小さい頃の俺が泣いていた。
なんで泣いているんだろう?
周囲には慌しく動き回る、一様に黒い服で身を包んだ大人たち。
----思い出した。僕はじいちゃんが死んだから泣いているんだ。
いつの間にか目の前には女の子がいた。
僕と同じ位の年の女の子だった。
僕はその子に言った。
『じいちゃんを返せ!』
その子も泣いていた。
親父に殴られた。
痛かった。
その女の子は『ごめんなさい』を機械の様に繰り返していた。
僕の目の前にいる女の子は誰だっけ?
とてもよく知っているはずなのに誰か思い出せない……。
4月8日(月)
声
「朝よ、起きなさい」
遊佐
「…………」
声
「ちょっと、遅刻するよ。初日から遅刻はやばいでしょ?」
遊佐
「…………」
声
「……(フォント小)裏の集合時間過ぎてるわよ」
遊佐
「なんだとっ!」
俺は飛び起きた。
気の知れたリンクシェルとの待ち合わせだったら多少の遅れも大目に見てもらえるだろう。
だが、裏は、裏だけはまずいのだ。
遊佐
「今、何時だ! うわっ!」
史布代
「七時半ってとこじゃない?」
飛び起きた俺の目の前には、ふよ姉がいた。
ふよ姉を見た瞬間、何故か急に胸が締め付けられるような感覚を覚える。
そしてふよ姉はブレザーの前がはだけて胸が見えていた。下着は着けてたけど。
遊佐
「ちょ、ふよ姉、朝からなんて格好をしてるんだ」
史布代
「へ、アタシ? 違う制服着てる?」
そう言うとふよ姉は、自分の服装を一通り確認しはじめた。
……だいたい『違う制服』ってなんだ。
巫女か? ナースか? スチュワーデスか?
遊佐
「前だよ、前。全開じゃないか」
史布代
「あー、これ。だって朝は忙しいし、アンタも細かいわね。姉弟なんだからこれくらいどうってこ
とないでしょ? 何も着けてないわけじゃあるまいし」
遊佐
「そういう問題じゃないだろ。だいたいふよ姉はそんな格好で家を出ることが稀によくあるし」
こんな会話はいつものことだけど、ふよ姉は俺の実の姉ではない。
親父の兄弟の子ども。つまりは従姉弟ということになる。
俺が4つのときにじいちゃんとふよ姉の実の両親が乗った船が事故に遭い、それ以来は俺の家族
として暮らしている。
俺はじいちゃんっ子で、そのときは大泣きした記憶がある。
史布代
「お姉ちゃんのお姉ちゃん的な第六感からいうときっとアンタを起こすのは今日が最後になるんだ
から、しゃっきり起きて遅刻なんてしないようにね。特進科は風紀委員が厳しいんだから」
遊佐
「は?」
ふよ姉は、意味不明な言葉を残して下へ降りていった。
しかし、さっきの嫌な感じはなんだったのだろう。何かじいちゃんの夢を見ていた気がするけど
それに関係があるのかないのか。
俺はじいちゃんが本当に好きだった。
とにかくカッコ良かった。
動物園にいけばトラやライオンを片手で捻りつぶし、水族館ではシャチやイルカと大乱闘、そし
て口癖は「漢なら常に上を目指すのじゃ」とあともう一つ……。
あれ? そんなお年寄りいるわけないよね……常識的に考えて。
なにしろ小さい頃の記憶だからちょっとしたエピソードが大袈裟になっているのかもしれない。
二週間ぶりの学生服に袖を通し一階のリビングに降りる。
ふよ姉の姿はない。
キッチンの方からふよ姉の鼻歌が聞こえる。
どうやらお弁当の準備をしているらしい。
ふよ姉の言うとおり、新学期初日から遅刻はまずい。
一年の計が元旦にあるのならば新学期の計は始業式にあるはずだ。
テーブルの上に用意してあった、トーストを一気に平らげて玄関へ向かう。
遊佐
「じゃあ、ふよ姉、先行くよ」
靴を履きながらふよ姉に声をかけた。
史布代
「いってらっしゃい、今日から同じ特進科だね。学校でも甘えていいからねー」
遊佐
「そんなことできるか」
とつぶやいて家を出た。
ヴァナディール学園までは徒歩で二十分程だ。
普通科だったとはいえ同じ学園に通うふよ姉とは、一緒に通学したことは殆どない。
別に恥ずかしいとか嫌いとか言うわけじゃなくてふよ姉とは通学の時間帯が合わないのだ。
何故かふよ姉は遅刻ぎりぎりに家を出る。
俺だって遅刻ぎりぎりに家をでることなんてしょっちゅうだ。
しかし、ふよ姉と俺とじゃ遅刻ぎりぎりの時間がそもそも違う。
ふよ姉は昔から足が速かった。
俺の私見だけどあれは全国に通用するレベルだ。
学園までの道のり、常人が走ればマラソンという距離をふよ姉は短距離と同じスピードで駆け抜
ける。
その常軌を逸したスピードは、うちの学園の一つの名物になっている。
他愛のないことを考えているうちに、白門が見えてきた。
白門とは、特進科校舎の校門の通称である。
白い石造りの門で、中東からデザイナーを呼んで設計したものらしい。
ここにきて白門をくぐるためにした数々の苦行が自然と思い出された。
そもそも事の発端は親父の海外赴任だった。
親父がアルトガンだがプマロシアだかよくわからん国に海外赴任が決まったは去年の夏。
親父は仕事で海外にいくことが多かったのでそんな話を聞いても勝手に行けと思っていたのだが
、何を血迷ったのか俺たちを連れて行くなどとほざき出しやがった。
ふよ姉は、家族が離れ離れになるのは良くない、とついていくことには同意していたが、俺はど
ちらかというと大反対。
はっきりとした理由はわからない。
ただ、この住み慣れた町からとにかく離れたくなかった。
そして大喧嘩の末、親父が出した条件が、『特進科の編入試験に合格すること』だった。
そして今年の三月。俺はなんとか編入試験に合格し、俺が残るならとふよ姉も残ることになり、
両親は海外へと飛び立ったのだった。
俺は、白門の前で、立ち止まる。
一本道路を挟んで建つ一年間通った、普通科の校舎に別れをつげて、俺は今新しい一歩を踏み出
し、
???
「おい、そこの男子生徒」
……踏みだそうとしたらいきなり襟の後ろを誰かにつかまれて、引っ張られた。
遊佐
「おいィ! 人の新しい人生の第一歩をいきなり邪魔するとはどういう了見だ、ごらぁ!」
吐いた台詞は威勢がいいものの、首根っこをつかまれた猫のようの状態で俺は情けなく振り返る
ときつい目つきをした女がいた。
???
