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小説「ランドールの日々」―7―

2005.09.08 00:16

野良(--)

 欄干(らんかん)の向こう、悠然(ゆうぜん)と水面を広げるセルディオ運河。その流れに沿って伸びる石畳の道を、多様なものが進んでいく。
 人や馬、荷車に馬車。
 稀(まれ)に、樽(たる)が引かれて通っていく。
 シュロと呼ばれる、果実を絞った飲み物を、車輪付きの樽(たる)に入れて往来で売っているのだ。ランドールでは最近みかけるようになった商売で、場所代がどうのといろいろと問題になってはいるが、いいじゃないかとベインは思う。
 うまいし。
 カップのシュロを飲みながら、彼も往来を満喫していた。進めば『流れる道標』へと続くこの通りは、一般地区でも一等地。並ぶ店も宿や飲み屋に料理店が多い。近づく夕暮れに人の行き来も盛んになり、良い匂いが漂ってきた。
 誘惑に負けてはいけないと思いながらも、つい手は懐を探っている。そこで触れた軽い財布以外のものに、ベインは今この場を歩いている目的を思いだした。
 川向こうへと続く橋を渡りながら、取り出した獣皮の封を眺めてみる。
 大きさは掌ほど。中身の感触は硬いが金属的なものではない。顔に近づけ嗅(か)いでみても、獣皮の匂いしかしなかった。二つ折りでしかないその間から、わずかに中が覗けるものの、黒っぽい塊以上のものには見えなかった。どれほど貴重なモノなのかは知らないが、少なくともベインにとって興味をそそられるものではない。
「こんなんでもけっこうするんだろうな。皿でも買った方がよっぽどいいのに……ん?」
 封を懐にしまいなおしたその時、まだ小さくだが甲高い声に気がついた。職業柄、聞き慣れたそれは、助けを求める子供の声。どこだと見回す必要もなく近づいてくる。
 小さな女の子が川沿いの通りを、泣きながら走っていた。
「どうした!」
「だれか、たすけて! パムが、パムが流されちゃうよう!」
 ベインの問いかけに答えたというより、それを叫びながら走ってきたのだろう。少女の言葉と視線が示す先、セルディオの流れの半ばほどに、飛沫(しぶき)を上げ続けるものがいた。高低のある橋の上からでもかろうじてわかる、子犬の鳴き声を響かせて。
 気づき、どよめく周囲の人々を押しのけながら、身を包むローブを脱ぎ捨てると、ベインは迷うこともなく石の欄干(らんかん)を飛び越えていた。


 セルディオの流れは速くはないが、深い。混乱し暴れる子犬を抱きかかえたまま泳ぐのはかなり危険な行為であったが、ベインはその難行を遂行(すいこう)した。
 水を蹴り、掻き進み、辿りついた船着場で、自分の身よりも先に救助者を押し上げる。桟橋(さんばし)に置かれ、四肢を支える地面の感触に子犬はしばし戸惑っていたが、やがて元気よく走り出した。
 腕を広げ駆け寄る少女へと飛び込むように。
 涙に暮れながらも広がる安堵の声を聞きながら、ベインも水の中から生還した。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
 溢れる涙を拭いもせず、愛犬と抱き合っている少女の、心からの感謝の声。濡れて重くなった心も体も、それだけで軽くなるようだ。
「俺はランドールの警備隊員だからな。当たり前のことをしただけさ」
 そう謙遜(けんそん)しながらも、ベインの表情は晴れやかで誇らしげだった。
 集まっていた周囲の人々が投げつける、拍手と喝采と野次。その全てが心地よい。
 出迎えに引かれて歩き出しそうとしたそのとき、ベインは自分の身を襲おうとしている異変にようやく気がついた。
 懐が膨らみ、もぞもぞもぞと蠢(うごめ)いている。
「な、なんだ?」
 尚も膨らんでいく懐の異質。反射的に上着を捲(めく)る。
 そこに見えたのは、赤く輝く二つの光。
 驚きを表す暇もなく、巨大な黒い塊に、ベインは桟橋(さんばし)ごと押し潰されていた。


最終更新:2010年03月17日 04:01
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