憂いの心持ちの儘に、西田啓は聖杯戦争の朝を迎えた。
 平生彼の住まいとする家屋の一室、十畳間の畳の上に、黴の臭いひとつとしてない座布団を引いて、西田はどこか構えるように肩を張って正座している。
 西田は、七十幾歳の痩せこけた男性だった。決して貧しい生活を営んでいる訳ではないが、元来肥える事を嫌う小食主義と、視力を斬り落した為の食生活の不便から、彼がこれ以上に余分な肉や脂肪を増やす事は無かった。
 早朝、郵便配達の音に目覚めてから白米と味噌汁と焼き魚と漬しを食べて、一杯の日本茶を嗜み、昼は閣僚や学者仲間と会食し、夜は大概茶漬けで済まして、偶に食後に団子を食らう程度の日々で、それ以上を望む事もなかった。いや、望めなかった。
 容貌は、短い白髪を頭の後ろに流していて、瞳はすっかり閉じきっていた。その開かない両瞼の上には、そこだけ色の薄い線が入って窪んでおり、浅はかな傷痕を思わせていた。事実として、これは自らの刃を受けての刀傷だった。
 今は傍らに刀長二尺三寸ほどの刀剣を置いているが、西田はいつでもその刀剣を触れられるところに持ち歩いていた。
 国の西洋化と余り迎合する事のないその精神は、西田に未だ着物での生活を強いていた。畳と線香の臭いが、それとなく西田からは香っている。西田はこの安息の空間でのみ流れるその香りを好んでいた。
 一方で、こうした場に居ない時、表に出て通りを歩く時などは、その匂いが掻き消える事に堪えようのない苛立ちを覚えてばかりであった。それは、別段、西洋文化が気に入らないと云う意味合いではなかった。もっと、精神的な意味合いを伴っている。

 日本人の醜さに失楽し、両目の視力を自ら絶って以来、彼の嗅覚は、より鋭敏に日本人の醜さを察知するようになってしまっていた。
 表を歩かば、脆弱で自らの事しか考えない俗物の声が聞こえ、風情のない無臭の意思達が鼻を突いた。米国の傲慢を覚えさせる憤りのニュースが聞こえたとして、その内容に反応する者はなかった。それは、見せかけの豊かさに真の活力を失った、抜け殻の日本人達が構築する現代の様相だった。
 寄る辺のない怒りを押し込め、関り合いそのものを嫌って閉じ籠り、根本と無関係な形での発散を求める有象無象の群れ々々が、西田の周りを常に取り囲っているようだった。それは比喩ではあったが、殆ど的外れでないのを、西田は深く実感していた。
 たとい眸に映る事がないとしても、西田には闇の中に吐泥の沼のように底のない、滑(ぬめ)った穢れは、ジッと見えている。視力の健在であった頃よりも、寧ろ余計に醜くなった日本の社会が、その穢れの正体だった。
 そうした音と臭いは、そんな日本の姿を、ひたすらに架空の光景として闇に浮かび上がらせ、西田を懊悩させた。
 西田にとって、それは遂に目を背けたくても瞑る目の在り得ない、地獄のやうな日々だった。背けたい目に視力がなく、瞑った儘なのに醜さが見えると云う訳だ。