「そなたこそ、そんなだらしない格好で、この白門をくぐろうとするとは、それでもうちの生徒か
、恥を知れ、恥を。そんな格好で踏み出すのならその新しい一歩とやらもたいしたことあるまい」
遊佐
「俺のどこがだらしないっつうんだよ! 普通科じゃこれが一種のお洒落として認められてんだよ
、お上品な特進科にはわからないかもしれないけどな! なんでもかんでも自分たちの物差しで測
ってんじゃねえぞ!」
台詞こそ威勢のいいものの首根っこをつかまれた猫のような状態なのでいまいち決まらない。
なんとなく池乃めだかを思い出した。
きつい目の女
「その寝癖のついたぼさぼさの頭や、制服からはみ出して見えてるジャージが、普通科でいうお洒
落なのか? それは初耳だな」
この女、俺のお洒落に文句をつけるとは、身の程知らずめ。
こちとらブリジットちゃんのファッションチェッククエはコンプリートだっての。
そんなわけでこの女にお洒落について少しばかり講釈をしてやることにした。
遊佐
「いいか女、ファッションと実用性というのは時として、いや往々にして相反することがある。例
えば、だ。シーフのAFの帽子だが、知り合いのミスラにまだ、AF取り直しが実装されない頃に
耳が見えないからといって取得した瞬間に捨てたやつがいる。どういうことかわかるか? 確かに
AF頭は大した性能じゃないかもしれない、だがぬすむというアビリティを強化する数少ない装備
の一つであることは間違いない。それを、だ。耳が見えないという理由だけで絶対に被らない、だ
から捨てるという信念にも似たこの衝動。わかるか? お洒落とは即ち信念なのだよ、俺はそのミ
スラに男気を見たね。まぁミスラだから女なんだけど、中身はともかく」
きつい目の女
「その、外国の人の話はまだ続くのか?」
遊佐
「……くそ、もういい」
しょせん女には本当のお洒落などわかりはしないのだ。
きつい目の女
「ほら、ともかく身なりを正せ。身なりの乱れは心の乱れの始まりだ。せっかくの新学期だ、その
方が気分も晴れやかになるであろう?」
そういうと女はやっと俺を首猫状態から開放した。
久しぶりに感じる地球の重力に二三歩よろけた。
そしてここでやっと女の全体像を見ることができた。
背中まである真っ直ぐな長い黒髪。
赤いヘアバンドをしておでこをだしている。
そしてきっつい釣り目。
腕には『風紀委員』と書かれた腕章。
なるほどこれが特進の風紀委員か。
普通科ではほとんど機能していなかったからこんなことで注意を受けるとはある意味新鮮だった
。むかつくけど。
しかし、あまり初日から問題を起こすのもどうかと思ったので俺は素直に従うことにした。
とりあえず足の裾からはみ出ていたジャージを強引に中に押し込み、朝もやの水分を手で集めて
寝癖を無理やり抑えつける。
遊佐
「これでいいだろう? 俺は早く新たなる一歩を踏み出したいのだ。新しいクラス分けも早くみた
いし。でも特進科で同学年の知り合いってブロントと、まっしーくらいしかいないから誰が一緒に
なってもかわらないけど。でも名前からこの人どんな人かなって想像するのって楽しいじゃん?
んで、この名前でその顔はねえだろとかギャップを……」
きつい目の女
「なにやらぶつぶついってるところ悪いが、シャツの襟もおかしいし、学ランのボタンも下から二
番目を付け忘れている、子どもじゃあるまいしそのくらい直……ってそなた遊佐か?」
遊佐
「へっ?」
きつい目の女
「私だ、早乙女だ。小さい頃よく共に遊んだであろう?」
遊佐
「あーっ! 不二子ちゃん!」
不二子
「……一つ頼むが私を下の名前で呼ぶのはやめてくれ。そなた、ところでそなたうちの生徒だった
か? いくらうちが大きな学校とはいえ一年間一度も顔を合わせなかったことはないと思うのだが
」
遊佐
「ああ、普通科にいたんだけど、編入試験うかって今年から特進にきたんだ」
不二子
「なるほど、それで普通科がどうと言っていたのだな合点がいった。それと遅くなって申し訳ない
が編入試験合格おめでとう。そなたの努力はそなただけのものだ。だが、ここは私も共にそなたと
喜びを分かち合うことを許してもらいたい。本当におめでとう」
そう言うと不二子は微笑を浮かべて一歩俺に近寄る。
不二子
「普通科のことは良く知らないが、特進科では身だしなみにも気をつけてもらいたい。清く正しく
、お互いに競い高め合える学園に私はしたいのだ」
もう一歩。
俺のすぐそばまで不二子は近づき、突っ立ってた俺の首に手を回す。
遊佐
「えっ?」
突然のことにうろたえる俺を尻目に手際よく俺のシャツの襟を直し学ランのボタンを留めた。
不二子
「ふむ、やはりこちらの方がよく見える。人間中身が大事というのは言わずもがなだがな」
そういって彼女は離れた。
不二子
「私は、風紀委員の仕事があるのでこれで、そなたの特進科の生活に幸多からん事を」
遊佐
「ああ、ありがとう」
すっかり毒気を抜かれてしまった俺は生返事を返すだけだった。
遊佐
「すっかりペースを乱されてしまった……」
だが、ここで気持ち入れ替えねばならない。
これからクラス替えが行われたとはいえ、既に輪ができてしまった集団へと入っていかなければ
ならないのだ。
遊佐
「こういうのは最初が肝心だよな……」
下手な失態をおかして変なあだなをつけられてしまえば俺の学園生活は暗黒に包まれてしまうに
違いない。
忘れもしない、あの小学三年の時の悪夢を……。
おっといきなりテンションが急降下するとこだった……。
幸いにも数少ない知り合いまっしーとブロントが同じクラスであることをさっきクラス割を見て
確認した。
ブロントは同じ編入組ということで、同クラスに割り振られたとも考えられるが、まっしーに関
してはいささか運命を感じる。
遊佐
「では、いざ参る」
教室の引き戸に手をかけ力を込めた。
遊佐
「グッドモーニング! 皆の衆!」
一斉にクラスメイトたちがこちらに注目する。
空席はわずか、この早い時間にもかかわらずほとんどのクラスメイトは登校していたようだ。さ
すが特進。
遊佐
「えっと……」
しまった注目を集めたがいいがなんのネタも用意してなかった。
耐え切れないほどの静寂が教室を支配する。
俺はそれに耐え切れなくなって、ここは脱ぐしか、もう脱ぐしかないと考え始めていた時に助け
舟がだされた。
柊
「あ、遊佐君、おはよー」
見ると席に行儀よくちょこんとすわっているまっしーが笑顔で手をぱたぱたとこちらに振ってい
る。
さすがは癒し系プリンセス。人が困っているのを敏感に察知してかはたまた自然とか、俺の窮地
を見事に救ってくれた。
まっしー程の癒し系であればクラスにもたくさんのお友達がいるに違いない。ここはまっしーと
仲良いことをアピールしつつそれを手がかりとして交流を広げていくことが良策だろう。
俺は自分の席を確かめもせずにまっしーの席へと向かった。
遊佐
「やあ、まっしー調子はどうだい」
柊
「うん、そこそこー」
これでまっしーとの接触は二回目。これといって共通の話題も見出すことができないので無難な
とこから攻めることにした。
遊佐
「まさかおんなじクラスになれるとは、これって運命かもわからんね」
柊
「あははっ。そうかもしれないねー」
あれ? おかしいな。
周りから妙なプレッシャーを感じる。
柊
「でも残念だったのは聖ちゃんとは別クラスになっちゃったことかなぁ」
遊佐
「それは、俺にとっては喜ばしいニュースだけどな、あの女はこれから始まる俺とまっしーとのラ
