二人とも黙ったまま、階段を降り続ける。
ましろちゃんは、自分の事を人殺しだといった。
どういう事だろう?
どの表情のましろちゃんを思い浮かべてみても、イメージと一致しない。
俺に諦めさせる為のブラフかもしれない。
むしろ、そうであって欲しい。
けど、おそらくましろちゃんは嘘をついていないだろう。
じゃあ、どうして? 誰を?
疑問が頭をぐるぐるする。
さっき俺が言った言葉は本心だ。
だけど、気になる。
彼女の考えてる事が知りたい。

遊佐「あ」

気づいたらもう一階だった。
階段の少し上の方でましろちゃんがたたずんでいる。

遊佐「どうかしたの?」
ましろ「遊佐君。こっちに……」

これまでと違う、明らかな作り笑いを浮かべて彼女が手招きする。
嫌な予感がした。
だけど、このまま置いてかえるのも……。

ましろ「どうしたの?」
遊佐「その前に、聞いても良いかな?」
ましろ「何をかな?」
遊佐「ましろちゃんが言ってた、人殺しって事の意味」
ましろ「……どうしてそんな事を聞くの?」
遊佐「気になるからだよ」

気がつけば。
彼女の笑顔が凍りついていた。
ようやく理解する。
彼女はいつも、笑顔の仮面をつけていた事を。

遊佐「教えて……くれないか?」

聞かれたくない話だとは思う。
けど、俺はもう遠慮しない。

ましろ「……つまらない話だよ?」
遊佐「構わないよ」
ましろ「……物好きだね」
遊佐「ましろちゃんが好きだからさ」

歯の浮くようなセリフだったが、ましろちゃんは苦笑さえ返してくれなかった。

ましろ「あれは、わたしの最初で最大の間違い」

ましろちゃんの表情が消えた。

ましろ「昔、うちは貧乏でね。日々の暮らしも大変だったんだ」
ましろ「それでも、それなりに幸せな日常だった」
ましろ「おじいちゃんと、共働きのお母さんとお父さん。そしてわたし」
ましろ「わたしはおじいちゃんっ子でね。良く色々な話を教えてくれた」
ましろ「そんなある日。お母さんが病気で倒れちゃったんだ」

小さく、ましろちゃんが震えた。

ましろ「お医者さんが言った病気はなんだか難しそうな名前だった」
ましろ「すぐに入院するように言われたけど、そんなお金は無かった」
ましろ「子供のわたしでも、お母さんがどんどん弱っていくのが分かった」
ましろ「お父さんも家に帰ってこない日が多くなった」
ましろ「お母さんは謝ってばかりだった」

ましろちゃんの瞳から、ひとしずくのきらめきが流れ落ちた。

ましろ「ある日、近所の橋の上で、おじいちゃんがわたしに聞いたんだ」
ましろ「『お母さんを助けたいか?』ってね」
ましろ「わたしはもちろん頷いたよ」
ましろ「おじいちゃんは優しい笑顔で……」

不意に言葉が途切れた。
ましろちゃんが、静かに泣いている。
もう良いと止めてあげたい。
けど、聞かなくちゃいけない。
何があっても俺は、全て受け止めるんだ。
知らないままでは、本当の意味で触れ合わせてくれない。
だから、知らなくてはいけないんだ。

ましろ「笑顔で、わたしに選ばせた」
ましろ「『どうしてもお母さんを助けたいのなら、そこの自動販売機で飲み物を買ってきてくれ』って」
ましろ「お金を渡されたわたしは、迷う事なく、買って来た」
ましろ「あれは、ビールだった」

ましろちゃんが、俺をじっと見つめる。

ましろ「遊佐君。知ってる?」
遊佐「ん?」
ましろ「お薬とお酒を一緒に飲む事」
遊佐「あ」

それは、薬によるけど……危険だ。

ましろ「おじいちゃんは、わたしが買って来たお酒と、お薬を飲んじゃった」
ましろ「それで、おじいちゃんは橋から転落」
ましろ「わたしは訳が分からなくて助けを呼ぼうと走り回った」
ましろ「けど、周りには誰も居なくて、結局、おじいちゃんを殺してしまった」

静寂が降りる。
ましろちゃんは悪くない。
そう言いたいのに、言葉がのどで粘ついて出てこない。

ましろ「おじいちゃんの生命保険とかで、お金がいっぱいはいって、お母さんも良くなった」
ましろ「それで、どうなったと思う?」
遊佐「え?」

おじいちゃんは死んじゃったけど元通り……じゃ……ないのか?

