第178話:兄と、弟と
(くそっ……まさか
バーバラが奴から逃げ切るとは)
カインは舌打ちし、一人高みを駆けていた。その視界の端で、不意に赤い輝きが灯る。
宿屋が炎上している――
アーヴァインが作戦を実行に移したのだ。
(奴にも、火の手が見えているはずだな)
カインは
デールの動きを推測し、そちらへと向かう。
そして何度目かの跳躍をした時、眼下に三人の男の姿が映った。
先頭を突っ走る、アレに良く似た緑髪の男。
やや遅れて、アーヴァインと同年代の青年が、黒魔道士姿の子供を抱えて後を追っている。
「……」
カインは跳んだ。後続の青年と子供に向かって、流星のように。
「!!」
青年がカインに気付く。子供をかばいながら、白銀に輝く盾で受け止めようとする。
カインは槍と足に全力を乗せて、二人を容赦なく蹴り飛ばした。
「ソロ、ビビ!」
盛大な物音に男が振り返り、カインに迫ろうとする。
だが――
「兄さん!」
――カインの耳に、二度と聞きたくないと思っていた、アレの声が届いた。
そしてその一瞬の隙を突かれ、地に伏した青年が大きく手を振りかざす。
「イオラ!」
爆発と煙が辺りを包んだ。だが、爆風よりもわずかに早くカインは中空へ跳び、屋根へと逃げる。
着地した彼の目に、こちらへ向かい大きく手を振る若者の姿が飛び込んだ。
カインは若者――アーヴァインを一瞥してから、ちらと下を見る。
アレが、緑髪の青年を引っ張り、どこかへ連れて行こうとしている。
(そうか……あの男がアレの兄、か。
……フン。奴らがどうなろうと、俺の知ったことではない)
カインは地を蹴った。アーヴァインと合流し、残りの標的を潰しに行くために。
そう、これからどのような悲劇が起ころうと――最早、彼の知ったことではなかった。
――おじうえ、見て見て!
――うわぁ! すごいなコリンズ、呪文が使えるようになったのか。誰に教わったんだい?
――ちちうえだよ。一緒にレンシュウしたんだ。
――いいなぁ。僕も兄さんやコリンズみたいに呪文が使えたらなぁ。
――オレが教えてあげるよ。トックンすれば、おじうえだってきっと使えるようになるよ。
――はは、僕にはそんな才能はないさ。でも、気持ちだけでも嬉しいよ。本当に……お前は優しい子だね。
――へへっ……おじうえとははうえだけだよ、そう言ってくれるの。
――兄さ……父上は? 言ってくれないの?
――だめ。いっつも『お前は誰に似たんだよ』ってため息ついてばかり。
――はははは、兄さんらしいや。……コリンズはね、子供の頃の父上にそっくりだよ。本当に。
――悪いな、コリンズがまた邪魔したみたいで。全く、遊び相手は他を探せって言ってるのによ。
――邪魔じゃないよ、あの子はとても良い子だ。僕でよければいつでも相手になるよ。
――おいおい、執務があるだろう。それにイイ子どころか、昔の俺に輪をかけた悪ガキだと思うんだが。
――あはは。そうだね、子供の頃の兄さんを思い出すよ。悪戯好きなのも、優しいところも。
――誰が優しいだ、誰が。第一、そういうことを真顔で言うな。聞くこっちが恥ずかしい。
――相変わらず素直じゃないね……でもね、僕は思うんだ。
――あ? 何が?
――あの子は、僕なんかよりずっと優れた王になれるよ。
――そいつはどうだかな。俺が言うのもなんだが、王向きの性格とは思えないぜ。
――いや、僕よりも向いてるよ。なんと言っても、兄さんとマリア義姉さんの子供なんだから。
(ちっくしょう……昼間の銀髪も、アーヴァインの野郎も、次に会ったら絶対一発ぶん殴る!)
そんなことを考えながら、ひたすら西へと
ヘンリーは走った。
時折、ビビを抱えたソロが、自分についてきているかどうかを確認しながら。村の外れへと走っていた。
だが――
「うぉっ!?」「わぁっ!!」
突然のことだ。いきなりソロとビビが、何者かに蹴り飛ばされた。
アーヴァインではない。槍を携えた、屈強な騎士風の男。
(くそっ!! アーヴァインと手を組んだって相手か?!)