ブロマンスを邪魔するに違いないからな、ところでなんかこのクラス雰囲気がおかしくない?」
柊
「え、そう?」
まっしーはそういうもののなにかぴりぴりとした殺気のようなものが教室に充満していた。
ゆっくりと周りを見回すとクラスのほとんどの男子がこちらを睨んでいることに気づいた。
何人かの男はなにかぶつぶつつぶやいている。口のうごきから察するにあまりいい言葉ではなさ
そうだ。
遊佐
「まさか……。なあまっしー、お前の男友達がよく怪我とかしないか? 原因不明の事故とかで」
柊
「えー、そんなことないよ? 私、保健委員さんだから去年のクラスでは大きな怪我なんて2、3
回くらいしかなかったよ? それにそもそも私男の人の友達って遊佐君くらいしかいないから」
遊佐
「いや、普通大きな怪我は1回でもありゃ大事だ」
まっしーの『遊佐君くらいしかいないから』の台詞のところでクラス内の充満する殺気が爆発的
に増加することを俺は感じ取り確信した。
まっしーは本物のお姫様だと。
遊佐
「あ、そろそろ朝のHR始まるね。俺席戻るよ。じゃあねましろちゃん」
まっしーには悪いが、転入初日でクラスの男子全員を敵に回すわけにもいかないのでさりげに呼
び名の親密度をダウンさせつつ適当に切り上げて席に戻ることにした。
柊
「えー、まだ時間あるよ? 遊佐君が想い続けた二千年の時間に比べればたいした時間じゃないけ
ど……」
姫の他意など全くないジョークで俺に向けられた殺気がさらに数倍に膨れ上がった。
普段ならばそういったジョークは大歓迎な俺だがここでそれに乗っていく度胸など俺は持ち合わ
せていなかった。
遊佐
「あわわ、ごめん。俺まだ自分の席どこかも確認してないし」
柊
「あ、やっぱりそうだよね」
そう言うと含みのある笑顔を俺に向ける。
柊
「ここだよ」
とましろちゃんは隣の空いてる席を指差す。
遊佐
「へっ?」
柊
「だからここ、私の隣なの。遊佐君の席。これからよろしくね」
遊佐
「な、なんだってー!」
どうやら、このクラスで男友達を作る道は閉ざされているようだった。
担任
「おはよう諸君。このクラスの担任の鳥恩だ。今日から新学期だ。経験した身から言わせてもらう
と学生時代というものは本当にあっという間。この時期の経験は今後かけがえないものとなろう。
一日一日を大切にしてもらいたい。サベッジブレェェェイド!」
うちのクラスの担任はむさくるしい男だった。上下ジャージといういでたちとあのがたいの良さ
からから恐らく担当は体育だと推測される。
鳥恩先生の自己紹介が終わると同時にがらがらと音を立てて教室の扉が開いた。
先生を含めて、クラス中の全員が開いた扉に注目する。
入ってきたのは不二子だった。
あいつも同じクラスだったか。
不二子
「先生、遅れて申し訳ありません。風紀委員の公務がありましたゆえご容赦いただきたい」
鳥恩
「風紀委員の仕事ぶりは職員側でも評判はとてもとても良い。ご苦労だった。サベッジブレェェイ
ド!」
俺はましろちゃんに小声で話しかけた。
遊佐
「ねぇ、ましろちゃん。なんであの先生、最後になんか叫びながらいちいちジャンプするの? サ
ベッジブレェイド」
柊
「えっと理由は良くわからないけど去年からそうだったし、そういう人なんじゃないかな? サベ
ッジブレェイド」
遊佐
「そういう人なのか。サベッジブレェイド」
納得はいかなかったが使ってみるとあながち悪いものではないようだ。さすがにジャンプまでは
しないけど。
不二子に少し遅れて、もう一人女生徒が教室に入ってきた。
そして、先生を無視して空いてる席に座る。
鳥恩
「月島、遅れてきてその態度はないだろう。せめて遅刻の理由でも言ったらどうだ? サベッジブ
レェイド!」
月島と呼ばれた女生徒は鋭い目つきで鳥恩先生を一瞥してまたそっぽを向く。
月島
「別に、出席をとる前だから遅刻ってわけでもないだろ。まあそれが気にくわないんだったら別に
遅刻扱いでもアタシは構いやしない」
鳥恩
「月島お前も、いい年なんだからいつまでもひねくれてないで、少しは姉を見習ってだな。サベッ
ジブ……」
月島
「聖は関係ないだろ!」
あ、先生中途半端にジャンプしてる。
俺はまたまた、ましろちゃんに小声で話しかける。
遊佐
「聖って、あの聖のこと?」
柊
「あのって言い方はなんか失礼だよ遊佐君。そうあの聖ちゃんだよ。杏ちゃんは聖ちゃんの双子の
妹なの」
自分でも『あの』っていってるじゃないかこのおちゃっぴーさんめ。
しかし、聖に双子の妹が同じクラスとは。
彼女は聖と正反対な印象をうけるが、髪型や雰囲気の違いから気付かなかったが顔のパーツはよ
く見るとなるほど確かに同じだ。
鳥恩
「そうだな。先生が悪かった。彼女と君は別の人間だ。不必要に比べられるのは不快だろう。許し
てくれ。サベッジブレェェェェイド!」
あ、今回はさっきのフラストレーションもあってかジャンプが高いな。
杏
「ふんっ」
彼女は先生の謝罪に不良少女のステレオタイプ的な反応を返す。
柊
「あのね杏ちゃん」
ピリピリとした緊張感の中、不意にましろちゃんが彼女に話しかけた。
杏
「なんだ?」
柊
「そこ操ちゃんの席だよ。杏ちゃんの席はあっちだよ」
杏
「う……」
顔を赤らめて言葉を失う彼女に少し萌えてしまった……。
やるな月島杏。
そしてそんな彼女の一面を引き出したましろちゃんグッジョブ!
柊
「???」
ましろちゃんに向かっておもむろに親指をつき立ててこぶしを突き出した俺を見てはてなマーク
を頭の上にだしていた。
朝のHRが終わると先生と入れ替わりに女生徒が一人教室に入ってきた。そして真っ直ぐにこち
らに向かってきた。
遊佐
「何の用だ。昨日の謝罪にでも来たのか?」
あの昨日の忌々しい出来事を俺は忘れてはいない。俺は根に持つタイプだ。
聖
「勘違いするな、貴様なんぞに用はない。昨日のことだって貴様が嘘をつくから悪いのだ。それよ
りも、ま、し、ろ」
相変わらず聖は俺には挑発的な態度で、ましろちゃんに対しては360度態度が急変する。
そのギャップが気持ち悪い。女同士でなにをやってるんだか。
柊
「聖ちゃんおはよう。同じクラスになれなくて残念だったね」
聖
「ああ、本当に残念だ。私はこのクラス割を決めた奴を一生恨むことに決めた、それと遊佐、36
0度では方向は変わらないぞ」
あ、声にでちまってたか。
遊佐
「そんなことで一生恨むとは、案外人間の器が小さいんだな聖」
聖
「貴様に言われたくない。それと貴様に聖などと呼ばれる筋合いもない。気色悪い」
ふっ。そんなこといわれたらついつい逆のことをしてしまうではないか。
遊佐
「すまなかった。聖じゃ少し他人行儀すぎたな、聖ちゃん、いや、ひじりん☆ と呼ばせてもらお
う」
ひじりん☆
「なんでそうなる! 逆だ、逆。貴様は私の敵なんだからな! ましろにこれ以上ちょっかいを出
すなら昨日のアレどころではすまさんぞ!」
何故かクラスのどこかから「いいぞー」「ましろちゃんを守れー」という声が聞こえてくる。
遊佐
「そんな名前で凄まれても全然こわくないな、ひじりん☆」
ひじぽん
「だから、ひじりんはやめろ!」
遊佐
「ひーちゃんが聖と呼ぶなといったんじゃないか」
ひーちゃん
「もうわかった。聖でいい。だからその呼び方と私の名前欄で遊ぶのはやめてくれ」
む、こいつエスパーか。
杏
「聖、他所のクラスまでしゃりしゃりでてきてうっとおしいんだよ!」
杏を見ると元から不機嫌そうな顔がさらに不機嫌そうな顔してこちらを睨んでいた。
聖
「杏……」
