2008.05.07 21:17
野良(--)
――9――
ふ
夜も更けた森の中でも、ギルは慣れた手つきで野の宿を整えてい
のが
く。逃れ離れたヨールドラックの街も今は遠く、周囲には人の気配
はおろか、動くものの姿すら見ることはできない。ありがたいこと
ではあるのだが、自分たちの立場を改めて思い知らされる状況でも
ある。
「やれやれ、遂に門破りか。しばらく大きな都市や街には入れない
な」
ロブソルト アーク ひ
“気配遮断”の呪符を弾いたギルは、疲労の息を吐いていた。
シャルフ
「不幸中の幸いというか、この森も人のものだから異形や精霊種の
心配はないが」
フォレスト ハウンド ラウンド
「それが幸い? 森林衛士やら賞金稼士、巡行士に追われるような
状況が?」
「いや、そう言われると……」
「あのシェリルとかって女もよ。普通、都市を越えてまで追ってく
る? まったく、どこのどいつだか知らないけど、なに仕事に熱上
げてんだか、バカバカしい」
「そりゃあそういう奴だって……あ、いや、まったくだな、うん」
「それにっ……」
対称的に、ラディは苛立ちを募らせていた。
フランベルジュ
地に置かれた大波刃剣を挟んで座る、銀の姿を前にして。
長い髪を揺らしもせず、少女は静かに座していた。右しか見えぬ
銀の眼で、じっとラディを見つめたまま。
おび
威圧も怯えも見せぬまま、なにも問わず、なにも語らない。この
まま夜を明かすとしても、少女は微動だにしないだろう。
自らを抑えるように息を吐き、ラディは意味のない睨みあいを終
わらせた。
「で、結局なんなのよ、アンタは。あの力はなにっ?」
しもべ ふる
「私は『刃の王』の下部。揮う力は王より授かりし刃の欠片」
よど
問いかければ、少女は澱みなく答えていた。だが、語られるその
内容に、ラディの理解は追いつかない。
おとぎばなし
「刃の、王? あの御伽噺の?」
「はい。貴女こそが我が主」
それでも、偽りでないことは目で知れた。一時たりとて逸らされ
まなざ
ぬ、左の眼を見る眼差しで。
自然と、問う声が鋭さを増す。
「アンタ、これがなにか知ってるの?」
「その瞳は王の証。魂の刃が形を変えた、その目覚めを促す針」
「……王の、証? 目覚めって、アタシが……?」
端的にすぎる言葉は不十分で、伝えるべき内容が欠落している。
だが、顔ごと左眼を押さえながら、ラディは語りの意味を理解し
ていた。
なによりも、強大にすぎる力によって。
ゾーン
「ア、アタシが『刃の王』だって、コードネルを滅ぼした魔王だっ
ていうの?」
「はい」
「ふざけないでっ。なんなのよ、一体。いきなり出てきて、ワケの
わかんないことほざいて、アンタは……!?」
こうとうむけい
荒唐無稽な言い草に、ラディは我を忘れ吠えていた。笑い飛ばす
ことができなかったのは、その言葉が真実だと知らぬ間に認めてい
たからか。
伸ばした手は加減なく、少女の襟首を掴み上げていた。揺らされ
ぼろ あらわ
た体から襤褸がずれ、その肌を露にする。
以前見た、左の腕の銀色は、その肩口まで昇っていた。
「な、に……なんなの、その体は。アンタは……」
ふる
「この身は王との絆そのもの。王の力を揮うほど、私は純粋な刃に
近づいていきます」
ユージス
今更に、少女が人ではないと知る。
ダガー
その左胸に突き刺さる、鈍い輝きを返す短剣を見て。
そして、改めて思い知った。
自らもまた、その力に侵されているのだと。
せんりつ
戦慄に、息が止まる。
「お、おい、ラディ……?」
「……」
襟首を掴み上げていた手が自然と落ちる。肩に触れる手の温もり
も、掛けられる声の優しさも、なにも感じることはできなかった。
場に満ちる、しばしの静寂。
薄い月光が照らす中、森の音すら死んでいた。
風もなく、動きもない。まるでラディの心中を映すように、薄闇
だけが満ちている。
けねん
緩やかに流れる時に懸念を募らせたのだろう。ギルはラディを抱
きながら、自ら少女に問いかけていた。
「それで、どうすればいい」
「なにを」
「ラディのことだ。どうすれば治せる」
「治す……?」
「だから、どうすればラディをその魔王の呪いから開放できるんだっ」
ギルの向ける、怒りに近い苛立ちの意味が、少女にはまったく通
かし
じていないようだった。一瞬だけ小首を傾げ、それでも律儀に言葉
を返す。
