どうも気になる。
転校生のことだ。つまり、俺と一日ずれて転校してきた、マグリフォン=茜さんのことだった。
ほら、またこっち見た。
蔵人:なんだ、俺の顔になんかついてるか?
俺:……いや、お前じゃなくて。
蔵人:????
疑問符を浮かべる蔵人の肩越しに、マグリフォンさんを見る。彼女はいま、クラスの女子数人となにか話をしていた。その姿は自然に溶け込んでるようでもあり、微妙に浮いてるようでもある。
――俺はなんで彼女のことを考えてるんだろう。
答えは簡単。つまり……
俺:うっ!
あわてて目を逸らす。
目があった。これで――数えてないけど、たぶん四回目ぐらいだ。マグリフォンさんはごく自然に、まるで俺とも会話しているかのように、時々こっちに視線を向けるのだ。
……考えすぎだろうか? こういうのって、自意識過剰とか、そういう類のものなのだろうか。
俺は彼女の視線をまだ感じたまま、蔵人のしまりのない顔に視線を固定した。こっちの考えすぎの可能性は高いが、また視線があうのはなんだか気まずい。
蔵人:……なに、お前俺に惚れたの? でも俺ノン――
とりあえず、はたいといた。
先生がホームルームの終わりを告げ、日直が号令をかける。
いつものように、栓の抜けた風船さながら、私語が爆発した。放課後独特の弛緩したざわめきとでも言うべき雰囲気の中で、俺は自分の席から立ち上がる。
蔵人:おい!! ゲーセンいこうぜゲーセン!
俺:――お前、放課後になると元気になるなあ……
蔵人:あたぼうよ!
大爆発状態の蔵人。うるせぇなあ。
しのぶ:君たち君たち君たち! 青汁あふれる青春17歳の放課後を持て余してる君たち!!
こっちはビッグバンか。物凄い勢いで駆け寄ってきたしのぶ大先輩は、俺と蔵人を両手で掴んでぐいっと引き寄せた。
青汁ってなんだよ、という最低限のつっこみを言う前に、彼女は畳み掛ける。
しのぶ:君たちが暇を持て余してるって言うから、きてみたのよ! あ、遊佐君、これ――これ何て読める?
彼女は俺と蔵人を放すと、代わりに自分の腕章を指差した。
俺:生徒会長――せいと、かいちょう?
しのぶ:大正解、ガムあげちゃう!
いらねぇっすよ。この人も放課後になるとテンション上がる人だなあ。
しのぶ:そう、私、何を隠そう生徒会長なのよ。遊佐君は初めて知ったでしょ?
何を隠そうって隠してませんよね。
蔵人:隠してませんよね、それ全然!
おお、さすが蔵人。友情タッグでテレパシーだ。
ばこーん。
あれ、殴られてら。
しのぶ:またまたー、そういうお茶目なこと言っちゃって~~!
俺は言わなくてよかったわ。友情タッグの自己犠牲にちょっと感動する。
俺:で、その生徒会長様がなんすか。
しのぶ:えっとねー、なんていうか、今日は放課後、
生徒会室で会議ちっくなことをやるわけ。
しのぶ先輩は妙にもじもじしながら言った。――えっと、会議っすか。
しのぶ:でねー、そのね、議事録ちっくなものを取らないと駄目なの。
しのぶ先輩は両方の人差し指で、お互いの先をつんつんと突付きつつ、言った。――議事録っすか。
しのぶ:でもねー、書記ちっくな人がー、風邪ちっくな病気ちっくで休んだりとかしてー。
しのぶ先輩は上目づかいにはにかみながら言った。――はあ、書記が風邪という病気で休んだと。
俺:で、それが何です?
しのぶ:ここまで言えばわかるよねー?
首をかしげる先輩。
蔵人:わかります……この遊佐ちっくなやつに頼んでください。
遊佐:そういうことなら……この蔵人ちっくなやつが適任です。
瞬時にお互いにらみ合う。友情タッグ、崩壊。
しのぶ:ま、私的にはどッちでも全然かまわないんだけどー。ここは公平にじゃんけんで決めましょ。ね? 二人とも、私のために争わないで! はい、じゃ~んけ~ん!
突っ込みどころ満載の先輩の言葉に突っ込むまもなく差し出される俺と、蔵人の手。俺がパー、やつがパー。
しのぶ:あいこでー!
俺がグー、やつがチョキ。十七時三十六分、完全勝利。
なにやら奇声ちっくなものを発しつつ先輩に引きずられる蔵人に、俺は爽やかな気分で手を振った。
それから、岐路を急ぐべく自分の鞄を持ち、教室をでる。そして下駄箱で上履きを脱いだところで、その声がした。
――予感、と呼べるものがあったわけではない。
唐突、といって差し支えなかった。
それでも俺は、それを前にして、ただ静かに「解った」と呟いて、肯いて、踵を返す彼女の後姿が消えるまで、静かに立っていた。
もしかしたら混乱していたのかもしれない。
俺:はあ……
今になって動悸が高くなるやら、頭で色々な考えが渦巻くやら、あるいはちょっとした期待なり好奇心なりが働くやら。
ともかくそういわったわけで、俺は放課後その足で学園裏の焼却炉近く、小さな空き地まできていた。
茜:ごきげんよう。
そこに当然のように立っていた彼女は、完成された、完璧に変化のない、完全な表情を浮かべている。目の覚めるように一礼して、束の間、綺麗な金髪が残像を描く。
――見惚れていた。俺はあわててポケットに手を突っ込み、地面に目線を移動させる。
俺:で、話ってのは何――?
茜:ごめんなさい、急に呼び出したりして。でも驚いたわ、貴方ともう一度会うなんて、それも同じ学校で。
俺:え?
恐らく不思議そうな、間抜けな顔をしているであろう俺の表情を見て、マグリフォンさんの表情も少し崩れた。驚いたように目を見開く。
茜:私のこと、覚えていない?
話がどうにも上手く飲み込めない。
俺:前にどっかで会ったことあるっけ?
茜:覚えて……ないの?
俺:えっと、悪いけど――いやごめん、本当思い出せないんだ。どこで会ったっけ?
マグリフォンさんは俺の質問に答えなかった。ただ、先ほどまで浮かんでいた表情を取り消し無表情になると、ず、と一歩こちらに近づいた。
二歩目。俺は動けない。
三歩目。彼女の表情はまだ変わらない。
四歩目。俺はマグリフォンさんの、何も映さないその表情から目を逸らせなかった。
五歩目。俺が少し前に出れば、身体が触れ合いそうな距離。
六歩目。手を伸ばせば、もう――そこで時間は止まった。
彼女の凍り付くような瞳が、鈍く輝く髪が、滑るように白い首筋が、すぐ近くにあるという事実だけで俺の心臓がオーバーワークを始める。
茜:でも、約束は約束ね。
その音が耳に届いた時には、彼女はもう一歩、前に出ていた。
マグリフォンさんの顔が近づく。
――唇に、柔らかな感触。俺の心臓に直接触れたような、柔らかな胸の感触。脳まで抜けるような甘い匂い。自覚して、全身が硬直した。
硬直した時には、彼女は少し離れたところにいた。
俺は自分の口を押さえる。
俺:な――、なに……?
茜:……続きはまた今度よ。
マグリフォンさんは踵を返し、そして俺の視界から消えた。
それでも俺は、さっきの感触の残滓に悩まされ動けなかった。
家に帰っても、夕食を取る時も、布団に入る時まで、その感触は俺にずっと纏わり続けた。――熱病のように。
最終更新:2007年01月22日 02:12