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――5――

2008.05.05 23:43

野良(--)


 うっそう
 鬱蒼と繁る密なる森を、薄い月光が照らしだす。闇の中、人の手
    はぐく
によって育まれてきた物言わぬ木々たちは、どこか墓地めいた寒々
   たた
しさを湛えていた。
           こずえ  ふくろう   ささや
 聞こえてくるのは虫と梢、そして梟の静かな囁きだけ。他に響く

音はなく、気配もまた伝わってこない。森に住まう獣のものも、追

跡してくる人のものも。

 同じ見解に達したのだろう。周囲を警戒していたギルも、ようや
               わず           アーク
くラディの隣に戻ってきた。地の僅かな隆起を背に、手にした呪符

を起動させる。
  ロブソルト
「“気配遮断”」

 力をひ弾く音と共に、弱い風が周囲を抜けた。後にはささやかな
                      わず
違和感と、それを掻き消す場が残る。生の気配を僅かに薄める警戒

の術は、弱いが故に悟られにくい。

 それでも消えぬ不安と恐怖に、ラディは手を動かしていた。隣に

座ったギルの腕を、絞るように固く握る。

「ラディ……」
                           フード
 心配そうな呼びかけに、返せるものは震えだけ。敷かれた帽頭衣

は確かに薄いが、それは地の冷たさのせいではない。
                        マント
 わかっているだろうに、ギルは荷として丸めていた外套を広げる

と、ラディの上に被せていた。

 自身を一緒に包みこんで。

「ギル……」

「寒くはないか? 温かくはなってきたが、夜の森じゃまだ冷える

からな。火が焚ければいいんだが、さすがにこの状況じゃ贅沢も聞

いてやれない」

 語りかけてくる声と言葉はいつもと同じ、気を使わぬ柔らかなも

のだった。

「せめて濡れた服ぐらいは乾かしておくか。まったく、いくら非常

時だからって堀から海に抜ける逃走路なんてのはもう二度と使いた

くはないな。おまけにあの手際の悪さでバノワ銀貨が三十枚だと? 

まったく、人の足元見やがって。あんなのに手を借りる事になろう

とは、俺たちもヤキが回ったもんだ」
        じょうぜつ
 それでも珍しい饒舌と軽快は、やはり案じてのことなのだろう。

そこに感じる、重ねてきた時と思いの強さと温かさに、ラディは少

しずつ表情を取り戻していく。

「セルバラックにはしばらく戻れないな。足がつくのも時間の問題

か。まぁ気にすることもないさ。デカい街なら他にもいくらでもあ

るし、なにしろあの状況だ。ケンカの一つや二つにいつまでも手を

割きはしないだろう」

「……そうね。追手の方は、そんなに心配してない……」

 だが、発した声はそれでも重く、言葉にするだけで暗い想いは深
                 たずさ
さを増していた。それは、ギルが横に携えた、真新しい剣を見るこ

とでも。
                           せきがん
 我知らず顔を押さえ、思いだすのは赤と銀。刃獣が宿した赤眼と、
      にじ       しろがね
自らの左眼に滲んでいた鮮やかな銀。

 そして、より古い記憶だった。





                 ウェルト
 それは数年前の記憶。ラディがまだ修術士であった頃の出来事。
アカデミー ウィザード       けんさん
魔導学院で魔術師にへと至るため、研鑽を積んでいた日々の話。
      ひね
 厳しい師に捻くれた同輩。嫌味と妬みが渦を巻き、それでも重ね

