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――7――

2008.05.06 19:09

野良(--)


――7――


「まったく、メリーのヤツ、昔からちっとも変わっちゃいないんだ

からっ」

 旧友への怒りを竿へと伝え、針を堀へと叩き落す。浮きを砕きか
      みなも
ねない勢いに水面を大きく波打たせながら、ラディはそれを気にも

留めはしなかった。片手に持ったワインの瓶を傾けるのに忙しかっ

たからだ。

 それでもさほど目立たぬのは、下町特有の活気のせいだろう。日

も暮れかけたこの時刻、主堀に沿って飲食の店が軒を連ねるヨール
                        すいちょう
ドラックの繁華街は、コードネル独特の文化に従い、酔釣の客で賑

わっていた。

 メリーの地下房から飛びだしてきたラディもまた、収まらぬ怒り

に震えながらも、日々の慣習と同じ行動を、この異なる街でも行っ

ていた。
ちょうか さんさん
 釣果は散々たるものであったが。

「ああっ、またバレたっ。ちょっとオジさんっ、この竿曲がってん

じゃないのっ」

「文句があるなら自前のを使ってくれよ。旅人さんでも自分の竿ぐ

らい持ってるだろう?」

「それは……」

 無論、ある。釣りはコードネルの民にとって日々の娯楽であり日

常の習慣だ。どれほど小さな村であっても釣掘りの一つは必ずあり、

そこを中心に営みが行われている。使う竿は自らの分身とも呼ぶべ

き存在で、手放すことなど考えられない。

 ラディにとってもそれは同じ。丹念に手入れをしてきた逸品は、

自慢の種でもあり誇りでもあった。

 だが、それも今はない。逃亡を図る身にとって、身丈を超える竿

は邪魔以外のなにものでもなかったから。

 遠く離れたセルバラックに残してきた、それが唯一の心残り。

「……いいわよ、これで。集中するから邪魔しないで」

「はいよ」

 急に大人しくなったラディに対し、釣酒場の店主は一言だけを残

して去っていた。
                あお
 ラディはさらにしばしの間、酒を呷りながらの釣へと興じる。垂

らした糸に変化はない。竿主の心を映すように、ただ波に合わせて

揺れているばかり。握る手の震えがまた、その乱れに拍車をかけて
       みなも
いるのだろう。水面の浮きは一向に引かれる様子を見せなかった。

「ああ、もうっ。全然アタリがこないじゃないっ。この堀、ホント

に魚いるんでしょう……」

「ラディっ」
 なお ばせい
 尚も罵声を並べていると、横手からギルの声が聞こえてきた。顔

を向けるより早く、並んだ人波を掻き分ける姿が近づいてくる。
 わず
 僅かに息を切らせた顔が。

「遅いっ。どこほっつき歩いてたのよ。アンタが遅いからさっぱり

アタリが……」

「行くぞっ」

「ちょ、どっ?」

 文句に対する返事もなく、ギルはそのまま駆け抜けていた。呆然

とするラディの腕をとり、半ば力で引きずって。後ろで騒ぐ店主の
                ざっとう
声を聞きとめる気配もなく、ギルは雑踏をただ走る。

 その様子は、日頃の彼からは考えられぬほどの焦りに満ちていた。

「なに、どうしたのよ?」

「街をでるぞ、今すぐにだ」

「え、ええ?」

 繁華街から遠ざかり、路地駆ける脚を止めぬまま返ってきた言葉

に、ラディは驚きをますます深めていた。今後の逃亡のためにも、
                     てはず
しばらくはこの街で必要な品と計画をまとめる手筈であったのに。

「な、なんで?」

「あの女が来ているらしい。それも、俺たちを追って」

「あの女?」

 新たな問いに答えはなく、代わりに脚が止まっていた。前を進ん

でいたギルの背にぶつかりそうになりながらも、その理由を確かめ

る。
                       ふさ
 抜けようとした細い路地の出口を、数人の男女が塞いでいた。日
            かたぎ
頃のラディと似たような、堅気には見えぬ風体が。