 しかし、視力を絶った事で却って醜さの増した日本を感じるようになったのは、否応のない現実から目を背け、逃避の術を選んだ自分への戒めであると思い、当面は甘んじて受け入れる道を選んだ。
 この憂国の士にとって、今の状況は望む処ではないのだが、それにしても反骨の精神は耐え忍んでも押し込めない性格だったので、彼は先ずしばらく耐えて、それから準備を整える事を考えた。
 何を成したかではなく、何を成そうとするか。それが西田の尺度だった。
 本来の和の姿を取り戻し、日本再生を成すのが、西田の考えだつた。ある時、その手段を西田は、三島由紀夫以来のクーデターに見出した。……そして、近頃、西田はそれを同志と共に興して見せた。
 経緯は簡潔に書くが、こうだ。
 兼ねての西田の予想の通り、経済不況の責任を日本に擦り付け、穀物モラトリアム(※1)を発動したのはアメリカだった。それに対し、西田は故国最大の防衛壁である自衛隊に決起を促した。第三国の日本へのテロへとカムフラージュされた、日本への武力闘争にさえ発展した。それも又、アメリカの定石と予想していた西田は、タクティカル・アーマー(※2)の配備で防衛策を取った。
 結果は、総てではなかった。仮に敗北したとて、意志が遺っていたならば、西田のように、今の日本の様相に不安を覚え、西田の遺言を拾い上げて決起の時を待ち望む者はやがて現れる。
 出来る、出来ない、勝つ、勝たないは、西田が、来る日米経済戦争に臨む上で、然ほど重大な事ではないと云う。何より不可欠なのは、それだけの爪痕を遺せるほど大きな期待を、国民たちに示す事であった。それはやらねばならぬ事だった。何かを成そうとした事実が残れば、それは次の世代の可能性へと変じる。それこそが西田の思想の本質だった。
 何より、その意志を遺す為には、聖杯戦争という突然西田を拉致誘拐した障壁は、取り払わねばならなかった。

「今の日本人の魂は、まさにこのソウルジェムのような物です」

 西田は、鼻の先で同じように正座を組む若い婦人へと云った。若いと云っても、生れた年を西暦で確かめるならば、西田より遥かに前に生まれ没した経歴があるのだが、今はまずサーヴァントの特質による物と納得してもらいたい。
 婦人は、サーヴァントだった。その程よく肉のついた華奢な体を桜色の袴に纏い、長く艶光る黒髪を束ね、数時間の正座にはまるで足を痺らす事もなく、何より西田に見せたい程の美しい姿勢で、西田の言説を聞いていた。西田は、そんな彼女の確固たる様には気づかず、毅然としたまま続けた。

「……貴女に依ると、このソウルジェムは無色透明であるそうですが、それは実に、今の日本の在り様に似ています。
 他者に向けられた悪辣とした害意も大きくないが、それと共に善や施しや慈しみ、尊厳や矜持、あらゆる意志も持たず、ただ、ひたすらに矮小で姑息な欲望の為に蠢いている。
 多くが他者や自然の為に何を成す事もなく、我々を生んだ国土と名誉が、他国の姦計と私欲に穢されている事に気付きながら、それを誰も自分の問題と捉えない。
 同時に、物質的な豊かさばかりを追い求めた結果、個の欲は見えやすい形になりました。やがて、それが膨れ上がってこの国の首を絞め、それが自身の下に還ってくる事実にさえ、彼らは気づこうとはしないのです。
 それが、今のこの国が持つ根源的な問題なのです。もしも、この在り様に誰かが一石を投じれば、日本人の魂は再び、色を取り戻す。いえ、必ず投じなければならない。
 気づきさえしたのならば、今起きているその他の問題は、本来日本人の持つ、他国と比しても類稀なる才覚によって、すべて快方へと向かえる事でしょう。
 私は、屹度(きっと)そうだと信じています」

 色合いのない、ただ生きるだけの生命を西田は、剣の刃のように硬く研ぎ澄ませた言葉で否定していた。
 唯生きるだけの、意志なき生命がこの国に如何ほどいるのか。アメリカの属国として、あらゆる無理難題を作り笑いで答える政府、それに口先だけ反発するも結局は成すが儘の国民。そこに西田の望む日本国民の形容は合致しなかった。

 一応、注釈しておくが、全ての諍いや暴動に対して、西田は否定的な感情を抱えている。武力は本来棄てるべき物であり、戦争は終わらせる物と切に思う。しかしながら、傲慢と横暴の被害に喘ぎ、それでも黙せよというのは、西田にとっては耐え難く、多くの人にとっては、事実黙しながらも、その鬱屈とした不安を何かの形で発散しないのは、むつかしい話だった。
 結局、そうして貧困や理不尽の渦中に溺れさせられた国民たちは、誰かにその憤りをぶつけ己を守らなければならなかった。そのやり方しか知らない者が矢鱈に多かった。すると、穀物モラトリアムが興れば、同じ国民同士が、末端で、少ない国産の米を奪い合い、暴動し、斯(か)くも醜い姿を晒すのである。それが今の日本の実体だった。
 そうではないのだ。そのエネルギーを向けるべきは、もっと大きく、一度は力を示さねばならない大国なのだと示さねばならない。我々は一丸となって大国の傲慢と横暴と戦い、出来るのならかの国に初めての敗北を認めさせ、それから後で自信を持ってそれを受け、最後は敢えて武力を棄てなければならない。さうして、彼らの矛先を正す事で、彼らが気づいている筈の方向へと誘う事で、魂は色を成す筈だ!
 ……その為に、先ずこの国がすべきは、アメリカの経済を叩き、その余波を受け、胸を張って貧しい国に立ち返る事だ。
 戦いによって生じる貧しさの坂を胸を張り下り、その姿に日本人を魅せる冪なのだ。

