暑い
7月の夏日は木陰にいたって暑い
んじゃあ涼しいとこにいけって感じだが、それも適わない。動けないのだ
「……理不尽な状況はもうない、っていったのになぁ……」
朝練という、オカルト研究部に有り得ない理由で
7時に学校に来るように言われた昨日の俺
「朝練って……運動でもするんですか?
体力作りみたいな……」
「まあ…………そんなものかしら」
丁寧かつ熱心な黒井先輩の指導の下、放課後一杯使って、
魔法の「ま」も体現できなかった俺に、それを断れるわけはなく
「まあ……俺もこのままじゃ引き下がれませんし、
わかりました、7時に部室ですね」
「いえ、朝なら人も少ないですし、門で待ち合わせて中庭でしましょう」
「ああ、広い方が都合いいですもんね。わかりました」
と、こんな普通の会話から、今に至る訳だが……
予鈴が鳴る
「授業…………始まりましたね」
「ええ、サボタージュ、してしまいましたね」
にっこりと俺の向かいで笑う黒井先輩
「あの、一応言いますけど……解いてください」
「水を出せる様になったら、すぐに」
またにっこりと笑う先輩
中庭の、比較的樹木密度の高い記念樹周辺の、木陰
早朝、先輩は俺をここまで先導して、木の幹に座らせた
そして持っていた黒いバッグから縄を取り出し、俺を木に縛り付けてしまった
「え……?」
何が始まるんだ?と訝しむ俺に先輩は
「魔法で、水を作り出しなさい。それが出来たら解いてあげます」
と、いつものにこにこ顔で朝練メニューを明かしたのだった
縛り付けた理由はすぐにわかった。
「あの、まじで喉渇いたんですけど」
「ええ、頑張らないと。今日は相当暑いそうよ」
「くぁぁぁーーーこれじゃホント死にますって!
もう2時間近くたってるじゃないですか!!」
「大丈夫よ……そんな、いきなり干からびたりはしないわ
脱水症状で気絶したら、ちゃんと助けてあげますから」
俺的にはそれって手遅れ認定なんだけどナー
「ほらほら、集中しないと」
「ぐぅ……んなこといっても、これは集中できる状況じゃあ……」
魔法を実行するには、実行式と魔法力が要る
とんでもない綱渡りの末、実行式を無理やり詰め込まれた俺は
その日以降、頭、いや体中を巡るこの魔法式をうまくチョイスして
大気に満ちる水の元素を集め、増幅し、現実にする練習をずっとしている
…………のだが、これが全然うまくいかない
数学か、現国か、どの教科の問題なのかわからないのに
答えだけ山ほど並んでいる様な状態
さっぱりである。加えてこの状況
「ただでさえ全然ダメだったのに、暑さで集中どころじゃないっすよこれ」
「ふふふ……気合です」
「なんでこんなときだけスポ根精神なんですか……」
ちなみに魔法力も0に近い俺は、式が成立しても魔法を発動できない
けどそれじゃ正解選んでもわからないので
先輩が近くにいて、俺に魔法力をわけてくれることでその問題は回避する
「あーーーーダメだ!先輩、一口!一口でいいからそれください!」
「あら……ダメよ、間接キスになってしまうじゃない」
「んじゃ上から垂らしてください!、ホント、ちょっとだけ!」
「ダメです。水を上げたら縛った意味がないでしょう」
要するに水を飲みたければ自分で出せってことなんだが
はっきり言って無理だろこれ
「うー……」
「ふふふ……まあ、私も付き合いますから」
……………………
………………
…………
更に一時間たった
途中、休み時間に入った生徒に気付かせる為大声でも出そうかと考えたが
目の前の悪魔がやたらにっこりしていたので止めておいた
「ダメだ……」
夏の日差しは木陰の俺に直接刺さる事はなくとも
周囲の気温を十分すぎる程上げている
すでに汗ダラダラの俺
「ふぅ……大分暑くなってきましたね……」
パタン、と本を読み終えて顔を上げる黒井先輩
向かいの木陰に腰を下ろしている先輩は
俺とほぼ同じ状況であるにも関わらず汗一つかいていない
「先輩……もしかして、ずるしてます……?」
「なんのことかしら。ああ、暑いわ」
コクコクと紅茶を飲む悪魔
あれ、「私も付き合います」って、
ただここに一緒にいるだけって意味だったんでしょうか
「くぅーー、集中、集中……」
「…………………………」
「……………………」
「…………暑っ」
ミンミンと鳴く蝉の声ですら、俺の体温を上げている気がする
ふと、先輩を見る
物憂げに目を伏せて本に耽る先輩は
なんというか、すごく様になっている
眼鏡も相まって「優秀な図書委員」といった感じだ
本はB5ほどの大きさで、カバーがかけてあるので傍目には内容が予想できない
「……先輩、本好きなんですか?」
「ええ。今日は時間が空くと思って、沢山持ってきました」
「どんなジャンルが好きなんですか?」
「何でも読みますよ。
まりなちゃんにお金だけ渡して、好きな物を買ってきてもらっているの
まりなちゃんは本当に色んなジャンルを買ってくれますから
今読んでいるのも、大体まりなちゃんに頼んで買ってもらったものなのよ」
「へぇ……なんだか面白いですね、それ
どんなジャンルでも読めるなら、そういうのもいいかも」
「そうでしょう?今日のも中々面白いわ」
「へぇ、どんな感じの話です?ああ、もしかして参考書とか……?」
ピラっと本を開いてこっちに見せる先輩
「ええと、こんな感じかしら」
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
「ちょ、先輩っ、何読んでるんですか!!」
「あら……遊佐君、こういうのは好みじゃないの?」
「いや、好みとかそういう問題じゃないでしょう!?
