昼休み――俺は蔵人と向かい合って弁当を食べていた。
俺:うーん。
蔵人:…………
俺:んんんんー……何かなあ……
蔵人:…………
俺:あー、うぅぅぅぅん……どっかで……
蔵人:…………うるせぇよ!
いきなり切れられた。……って、
俺:俺、いまなんか言ってた?
肯く蔵人。うーん、自戒。
俺:…………
蔵人:…………で?
俺:…………で、って?
蔵人:ほら、早くしろよ。
俺:早くしろ?
蔵人:ああもう、いいからさっさと!
また切れられた。なんだこれは。
俺:なんだよ畜生!
俺が立ち上がって、だん、と机を叩くと、やつも立ち上がり負けじと机を叩いた。――クラス中の視線を受けて、俺たちはいそいそと席に座る。こんな時でも、あの人がいまは教室にいなくてよかったと、そう思っている自分がいる。
蔵人:お前悩みがあるんだろ? 水臭いぜ、俺たちダチじゃねぇか。
親指を立て、歯を光らせる蔵人。なんだこいつ。
俺:……はあ。お前さあ、あのマグリフォンさんってどう思う?
蔵人:――転校生の?
俺が肯くと、蔵人は顎に手を当てて視線を虚空にさまよわせた。そしてぽつりと。
蔵人:美人だよな。
俺:あの子さあ、俺と前に会ったことがあるって言ったんだよね。
蔵人:……マジで?
俺:うん。でも俺は覚えてないんだなあ。忘れるはずがないんだけど。
蔵人:そりゃそうだ。美人だし、外人だし、実り少なき人生においてあんな子と会えば忘れるわけがねーよな。
なにやら大変無礼なことをいわれた気がするが、それをスルーできるほど俺の脳内で色々な考えが渦巻いていた。
蔵人:ンなことより、さっさと食っちまえよ。もう昼休み終わるぜ。
蔵人に促され、俺はもくもくと弁当を口に運び始める。
放課後になった。例によって俺はマグリフォンさんのほうがどうしても気になり、その日の授業に手がつかなかった。彼女のほうはと言うと、昨日とは打って変わって俺には興味がなくなったように、こちらを見ようともせず、周りの皆に溶け込んでいた――それは、まるで最近引っ越してきたとは思えない姿だった。ッて、俺もそうなんだけど。
蔵人:おい!! ゲーセンいこうぜゲーセン!
うるせぇなあ。しかも進歩がねえなあ。というのが顔に出ていたのか、蔵人は視線を逸らした俺の前までわざわざくる。
蔵人:昨日はなにやらわけのわからない電波女に拉致されたからな! 本来なら国連人権委員会に訴えたいところだぜ!
しのぶ:そうねー。
うひゃあ。いつの間にやら先輩が近くにいた。まるでステルスだ。
しのぶ:中島君、昨日はありがとね!
蔵人:はい、遅くまでこき使われて大変不愉快でした! 猛省してください!
ばこーん。
本当進歩がねえなあ……
俺:で、今日はなんです?
警戒している俺と蔵人を楽しげに眺めるしのぶ先輩。
しのぶ:いや、別に得にこれということはないんだけどね。それよりさあ、遊佐君?
先輩は机に屈みこむと、声を落とす。
しのぶ:あのマグリフォンって転校生の子と、知り合いなの?
俺:いや、それは向こうが勝手に――って先輩なんで知ってるんです?
会心の笑みを浮かべるしのぶ先輩。
しのぶ:んー、生徒会の力をナメないで欲しいなあ。
俺:先輩……それが言いたかっただけでしょ?
しのぶ:あ、やっぱ知り合いなんだ。へー、ふーん、ほー。
俺のつっこみを無視して、先輩はじろじろと俺の全身を眺め回す。
しのぶ:君たちって同じ時期に引っ越してきたけど、やっぱ申し合わせてたわけ?
俺:いや、違いますよ。……なんですか、申し合わせって。
しのぶ:なんかこうロマンティックにさあ、『俺とお前――再びこの決戦の大地で会うことがあるだろう』、みたいな……
わざわざ声を渋くさせて言う先輩。ノリノリだなあ。
蔵人:えっ、マジ!? じゃあ始まるの決戦!?
で、なんでお前は信じてるんだよ。
俺:とにかく!
俺は勢いをつけるため立ち上がった。
俺:俺のほうはあの人とは初対面としか言いようがないです。
しのぶ:そう。それならいいんだけどねー。
先輩はにやにやと笑いながら、舞うように俺の背後まできて、耳元で一言。
しのぶ:キスまでしちゃってるんだから、なんかあんのかと思ったわー。
俺の口から形容不能な音。
俺:な、なにいっ、て――なんですか本当、なんで!?
しのぶ:本当、あれ見た時は校則校内恋愛禁止条項第二条学内に於ける恋愛行為及び準恋愛行為の禁止、を理由にしょっ引こうかとか考えちゃった。
俺:――つけてたんすか?
しのぶ:なにかっこいいこと言ってんだか。教えてあげるけど、あそこって浮浪者対策に生徒会が監視カメラつけてビデオ録画してんのよねー。一応朝礼ではいったんだけど、転校生コンビは知らないってわけ。
俺:……マジで?
しのぶ:マジマジ。大マジ。
俺はきっといま、大変なさけない顔をしてるのだろう。蔵人は俺を見て、なにやら疑問符を浮かべている。
俺:先輩、そのビデオ――
しのぶ:だいじょーぶ、まだ私しか見てないから。っていうかあんなとこの監視カメラ録画したビデオなんて、見直す人いないわよ。昨日は偶然ビデオテープを変えるとこでねー。偶然再生したらあらびっくり、青春が舞い降りてきたってワケ。で、二人って知り合いなの?