「王の力は目覚めつつある。でも、まだ完全ではない。散った魂の
欠片を集め、その全てを喰らわなければ。私には蘇った力しか知る
ことはできないが、王が目覚めさえすれば、他の欠片も自然とその
力を示す」
「……なに言ってんだ、お前。俺はそんなことを聞いてるんじゃ」
「どうぞ私をお使い下さい。この身も、力も、魂も、全ては王のた
めに」
うつむ
そして俯いたままのラディに向けて、抑揚のない忠誠の言葉を向
いつわ
けていた。感情こそ見えはしなかったが、そこには一片の偽りも感
じられない。
だから。
「お前、俺たちについてくるつもりか?」
「違う。私は王と共に行く」
「だからっ」
「ギル」
ラディは勢いよく立ち上がり、ギルの腕を掴んでいた。そのまま
こかげ
有無を言わせることなく、木陰の一つに引きずりこむ。理由は察し
ていたようで、ギルも即座に応じていた。
「どうする、あいつ。言って聞くような奴には見えないぞ。どこか
で撒くにしたって、今の状況じゃ出来ることも限られてくるし……」
「そうね。だから、連れて行くわ」
「夜に置いていくってのが一番簡単そうだが、あいつ寝るのか……
なに?」
流れるようなやりとりも、ラディが一言を発するまでのことだっ
たが。
「おい、ラディ」
「あの娘は、この得体の知れない力に関する、多分唯一の情報源な
のよ。むざむざ手放す必要はないわ」
「それは、そうかもしれないが……」
「それに、あの力は役に立つ。あのシェリルって女騎士にも対抗で
きるかもしれない」
言いながら、ラディは思いだしていた。文字通り、竜すらをも断
ちかねぬ必殺の鬼気を。
炎の剣が見せつけてきた猛威に対し、今の自分たちはあまりに無
力。それに対することのできそうな唯一の可能性が、あの銀の少女
あらが
なのだ。シェリルの力は人智を超えている。抗おうと思うなら、こ
ちらも人外の力を用いるしかないだろう。
それに、恐怖もあった。今目の前にいる男が、炎の刃に立ち向か
うおうとすることに。シェリルがラディを追ってくる以上、ギルは
ふさ
間違いなくその前に立ち塞がるはずだ。
それだけが、恐ろしい。
ラディは本音を隠したまま、努めて冷静に続きを告げた。
「追い払うのは国を出てからでも遅くないわ。今は、使えるものは
なんだって使わなきゃ。あんな風にとぼけてるけど、もしかしたら
この力から開放する方法も知ってるかもしれないし」
「……わかった。お前がそういうなら。でも、絶対に油断はするな
よ。いつ寝首を掻かれるか知れたもんじゃない」
「それは、大丈夫だと思うけど……」
ほう
振り返り、待ち惚ける少女を見ながらラディは思う。彼女が裏切
ることはおそらく、いや、絶対にない。それはギルに対する信頼に
も匹敵する確信だった。
理由はない。ただ、魂がそう告げていた。
「ねえ、アンタ。アタシに手を貸すって言ったわよね? アタシの
言うことならなんでも聞く?」
「はい。私は王と共に参ります」
みじん
返す言葉は歯切れよく、微塵の迷いもありはしない。抑揚も感情
も見えずとも、信ずるには十分だった。
「そう、わかったわ。それなら側においてあげる。名前はなんて言
うの?」
「名はありません。必要ありませんから」
「ないって……不便じゃない、それじゃ。なんて呼べばいいのよ」
「どうぞお好きなように」
「う、うーん、それじゃあ……」
さまよ
親の務めをあっさりと渡され、ラディは少しだけ視線を彷徨わせ
た。といっても、目に付くものはさほどない。あるのは木々と闇ば
わず
かり。他には、ギルと少女と僅かな荷物。そして、地に置かれた巨
大な剣ぐらいなもの。
それを見て閃いた。波の刃を持つその俗称は……。
フランベルジュ
「フランってのはどう? 大波刃剣のフラン。火の女神ってのが雰
囲気とちょっと違うけど、割といい響きじゃない?」
「また、随分と安直だな」
「うっさい! いいのよ、わかりやすいほうが。どう?」
「はい、了解しました」
騒ぐラディたちを前にして、少女はやはり動じない。ただ、静か
に座したまま、一つ深々と頭を下げる。
「どうぞフランとお呼びください。我が王よ」
わず しゅくしゅく ゾーン
長い髪を僅かに揺らし、粛々と告げるその様は、魔王への忠誠を
誓う者でありながら、限りない神聖さを宿して見えた。
最終更新:2010年03月17日 02:51