 向けられたにやつきの表情に、声は自然と険を含んでいた。

「なに、アンタたち? 邪魔よ、そこどきな」

「へっ、逃亡中の犯罪者がデカい口叩くんじゃねぇ」

「……は?」

「大人しくしてりゃ優しくしてやるよ? 痛いのがいいなら抵抗し

ても構わないけど。別に生きたまま引き渡せとは言われてないから

ね」

「引き渡、し?」

 だが、返された言葉の意味が瞬間では理解できず、ラディは思わ

ず隣を見ていた。ギルは驚く素振りもなく、静かに背の剣を探って

いた。

「もう俺たちの手配が回ったらしい。ご丁寧にもこの変装のことま

でな」

「そんな……」
      きょうがく
 与えられた驚愕に、ラディは今度こそ声を失っていた。自分たち

がこのヨールドラックに足を踏み入れてからまだ一日も経ってはい

ない。いくらなんでも早過ぎる。セルバラックの暗殺犯ですら、こ

こまで迅速な手配はかけられてはいないはずだ。

 次々と浮かぶ疑問の欠片を、しかし、まとめる暇すら得られなかっ

た。
   ふさ        ためら
 前を塞いだ男の一人が、躊躇いもなく斬りかかってきたために。

「ウラっ、死ねぇ!」

「チっ」

 思いのほか鋭い一撃を、ギルは逆手の剣で受ける。だが、対した

男はそれで構わぬとばかりに刃を振り回していた。乱雑ながらも高
             さば
速の斬撃は、確かに卓越した捌き。

 だがそれも、所詮はゴロツキの剣でしかない。ギルが剣の握りを

正した瞬間、勝負の決着は着いていた。

「ごば!?」

「なっ」

「リカルド? テ、テメェ!」
         しぶき
 噴き上がった血の飛沫に、残る者たちも動いていた。大小の刃物

を抜き放ち、怒りのままに飛びこんでくる。前方を埋めた突撃から

は、逃れる間が見出せない。

 それに対し、ギルは冷静を欠かぬまま、斬った男を蹴り飛ばして

いた。

「ぐおっ?」

「バ、バカっ、邪魔すんじゃ……」

「ラディっ」

「あ、うんっ」
        わず
 そして生まれた僅かな隙間、ギルが走り抜けたその後を、ラディ

もまた追っていた。まだ状況を理解しきれてはいないが、なにはな

くともその後を。

「ねえっ、さっきの話、本当なのっ? なんでっ」

「理由なんか知るかっ。実際こうして……」

「いたぞ、あいつらだっ」

「待ちやがれ!」

 問いに対する答えは結局得られなかったが、手配が回っているこ

とは嫌というほどよくわかった。

 駆ける後をついてくる一団と、進むほどに増えるその群れの姿を

見せつけられて。

 それは路地からだけではなく、進む大路や店の中、さらには朽ち

かけた家屋の上からも数を増していった。

 ここが街中だということも忘れているのか、集団は手に持つ物騒

な得物を振り回しながら、狂ったようにラディたちの後を追ってく

る。

 どこにこれだけ潜んでいたのか、押し寄せるその様は羽虫の行進

を思わせた。

「ちょ、なんなのよ、あれっ」

「知るかっ。よほどいい値がついてるんだろっ」

「……ああ、そう。覚悟はできてるんだろうから、遠慮はいらない

わよね」

 疑問を秘めたままの逃走は、いつしか不条理な怒りへと変わって

いた。
   ロッド              アーク       ためら
 腰の短竿を手早くばらし、内から一枚の呪符を引き抜いて、躊躇

いもなく力を通す。

 隣を走るギルが小さく息を飲んでいたが、だからと止める道理も

ない。
 ナパーム・ネア
「“烈華”!」
                  トリガー ひ
 走る勢いを減ずることなく、ラディは起動音を弾き放つ。
            アーク
 場に捨て置かれた一枚の呪符は、一拍分の時だけ沈黙し、そして。



