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――16――

2008.05.11 20:55

野良(--)


――16――


 広がっていく赤い流れの中、倒れたその身を抱き寄せる。
                   えぐ
 左の肩口から腰にかけて、ごぞりと肉の抉れた身を。

 溝のような傷口の底には、脈を打つ心臓が覗いていた。

 その鼓動も、次第に細くなっていく。

「嘘、嘘よ……ギルっ、ギルっ!」

 熱い血潮に濡れながら、ただその名を呼び続ける。心を満たして
      あらが
いく絶望に、抗う想いと願いをこめて。
 けんめい
 懸命な呼びかけに、答えは確かに返ってきた。薄く開いた青い瞳
         ほほえ
と、血の泡に汚れた微笑みが。

「……ラディ。無事、か?」

「ギルっ……」

「よかっ、た……。お前が、無事なら、俺は……」

「バカ……バカぁ! なに、勝手なこと言ってんのよっ。アタシ

はっ……」

 募る文句も続かない。身を染める、燃えるようだった血の熱さが、

徐々に失われていくのがわかる。

 離れていこうとする命と、逃れえぬ死が。

 止め処ない感情が視界を揺らし、頬を伝い落ちていく。

「……ギルっ」

「何故だ、何故……」

「っ!」
       つぶや
 聞こえてきた呟きに、ラディは顔を振り上げる。その勢いが、流

れる雫を散らしていた。
                まなざ
 鋼すらをも溶かしかねぬ、獄炎の眼差しと共に。

「アンタっ、よくも、よくもっ……!」

 噛み締めすぎた奥歯が砕けた。だが、その程度の痛みと不快など、
        ちり
抱く想いの前には塵ほどの意味もありはしない。
       ひ            たたず
 目の前に立つ緋色の騎士。光火の剣を手に佇む、シェリルに向け

る憎悪に比べれば。

「よくも、ギルを……!」

「……っ」
                        わず
 鬼神のようだったシェリルの目が、そのとき初めて僅かに揺れた。

自らの行いを悔いるように、そして、過去を見るように。

 だが、それもすぐに消え失せる。

「……貴様が、全ての元凶ではないか」
     まなざ
 ラディの眼差しと同じ光を宿すことで。

「なにをっ……」
 マイト    こやつ
「戦士の覚悟を此奴に与えたのはお前だろうっ。戦いに関しての行

いで批難を向けられる筋合いはない」

「そんな言い逃れでっ」

「それにっ」

 その想いは語る声にも含まれていた。放つ怒りはそれまでの瞬間
           ふ
的なものではなく、腹の腑から吐き出すような重いもの。

「貴様のような、貴様らのような奴等が存在するから、同じ悲劇が
          いつ     どこ
繰り返されるのだ! 何時であれ、何処であれ、尊きものから犠牲

になる……あの子のような、罪なき者から……」
 ひ
 緋色の瞳はラディだけではなく、その奥に潜む存在そのものを捉

えているようだった。
    いか
 それが如何なる理由によるものか、どのような目的に達するもの

か、ラディには知りようもない。
                     えぐ
 ただ、向けられたその言葉だけは、深く胸を抉り抜いていた。

「アタシのせいだっていうの? アタシの……」
     ゾーン           せんめつ
「そうだ。魔王などという存在は、即座に殲滅せねばならん。例外

は、ない」

 断罪を告げる鋭利な言葉も、振り上げられた光火の剣も、もはや

ラディは感じていない。あるのは自身の心と体、そして、両腕に抱

く魂だけ。

「ギル……アタシの、アタシのせいで……?」

 もはや砕けた心の欠片が、一つ一つ落ちていく。

 自責の念に、後悔の意に、悲観の哀に、恐怖の想いに。
                  いま とど
 壊れていく己を自覚しながら、それを未だに止めているのは、た
 ひとえ
だ偏に掻き抱く者のため。

 小さな動きがそれに応える。
                       ぬぐ
 血に濡れたギルの手と指は、優しくラディの頬を拭っていた。

「ギル……」

「ラディ……大丈夫だ。お前は、なにも悪くなんかない……」

 揺れる瞳はもはや焦点が定まっていない。体はおろか首を支える

力すら失い、それでもギルは視線を離そうとはしなかった。

 そこに込められているものは、ただただ深い、深い想い。

「お前の心に、俺は救われた。お前が悪いというのなら、俺も同罪

だ……」
            こぼ
 死を眼前に置きながら、零れる言葉は感謝だけ。血に汚れた蒼白

な顔には、薄い笑みが浮かんでいる。

 それは魂が離れていく、最後の、最後の瞬間まで。

「お前といれて、本当によかった……」

「ギル……ああ、ダメ、ダメよ、ギル……っ」
                 かす
 だが、壊れた体の震わす声は、ただ掠れていくだけで。

「ありがとう……ラディ……愛し、て……」



 彼の想いのその全てを、伝えることはできなかった。



 頬に触れていた手が落ちる。

 まるで、終わりを告げるように。

「ギ……ル……?」

 途切れ途切れの呼びかけに、もう応えは返ってこない。
              わず
 青い瞳も、濡れた口も、もう僅かにも動かない。
     えぐ
 それは、抉れた胸の傷に覗く、心臓もまた同様に。

「……嘘……嘘でしょ? ……ねぇ、ギル、悪ふざけも、いいかげ

んにしなさいよ。ねぇ……」

 引きつった笑みを浮かべながら、小さく揺らしても結果は同じ。

 壊れた器は中身を失い、それが戻ることはなく。



 ラディの心を止めていた、その支えもまた消えていた。



 欠片が、次々と落ちていく。

 喜びも、悲しみも、かけがえのない想いが、次々と。

 砕けた心の奥底から、力が這い出ようとしていた。
                     ばくだい
 今までとは比べ物にならぬ、天地にすら並ぶ莫大な力。



 ラディが地に落とす影が、音を立ててヒビ割れた。

 それは血の海を飲みこみながら、広がり、深まり、隆起していく。
 あふ
 溢れだすのは銀色の力。貫き伸びる刃の連なり。

 あらゆるものを斬り砕く、『刃の王』の真の力。

 それすら、今はどうでもよい。

「……いやよ、いやっ。こんな、こんなの、こんなのっ!」

「っ、しまっ……」

「イヤあああああああああああああアアアアアアアアアア!!」

 自らの周囲を壊し、砕き、散らして咲いた、世界を貫く大刃の華

に、ラディは全てを委ねていた。



最終更新:2010年03月17日 03:00
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