……。

 思い出したおぞましい感覚に、ラディはそれ以上考えるのを止め

た。ようやく落ち着きを取り戻したギルに、また新たな不安を抱か

せる必要もないだろうと。

 なにしろ、大仕事をやり遂げた後なのだから。

「それよりもさ、お宝よお宝。さっさと換金してこよう」

 一つの安堵を覚えた今、ラディの興味は盗み出した宝にこそ向け
                  ベッド
られていた。座りこんだ寝台の上で、投げ出されていた荷の中から、
  かたまり        ほど
布の塊を取り出し、解く。中からは目を見張るほど大きな真珠と、
きら      ネックレス
煌びやかな首飾具が転がり出てきた。
                                     ダガー
 逃走の途中で落としたのか、最後に手がけた銀の短剣だけは失っ

ていたが、それもさほどは気にならない。

 殺風景だった部屋の中が、それだけで華やかになったような錯覚

に、ラディはにやける口元を隠す気にすらならなかった。

「ぬっふっふ。いやぁ、さすがはコードネルの王族様が秘蔵してた

だけのことはあるわぁ。この真珠、この光沢と大きさで天然物よ? 
                                ネックレス
他の土地じゃ考えられないわよね。こっちの首飾具だって見事な造

りだわ。銀てのがちょっと地味だけど、周りの宝石だって完全に揃っ

てるし。歴史的価値ってやつも高いんじゃない? 宝石商でも古物

商でも、裏でならいくらでも買い手がつくでしょ。貸しもたっぷり

あることだし、まずはバックスのところにでも持っていってみる?」

「無茶言うな。街はまだ大騒ぎの真っ最中だぞ」

 一人盛り上がるラディの様を前に、ギルは深い息を吐いていた。
                             けねん
言われて現状を思いだし、次いで更なる懸念が募る。

「え? もう手配されたの?」

「いや、それは、どうかな……俺も出てきたわけじゃないし」

 返された言葉は、考えてみれば当然のことだった。王立美術館か

ら脱出した後、単身での奮闘により追手から逃げ切ったギルは、今

の今までラディの身を案じる事に心を砕いていたのだから。

 幸いなことに、まだまだ元気そうだ。

「それじゃ少し調べてこようか。お腹も空いたし」

「なに言ってんだっ。大人しくしてろ」

「だって……」

「だってじゃない。傷は治ったのかもしれないが、あんなに血を流

してるんだぞ。まともに歩けるかどうかも怪しいもんだ。しばらく

は大人しく寝てろ」
                                わず
 日頃は従順なギルにしては珍しく、声には僅かな怒気が混じって

いた。ラディにしても自覚はあり、いつもの過保護だとはさすがに

言い返せない。

 それでも、言われっぱなしは性格が許さなかった。
                                      トレース
「わかったわよ。血も残してきちゃったわけだし、“追跡”の対策

でもしてるから。はい、これ」

「ん、あ?」

 立てかけてあった釣竿を手に取り、ギルの顔先に突きつけて、反

射でそれを握らせる。呆然とする様に構うことなく、ラディはその
    ま
まま捲くし立てた。

「情報買ってきて。ついでにお昼もね。パスタがいいわ。シンプル

なポルカッソ」

「お、おい」
              みつくろ
「だからって適当に見繕ってこないでよ。パスタは手打ちの生、蛇
                                          シェゾ
肉は脂の少ない本場ポルカッセ産以外は認めないからね。貝醤は断

然パノアよ。海草も同じところの方がいいんだけど、まぁそこまで

わがままは言わないわ」

「……十分わがままだぞ」
                                              ゆず
「でもワインはコードネルのね。国じゃなくて島よ、島。これは譲

れないわ」

 語る内容はいつもと同じで、返される反応もまた同様。ギルは溜

息を吐きながらも、小さな笑みでその要求を呑んでいた。

「わかったわかった。買ってくるから大人しくしてろよ」

「もっちろん」

 ラディの目を気にもせず、ギルは着たままでいた服を替えていく。

闇に紛れるための黒装束から、ゆったりとした無地の衣に。袖口裾
           ベール           ベレット
口を紐で絞り、面紗を畳みこんだ紗打帽を被った姿は、どこから見