「私は、聖杯などと云う物に興味はありません。まして、人の欲望を煽り、極私的な願いの為に多くを巻き込む在り様には、断固として反対の姿勢を取らせて頂きます。
 仮にあらゆる大義が叶う力があるとして、その手法には理と因果関係が必要です。どう方策を変えれば、政治の中で何が動き、何が得られ、何が捨てられていき、人々の心はどう動くのか。
 そうした過程を除外した大義は、国の為であれ、平和の為であれ、統べて自壊し、願いそのものの意義を腐らせます。極私的な願いの為に使うなどは、以ての外です。
 貴女にとっては失礼ながら、しかし、これは今ここにいる貴女という存在を否定する積りの言葉ではありません。あくまで、聖杯という願望器に対しての、批判です」

 西田は、聖杯戦争については、このように述べた。
 国学者として幾つかの思想書を世に出した西田は、聖杯戦争の話を聞けばこう答えるのみだった。
 簡略に説明すると、この聖杯戦争という営みは、聖杯の効力が信頼に値するとして、極めて意志薄弱で不徳な行いだと断定するのである。
 例として国際世界における戦争の根絶を願うならば、その為の政治的訴えが始めにあり、その主張が国民を何を得て、国民の何を捨てゆくのかを統べて考え浮かべ記して案じなければならない。その後、もしもその政治的訴えが実行に移されたとて、それで実際には如何なる動きや食い違いや批判が生じていくのかも確認し、思想や手法を後世に残さねばならないだろう。寧ろ、それこそが西田たちの世代にとっての本義と云える。
 模し、人間の醜さが故に戦争を起こす欲望を捨て去れないと仮定するのなら、その醜さを利用し制御して、彼らから別の豊かな感性を引き出せる環境を政治によって産出し、非戦の為にそれを行使してゆくしかない。あるいは、欲望など浮かばずに多くが幸せを分かち合える世を作りえる教育と、制御をしなければならないだろう。
 これらはあくまで机上の空論だ。だが、そうある努力がすべて実行と共に、現実という障壁に衝突し、徒労に帰るとして、そんな失敗と意志の歴史が積みあげ、後の世を引き離すように講じられなければ、そもそも人間社会と戦争とを断絶する意味などどこにもないと云える。
 聖杯は、そうしたプロセスや思想とは無関係に、ただ意志と願望にだけ呼応してそれを叶える物と考え得る。西田もその不条理たる聖杯のメカニズムや実際を詳しくは知らないが、仮にそのようにプロセスを短縮できてしまうものならば、その行使は軽率であると思えた。
 ……地蔵のように黙していた婦人が、西田の言から暫くの間を感じ取り、一言、口を添えた。

「西田さん、國を想う貴方の心中、お察し致します。
 それから重ねて、聖杯戦争への反対の姿勢について、私の方からも尊重します。
 ……ただ、これから共に戦う者としていくつか意見を挟ませて頂いてもよろしいですか?」

「構いません、どうぞ」

 西田は云った。
 元より、一方的な演説をしたいのではない。完全な賛同者ではなく、理解し、した上で意見する者を欲した。理解の壁にぶつかる者や、個人の意識で反発する者でなければ苦にはならない。まだ彼女がいずれかはわからない。
 丁重に、婦人は云った。

「ありがとうございます。
 まず、西田さんの考えについて幾つかお聞きしたいのですが、西田さんは聖杯の力で平和を得る事は、反対だと考えて良いですか?
 それから、過程がなければ、大義であっても願いの意義がなくなると考えるのは、何故ですか?」