ましろ「お母さんの病気が治ったら、お父さんは出て行った」
ましろ「お父さんが帰ってこなかったのは、働いてたからじゃないんだ」
遊佐「それって……」
ましろ「酷い話だよねぇ。奥さんが病気なのに自分は不倫してたなんて」
遊佐「…・……」
ましろ「お母さんが元気になって、最初にお父さんから渡されたものは離婚届」

涙を流しながら、ましろちゃんが笑っている。

ましろ「結局、わたしが選んだ選択肢は、誰も幸せになれない結果」
ましろ「お母さんも、おじいちゃんも、わたしも」
遊佐「でも……」
ましろ「だから、決めたんだ」
遊佐「ましろちゃんは……」
ましろ「わたしは絶対に選択を間違えないって」
遊佐「ましろちゃんは……悪くない……」

やっと搾り出した言葉。
けど、ましろちゃんは悲しそうに微笑むだけだった。

ましろ「お母さんと同じ事を言うんだね」
遊佐「でも……当然じゃないか……」
ましろ「わたしはみんなの幸せを紡ぐの。それがわたしに出来る精一杯」
ましろ「だから、わたしの事は諦めて欲しいんだ」
遊佐「なんで……なんでなんだよ!?」
ましろ「遊佐君には聖ちゃんとくっついて欲しいんだ」
遊佐「え?」
ましろ「聖ちゃんは、自分でも気づいてないだろうけど、遊佐君の事好きだよ」
ましろ「だから、そのためのお膳立ても色々したつもり」
ましろ「なのに、土壇場になってひっくり返されたんだもん」

びっくりしちゃったよ。と笑うましろちゃん。

遊佐「待って……くれよ」
ましろ「何かな?」
遊佐「みんなの幸せを作るって、言ってたよね」
ましろ「うん。言ったよ」
遊佐「じゃあ、俺の幸せはどうなるんだ?」
ましろ「ん?」
遊佐「俺はましろちゃんが好きだ。その俺の意思はどうなるんだ?」
ましろ「遊佐君」

冷たい表情を浮かべるましろちゃん。

ましろ「わたしと付き合って、幸せになれると思ってるの?」
遊佐「幸せ?」
ましろ「聖ちゃんを選んだほうが遊佐君のためなんだよ」
遊佐「そんなこと……知るもんか!」
ましろ「遊佐君?」
遊佐「俺は、ましろちゃんが好きだ。先のことなんて知らない」
遊佐「幸せになれるかどうかなんて、損得勘定だって出来ない」
遊佐「俺はましろちゃんが好きだから、一緒に居たいんだ」

思いのたけをぶつける。
今の俺には他の手段なんて思い浮かばない。

ましろ「どうしても?」
遊佐「どうしてもだ」
ましろ「……わたしが遊佐君を殺そうとしてたとしても?」
遊佐「構わない」
ましろ「嘘じゃないよ? 本当に考えていたんだから」
遊佐「何となく知ってる」
ましろ「方法は?」
遊佐「多分、階段から突き落とそうとしてたんだと思う」
ましろ「すごいね。大正解」
遊佐「もう一つ聞いても良いかな?」
ましろ「何かな?」
遊佐「みんなの幸せに、ましろちゃん自身は含まれているのかな?」
ましろ「今日の遊佐君はすごいね。痛いところばかり突いてくる」
遊佐「じゃあ、やっぱり……」
ましろ「今日のところはわたしの負けかなぁ……」

含まれてないんだ。

ましろ「何だか冷めちゃった。帰ろうか?」

急に日常のテンションに戻るましろちゃん。
冷めたのは気分の方だろうか?

遊佐「いつもどおりのましろちゃんに戻っちゃったか」
ましろ「まあ、そう言う事だねぇ」
遊佐「急に戻られると少々テンション的にきついものがあるけどね」
ましろ「ふふっ、あの話を人にしたの初めてだけど、内緒だよ?」
遊佐「分かってる」

吐き出して少しすっきりしたのかもしれない。

遊佐「後ろからザクリとかなければ一緒に帰りたいと思うんだけど」
ましろ「遠慮しとくよ。また突き落としたくなるかもしれないし」
遊佐「それは残念」

ましろちゃんが俺の横を通り過ぎる。

遊佐「ああ、ところで」
ましろ「何かな?」
遊佐「俺の告白に対する答えは?」
ましろ「良い返事があると思う?」
遊佐「じゃあ、今日のところは諦めるよ」
ましろ「いつ来てもダメだと思うよ?」
遊佐「じゃあ、方法を考えておく」
ましろ「期待しないでね。わたしもしないから」

くすくすと微笑んでましろちゃんが去っていった。

遊佐「俺も帰るか」

内容はともかく、最後はいつもの会話が出来た気がする。
少し気分が良かった。
最終更新:2009年02月04日 19:01