負けん気の強い聖のことだから何か言い返すかと思ったが、聖は寂しいとも悲しいともつかない
表情をするだけだった。
クラスのざわめきが一瞬にして静まり返った中、不二子が口を開いた。
不二子
「杏、クラスに迷惑をかけているというならそなたのその行為も十分迷惑だ、慎むが良い。聖、杏
の言い分も一理ある。今は休み時間とはいえ本来授業の準備をするべき時間だ、そなたも自分の教
室に戻るが良い」
聖
「わかった。すまなかった皆」
聖は頭を下げ教室を出ていった。
ブロント
「4月8日完全論破!」
ブロント、急にでてきて何言ってんだよ……。
ブロント
「出番がなくて俺は深いかなしみに包まれた」
遊佐
「やっと、終わったか……」
二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
まさか新学期初日からフルで授業があるとは思わなかった。さすが特進。
さて、昼食時間だ。特進の学食が普通科の学食とどう違うのか。そればっかりが頭に浮かんで授
業の内容など全然入ってこなかった。
遊佐
「ブロントご飯いこーぜー、飯。学食行こうぜ」
ブロント
「どちらかというと大賛成。俺は深い空腹に包まれた」
ブロントを連れて廊下にでる。
すると目の前によく見知った顔があった。
史布代
「はい、これお弁当。今日は多く作りすぎたから。お姉ちゃんの愛情たっぷりだから残さず食べる
んだよ」
遊佐
「ちょっ、ふよ姉」
ふよ姉は可愛いハンカチに包まれたお弁当を俺に押し付けると風のように去っていった。
遊佐
「しょうがない、学食は明日にするか。ブロントお前も適当にどっかで食ってくれ」
ブロント
「おいィ? 誘っといてぬけるならぬけるなりの言い方があるでしょう?」
遊佐
「ああ、すまんいつか焼きそばパン奢ってやるから」
ブロント
「9個でよい」
まあ、いつかなんて日はこないけどな。
ひょんなことからお弁当を手に入れたわけだが、郷に入れば郷に従え。お弁当組はお弁当組とご
飯を一緒に食べるべきだと考え、教室内に戻る。
まあ、手近なところでいいだろう。
遊佐
「ましろちゃん、一緒にいいかな?」
柊
「あ、遊佐君もお弁当なんだ。どうぞどうぞー」
ちょいと机を動かしてましろちゃんの机とくっつける。
聖
「おい、なんで私が貴様と一緒に食事をしなければいけないのだ?」
隣のクラスの癖にちゃっかりましろちゃんとお弁当を広げていた聖がぶーたれる。
遊佐
「別にお前となんか俺だって食いたかねえよ。俺はましろちゃんと一緒に食べるだけだ。お前はど
っか教室の隅で食ってろ。ほら、あそこの掃除用具入れの中とか空いてるんじゃないか?」
聖
「そういう貴様が入ってきたらどうだ? 貴様にこそお似合いな場所だと思うがな」
柊
「みんなで仲良く一緒に食べようよ。たくさんの人と食べるとご飯はおいしくなるんだよ」
聖
「……ましろがそう言うなら仕方ない」
そんなこんなで仲良く? 三人での昼食となった。
柊
「ねえ、遊佐君は部活、何に入るか決めた?」
遊佐
「部活? 特に入る気はないけど? 普通科にいたときも帰宅部だったし」
柊
「普通科のことは良く知らないけど特進だと委員会か部活、どっちかには入んなきゃいけないだよ
」
遊佐
「へーそうなのか。ましろちゃんは何部に入ってるの?」
柊
「私はチアリーディング部に入ってるんだ」
と、ましろちゃんは透明なバトンを振り回してみせた。
遊佐
「へえ、今度見学させてよ」
柊
「え、いいけど……」
聖
「貴様がチアリーディングの練習を見て何を学ぶというのだ? チアリーディング部にでも入るの
か? 貴様はどうせ一番活動が楽な部活にでも入るんだろう?」
遊佐
「知的探究心ってのはあらゆるところに湧いて出るもんなんだよ。そういうお前は何の部活に入っ
てるんだ?」
聖
「そうか聞きたいか、ふふふ、聞いて驚け。それはな、『ましろ親衛隊』だ!!」
遊佐
「は? なんだそれは?」
聖
「読んで字のごとく、ましろの親衛隊だ。ちなみこれが親衛隊証だ、ちなみに私は親衛隊番号1番
だ、どうだうらやましいだろう。ちなみにましろ親衛隊は男子禁制だ貴様がいくら頭を下げても入
れてやらん」
遊佐
「別に入りたくないけど、それって聖以外にいるのか?」
聖
「いや現在、隊員は私一人だ。私が課す入隊試験を突破するものが未だ現れていない」
柊
「聖ちゃん、いいかげんなこと言っちゃだめだよ、それって同好会としても認められてないでしょ
。聖ちゃんが所属してるのは西洋剣術同好会でしょ」
遊佐
「西洋剣術? 剣道とは違うの?」
聖
「確かに親衛隊は同好会としても認められていないが私のメインの部活は紛れも無くましろ親衛隊
なのだ。西洋剣術同好会はあくまで兼部という位置づけで……」
遊佐
「いや、親衛隊はいいから俺の質問に答えてくれよ……」
聖
「うるさいやつだな、西洋剣術は中世ヨーロッパで発達した剣技で、剣道と違うのは両刃の剣を使
ったりするところだ、剣道よりマイナーだがな、後は自分で調べろ。言っておくが貴様は見学に来
る必要はないぞ、これから私の技をその身に受けることになるだろうからな。それで十分だろう」
ふむ、一年の頃はめんどくさくて部活に入ってなかったけどこれを機に何か始めるのもいいかも
しれない。
部活に入れば友達もできるだろうしな。あとでブロントとも相談してみるか。
???
「やっほー、やっほー。ましろちゃんにえっと遊佐君だっけ? あとお隣さんの聖ちゃんも」
柊
「あ、千里ちゃん。やっほー」
ショートカットで快活な少女が俺たちのところにどでかい弁当箱をかかえてやってきた。
今日から同じクラスになった一人、井草だ。
井草
「あのね、今ボク、クラス全員とお弁当の具を交換して回ってるんだけどよかったら参加してくれ
ない?」
ほう、そんな発想の持ち主が俺の他にいるとはさすが特進。侮れん。
自分の弁当の具を誰か他の弁当の具と交換する。
ただし、交換するときはボリュームという点でわずかでもこちらが上回るように交換する。
これをクラス全員分くりかえせば最終的には自分の弁当が2倍以上になっているという寸法だ。
遊佐
「だが、女。その発想はすでに俺は中二の時に通過している! そして致命的な欠点として、そん
なことしている間に昼休みしまうということに気づいているのかね?」
井草
「時間はとらせないからこんなかから好きなの一個選んでよ」
女が開いたどでかい弁当には和洋中とオールジャンルの具が詰まっていた。
ありえん、まだお昼休みははじまったばかり、いいともでいえばテレフォンショッキングさえは
じまってもいない時間帯に、どうやって……。
遊佐
「な、貴様どうやって……。俺がたどり着こうにもたどり着けなかった境地へ……」
井草
「春休み中に助っ人にでたクラブからのお礼が今日いっぺんにきちゃってさ、食べきれないからお
すそ分けして回ってるんだけど、どうせだったらなにかちょっと貰えたらなあと思って。食べてい
る物をみればその人のことを知るきっかけにもなるし、思わぬ掘り出し物があるかもしれないし。
てなわけでどうぞー」
柊
「いいよー。ましろはこのパイみたいのもらうね」
といってましろちゃんは弁当箱を差し出した。
ましろちゃんのお弁当は俺の弁当のご飯だけが入っている容器よりも小さいスペースにこまごま
と白米、卵焼き、からあげなどがはいったミニチュア弁当だった。
井草
「じゃあ、卵焼きちょっともらうね。あ、これ、おいしー。これってましろちゃんが作ったの?」
柊