 華のように炎を散らす、五階の建物を凌ぐ火柱を生み出していた。



「うおあ!?」

「だああぢいいいい!」

「ひ、火だっ、ひぃぃいいっ」

「ばっ、け、消せ消せぇ!」

 背に感じる炎熱と衝撃、そして悲鳴を聞きながら、ラディは駆け

る速度を一つ増した。続くギルもまた、同様に。

「まったく、相変わらずの無茶を」

「今回に限っては適切でしょ。敵に情けを掛けるほどアタシは優し

くないわ」

 突然の爆音と火柱に、区画が丸ごと色めき立っていた。騒動の中

心はもはやラディたちではなく、ヨールドラックの街そのものにへ

と移っている。

 聞こえてくる無数の悲鳴、走り回る街の民、堀の水を汲みだそう

とする列に、それを妨げる荷馬車の疾駆。

 人々を誘導しようとする声が乱れ飛び、結局は誰もまともに進み

はしない。それは、追っていた者たちの群れもまた。

 広がる混乱の空気の中、ラディたちは自然と大路へと向かってい

た。

 外へと至る門を目指して。
                             ロッド
 事ここに至ってはこのまま突っ切る以外に道はない。ラディは短竿
          アーク
の内側から、二枚目の呪符を取り出した。

「同じ要領で抜けるわよ」

「仕方な……!?」

「ぎゅいっ?」

 見えてきた市門を前に、さらに加速しようとした身が、後ろのギ

ルに止められていた。襟首を力任せに引くという、あまりに荒いや

り方で。

「げ、べっ、た、なに……」

 詰まった息と痛みに対し、文句の言葉は出せなかった。

 街を囲む外壁の中、一際大きな市門の前、広がる騒乱にも関わら

ず、そこには無数の兵が並んでいたからだ。
              シュート
 整列しているのは十を越える射士。見ている間に、左右の通りを
ガード    ふさ             ボウガン
衛兵士たちが塞いでいた。握られているのは石弓と鉄の棍。見るか

ぎりで刃物はないが、それは捕らえる者を気づかっての事ではない

だろう。

「これはまた、ご大層な……」

「なに、これ……まさか、アタシたちを捕まえるために?」

「その通りだ。もう少し大人しく来るかと思っていたのだがな。まっ

たく、よくぞここまでの騒ぎを起こしてくれたものだ。レディオス

の与えた試練とはいえ、貴様らにも相応の償いはしてもらうぞ」

 後ろから聞こえてきた苦々しい声に、ラディはそれまでの高揚を

一瞬で忘れていた。蘇った、恐怖と嫌悪に塗り潰されて。囲む二十
    ガード
を越える衛兵士などより、その一人の方がよほど手強いだろう。
           ひ
 振り向いた先にいる、緋の瞳を持つ女騎士の方が。

「アンタ……」

「シェリル=オスカーだ、ティニシー=キリエラ。いや、正しい名

はラディール=クリシラだったか?」

「な……」

 向けられたその言葉に、ラディは息を飲んでいた。口にされた先

の名は、この街に入る際に偽ったものだったからだ。普通、街入の

記録はその街に属する上級士官にしか閲覧する権利はなく、先日セ

ルバラックで指揮を執っていた者が安易に知れるものではない。

 いや、仮に知れたとしても、自分と結びつけるのにどれほどの労

を要するか。それをこの女騎士、シェリルはただの一日で成し遂げ
                        ガード
たのだ。自治の権が強いコードネルの都市をまたぎ、衛兵士をこう
 たやす
も容易く動かせる存在とは……。

「……アンタ、一体何者よ? なんでアタシたちを追ってくるわけ?」

「私が何者かなどどうでもよい。貴様を追っている理由は、貴様が

一番よく知っているだろう? 刃の獣を生みだした貴様が」

「っ!」
 ひ  まなざ
 緋色の眼差しが見ているものは、異質を宿した自らの左眼。容赦

のないその視線に、ラディは瞬時に理解した。

 彼女が、この左眼の力を知っていることを。

 ならば。

「知らない、知らないのよっ。だから、教えてっ。この眼はなんな

の? この力は……」

「生憎だが、そんな義理もない」

 心からの問いかけに返ってきたのは、冷たい言葉と意思だった。
                わず       かし
シェリルは腰の剣に手をかけると、僅かに体を前へと傾げ。

