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> 五十四年間繰り返されたとされる、仏蘭西の第二次世界大戦。
> しかし、その時の連環の修正の巧妙さにより、今や“解放者”達しか五十四年の
>連環を知る者、――いや、信じるものはいないとされる。
> それが本当に起きたのか否か?
> どうして現代において痕跡がほとんどないのか?
> そして、いかにしてその連環は崩されたのか。
> 数々の検証とともに集めた記録を、巴里解放の引き金となった
>二人の少女の数奇な記録を基礎として発表する。
>#right(){「仏蘭西王立歴史学会・近代部・喪失技巧奇集本編集委員会」}
#right(){閉鎖都市 巴里<上>,P10}
>前書き
> この世界には未だに科学や理論では解らないことがたくさんあります。
> 私のような探索者は世界各地でそういう喪失された
>技術の使われた痕を見たり、噂などを聞きます。
>場所によってはそれの実在を確かめた後で発表したり、封印することもあります。
> この奇集本は今まで大障壁の時代から存在した喪失技巧について調べたこと、
>見聞きしたことなどをまとめてきました。今回の七集目からは、
>この都市の時代になってから生まれたとされる
>喪失技巧について皆さんに解りやすくまとめていきます。
> まず初めを飾るのは仏蘭西に伝わる一つのうわさ話、ブルゴーニュは黒竜の住むモルバン山渓
>に現れた鋼鉄の巨人の話です。前大戦中にこの地方に進軍した独逸軍はことごとく行方しれ
>ずになるという事件が何度も起きました。同じ頃、その地方に住む人々は森や山の中を
>ものすごい勢いで移動する巨人の影を見たと言います。
> 地方独特の迷信深い話かと思えば、実は仏蘭西はこういう計画を持っていました。
>「最強の騎体を作る研究計画・アティゾール計画」
> これは前大戦中もしばしば噂にのぼった名前なのですが、結局それが行われていたという
>事実は戦後も表に出ることもなく、単に仏蘭西が重騎の老舗の国として見栄を
>張っていただけだと、と、そう言われています。しかし、それはどうだったのでしょう?
> 戦後、仏蘭西軍の技術者や将官の中には、自分の記憶が幾年分か抜けていることに気づいた人が多くいます。
> そして実際にモルバン山渓で消息を絶った独逸軍の人達も、います。黒竜の住処を避けて
>山岳を抜ける回廊は、独逸軍にとっては唯一の道であり、または、恐怖の場所だったのです。
> 彼らを襲ったのは気まぐれで散歩の道程を変えた竜なのか、それとも謎の巨人なのか。
> こういった記録を今回は集めてみました。それを読んでアティゾール計画があったのか
>どうか、最強の騎体は生まれたのかどうか、そしてそれがあったならばどうして研究成果が
>今に残ってないのか、考えてほしいと、そう思います。では、先をどうぞ――
>
>#right(){「喪失技巧奇集本・第七巻」前書き}
#right(){閉鎖都市 巴里<上>,P79L9}
>末文
> この後の全ての流れはもはや歴史書にその任を任せるものとする。
> 皆のその後の運命はいかなるものか、ここで言うべきことではない。ただ、ミゼール家は
>潰えることなく続き、S・Fにて一件の自動人形工房もなくなってはいない。
> 私は彼女達の手によってアウシュビッツ行きの列車から救われ、終戦を見ることができた。
>“庇護女帝”と“快”はその後、歴史のどこかに消えてしまったが、誰も彼女達の
>活躍を忘れてはいない。重騎師の詞の一節を引用しよう。
>「二度と誰かが嘆かぬよう
> 果て無くつかめぬものよ
> 広く大きく抱けぬものよ
> 我は汝とあらんとす――」
> 今、私の手元には資料として、彼女達がブティックで撮った写真、二人の少女のドレス姿を
>写した写真がある。彼女達は、確かにいたのだ。だとすれば、ここに記された叛史は真実で
>あり、世界は作り直されたのだと、そう詞認筆するのも悪くはないだろう――。
>
>#right(){「仏蘭西王立歴史学会・近代部・喪失技巧奇集本編集委員会代表」}
>#right(){マレット・ハルキュリア}
#right(){閉鎖都市 巴里<下>,P380}