「ううん。これはお母さんが作ったの」
遊佐
「ましろちゃんは料理しないの? 結構うまそうにみえるけど」
柊
「ましろ、料理はへたっぴなんだよねー」
聖
「いや、ましろは料理が下手というかそういう問題じゃ……」
聖が珍しく歯にものが詰まったような物言いをする。
遊佐
「下手というか?」
聖
「いや、いい。だが、遊佐一つだけ忠告しておく、ましろに決して刃物を持たせてはいけない」
遊佐
「は? なんで?」
聖
「なんでもだ」
遊佐
「まあ、いいか。次は俺だ。俺はこのショウロンポウをもらうよ」
そして、俺は自分の弁当を差し出す。
井草
「じゃあ、卵焼きを少しもらうね」
そういって俺の弁当から卵焼きを一つ取る。
遊佐
「また卵焼きか、そんなに卵焼きが好きなのか?」
井草
「そういうわけじゃなくて卵焼きが一番味の違いがでるからね。家庭の味っていうやつ? ……え
、なにこれ? 超美味しい。そんじょそこらの卵焼きとはレベルが違う……!」
遊佐
「そうか? 別に普通だと思うぞ」
一つ自分の弁当の卵焼きを食べてみる。
食べなれたふよ姉の卵焼きの味がした。
井草
「素材は普通のものしか使ってないのに、なんでこんな味を出せるの!? だし、砂糖の配分とい
い、空気の入り方、焼き具合といい、もはや神の業の領域……。それまさかきみが作ったの?」
遊佐
「うんにゃ、うちの姉だ」
自分ではそこまで凄いもんだとは思わないがふよ姉の作ったものが褒められるのは悪い気はしな
い。むしろ嬉しいな。うん、嬉しい。
井草
「姉? 遊佐……? もしかしてきみのお姉さんって遊佐先輩? 特進の三年生で料理部の?」
遊佐
「多分、料理部ってのは初耳だが」
ふよ姉は料理部だったのか、確かに鞄にマイ包丁が入ってるし料理は得意みたいだな。
毎日バイト三昧だからきっとろくに出ていないんだろうけど。
でもふよ姉の料理始めた動機は安い食材でも美味しく食べられるってことだった気がする。
あのふよ姉のドケチぶりからいってきっと安い食材でまともなご飯食えるように研究してるうち
に極めちゃったんだろうな……。
井草
「これは思わぬ掘り出しものだわ。あの料理部伝説に残るといわれている遊佐先輩の卵焼きがこん
なところで食べられるとは……。きみは幸せ者だよ、こんな素敵な料理が毎日食べられるなんて。
良かったらまたおすそ分けしてね」
ちなみに毎日などは食っていない。普段はふよ姉がバイト先からもらってきたコンビニの廃棄に
なった弁当を食ってたりする。
聖
「最後は私か、私の弁当には残念ながら卵焼きはないんだ。ちなみにこれは私が作ったものだ」
聖の弁当は俺と同じくらいのサイズでかつ2パックあった。
遊佐
「聖の弁当は量多いな、何が入ってるんだそれ?」
聖
「失礼な、これは容器が大きいだけだ、一緒に入れられなかったものでな」
井草
「これ、ヒラメのムニエル?」
遊佐
「は? どこの世界に弁当にヒラメのムニエルを入れてくるやつがいるんだよ」
聖
「ここにいるぞ」
柊
「聖ちゃんは海の幸が好きだもんね」
いや、海の幸が好きってレベルじゃねーぞ!
井草
「うーんと、聖ちゃんのお弁当はちょっと面白いね。ボクどれにするか悩んじゃうよ。えっとこれ
は何?」
井草は聖の弁当に入っていた白い繊維状の塊を指差す。
聖
「ああ、これか。これはゆで蟹の剥き身だ。カニカマなんかじゃなくて本物だぞ」
井草
「カ、カ、カ」
聖がカニと言った瞬間から井草の様子がおかしくなった。
急にブルブルと震えだす。
聖
「千里、どうかしたのか?」
井草
「カ、カ、カ、カ、カニィーーー!!」
そう叫ぶと井草は脱兎のように逃げ出し教室の隅で膝を抱えてしゃがみこんでしまった。
遊佐
「井草、大丈夫か?」
柊
「大丈夫?」
井草
「カ、カニ怖い、カニ怖い、カニ怖い」
遊佐
「カニ嫌いなのかな?」
柊
「多分そうだね。千里ちゃん大丈夫だよ、カニはもういないよ」
井草
「………………切断なんてとんでもない、切断なんて……」
井草はしばらくうわごとのように切断がどうとか繰り返していたが、ましろちゃんが語りかける
うちに落ち着きを取り戻していった。
井草
「ごめんね。ボク、カニ苦手なんだよね」
ようやく落ち着きを取り戻した井草が言った。
聖
「私こそすまなかった」
柊
「どこらへんが苦手なの?」
井草
「えっと、強そうだし……」
遊佐
「強そうか? カニ」
柊
「うーん。あれがでっかくなったら確かに強そうだけど」
井草
「変な心配させてごめんね。お弁当ありがとね」
井草は、『最後は杏ちゃんだ!』といいながら元気よく去っていった。
多分、彼女は弁当持ちじゃないと俺は思うのだが。
そうこうしているうちにブロントが学食から戻ってきた。
そしてその歌声が俺の耳に入ったのはほぼ同時だった。
遊佐
「おい、ブロント何か聞こえないか? 誰かが歌っているみたいな」
ブロント
「俺の耳には何も聞こえないな」
聖
「詩音だろう。ちょうど始まる時間だな。うちの名物の一つだ。窓からルルデの庭をを見てみるが
いい」
言われた通りルルデの庭(中庭の通称らしい)を教室の窓を開けて見下ろすと、一人の女生徒を
中心として人だかりができていた。
窓を開けると歌声がはっきりと聞こえてきた。
詩音
「~~~♪」
こんなに距離があると言うのに。
心に澄み渡るような歌声。
なんだかとても癒される。
詩音
「♪~~♪」
歌が変わった。
今度は一転してテンポの良い歌だ。
力がどんどん湧いてくるような感覚。
聖
「どうだ、彼女の歌は、凄いだろう?」
遊佐
「ああ、凄いな」
凄いなどという陳腐な表現しかでてこない自分が情けないくらいの凄さだ。
柊
「詩音ちゃんの歌って、本当凄いよねー」
ブロント
「ヴァナディール学園のもう一人の姫。歌姫こと詩音は学園での人気が高いのは確定的明らか」
遊佐
「へぇ、ましろちゃんとどっちが、人気あるのかな?」
柊
「ましろなんかと比べたら申し訳ないよ。ましろなんてなんにもできないし」
聖
「そんなことないぞ、ましろはましろにしかない良いところがたくさんある」
柊
「…………(フォント小)あたりまえだろ、つうかあの女毎日昼休みに中庭で歌なんかうたっちゃ
って自己顕示欲高すぎ、うぜぇ」
遊佐
「ん? ましろちゃんなんかいった?」
柊
「ううん、なんにも言ってないよ? ところで遊佐君もああいう歌がうまい女の子が好きなのかな
? かな?」
遊佐
「歌がうまいってのは確かに魅力的なことであるけれど、だからといって好きになるかというと別
問題かなー」
柊
「嘘だッ!!」
遊佐
「えっ?」
見るとましろちゃんの様子がおかしい。瞳孔が開ききっている。
聖
「ましろ、落ち着け。大丈夫だ、大丈夫だから」
遊佐
「ましろちゃんどうしたの……?」
聖
「たまにましろはこういうモードに入るときがあるんだ、だがすぐ元に戻るから気にしないでくれ
」
柊
「遊佐君は転校、しないよね? よね?」
遊佐
「する予定はないけど……」
……結局ましろちゃんが元に戻ったのは昼休みが終わる直前だった。
遊佐
「終わったあああ」
今日の最後の授業が終わると同時に俺は盛大に伸びをした。
遊佐
「ブロント、俺は部活を見に行こうと思うんだが、お前はどうする?」
ブロント
「俺が入る部活はもう決めてあるでしょう?」
遊佐
「そうなのか、どこ入るんだ?」
ブロント
「一級ナイトは西洋剣術部にはいるべきなのは確定的明らか」
遊佐
「聖のところか、お前ら従姉弟でおんなじ様なことやってんだな、じゃあ俺はどうすっかなー」
???