「……少々、言葉足らずでしたか。申し訳ない。
 つまるところ、そうした政治的手段や人身を無視した平和は、一過性の物でしかあり得ません。
 後世にその為の算段が残らない限り、一時平和を得ても、人は別の手段でまた闘争の術を見つける事になります。すると、今度は解決の道を見出せず泥沼に没します。それでは、真の平和とは言えません。
 人は皆、今ではなく、常に未来、次代の為に真の平和を探るのが本来の義務です。
 今はあくまで国や平和の為の話ですが、これについては、その他のいかなる目的に置き換えても同様でしょう」

「――」

「私の目指す日本の回帰も又、誰かの行動によって、人々が自力で気づかなければ意味を持ちません。
 しかし、それは統べて、日本人ならば自分たちの力で可能である筈と信じています。聖杯など不要です。
 そして、確かに気づいてもらうまでは、闘争という愚かな術にも委ねるしかない。それが私の結論です」

「……承知しました。私も深く、同意します。それでは、西田さん、質問を変えます。
 西田さんは、かつての日本人らしさは現代日本には無いと言っていましたけれど、この国の人は時代が変わっても、その在りかたを柔軟に変えて生きてきました。
 私の時代と西田さんの時代も、日本人らしさという物は、かなり違うものであると思います。
 この時代の価値観にはまだ私もあまり慣れてはいませんが、西田さんの時代にはその時代で別の日本人らしさがあるかもしれない、と私は思いますけど、どうですか?」

 西田は、少々だけ黙した。
 それは、決して婦人の言葉を否定したのでも図星を突かれたのでもなく、少々の呆れと己の説明不足を悔いる意味合いの成された物だった。ここに至ったばかりのサーヴァントに、西田の時代の日本人論を告げても、前提を欠いたわかりづらい議論に霧散するのは必然だった。
 思い直して、西田は口を開いた。

「確かに、貴女の言う通り、日本人は中国や西洋のあらゆる文化を吸収し、それを独自の形で発展させる力がありました。
 それを否定はしません。いいえ、寧ろ肯定なのです。多くを受け入れる土壌も又、素晴らしいこの国の美徳の一つです。
 私自身も現在は、生活の上で確実に新たな文化や思想の恩恵を受け、この精神もその不可欠を望んでいます。
 ですが、私の言いたいのは、そういった物質や文化や考え方の話ではありません。もっと、根源的で精神の支柱にある日本人の形を問いたいのです」

「精神の、支柱?」

「日本には、精神論という独自文化が存在します。
 悪徳により、一方的に自身の論法で他者を押さえつけ、想う通りに利用する様を皮肉する時にも使われがちな言葉であるものの、同時に悪徳や過ちに対抗する美徳の言葉にもなり得ます。
 世界が一斉に過ちを始めている時、太い精神によって、最初にそれを打破するのも、この精神論の在り方です。今こそ、日本人は、その精神で戦わなければなりません。
 そう、たとえば……」

 西田は、そう言葉を釘って、現代日本(※3)の抱える問題をいくつか、彼女に伝達しようと試みた。
 如何なる話をすれば、理解に値する反応を頂けるのか、これから少々の時間だけ思考の回路を巡らせた。今日までの百年の新聞を読んだ事のない婦人に、そこで積み上げられた歴史の前提を説明するのはとてもむつかしい事である。
 しかし、不自然過ぎないほどの時間とともに、西田は己の考えを云ってみせた。分らなければ分らないで良いとも思った。少々長くなるが、西田は歴史と思想を即座に纏め上げ、緩やかにそれを語った。

「……我々現代日本人は、第二次世界大戦での敗戦以来、アメリカという後ろ盾ありきで工業国として発展してきました。
 しかし、それは逆に経済大国であるアメリカの下であらゆる無理難題を強いられ、逆らう事も許されぬ儘に自国の問題のスケープ・ゴートとして利用される時代の到来を意味しました。
 その思惑の渦中で、日本はアメリカ無しには成立しえない物質的な豊かさを持ち、それに甘んじてきたのが、現代社会史の実情です」