ても健全なコードネルの民だ。街の裏にも表にも、違和感なく溶け

込めることだろう。諜報に際しては文句のない姿を前に、しかしラ

ディは少しだけ口を尖らせていた。これが変装などではなく、彼の

日常の服装であることに。

「地味だわ」

「ラディが派手すぎるんだ。釣り合いがとれててちょうどいいだろ」
  ぶぜん    つぶや
 憮然とした呟きに返された苦笑は、投げ出されている彼女の服に

へと向けられていた。着れば腕、腹、脚も剥きだしとなる南方風の
ソフト・レザー しゃれ こだわ
柔革衣は、洒落に拘るコードネルの風潮に当てはめても随分と奇抜

なもので。

 だからこそ意味があるのだ。

「悪党は悪党らしくしないとね。この商売、相手にナメられたらお

終いよ」

「わかったわかった。でもしばらくは大人しくしてろよ」
      フード
 短い帽頭衣と釣竿を手に取りながら、ギルの言葉は子供を相手に

するようで。反射的に返そうとした文句の声は、しかし、開閉する
   きし
扉の軋みに掻き消されていた。

「ん、もう……」
       は                ベッド                  スラム
 不満の捌け口を失い、ラディは寝台に寝転がった。狭く汚い貧民街

の一室も、上を向いてしまえばそれほど気にもなりはしない。見え
 モルタル
る膠泥の天井は壁同様に一部が欠け、隙間から砕け損ねた貝を覗か

せている。開け放した窓から香りくる仄かな潮と料理の匂いとも相

まって、ラディはようやく日常に戻ってきたのだと実感した。闇の
                       つぶや
中で覚えた痛みもようやく薄れ、呟きも次第に音をなくしていく。

脱力した顔には自然と笑みが浮いていた。

 ラディがギルと盗賊稼業を営みはじめてから、もう二年の月日が

経つ。成功も失敗も多々あったが、こんな日々のやりとりだけはそ
                                           わがまま
の頃から変わっていない。自分でも自覚している意味のない我侭に、

ギルはよくもつきあってくれている。子供をあやすような言い草も、

今ではかけがえのない日常だ。

 想われる幸せを、ラディは静かに噛み締める。

「ホント、物好きな男もいたもんよね。まぁ、アタシも人のことは

言えない、か……?」
    つ ぶや            きし
 そして呟いていた独白を、軋む音が遮っていた。

 古い扉の鳴く音が。

 ギル? と問いかけようとして、ラディはその言葉を飲みこんで

いた。彼ならばこんな密やかに戻りはしない。ギルは卓越した剣の

使い手ではあるが、その気配ならラディには壁越しであっても察す

ることができる。

 だが、近づいてくる足音には、気配そのものが感じられなかった。
           たか                   ダガー       ベッド
 一呼吸の間で昂ぶる緊張に、自然と枕元の短剣を握る。寝台の上

で膝立ちに構え、即座に飛び退けるように。

 瞬時で可能な臨戦の態勢を整えた直後、それは無音で入口に姿を

現した。



 大剣を杖にして立つ少女が。


               ぼろ
 まと纏った灰色の襤褸の上、流れる長い髪は銀。顔の左はそれに

隠れて見えなかったが、その異常さは残る半分からでも十分に知れ

た。
                               ユージス
 感情のない顔の中、氷のようなその瞳は、人の身にはありえぬ銀

の色であったからだ。
                          ウェーブ・ソード
 手にしているのは波打つ刃。大型の波刃剣はフランベルジュと呼
         フレイア
ばれる、『火の女神』第一の魔剣を模したもの。少女は身丈を遥か

に越えるその剣を、刃を握ることで支えていた。

 鈍い銀色の左の手で。

「だ、誰よ、アン……」
           すいか
 思わず発した誰何の言葉は、しかし最後まで告げる事ができなかっ

た。

 少女の接近の、あまりの速さに。
             ダガー           いと   てい
 ラディの向けた短剣が刺さることも厭わぬ体で、表情のない顔が

眼前に迫る。

 針のような髪の中、間近でみた少女の顔の半分は、鈍い銀色に侵

されていた。

「あ、な……」
                モノ
 さらに近づく異質の存在を前に、しかし体は動かない。恐怖とい
    きょうがく
うより驚愕に、あるいは、別のなにかを期待して。

 目の前に、小さな口が迫っていた。色薄く生気のない唇が開き、

覗く歯列と赤い舌。突き出されるその本質は、唾液に濡れたうごめ

蠢く肉だった。膨らみ、縮みを繰り返す様は異様なほどに生々しく、

生の醜さを思わせる。

 だが、そう思っている暇すらない。

 凍りついた思考の中、見えるものだけを見ていた目が、

 つい先程、無事を確かめた左目が、



 その赤い肉に包まれていた。



「……っ!?」
                                おぞけ
 目が感じた柔らかさに、味わった事のない怖気が全身を襲う。

 熱くもなく、冷たくもなく、それはゆっくりとラディの眼球を嘗

め回していた。

 左右で重なる視覚が見るのは、肌の白と肉の赤。そして、時折よ

ぎる唾液の跡。
         そしゃく                            おぞ
 体を丸ごと咀嚼されているような錯覚に、思考を埋めた怖ましさ