「ぶか……さが……?」
遊佐
「え?」
見ると目の前に小さな女の子が立っていた。彼女はクラスメイトで名前は……確か久々津だった
はずだ。
久々津
「……かつ………るん?」
一生懸命何かを俺に伝えようとしているものの声が小さくて聞き取れない。
遊佐
「えっと、何? これで勝つる?」
俺は声を聞き取るために彼女に一歩近づいてみた。
久々津
「うっ…………」
一歩下がられた。
また一歩近づいてみた。
久々津
「いっ…………」
また一歩下がられた。
さらに近づいてみる。
久々津
「やっ…………」
さらに下がられた。
遊佐
「…………」
俺がさらにさらに一歩近づく、久々津はさらにさらに一歩下がる。俺が近づく、久々津が下がる
、近づく、下がる、近づく、下がる、近づく、下がる近づく下が……。
ごん。
久々津の背中が教室の壁にぶつかった。
遊佐
「ふはは、追い詰めたぞ。もう逃げられん、観念しろ」
手をわきわきさせながら久々津に伸ばす。
久々津
「う……うち、初めてやから痛くせんといて……」
それはいいことを聞いた。
不二子
「そなた、何をしている?」
首筋にひんやりとた感触。そして確認する。
どう見ても真剣の日本刀です。本当にありがとうございました。
不二子
「何をしていると聞いている? 返答次第ではこの天の村雲が黙ってはおらぬぞ」
遊佐
「……何って言われてもナニもしていませんよ? しようとはしてたけど」
不二子
「何?」
不二子のやつめ、いいところで邪魔をしやがって。風紀委員長ですか、そうですか。
腹いせにクラスの風紀を乱してやることにした。
遊佐
「ナニってのはナニですよ、はっきり言わなきゃわかりませんか? エス、イー、エックスのこと
ですよー」
親切に体でアルファベットを表現しながら言ってやった。YMCAみたいな感じで。
不二子の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
ゆでだこみたいだ。
不二子
「そ、そなた。公共の場で、な、なにを言っている!? は、破廉恥だぞ。恥をしれ、恥を! だ
いたい、 そ、そういうことはだな夫婦という間がらになってから……」
不二子は真っ赤になって俯きもごもごしている。
久々津?
「誤解やで、早乙女はん。舞はこの男に空手部を紹介しようしてたんや。ま、途中から方向がおか
しくなってこいつが舞の操を奪おうとしてたんやけどな、しっかし自分大胆やなぁ。こんな真昼間
から教室で」
いかにも関西人といった陽気なノリの声が久々津のいる空間から発せられた。
見るといつの間にか手につけて操る人形を持っている。いわゆるマペットというやつだ。牛君、
かえる君。みたいな。
不二子
「……つまり、私が言いたいのはそういうことを判断するにはまだ私たちは若すぎるということで
、一時の感情から……」
しかし不二子には聞こえていないようだ。まだ何かぶつぶついっている。
放っておこう。
遊佐
「腹話術?」
久々津は黒い布を頭からかぶってはいないので口は見えている。が、動いてはいない。
久々津のマペット
「ちゃうちゃう、腹話術でも人形でもあらへん。ワイはマトン君や。舞の一番の親友や。舞のこと
ならなんでも知っとるで、あないとこからこないとこまで……」
久々津
「マトン、適当なこといったらあかんで……」
自分で言ったことを自分で諌めて一人漫才とは、こいつデキる!
マトン
「ほな、空手部にいこか?」
遊佐
「へ? なんで?」
マトン
「部活、探してるんやろ? だったら空手部や、体、鍛えられるで、強い男はモテモテやで。見る
だけならタダや。ま、騙されたと思って着いてきぃや」
まるで画廊の前で絵葉書を配っている人のような強引な勧誘だ。
そして一つ疑問な点がある。
遊佐
「久々津、空手部なの?」
久々津の体躯は小さく、中学生、いや下手をすると小学生にも見えるくらいだ。
とても空手をやっているようには見えない。
久々津
「……うん、うち、ずっと体弱かったねん、せやからこのガッコ入ったときに体鍛えよ思って空手
部に入ったねん」
マトン
「せやで、舞はこうみえても結構強いんやで、昔はえらい病弱で病気ばっかして、今は風邪もよう
引かへん。ほんま空手部に入ってよかったと思うで」
遊佐
「へぇ、部活はどっか入ろうかと思ってるけどどんな部活があるかもよくわからないし、まずは空
手部から見学してみるか。ピロス案内してくれ」
マトン
「ボディが甘いでぇっ!」
遊佐
「げふうっ!」
久々津の強烈なボディブローが俺のわき腹に決まり悶絶した。
マトン
「今度その名前でわいを呼んだらもっと酷いでぇ……」
遊佐
「げふ……というか久々津、その人形親友なんだろ、親友で殴っちゃだめだろ……。ボールは友だ
ちっていいながら足蹴にするあの人じゃないんだから……」
久々津
「う、うちはなんもしとらんでぇ……」
まるで他人事だとばかりすっとぼける久々津だった。
今度はアリスって本人を呼んでやる……。
そう誓った放課後だった。
遊佐
「なんだありゃ?」
久々津の案内で武道場の前までやってきた俺たちだったが、武道場の前に人だかりができていてな
にやら騒がしい。
マトン
「はて? なんやろ?」
どうやら久々津にもわからないらしい。
俺たちは人だかりの最後尾まで近づく。
人だかりの中央には二人の女が相対していた。
片方は金髪で、どうみても日本人には見えない。もう片方は胴着を着ている、恐らく空手部員だ
ろう。
金髪の女
「ホワット? コレハ、ミーガ勝負シテコノ人タチカラモラッタモノデース、返セトイワレテハイ
ソーデスカトハイエマセーン」
金髪の女が小さな紙片の束を手に持ちひらひらさせていた。
胴着の女
「でもみんにゃ困ってるから返してあげて欲しいにゃー」
マトン
「あ、大将やないか、何を言い争ってるんや?」
久々津
「部長、どうしたんやろか」
遊佐
「えっと、胴着を着た女の人が部長さん?」
マトン
「そや、大将は、空手部の大将や」
久々津
「都先輩っていうんや」
遊佐
「相手の金髪は?」
マトン
「確か、同じ三年のコルセールとかいうギャンブル好きの女や、うちの部員にも何かとちょっかい
だしてるみたいやったけど、なんかあったんかな?」
コルセール
「ソレニシテモニホンノオトコニハガッカリデス。ジブンタチガカテナイカラテッテミヤコヲヒッ
パリダスナンテ、ブシノカザカミニモオケマセーン」
都
「ここは同じクラスの友だちの頼みだと思ってお願いだニャー。返してくれたらくうめいけんみせ
てあげるにゃー」
遊佐
「なるほど、大体わかった気がする」
マトン
「わいもやで」
久々津
「うちはよーわからへんよ。どうなってるん?」
マトン
「簡単な推理やで、あの金髪はギャンブル好きでうちの男子部員にようちょっかいだしてんねん。
それとこれまでの会話から推理するとやな」
遊佐
「待ちな服部。ここは俺に任せろ」
マトン
「誰が服部やねん、自分、ちょい待ちぃや」
俺は人ごみを抜け二人の前に出た。
遊佐
「話は聞かせてもらったぞ!」
ガラっと扉を開けながら言いたかったがあいにく屋外なため諦めた。
都
「誰にゃ?」
コルセール
「ホワット?」
さっきから気になっていたがこの二人は超高校級。言い争いになるのは無理もない。
遊佐
「どちらが大きいかで揉めるのは分かる。二人とも立派なものをお持ちだ。ここは拙僧にお任せあ
れ。拙僧、ちょいと揉ませてもらえばミリ単位でサイズがわかる特技を持っておるのじゃ」
都&コルセール
「……………」
あれ、なんか間違えた? バーロー?
マトン
「がら空きや!」
遊佐
「げぼっ!」
遊佐
「また殴ったな! お姉ちゃんしか殴ったことないのに!」
マトン
「誰がムネの話をしとるねん! ちゅうか、自分最低やな」
久々津
「最低やね」
くそ、なんでこんなめに……。河豚死ね! 氏ねじゃなくて死ね!