 次の瞬間にはラディの懐に飛び込んでいた。

「なっ……」

「死んでもらっ!?」
 ひらめ            ロング・ソード
 閃いたのは抜かれた刃。物々しい長剣は、迷いなくラディを捉え、

 横から放たれた一撃に弾かれていた。



 ギルの放った一撃に。



 押された衝撃で間合いの距離を取りながら、シェリルはその主を

見る。

「……貴様」

「確かに、お前が誰かなどどうでもいい」

「ギル……」
    ひ  まなざ
 燃える緋色の眼差しも、尽きぬ不安の声に対しても変わることな

く、ギルは剣を構えて言い放っていた。

「ラディを斬るというのなら、俺にはそれで十分だ」
         まと            ひ
 かつてない緊張を纏いながら、それでも決して退こうとはせずに。
        ふさ
 自らの前に立ち塞がるギルの姿を、シェリルが見定めたのはただ

一瞬だけ。

「そうか……いい、度胸だっ」

「っ……!」
 れっぱく
 裂帛の気勢と踏みこんでの一撃は、重なる刃の響きと消えていた。
                        ごうらい
 続く、重く激しい斬撃の衝突は、さながら嵐の伴う轟雷のよう。

 それも、万の数を数えるほどの。

「ヅっ、グゥ、ザぁぁ!」
                      すが
 ギルも絞りうる全力を尽くし、その連撃に追い縋るが、実力の差

はあまりに明白。
       スレッド
「その程度で、殲滅士の剣が止められるかっ」

「ガぁっ!」
                     ショート・ソード
 シェリルの放った咆哮と重撃は、受けたギルの小剣を、千の欠片

へと砕いていた。

「ギル!」

「動くな」

 思わず発していた一声、駆け寄ろうとしたラディの動きは、しか

し、短い制止に止められていた。

 目の前に閃いた、シェリルの刃の輝きに。

 あまりに圧倒的な威圧を前に、それでもギルの安否を見る。石畳

を割るほどに叩きつけられた身は、辛うじて苦悶を吐いていた。幸

いともいえぬ状況だが、それでも命は繋いでいる。
 わず                   まなざ
 僅かな安堵を吐きながらも、ラディは憎悪の眼差しをシェリルに

向けた。熱を持ち始めた左眼を、潰さんばかりに押さえつけて。

「この……話ぐらい聞きなさいよっ、この冷血漢の陰険女! アタ

シが一体なにを……。アタシは、一体なんなのよっ」

「……なるほど。まだ覚醒はしていないようだな。だが、情けをか

けてやるわけにはいかん」
                     ひ
 感情を剥きだしにしての訴えに、シェリスは緋色のその瞳を少し
           ためら
だけ細めていた。小さな躊躇いと悲しみをにじ滲ませて。

 だが、それも一瞬のこと。

 刃を振り上げたその姿からは、完全に心が消えていた。

「恨むなとは言わん。せめて一刀で、苦しむことなく……?」

 だから、言葉が途中で切れたのは、ただ変化に対しての反応だっ

たのだろう。
                    ガード
 横手からゆっくりと近づいてきた、一人の衛兵士への不快からの。

「なんだ、貴様。近づくなと命じただろう。お前たちの役割は……」
 わず                  まばた
 僅かな不審が確かな異常だと悟られるのに、瞬き一つも要しはし

ない。


       ガード
 近づいてきた衛兵士の左胸には、その存在を誇るように、汚れた
ダガー 
短剣が深々と埋まっていた。



「っ、キサ……!」
                ガード
 振り下ろされたシェリルの刃を、衛兵士の肩が大きく弾く。

「なにっ?」

「……うううううう、グウウウウウウウ……」

 破れた革衣の下から覗くのは、打たれへこんだ輝きのない刃の色。

見れば肩口のみならず、その変化は手や指を越え顔にまで。

「あれ、は……」

 どこかで見たことのある異様。ラディが眼を見開く間に、変異は

さらに進んでいく。

 腕を侵した鋼の色は、さらに昇って肩から胸へ。

 服の千切れた脚もまた、さらには腰から腹までも。

 隆起する肉は刃と化し、全身を剣へと変えていく。

「これは……ラディール、貴様っ」

「ア、アタシじゃないわよ、これは……」

 そう、これは自分の起こしたことではない。痛みのない左眼の熱

が、それをラディに伝えていた。
                ガード
 ならばと原因に思い至った瞬間、衛兵士の変異が終わりを告げる。

「グラアアアアアアアア!」

「こっ……!」
                かたまり   モノ
 元の倍にまで膨れ上がった、刃の塊となった存在が、シェリルへ

と襲い掛かっていた。



最終更新:2010年03月17日 02:49
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