それって読書とはいわないですよ、っというか
先輩これが面白いって言いました??今」
「読書、と私から言った覚えはないのですけど……
ええ、面白いですよ。
ほらこれとか、とても良いアングルでしょう?」
「いやっっ、見せなくていいですから!!
じゃあ先輩はこれを美術作品としてみてるんですかっ?」
「というより、人類の神秘でしょうか
……それに、ほら、これなんてすごく深いでしょう?」
「あ”----っ、やめてっっ
先輩!、マジで!!俺そういうのっ
いや好き嫌いで言えば好きですけどこんなとこでこんな時だと」
余計な邪念でホットな俺の体が更にホットになってしまって
すごく……アレでしょう?昔お笑い芸人がやってたじゃないか
バンッ!と3階の窓が勢い良く開かれる
「む……邪念を感知……!!」
見上げると、葉の隙間から
窓から身を乗り出してキョロキョロと辺りを見回す生徒会長の姿が見える
…………すげぇ
「気のせいかな……」
ガラガラと窓の閉まる音
「先輩、早くそれしまって!上に生徒会長がいますよ!」
小声で訴える
「あら……さっきまでなんともなかったのに…………」
「いや……すんません、俺のせいかもなんですが
とにかく今はその本はやめてくださいっ」
「まあ、困ったわ。じゃあどれならいいんでしょう……」
バッグを漁る先輩
「……じゃあ、これとか」
「ぐはっ、ダメです!それもダメっ!」
「えぇ……ではこれとかこれとか」
「ダメーーーーーーー!!」
「……困ったわ。この中でどれならいいの?」
「なんでこんなの一杯持ってきたんですかーーーーーっっ」
バタンッ
「強い邪念を感知!!授業中に何をしたらこんな邪念でるんだ~~~!?」
…………はは……木に縛られたら、かな……
と、いうか
「……先輩、そういう本読んで何ともないんですか……?」
「何ともない、というのは、何がですか?」
「ぁ、いや……………………んじゃ、
先輩ってそういうやつ、自分も挑戦してみたかったりするんです……?」
先輩はこれに、にっこりと目を閉じる程細めて
「そんな訳ないでしょう」
「………………………はい」
……………………更に時間がたった
喉はカラカラ、汗はダラダラ
意識を落としてしまいたいけど、きっと目の前の
ブックカバーのかかった本を読んでくすくす笑ってる悪魔が許さないだろう
もう何を読んでるのかは聞かない
「……んもー、結構限界なんだけどな……くぅ、もう一度……」
集中だ、と目を閉じる。
体の隅々で大気を感じ取って、正解を探さなければ……
不意に風が吹く。汗で濡れた体に涼感を得る
「ん…………」
ザワザワと葉が騒ぎ、舞う
強い日差しはその揺れる葉の合間を縫って、俺と、先輩を僅かによぎり
「あ────────」
思わず目を開ける
その彼女の長い髪が、なびいている
「…………」
風を受けて、穏やかに微笑む先輩
嬉しそうに細めた目は相変わらず本に向けられているが、しかし───
「ああ……」
それは、この学園の中庭だけが切り取られた様な光景
あれ程耳元でがなりたてていた蝉の声が、今は遥かに遠い
校舎にいるはずの生徒など、いや
この場の者以外、始めから存在していないかのように
全ての喧騒は、この新緑の音色に飲み込まれて────
彼女に伸ばそうとした手が動かない
当然のはずなんだが、今は理由を思い出せない
ああ、頭がぼうっとする
この世界で、足りないモノがあるとしたら……
体の中で、そのイメージが溢れ出す
「ああ……もし足りないんなら、それは────」
サァァ、と
日の照る中庭に雨が降り出す
祝福するように柔らかな小雨は、俺の喉を潤すことは出来ない
「…………良く出来ました」
いつの間にか上を向いていた顔を戻すと、先輩が俺に微笑んでいる
「少し弱いけれど、今はこれで十分。
もうその体は、水の導き方を覚えたはずよ」
パタンと本を閉じて立ち上がった先輩が、虹のアーチをくぐる
「え……?…………ああ、この雨、俺が……」
「本当、すごいわ。ご褒美をあげたいくらい」
本当だ、ご褒美を貰いたいくらいだ
「んじゃ、ご褒美にその紅茶、くちづ……っっんっっ!?」
「…………あら……何かいいました?」
「……………………いえ」
喉が潤う。彼女にとって今のはノーカウントらしい
だったらもう少し欲張ろう
「それじゃ、ご褒美ください。
…………そうですね、じゃあ今度の日曜
どっか遊びに付き合ってください」
先輩は目を丸くした後、少し戸惑って
「……ええ。それじゃあ、待ち合わせは何処がいいかしら」
上目遣いに微笑んだ
予鈴と共に、全ての音が戻る。昼休みが始まったようだ
縄を解かれる。けれど、もう少しここにいよう
「あ、そういえば、お弁当を作ってきたんですよ」
ほら、またご褒美が一つ─────
最終更新:2007年03月13日 11:51