コルセール
「返シテホシカッタラミヤコモショウブスルデース、セイセイドウドウウケテタチマース」
どうやら二人は、俺のことはなかったことにしたらしい。
男子部員達
「部長どうかお願いします!」
マトン
「やっぱり、男子部員がギャンブルのカタで取られた食券を大将が返してあげてと掛け合ってるみ
たいやな」
遊佐
「ほう、予想通りだな」
マトン
「嘘やろ」
都
「…………」
都先輩はコルセール先輩の提案に対して迷っているようだった。
男子部員達
「部長しか頼れる人はいないんです! お願いします! このままじゃ俺達飢え死にです」
コルセール
「ドウスル? ミヤコ?」
都
「わかったにゃー」
マトン
「軽っ!」
マトンが言うように都先輩はあっさりと勝負に乗った。
久々津
「大丈夫やろか?」
コルセール
「オーケー、ナンノゲームニシマスカー?」
都
「なんでもいいにゃー」
遊佐
「都先輩はそんな自信があるのか? あれじゃ相手の得意なゲームでいいっていってるようなもん
じゃないか?」
コルセール先輩が男子部員から巻き上げたという食券は軽く見積もっても百枚以上はある。かな
りのやり手のはずだ。
マトン
「それはないな……」
久々津
「そやろね……」
俺の隣の一人と一体は酷く不安げにつぶやく。
コルセール
「ミヤコハキマエイイネ! セブン・スタッドポーカーナンテドウデスカー?」
マトン
「なんやて? セブンセンシズがどうかしたん?」
都
「にゃー?」
セブンスタッド・ポーカーとは、渋いな。そしてどうでもいいけど、久々津は意外とマニアック
だな。
コルセール
「セブン・スタッドポーカーハデスネ……」
コルセール先輩がルールの説明を始める。カタカナばかりの説明はとても見づらいので、俺も説
明することにした。
セブンスタッドポーカーとはまず始めにプレイヤーは参加料を支払ってゲームを始める。
三枚のカードが裏向きに配られる、そして一枚ずつ計四枚のカードが表向きに配られるのだが、
一枚配るごとに、参加料をさらに上乗せすることができ、上乗せした参加料を全員が支払った時点
で次の一枚が配られる。
その途中でドロップアウトすることができるがドロップアウトした場合は参加料は返ってこない
。
そして最後に7枚から5枚選び役を作り一番強い役の人がすべてのチップを得る。
7枚の手札のうち4枚が公開されていることに加え、上乗せする参加料の塩梅が勝敗に大きく関
わり、ブラフによる全員のドロップアウトを狙えたりとかなりの頭脳戦になる。
マトン
「なるほど、それはあかんで」
久々津
「あかんな……」
遊佐
「さっきから何が不安なんだ?」
マトン
「それはな……」
コルセール
「……トイウゲームデース、ミヤコワカリマシカ?」
都
「よん?」
マトン
「あかん。全然わかってへんで、あの顔は」
遊佐
「へ?」
マトン
「うちの大将は、小難しいこと苦手やねん。単純というかアホというか」
久々津
「マトン、部長に対してそんなこといったらあかんで……」
遊佐
「まじか……」
コルセール
「トリアエズ、練習シテミマショー」
都
「わかったにゃー」
場所を武道場内に移し、大勢の観衆が見守る中、数回の練習が行われた。
コルセール
「ドウデスカ? ワカリマシタカ?」
都
「……わ、わかったにゃー」
全然わかってなさそうだ。空手部の劣勢は始まる前から決まっているようだった。
コルセール
「ソレデ、ソチラハナニ賭ケマスカ?」
都
「よん? 都は何も賭けれるようなものもってないにゃー? しいていえばこの胴着くらいだにゃ
ー」
男子部員達
「おおっ! それは欲しいっ!」
コルセール
「ソンナモノミーハイリマセンー。ソーデスネー、武道場ノ使用権トイウノハドウデスカー? 一
日ニツキ食券10枚のチップニ換算デース」
マトン
「それはあかん!」
都
「わかったにゃー」
マトンの悲鳴をよそにあっさりと都先輩は承諾した。
マトン
「舞、当分はわてらは外で活動やな……」
久々津
「しょうがあらへんね……」
遊佐
「まだ始まってもいないのになんだこの悲壮感は……」
かくしてゲームが始まった。闇のゲームが。
コルセール
「ミーノ勝チネー!」
都
「あう……」
…………
コルセール
「アイアムウィンッ!」
都
「にゃー><」
…………
都
「にゃー><」
…………
都
「にゃー><」
コルセール
「コレデムコウ一年ノ武道場使用権ハミーノモノネ。場所ガナイ運動部ニ貸シ出シテ大儲ケネ!」
ゲームの結果はコルセールの先輩がずっと俺のターン! みたいなありさまとなった。
一方的に一年分の使用権を取られてしまったようだ。
遊佐
「これはもうだめかもわからんね」
久々津
「ごめんな、空手部の見学どころじゃなくなってしもて……せっかく時間作ってもろたのに……。
ほんとごめんな……」
マトン
「舞が悪いわけやあらへん、全部男子部員が悪いんや」
久々津
「せやけど、うちらこれからどないしたら……ううっ」
……久々津の目から何か光るものがこぼれ落ちた気がした。
考える時間なんて一秒もいらなかった。
遊佐
「ちょっとまったああああ!」
コルセール
「ン? ナンノヨウデスカ? ミーハコレカラ使用権ノ貸シ出シノ告知ヲシナケレバナラナイノデ
トテモイソガシイデース」
遊佐
「俺が勝負を挑みます。その使用権とやらを返してもらいます。ついでに食券もね」
コルセール
「ホワット? ユーガデスカ? 空手部員デモナイノニ?」
遊佐
「俺が空手部員かどうかなんか関係ないでしょう。先輩が勝負を受けてくれるかどうか聞いてるん
です」
都
「にゃっ!? 君が助けてくれるのかにょ?」
マトン
「遊佐はん、ほんまやってくれるんかいな」
遊佐
「都先輩、語尾変わってますよ、それじゃ目からビームみたいなものを出すネコです」
コルセール
「勝負スルノハイイケドユーハコレニミアウモノヲ賭ケラレルノデスカ?」
遊佐
「それはですね……」
俺が持っている価値のあるものといえばLSの仲間に手伝って取ってもらったジュワくらいしか
ないきがするが、あれはエクレアだし……。
コルセール
「ナマハンカナモノデハ賭ケニナリマセンデース」
俺の所有物で価値があるもの…………。
……!