「更には、この国の豊かさに目がくらみ、周辺アジア諸国の難民たちはこの国に移民だけの居住地域を作り、生活するようになりました。
 それは静脈瘤の如く日増に膨れ上がり、この国を侵食していこうとしている。
 多くの日本人はそうした他国の利己に不条理を感じながらも、それを言えない儘、ひたすらに押し込め、無視して生活していく事になった。
 そして、やがてはそういった危機や悪意を察知する嗅覚さえ衰え、感じる事さえ無いままに豊かさの裏の危機に押しつぶされ、他国の利己主義がこの国の人間にも伝染していった」

「ですが、あくまで、日本人は再生を望まないというよりは、再生を望む事を諦め果てているに過ぎないと思います。
 今の日本人は、生息できないほど落ちていく事もないままに、しかし国の名誉の穢される、その永久的な生殺しを無自覚に許容するしかないのです。
 そんな中で彼らに可能なのは、国の為ではなく自分個人の為の姑息な欲望だけを満たす事だけだった。故国を利用せんとする大国を、今度は故国の為ではなく自分の為に利用し、自分だけ恩恵を授かる者も現れた。
 ゆくゆくは、その姑息な欲望もまた膨れ上がって、今度は世界規模で大きな経済や自然を破綻させるでしょう。このままでは、欲望の果て、すべての世界の共倒れへと緩やかに向かっていく筈です」

「つまり、日本人は、一面では醜く愚かな物です。
 しかし、それと同時に、成功と失敗、闘争と平和の歴史が刻まれ続け、政治や制度や環境が変われば、自ずと悪徳も憂鬱も空虚も制御し脱し、本来の善き心を浮かび上がらせる事も可能であると信じられるほど、可能性を持った民族です。
 強いて、いま最も愚かと云えるのは、その利点に気づく間もなく、制御の術さえ捨て去り、本来利己に走るべきでない者までが利己に走り、問題に目を背ける事。では、制御する術とは、一体何か」

「そう、我々は、一度豊かさではなく、貧しさに振り返るしかありません。
 その下り坂を胸を張って歩き出す事で、破裂寸前まで膨らんだ風船を萎ませなければならない。
 欲ではなく、世界の未来の為に。競争のようにして膨らませていったこの風船から、最初に空気を抜き去ってみせるのです。
 それを最初に行い、手本を示せるのは、その下り坂を三年耐え忍ぶだけの知恵と、矜持と、大義が、その精神の中に含まれた、日本だけなのです。
 優秀な国は、その日本に倣って、それぞれの政策や国民性に合致したやり方で、坂の下り方を学ぶ筈です。
 だから、一度、もとの世界の日本人には、私の行動に目を向けて頂き、そして何かを感じてもらいたい。少々ばかり過激な言葉も使いましたが、私の真の狙いは、その事です」

 そう言い切ると、西田は、傍らの刀剣を刀袋から取り出して見せた。
 それは、剣客のサーヴァントであり、刀について漢よりも高い審美眼を持つ婦人の側から見れば、それは美しくも実用性に欠いた一本であった。しかし、あらゆる良刀に比しても、稀有な迫力が感じられた。
 西田は、何を斬りかかるでもなく、ただ刀を見せる為のように、それを視えない眼の前に立てた。盲にして、それは極めて自然な平衡感覚によって構えられており、流石に国を背負う様は、大言壮語でないと婦人に思わせる。柔に肩を丸くして構えているというのに、それは唯の趣で帯刀している者のそれではなかった。

「私からも貴女にひとつ、お聞きしたいのですが、貴女の目から見て、この刀はどういう風に映りますか? 是非、正直に述べて頂きたい」

 婦人は、「失礼します」と声をかけてから、その刀身に寄った。
 袴の裾を捲り、西田の日本刀を、一介の剣客として審美する。思いのほか、奇妙な均衡の上に成る刀だと気付き、婦人は感想を述べた。

「焼身を研ぎ直したものでしょうか、よく見ると身幅の割に重ねが薄く、ただ、この刀紋はとても繊細で美しいです。
 それに、何となく、怜悧な気を感じることはできます。実用的ではないのかもしれませんけど、西田さんにはとても似合っているように思います」