は、しかし次第に麻痺していく。

 そして新たに自覚する、諦めとも異なる感覚は、身を委ねる安堵

と、快楽。

 それは今までのなによりも、ギルに抱かれた時よりも、深く強い

甘美なもので。



 思った瞬間、烈火の怒りが爆ぜていた。


          おぞけ
 思い出した怖気のまま、ラディは少女を突き放す。

「っ、のっ!」
                       ダガー
 その勢いを殺さずに、握った短剣を突き出していた。低い位置か
  ためら      ぞうふ  えぐ
ら躊躇いなく、臓腑を抉る勢いで。
    かわ
 それは躱すことも防ぐこともできぬ間で、少女の腹を貫いていた。

肉に刃が埋まる確かな感触に、ラディは更に捻りを加える。

 必殺の手応えに浮かびかけた笑みは、しかし直後に凍りついてい

た。
                                  まなざ
 伝わってこない脱力の気配と、冷たいままの眼差しに。

「な……」
       ダガー
 刺した短剣もそのままに、ラディは後ろへと距離をとっていた。
ベッド 
寝台から転がり落ち、壁に背をつけながら、それでも前からは目が

離せない。

 少女はただラディを見ていた。腹の傷を気にもせず、起きる変化

に任せたまま。
           ダガー
 突き刺さった短剣はゆっくりと、その刀身を縮めていった。自ら

がつけた傷口に飲み込まれていくように。

 その変化はささやかな、そして息を飲む間の出来事。
           まばた
 ラディが一つ瞬いた後には、柄ごと完全に消えていた。

「な……なんなの、アンタ……」

 新たに覚えた今更の恐怖に、改めて問いただ質す。

 聞こえてきた少女の声は、見た目通りの幼げな、抑揚のない響き

のもので。

「確かに王。でも、まだ完全ではない」

 そして、ラディの問いに答えてのものではなかった。瞳と同じ冷

たい声は、自らに確かめるような言い草で、ラディの混乱に拍車を

かけるばかり。

「お、王? 完全って、なにが? アンタ、一体なに言って……」

 告げた更なる問いかけにも、結局答えは得られなかった。

「ラディ!」

 蹴り開けられた扉の音、飛びこんできた叫びに遮られて。
                  ためら
 ギルは前にした状況に躊躇いの欠片も見せず、背に忍ばせていた
ショート・ソード 
小剣を抜き放ち、銀の少女に斬りかかっていた。
                           しりぞ かわ
 宙を歪ませる一刀を、少女は難なく退き躱す。手にした大剣の重

さを思わせぬ緩やかな跳躍は、そのまま窓へと達していた。

 足を止めたのは一瞬で、残す言葉も一つだけ。

「目覚めを、お待ちしております」
                                 ちゅうちょ
 次の瞬間には再びの跳躍により、窓の外へと躊躇もなく、少女は

その姿を消していた。

「なっ? ここ、四階だぞっ?」

「それで死ぬならありがたいわ……」
                                 つぶや
 慌てる言葉に答えるように、ラディは思わず呟いていた、吐き出

された心からの想いに、追おうとしたギルも動きを止める。掛けて

くる声には心配と、同じぐらいの疑問がこめられていた。

「ラディ? 一体なんだったんだ。あいつは?」

「知らない、知らないわよ。アタシは、あんな奴知らない……」

 だが、答えられるはずもなく、ラディはただ震えていた。思いだ
      おぞ                           ゆえつ
す恐怖と悍ましさ。そして、その中に垣間見えた愉悦の想いに。

 左目が、歪む。

「ラディ……大丈夫だ。俺が守る。守ってみせる」

「ギル……」

 身を包む温もりも、震えを止めてはくれなかった。むしろその温

もりこそが、胸の痛みを深くする。

 それでも、側に居てくれることがありがたい。
                                         すが
 抱かれるがまま、締めるがままに、ラディはギルの胸に縋り続け

ていた。




野良(--)
うーん、これは我ながらひどい。
倒置と強調を使いすぎだな。
自分で読んでてもうっとおしいわ。
いつか書き直します。05/02 21:15
最終更新:2010年03月17日 02:42
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