俺は観念すると、再び席に着くと、小さな声で言う。
俺:本当に知らないんすよ。昨日いきなり呼び出されて、私のこと憶えてる?って言われて。で、いきなりあんなコトを――
あんなコト。思い出すたびに、頭蓋骨の裏側の温度が数度上がる。
しのぶ:ふーん、気になるわね。まっ、いいわ。なんか進展があったら教えてね。
俺:はあ……
俺と蔵人を残して、野次馬根性丸出しの先輩は教室をでていった。
蔵人:――俺たちも帰ろうぜ。
肯いて、立ち上がる。と、背後から。
茜:遊佐君。
――声がでなかったのは僥倖だった。一瞬、空白になる思考。
俺:ま……
自分が振り向けるのかという自信すらなかったが、それでも俺の思考をよそに視線は背後に。
マグリフォンさんはやはり変化に乏しい表情で、こちらを見ていた。
俺:マグリフォンさん、こんにちは。
やっとのことで言葉がでた。
茜:昨日は悪かったわね、で――今日も少し話があるんだけど、このあと時間はあるかしら?
俺は助けを求めるように蔵人へと視線を向ける。
蔵人:そういうことなら俺は退散しますので、お二人でごゆっくり。
訳知り顔の笑顔で退散する蔵人。ちくしょう、空気を読みやがれ。
茜:じゃあ、悪いけど昨日のところで――
俺:あ! そ、そこはやめといたほうがいいと思うよ。うん、やめといが方がいい。
彼女はかすかに、それとわからぬほど小首をかしげる。
茜:なぜかしら?
言えるわけがない。俺はなにやら言葉を並べ立ててごまかす。
茜:……わかったわ、それじゃあ、その辺りの喫茶店にでも入りましょう。
そして断れるはずもない。俺は肯いた。
そういったわけで十分後、俺とマグリフォンさんは学校直近の喫茶店で向かい合っていた。――正直なところ、同じ学校の人間と思しき姿がちらほらと見られ、見知った顔がこないように祈っていた。
彼女は両手でカップを抱え、ゆらめく紅茶の水面に目を落としていた。――口をつけて、一言。
茜:不味いわ。
かすかにそれとわからぬほど顔をしかめる。それにしても変化のない表情だ。何か、人工的ですらある。そしてそうであってもおかしくないほど、彼女は美人だという形容以上に、なんと言うか――完成されているように見えた。
何を考えてるんだ、俺は。
茜:それで、昨日の続きだけど。
昨日の続き、という言葉に反応して、またもや俺の心臓の鼓動が早くなった。
茜:遊佐君、本当に憶えていないの? 私のことを。
俺:ああ、申し訳ないけど……どこで会ったんだっけ?
茜:よく、マーちゃんって呼んでくれたじゃない?
マーちゃん――?
その単語を聞いた瞬間、まるで記憶の沸点が下がったかのように、脳裏の奥底が沸騰した。そう、マーちゃんっていうのは俺の――
俺:俺の――昔、近所に住んでた?
彼女は大きく肯いた。
俺:ちょっと待って、あのマーちゃん……? 本当に?
その映像は俺のライブラリで埃をかぶっていた。急いで取り出し、ページをめくる。だが、その多くは文字がかすれ、ぼやけ、薄れ、断片しか引き出せない。
昔、近所に住んでいた子供。
よく、遊んでいた子供。
金髪で、泣き虫の子供。
十年か、もっと前。俺が学校に上がる前。遠い遠い、あまりにも遠い過去。
それがいま目の前に。
茜:思い出してくれたようね。嬉しいわ。じゃあ、あの約束も憶えている?
俺:あの約束?
茜:今度会う時はキスしましょうっていう、あの約束よ。遊佐君とよく二人読んでいた絵本にそういうシーンがあって、そこには"大人にならないとキスはしちゃいけない"って書いてあって……
俺:えっと、それで昨日――
彼女は再び肯く。
そんな約束を、したのかしてないのか、自分でも曖昧だった。
茜:でも、それはもういいわ。遊佐君が私のことを思い出してくれただけで満足よ。ねえ……
彼女はカップを置いて、テーブルに身を乗り出す。かすかに鼻腔をくすぐる、昨日と同じ匂い。俺は引けもせず、前にでることもできず、ただ固まった。
茜:私、変わったかしら?
俺:あ、う――うん、ああ――と、お、大人になった……かな?
我ながらジョークにもなにもなってない答えだが、彼女は表情を変えなかった。
茜:それは当たり前。だって、もう十年以上経ってるから。
俺:はは……あ、あんまり泣かなくなったね。
茜:そうね、昔の私はとても泣き虫だったわね。でも安心して、もうそれも直ったわよ。
彼女は乗り出した身を引いて、再びカップを手にした。それに目を落として、呟く。
茜:もう泣かないわ――もう、直ったんだから。
それは誰に語りかけてるでもなく、あえて言うなら昔の自分に語りかけているような。
……それから、マグリフォンさんは時間をとらせたことを謝ると、最後にまた会いましょうと言って、喫茶店をでていった。
俺はその場に残り、じっと天井――自分の過去を見つめた。
彼女の言った約束。また会う時、キスをしましょう。
――でも、そんなこと言ったっけ?
どうしてもそれは、思い出せなかった。
最終更新:2007年01月21日 05:10