「……そうですか。ありがとうございます。
 古の剣客に認められたのであるならば、さる方に告げた言説を、今一度自信を持って諳んじる事が出来ます」

 そう云うと、微かににこやかに笑ったように見えた。
 そして、過去に同志に告げた日本人の論を、西田は再び展開した。剣客の婦人は、そっと元の座布団の上へと席を戻した。

「私は、真なる日本人の姿を、この刀に見出しています。
 透明な真理の中に生き、郷土を愛し、その美しい自然を慈しみ、自らに厳しくあることを尊び、利己を潔しとしない。そうした理念が息づいていた事を、何よりも無言のこの刀が語ってくれているように、私は感じています。
 精粋のように透明で美しく、しかし、これは永い年月の間に数え切れないほどの戦火を潜り抜け、その度に鍛えられ上げられた末に至った究極の姿。この帳面さは日本人が本来持っていた心。
 それ故、これは既に武器ではなく、己が心。己が心を他人に向ける者はありません。もし向けられるとしたら、それは己自身……」

 己が辿べき未来を暗示し、戒めるが如く、西田は告げていく。
 刀剣の本質を告げた西田の言葉に、剣客として生きた婦人は、強い共感を覚えていく。彼女も又、破邪剣征の精神の上で、その霊剣の在り様を問うた事がある。そして、統べて刀剣はただ他者を斬る武器に在らずと学んだ。
 眼前にいるのは、ただの国学者ではなく、魑魅魍魎の跋扈する太正の俗世でさえ生きられるかもしれない、一人の侍であった。
 婦人は、そんな西田へと、こう告げた。

「……セイバー、真宮寺さくら。今日この日を以て、主、西田啓のサーヴァントとしてお仕え致します。
 私たちの意志は、聖杯戦争の打破と、正義を示す事。がんばりましょう、西田さん」

 それは、唯の主従関係に留まらない、主の意思を受け入れ、力となる事を望んだ刀剣の覚悟だった。





【クラス】

セイバー

【真名】

真宮寺さくら@サクラ大戦

【パラメーター】

筋力B 耐久C 敏捷C 魔力B 幸運C 宝具EX

【属性】

秩序・善

【クラススキル】

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

騎乗:E
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら何とか乗りこなせる。

【保有スキル】

心眼(真):B
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

破邪剣征:A+
 真宮寺に伝わる剣技の力。
 邪な魔力を持つ者、あるいは魔獣に対してかなり有効な攻撃力で、「混沌」や「悪」の属性を持つ相手と戦う際に補正がかかる。

【宝具】

『霊剣荒鷹』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大補足:1~50

 真宮寺家に伝わる魔を退ける剣。「二剣二刀」の一つであり、彼女の父・真宮寺一馬の形見でもある。
 意思を持っていると言われ、さくら自身の意思の持ち様に応じて、この宝具の技の種が増え、剣の威力も上がる。
 ステータス上でわかりやすく解説すると、「破邪剣征」のスキルのある者に呼応し、そのスキルの高低によって威力が変動する為、さくらには非常に合致した刀となる。
 現時点でのセイバーは、『破邪剣征・桜花放神』、『破邪剣征・百花繚乱』、『破邪剣征・桜花霧翔』、『破邪剣征・百花斉放』、『破邪剣征極意・桜花爛満』、『破邪剣征・桜花天昇』などの技が使用でき、それらを駆使して邪を撃退する。
 腕を磨けば更に多くの技を身に着ける事ができるが、おそらく聖杯戦争の期間から考えてもこれ以上は不可能であろう。

