2008.05.09 20:21
野良(--)
――13――
そして行き着いた宿の一室、飾り気のない狭い部屋で、シェリル
は重々しく言葉を告げた。
ゾーン よりしろ すべ
「結論から言おう。覚醒を始めた魔王を依代から離す術はない」
「な……」
みじん
小さな望みを微塵に砕く言葉を。
あまりに唐突な、そして勝手な言い草に、ギルは両者の間を遮る
テーブルを叩きつけていた。ヒビ入る重い不吉な音を、それ以上の
怒声が吹き飛ばす。
「おいっ、それじゃ話が……!」
ゾーン
「魔王と呼ばれる存在がなんであるか、正しいところはわかってい
ない。我々に知れるのはその力と痕跡のみだ。異形の王として無限
の魔獣を生みだし、生あるものを喰らい尽くす。貴様も聞き知って
はいるだろう。数々の神話や伝説を、そして今も繰り返されている
あまた
数多の悲劇を」
絶句し、激怒するギルを気にもせず、シェリルは淡々と言葉を紡
いでいた。
ゾーン モノ
魔王と呼ばれる存在の威を。
アストラル
それは特定の生命ではない。本質を精神界にもつそれは、感情に
引かれた力そのものだとも言われている。故に出現を予期すること
も、推測することもできぬ脅威は、人々にとっては天災にも似たも
のとして認識されている。
それも、いつまでも去りえぬ猛威だ。
ゾーン あまた
魔王はその名が示す通り、数多の魔を従える王だ。生みだす異形
むくろ
は底を知らず、地を魔と骸で埋め尽くす。それは過ぎた過去にばか
りでなく、今の世でも変わらずに、街や都市、そして国の興亡の端
に、深い関わりを刻んでいる。
だが。
「それがなんだっ。俺は今、ラディのことを……」
「『刃の王』はその中でも比較的名が知られており、それ故に強大
きっかけ
だ。無数の国々を滅ぼし、このコードネルを生み出す切欠ともなっ
た存在だからな。今の世に蘇ればその被害がどれほどのものになる
か、貴様なら理解できるだろう。その力を、間近で見てきた貴様に
なら」
「それ、は……」
え
問いかけられたその言葉に、脳裏の光景が広がっていた。苦痛に
歪むラディの様の、その周囲を補うように。
その身が硬さを増す度に、背後に残る血と刃もまた増えていった。
彼女の苦悩とは関係なく、いや、その苦悩が深まるほど。
広がる光景はギルの脳裏にばかりではない。それは避けえぬ現実
として、日々彼の前で繰り返されているのだから。
「……だから、なんだ」
い
「私はそのような脅威を世から排するために在る。最悪の場合、ど
れほどの力をもってでも必ずや討ち滅ぼすが、可能であれば余計な
被害は出したくない。今の内ならば、最小の労力で事足りるのだ」
「なにが言いたい」
ひ まなざ ただ
緋の眼差しが伝える意思を、ギルはあえて問い質した。乱れた青
髪を逆立てながら、握る剣に力をこめて。
それでも、シェリルは淡々と、その想いに応えていた。
ふる
「……心を許している相手になら、過剰な力は揮わぬだろう。お前
に、彼女を殺してもらいたい」
「ふざけるなっ!」
かわ
ギルの抜き放った一閃と、それに砕かれたテーブルの破片を躱し
ながら。
いしゅく げっこう
それまでの萎縮も全て忘れ、ギルは激昂のまま吠える。
「俺にラディを殺せだと!? 俺に、俺にっ、この俺に!」
「冷静に考えろっ。国が、世界が滅んでもいいのかっ」
「お前に、なにがわかる! 俺の命を、心を、魂を救ってくれた女
を、お前はっ!」
刃を振るい、触れる全てを砕きながら、想いは古き過去を見る。
彼女との出会いと、思い出を。
ひん
敵を討ち、傷を負った戦場で、ギルは死に瀕していた。
助けを求めるべき仲間も、早々に逃げ去ったその場所で。
えんさ おび
血の息を吐き、怨嗟の念を募らせながら、迫る死の影に怯え、そ
してただ消えようとしていた彼を。
拾い上げたのがラディだった。
ぞこ
初めて出会った死に損ないに対し、彼女はただ懸命だった。世辞
つたな
にも良いとは言えない手際と、効果も怪しい拙い術で、それでもそ
の世話の手は、自らの温もりを分け与えるように優しかった。
きまぐ
なにか理由があったのか、それともただの気紛れだったのか、ギ
ただ
ルは今も質していない。彼にとってはその時の想いだけが真実で、
生を続けるには十分な理由であったから。
彼女を守ると決めたのだ。例え、なにがあったとしても。
「世界がどうなろうか知ったことか! 俺にとって、ラディはそれ
以上の存在だ!」
「……貴様のような奴がっ……一時の幼稚な感情の判断で、どれほ
どの命が、かけがえのないものが失われてきたか……!」
ごと たけ
烈火の如き想いの猛り、襲いかかる刃の乱舞に、シェリルもまた
応えていた。その全てを叩き落し、ギルの怒りに匹敵する憎悪にも
似た感情をもって。
それも、ほんの一瞬のこと。
「……止むを得んな」
つぶや
小さく静かな呟きは、全ての動きを止めていた。
音も、光も、ギルの想いも。
流れを止めた時の中で、ただ物々しい剣だけが動く。
おび
「手足が大事なら大人しくしていろ。お前には、奴を誘きだす餌に
なってもらう」
向けられた言葉を、ギルは最後まで聞き遂げることはできなかっ
た。
放たれた一刀の、光すら断つ速さの一撃に、瞬時に意識を刈り取
られていたために。
それでも、思考の消える最後の瞬間まで、ギルは思い続けていた。
ただ、ラディのことだけを。
最終更新:2010年03月17日 02:56