遊佐
「ふよ姉だ!」
コルセール
「ハイ?」
遊佐
「遊佐史布代。うちの姉を賭ける。そっちが勝ったら外国になり、いかがわしい店になり売り飛ば
して金に換えてくれ」
都
「にゃー!?」
マトン
「ええええっ!? 人を賭けるかい! そんなのあかんに決まって……」
コルセール
「オーケー、ソノ勝負ノリマシタ! デモミーガ勝ッタトキユーノシスターハソレニドウイスルノ
デスカ?」
マトン
「オッケーなんかい!」
人形の大騒ぎをよそに俺は淡々と答える。
遊佐
「大丈夫です。ふよ姉は俺には絶対服従です。俺が死ねといったら喜んで死ぬほどですから」
だったらいいよなぁ……。
現実は全然そんなことないから困る。
久々津
「……遊佐君、あかんよ。家族を賭けにつこうたしちゃ……」
遊佐
「負けなきゃいいんだ」
それにふよ姉がいかがわしい店で働くとこもみてみたいし……。
マトン
「遊佐はん、なんか顔がにやついとるで?」
おっと、顔にでてたか注意せねば。
コルセール
「ゲームハナニニスルノデスカ? ポーカー?」
遊佐
「ふよ姉をチップに分割するわけにもいかないし、帰って見たいアニメもあるんで、一回ですぐ終
わるやつにしましょう。ハイ&ローなんかどうです?」
ぶっちゃけ今日は臓物をぶちまけるアニメをみなければいけないので時間があまりなかった。
マトン
「自分の姉を賭けてるっちゅうんにずいぶんと投げやりな決め方やなぁ」
コルセール
「ハイ&ロー?」
遊佐
「一枚カードをめくって、その次のカードがそれより上か下かを当てるやつですよ」
コルセール
「ノー、ソレダト最初ニ7以外ノカードガデタラユーノホウガ断然有利デース」
遊佐
「そうですね、それじゃ最初のカードは先輩が決めてください」
俺はポーカーが終わったままの状態になっているトランプを指差していった。
遊佐
「7を選んでもいいしそれ以外を選んでも構いません、先輩のことだから山になんのカードが残っ
てるかは把握してるんですよね? 好きに選んでください。あとおんなじカードが連続してでたら
先輩の勝ちでいいです」
コルセール
「……面白イデスネ。イイデース、ミーハコレヲ選ビマース」
そういって先輩が選んだカードは10だった。
マトン
「10やて? 絶対ローを選んだ方がええに決まっとるがな。ローを選ぶんや遊佐はん」
久々津
「待つんやマトン。コルセール先輩は出たカードを全部覚えとる。ほとんど10以下のカードはの
こってへんのかもしれんで」
都
「よん?」
いや10だって。10。
10ということは単純に考えればローは9/13、ハイは3/13になるわけだ。
久々津の言うとおり山には殆どローのカードがないことも考えられる。しかし、山から使用され
たカードも確率的にいえばすべての数字が平均的に減っていくはずだ。
コルセール
「ドチラニシマスカ? ハイデスカ? ローデスカ?」
先輩があえて10を選んだ理由を考えてみることにする。
10より下の数の方が明らかに多い。確率云々とか論じてる余地はない。
つまり先輩の狙いは山札には10以上はほとんどないと思わせて実際は不利なローを選ばせるか
、あるいは本当に山札にはローのカードが少ないか、のどっちかとなる。
遊佐
「つまり、蓋を開けてみないことには箱の中の猫の状態はわからないということか……」
コルセール
「ドッチニシマスカー? ハヤクキメテクダサーイ」
遊佐
「……決めました。上、『ハイ』を選びます」
マトン
「『ハイ』やて!? ごっつ少ないやないかそれでええんか!?」
コルセール
「本当ニ『ハイ』デイイノデスカー?」
遊佐
「ああ、『ハイ』でいい。めくってくれ」
コルセール
「ワカリマシター。勝負ネー!」
俺を含め、武道場にいる観衆が固唾を飲んで見守る中、コルセール先輩がゆっくりと山札をめく
った。
コルセール
「……オー」
マトン
「これは……」
都
「よん?」
遊佐
「いや、明らかにクイーンだ。12。つまり『ハイ』で俺の勝ちだな。これで空手部の負け分はチ
ャラだ」
空手部員達
「おおおおーーー!」
俺の勝利宣言が終わると同時に、歓声が上がった。
マトン
「遊佐はん、凄いでぇ。よう空手部のピンチを救うてくれた。ほんま感謝やでぇ」
久々津
「……遊佐君、ほんまおおきに」
都
「助かったにゃー」
久々津、都先輩に続き空手部員達から感謝の言葉を次々と述べられる。
コルセール
「オ見事デース。オ見事ツイデニキキタイコトガアリマース。ドウシテユーハ『ハイ』ヲエランダ
ノデスカー?」
マトン
「そうや! それはわても気になるで、『ロー』を選んだ方が全然確率が高かったやないか」
遊佐
「ああ、今日死んだじいちゃんの夢を見たんだ。内容はよく覚えていないけど」
マトン
「は? それと『ハイ』を選んだことなんの関係があるんや?」
遊佐
「じいちゃんの口癖だったんだよ『漢なら上を目指せって』な。だから上、つまり『ハイ』を選ん
だだけだ」
コルセール
「本当ニソンナ理由デ『ハイ』ヲ選ンダノデスカ?」
遊佐
「そうですよ。いけませんか?」
口に出しては言わなかったが、俺にとっては『そんな理由』じゃない。
俺にとってはじいちゃんは特別な存在なのだ。
そして今日、じいちゃんは俺に教えてくれたんだと思う。そんな気がする。
コルセール
「イケナクアリマセーン! 男ラシイデース。ミーハ日本ニキテハジメテ大和魂ナルモノヲミタキ
ガシマース。ユザ、コレハミーカラノゴ褒美デース」
そういうとコルセール先輩は俺の頬に唇をつけた。
遊佐
「なっ」
突然のことに俺は硬直する。
コルセール
「バイバイユザ! マタアイマショウ、シーユー!」
ウインクを俺に飛ばしながら散々空手部を引っ掻き回したコルセール先輩はまるで嵐のように去
っていった。
遊佐
「いったい、なんだったんだ……」
アメリカではこんなのが普通なのか……いきたいアメリカっ! でも……っ!
都
「君には本当に助けられたにゃ、空手部を見学に来てくれてるんだにゃ? お礼に都のくうめいけ
んをみせてあげるにゃー、早速用意するにゃー」
男子部員達
「オッス!」
突然のことにトリップしているうちに、空手部員が巻き藁を武道場内に設置し始めていた。
お礼は嬉しいけど、どうせしてくれるんならその馬鹿でかい胸を触らせてとうか揉ませろという
か、むしろ--
遊佐
「そんなことより都とまん--」
都
「くうめいけん! あ、にゃー」
遊佐
「!!」
どおん、という音ともにとてつもない衝撃が武道館を突き抜けた。
空手部員達
「ああ、また!」
都
「またやりすぎたにゃー><」
遊佐
「…………」
武道館のコンクリの壁に大きな穴があいていた。外の景色が見えている。
都
「えっと、さっきなんかいってたにゃ?」
遊佐
「なんでもないっす……」
都
「よん?」
その後、壁は空手部員がダンボールとガムテープで応急修理をし、俺は空手部の練習を見学して
帰路に着いた。
遊佐
「腹減った……」
時計を見ると午後11時だった。
ふよ姉がバイトから帰ってこず、俺は餓死寸前といったところだった。
そんな死にそうになるくらいになるぐらいなら自分で何か食べればいいのに、とよくふよ姉には
言われるが、食事を全くふよ姉に依存してしまっている俺はそんな気にはさらさらなれない。
遊佐
「自分で用意するなら俺は餓死を選ぶな……」
ふよ姉
「ただいまー」
遊佐
「もうきた! 夕飯きた、これで勝つる! 遅いけど!」
ふよ姉の声を聞いた俺は飼い犬よろしく玄関まで出迎えに行く。
遊佐
「お姉ちゃんお腹すいたよう」
史布代
「あんたまた何も食べないで待ってたの? コンビニで廃棄もらってきたから座って待ってなさい
。あたしは着替えてくるから」
そして待つこと数分。
史布代
「はい、これ」
そういってふよ姉が俺に寄越したのはおにぎり一つだった。たーらこーたーらこー。
遊佐
「…………ナニコレ?」
史布代
「何ってあんたの夕飯。いらないの?」
遊佐
「いらなくないけど育ち盛りの男子が夕飯におにぎり一つじゃ足りるわけないじゃん」
史布代
「ところでアンタさぁ」
遊佐
「いや、ところでってこれじゃ足り……ひっ」
唐突にふよ姉から強烈なプレッシャーを感じて反射的に身をすくめる。
史布代
「今日学校であたしを賭け事のタネに使わなかった?」
遊佐
「げっ、知らないよ?」
史布代
「本当に?」
ふよ姉は笑顔を浮かべているものの目が笑っていない。
これは怖い。弟としてのトラウマがいくつも蘇ってくる。
史布代
「しらばっくれても無駄よ、コルセールはあたしと同じクラスなんだから」
遊佐
「……すいまえんでした;;」
結局、ふよ姉にさんざん説教されたあげく空腹のまま寝床についたのだった。
最終更新:2007年01月16日 10:12