『霊子甲冑』
ランク:B 種別:対人・対獣・対機宝具 レンジ:1~50 最大補足:1~50

 高い霊力を持つ者だけが操る事が出来る鎧のようなメカ。
 一見すると搭乗型巨大ロボットのようでもあるが、その性質上、騎乗スキルの有無に関わらず使用可能(ただし先述通り高い霊力は不可欠)であり、セイバーもこれを手足のように自在に操る。
 生前のセイバーが光武、神武、光武改、天武、光武弐式などの機体を操った伝説に基づき、このいずれかを選択して現界させ戦う。これは後継機ほど強力であり、それゆえに魔力負担も大きいが、それだけ多くの敵に対応できるだろう。
 この『霊子甲冑』を纏えば、筋力・耐久のステータスがAランクやBランクまで上昇し、魔族・魔物・魔獣などの怪物や巨大な機械などとも互角の戦闘を可能にする。
 しかし、一方で敏捷のステータスがDランクやEランクまで下降し、敵を追尾するのには全く向かない。まさに甲冑の如き宝具である。
 セイバーの場合は、生身のステータスも極端に高い為、最大値ではA+レベルに相当する事もある。
 なお、こうした高い利点のある宝具ではあるが、常に優秀な戦闘指揮と仲間ありきで戦ったセイバーにとって、単騎での使用は必ずしも由とは言えない難点もある。

『魔神器』
ランク:EX 種別:対魔宝具 レンジ:∞ 最大補足:∞

 「剣」、「鏡」、「珠」の三種の神器。
 真宮寺の血を受け継ぐセイバーの命と引き換えに、 降魔を全て封印して都市を救う事ができる最終手段である。
 聖杯戦争の場合、周辺区域及びマスターの護衛と、その時点で帝都内に存在する全ての「混沌・悪」及び「混沌・狂」のサーヴァントや、魔獣・魔物の殲滅が可能となる。
 但し、使用に際しては、マスターの命を害しかねない膨大な魔力と二画以上の令呪、そして、セイバー自身の全魔力が必要となる為、発動の機会は滅多になく、その一度の使用が聖杯戦争の敗北を意味する事になる。

【weapon】

『霊剣荒鷹』

【人物背景】

 太正時代に活躍した帝国華撃団花組の隊員。宮城県仙台市出身。
 元陸軍対降魔部隊・真宮寺一馬大佐の一人娘であり、強い正義感と、魔を祓い封印させる破邪の力を持つ真宮寺一族の血を受け継ぐ。
 剣術の達人で、北辰一刀流免許皆伝の実力を誇り、鍛錬を決して欠かさない。
 帝国華撃団花組の隊員は全員、舞台に立って女優として活躍するが、彼女はドジでおっちょこちょいな面がある為、うっかり舞台を台無しにしてしまう事も……。
 恋愛面では、純情一途である反面、嫉妬深い面も見られる。
 ちなみに、好きな食べ物はオムライス。ネズミや雷が苦手である。

【サーヴァントとしての願い】

 マスター・西田啓を守り抜く事。
 また、西田啓の多くに共感し、彼女もまたその正義を示す事を目的とする為、聖杯の破壊が一つの方策となっている。
 敵対する者、相反する者については、静観、説得、撃退など、相手の事情や状況に応じて様々な術を取るが、少なくとも力のない人間や平穏を望む者には危害を加えず、その剣となる事を望む。




【マスター】

西田啓@ガサラキ

【マスターとしての願い】

 日本再生の意志を示す事と、本来の過程を短縮する聖杯を徹底的に否定する事。
 また、成さねばならぬ理念を持った指導者として、特務自衛隊のある世界へ帰還し、せめて「失敗」する事。

【weapon】

『日本刀』
 西田が所有している日本刀。
 焼身を研ぎ直したもので、身幅の割に重ねが薄い。
 他者ではなく、己に向けるものと定義し、彼はこの刀で自らの視力を絶ち、最期は自らの腹を切る事となった。

【能力・技能】

『指揮能力』
 高い教養、経験、思想、分析力、観察力、推論能力などから来る、敵の動向予報に基づいた戦略指揮。
 米国の穀物モラトリアムや武力攻撃を予想し、それに合わせた対抗策を講じていく事が可能となる。