た修行の時は、今でもラディの心の中で宝石の輝きを放っている。

 例えヒビ割れていたとしても。

 友が、禁じられた力を求めた理由を、今はもう覚えていない。白

く焼けた脳裏には、ただその痕跡と末路だけが深く刻まれ残されて

いる。
     かいじん
 それは、灰燼と化した魔導の塔。
      がれき
 赤く濡れた瓦礫の山。

 後に生の気配はなく、残されていたのはただ一つ。



 友の欠片たる眼球だけだった。


            まなざ       いま
 その眼が向けてきた青い眼差しを、ラディは未だに忘れることが

できずにいる……。






「……ディ、おい、ラディっ」

「ギル……」

 呼びかけ覗きこんでくる瞳は、その時とよく似た水の青。
    うらや
 憧れ、羨み、弱さを知り、そして、助けられなかった友の色。

 それを、もう二度と失いたくはない。

 だから……。

「ギル……ここで、別れましょう」

 与えられた温もりを、手放そうと決意した。

「……なんだ、いきなり」

「アンタも見たでしょう。あの、刃の獣を。アレは、アタシがやっ

たことだわ。アタシの、この左眼が」

 下町で起きた騒動の原因を、ラディは正しく理解していた。刃の

獣が向けてきた、絶対服従の確かな意思を。

 人の身では制しきれぬ強大な力が、この左眼には宿っている。そ

れは、魔導の道を捨てると決めた、あの時以上の恐ろしい力だ。

 そんなものに、ギルを巻きこむわけにはいかない。

「だから……っ?」
                       ふさ
 だが、別れを告げようとしたその言葉は、途中で塞ぎ止められて

いた。

 抱きすくめる二本の腕に、顔を胸に押しつけられて。

「ギ、ル?」

「ふざけるな。俺はお前と一緒にいる。なにがあろうが、なんと言

われようが」

「で、でも……」
 よど             わず           まなざ
 澱みのない言葉のまま、ギルは僅かに身を離し、その青い眼差し

を返してきた。

「お前に救われた命を、俺は、お前のために使いたい」
            いつわ
 それはあまりに真剣で、偽りのない純粋な想いと一目で知れて。
     わず           もろ
 頬に上る僅かな熱に、悲壮な決意は脆くも崩れ散っていた。

「ま、まだそんなこと言ってんの? あれは本当に、ただの気まぐ
                            ヒール
れみたいなものだったんだってば。命を救ったって、初歩の“治癒”

を使ってあげただけじゃない」

「それでもいいんだ。俺は、お前と一緒にいたい」

「バ、バカっ。なに恥ずかしいこと言ってんのよっ」

「う、うるさい。俺だって恥ずかしいんだ。少しぐらい我慢しろっ」
                 むつ
 日頃は気さくな間柄ゆえ、改めての睦まじさが気恥ずかしい。そ

れはギルも同じようで、高まる熱すら伝わってくるほど。
         ののし                やくたい
 だが、意味のない罵りあい、赤らんだ顔同士で交わされる益体も

ない怒りの応酬は、すぐに笑いあう声へと変わっていた。それもま
  はぐく
た、育んできた繋がりが与えてくれたもの。

 ……やはり、失いたくはなかった。

「……本当、物好きな男よね。アタシと一緒だと苦労するわよ?」

「それはもう十分よく知ってる。覚悟はしてるさ。いや、諦めてる

と言ったほうがいいか」

「なにおぅ?」

「ま、まあ、その力だってどういうものか詳しくわかってるわけじゃ

ないんだろ? 調べてみれば意外と簡単になんとかなるんじゃない

か?」

「……そんなことはないと思うけど、まぁ、調べなきゃわからない

のは、確かにそうね」

「どっちにしろ場所は変えないといけないしな。ほら、ラディの知
    ウィザード
り合いの魔術師がいたじゃないか。まず彼女のところに行ってみる

のはどうだ」

「メリーに頼むの? ……うーん、この状況じゃ、仕方ない、か……。

他に手を貸してくれそうな奴も思い浮かばないし……でもなぁ、あ

の変人に借りを作るのは……」

「盗んだ宝も金に換えよう。外の方が高値で売れるぞ、きっと。足

もつきにくいだろうしな」

 小さな悩みも嫌うように、ギルは声を弾ませていた。それも全て

は気遣いの心から、ただラディのことだけを想ってのこと。
                     はかな
 ラディも自然と言葉を返していた。楽観的な儚さを、今だけは楽

しむように。

「……そう、そうねっ。仮にも王家秘蔵のお宝だもの。いい値段で

売れるわよねっ」

「そうさ。ほとぼりが冷めるまで豪遊しよう」

「うん、うんっ」
                     わがまま
「食い物も酒も選り取りみどりだぞ。ラディの我侭も全部聞いてや

るよ」

「あぁ、いいわね……。コードネルやクロッソスのワインにハムネ
 フロワ        ブラッディ
の華酒。グランディーグの血酒っていうのも試してみたいわ。肴に
           シェル・ビーン
はなにが合うのかしら? 貝豆にクアラの干物、バスケスの卵なん

てのもいいかも。でもやっぱり本場のものの方がぴったりかな……」

「デカい家立てて、日がな一日遊び倒すんだ。二人で一緒にな」

「二人で、一緒に……」

「あぁ、一緒に」

 心を沸き立たせる幻想の中で、その言葉だけは確かな望み。

 笑みを消し、しかし表情は穏やかなまま、二人は視線を絡ませる。

「俺は、ずっとラディと一緒にいる」

「ん……」
        くちづけ
 そして交わした接吻は、ほんの束の間だけではあっても、森の夜

の冷たさを忘れさせてくれた。




最終更新:2010年03月17日 02:46
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