人は生きるうえで完全という概念を意識せざるを得ないし、自分の不完全さも意識せざるを得ない。
完全さと自分の不完全の落差を前にして、それに立ち向かうから、それから逃げるか、それとも見ないふりをするか、それは人によっても状況によって違うのだろう。
茜さんあれからも変わらず、ずっと自分の欠点から逃げず立ち向かい続け、変わらぬ姿で過ごしていた。しかし、俺と一緒に過ごす時間だけは、少し増えた。
二人であいも変わらず無言のまま、夜の公園を歩いている。
茜:ねえ、遊佐君。
ふいに茜さんが言った。
俺:ん、なに?
茜:夏休み、暇はあるかしら?
俺:んー、まあ、暇だらけだけど……
バイトもしてないしね。
茜:私、向こうの国へ少しの間帰るんだけど……遊佐君も一緒にどうかしら? 私の家なら、一人ぐらい泊まれるわ。父も母も歓迎すると思うけど――
俺:んんんん……
考え込む俺の瞳を、彼女は覗き込んだ。
茜:なにか差し支えがあるのなら、構わないわ。
俺:いや、そうじゃなくて。あっちへの飛行機代とかいくらぐらいかかるっけ?
彼女は金額を口にした。うひゃあ、自分の目玉が飛び出てないか、思わず触って確認した。
俺:そんなにするのか……
茜:あの、別に私がだしてもいいわ――私が言い出したのだから。
俺:いやいや、それは男が廃るってもんですよ。OKOK、夏休みね。予定空けとくわ。
バイト探さないとなあ、と胸中でつけ加える。
夜闇のなかでふと横を見ると、茜さんがいなかった。振り向くと、彼女はそこにじっと立って、こちらを見ている。
茜:あの、変なこと言うわ、ごめんなさい。その――ちょっといいかしら?
俺:なに?
茜:紅子と約束したキスだけよね、その――つまり、キスしたことあるの。
俺:うん。
茜:だから、もう一回……初めて、してみないかしら?
彼女はそう言ったあと、あわてて視線を外す。
茜:ごめんなさい、なんでもないわ。ちょっと言ってみただけよ。
俺:いやいや、わかったよ。
俺は茜さんに近づく。彼女は戸惑った表情から一転して、顔を赤らめて目を瞑った。
彼女の顔に、自分の唇を近づける。
――そのとき見えた空には、その大半を欠落させた月が、笑うように漂っていた。
最終更新:2007年01月25日 03:46