【人物背景】

 国民的軍事アニメ『ガサラキ』の後半の実質的主人公。
 国学者。憂国の士。現代日本人の醜さとアメリカの汚さを訴えかけ、2014年にクーデターを起こした老人。
 かつて、日本の醜さを憂うあまりにその視力を自ら絶ち、今現在は盲目であるものの、それにより却って日本人の醜さを以前より強く認識するようになり、自分への戒めとしている。
 かねてよりアメリカ合衆国の属国としての日本の姿に疑問を抱いていた彼は、アメリカが後に引き起こす穀物恐慌を事前予測するなど、政治動向を探ったうえでの推論によってアメリカの手段やタイミングを近未来まで把握しており、そうした能力や思想によって多くのシンパを抱えている。
 そんな彼は、日本再生の術をクーデターに見出し、同志たる広川中佐や豪和一清を従え、主人公・豪和ユウシロウの属する特務自衛隊(※4)タクティカル・アーマー実験中隊までもその思想に取り込んで、自衛隊を決起させていった。
 しかし、あくまで本人の望みは、こうして政治を動かす事によって日本人が本来の清らかな心を取り戻す事であり、心根は平和主義者。権力そのものを得るのは手段に過ぎないと思われ、闘争を始めた自分自身よりも、闘争を辞めた者たちを真に称える。
 つまりは、「利己によって戦争を長引かせるよりは、早期に負けを認めても両国にとっての最良を選ぶ」「一度経済発展の幻想にすがるのを辞めて、坂を下る事で調和すべき」という、追及しない事によってバランスを取る美徳を由とする。
 また、理念や過程を重視し、結果を全てとはせず、あくまで、決起してその姿を日本人に示す事を一つの大きな意味としている。
 穀物モラトリアムや、シンボル(※5)のバックアップを受けた米国との武力衝突を経て、「アメリカ経済を破綻させ、故国も貧困に陥る(それにより胸を張って坂を下る事で、利己に囚われない日本人の心を取り戻す)」という経済攻撃を最終手段とした。
 こうした西田の攻勢により、合衆国大統領が早期に敗北を認めた事を受け、電話で貴国の判断やその姿勢を称えると、指導者として全責任を負い、割腹自殺を遂げた。事実上のガサラキ最終回である。
 そして、そんな彼の遺言として、「特務自衛隊の解体」を願う旨が告げられた。それは、彼が究極に目指したものである、「地上から国権の発動たる軍事力を抹消する」という理想を、日本が率先して行うべきだという意味合いであった。
 後世では、特務自衛隊の解体こそないものの、軍事力としてでなく災害支援などタクティカル・アーマーの平和利用を理念とした運用方針が発表されている。西田にとってそれが良い事なのかはわからない。
 クーデターを罪状とする。

【方針】

 他のマスターへの接触や、帰還の術を探る事。




【注釈】

(※1)【穀物モラトリアム】
 世界の穀物生産が熱波の影響で壊滅的な打撃を受け、各国の穀物不況に伴い、アメリカ合衆国が打ち出した日本に対する穀物輸出停止政策。向こう一年の停止。
 これにより国内の食糧備蓄量は激減し、穀物の価格は高騰。国民の生活は大きな打撃を受ける事になる。
 実情としては、単なる穀物不況によるものだけではなく、輸出国としての日本をスケープ・ゴートとして切り捨てる事で、貿易赤字を取り除き、経済不況に伴うアメリカ国民の不安を軽減させる思惑もあった。

(※2)【タクティカル・アーマー】
 通称TA。特務自衛隊が装備する人型兵器。

(※3)【現代日本】
 『ガサラキ』における現代日本は、西暦2014年とされる。
 但し、1998年の作品における現代日本である為、それ以降の経済不況や政治状況などはあまり考慮されず、あくまでパラレルワールドの日本における価値観である。
 その為、現実の2010年代をモデルとしていると思われる見滝原市においての政治経済の動き等に西田は明るくない。
 また、この章題において西田の口から批判される日本やアメリカの姿は、あくまで『ガサラキ』作中に準じたものであり、あくまで架空のキャラクターの把握によって生じた解釈であり、架空の年史における各国である事を留意頂きたい。

(※4)【特務自衛隊】
 通称特自。陸海空に続く第4の自衛隊。海外派兵を主任務としている。

(※5)【シンボル】
 国際企業をいくつも傘下に抱える世界規模のコングロマリット(複合企業)。米軍の司令官や保有戦力を私的に利用する異様な影響力を持つなど、世界を裏で暗躍する秘密結社としての側面がある。
 特自がタクティカル・アーマーを保有しているように、シンボルはメタルフェイクと呼ばれる人型兵器を保有しており、主人公・豪和ユウシロウの属する豪和家と同一の目的を持ちながらも、敵対している。
最終更新:2018年04月11日 15:12