助けに行こうと駆け寄るヘンリーの手を、何者かが掴んで引き止める。
反射的に振り解こうとしたヘンリーは、しかし相手の姿に気付き、目を見開いた。
「兄さん!」
「デール!?」
いるはずのない弟の姿が。いや、先ほど見かけたような気もするが――自分の弟が。
目の前にいて、自分の手を引いて走ろうとしている。
「早く! 早く逃げないと殺されるよ!」
「お、おい、待て! 俺の連れがアイツに……助けに行かないと!」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ、兄さん!」
デールは走る。ソロとビビを案じるヘンリーを、半ば無理やり引き摺るように。
「ヘンリーさん!」
二人の声を、遠くにして。ヘンリーはデールに導かれて走る。
そうしてどれほど走ったか、村の外れに来たところで、二人はようやく立ち止まった。
「良かった。兄さんが無事でよかった……」
涙目をこする弟に、ヘンリーは呼吸を整えてから質問する。
「デール……お前、なぜ、ここに?」
「探してたんだよ、兄さん。ずっとずっと探して歩いてたんだ。
そうしたら、炎が見えて……宿屋の前に兄さんがいて……兄さん、僕に気付いてなかったろ。
手を振ったのに走っていってしまって、それで必死で追いかけて、途中で何とか先回りしてさ。
……良かった。間に合って。兄さんがあいつにやられたら、どうしようかと思ったよ」
言われて記憶を辿る。確かに、あの時デールの姿が在った。
状況が状況だったし、気のせいということで片付けてしまったが……
「そうか……すまん」
ヘンリーが頭を下げると、デールは「いいんだよ」と首を振った。
「兄さんが無事だった。僕はそれだけで十分なんだ」
デールはそう言って、穏やかに微笑む。それからふと、何かを思い出したように袋の中に手を入れた。
「そうだ。兄さんにプレゼントがあったんだ」
「――プレゼント?」
「ああ、受け取ってよ。銃弾を」
ヘンリーの記憶にあるソレと同じ、気弱で、優しげな微笑を浮かべたまま。
デールは、何の躊躇いもなく、袋から出したマシンガンのトリガーを引いた。
立ち込める硝煙。激しい銃声。レーベの事件の始まりを知らせたあの音を、ヘンリーは聞いた。
「兄さん、いや……ヘンリー。僕のために、壊れろ」
その呟きを、確かに聞いた。
「おや?」
デールは見た。晴れゆく煙の向こうで。
月明かりに照らされて、地面に穿たれた銃痕よりも大きく左に跳んだ位置で。
呆然とした表情で自分を見つめる兄の姿を。壊れているべき者の姿を、確かに見た。
「デール」
兄は呟く。どこか虚ろな目を、弟に向けて。
「いきなり、なんだよ……どうして、お前が……?」
弟は答える。普段と何ら変わらない瞳を、壊すべき者に向けて。
「壊したいからさ、ヘンリー。貴方を、誰にも邪魔されずに、壊したい」
「……デール?」
ヘンリーは縋るような視線をデールに向ける。聞き間違いであってほしいと言わんばかりに。
デールは嘲けるように、小さく笑う。
「そう、壊したい。悲鳴を聞きたい。血を見たい。きっと綺麗だろうね。僕の兄さんなんだからさ」
「デール……」
「ねぇ、いいだろう? 一度ぐらい、僕の頼みを聞いてくれたってさ」
「……何があったんだよ、お前に」
「別に何も。僕がしたいからこうしてるんだ」
「……狂って、しまったのか……?」
いっそ、感情も顕に否定してくれれば、まだ救いはあったのかもしれない。
けれどもデールはどうしようもないぐらいに冷静だった。静かにヘンリーを見つめたまま、彼は言った。
「そうかもしれないね。僕は狂っているのかもしれない。
でも、どうでもいいことじゃないか、そんなことは」
ヘンリーが叫ぶ。耐え切れなくなったように、懇願するように。
「デール、止めろ。止めてくれ!」
けれどもデールは言葉を続ける。
「僕は壊したい。この衝動を抑える気もない。
だから、僕は壊すんだ。それだけの話だよ、ヘンリー」
――デール!
ヘンリーは叫んだつもりだった。声が出なかった。喉の奥で詰まってしまった。
「いい表情だね……それを見たかった」
反対に、デールは晴れやかに笑いながら言った。
「もっと見せてよ。ねえさんみたいに、素敵な表情を」
その言葉に、ヘンリーの思考が一瞬フリーズする。
――ねえさん、みたいに?
「綺麗だったよ? 赤い口紅をつけて、今の貴方のように僕を見上げた」
――今の、俺のように?
「そうそう、歌も聞かせてもらったんだ。美しいソプラノの賛美歌だよ」
――ソプラノの、賛美歌?
「それからね……最後まで、貴方の名前を呼んでいた」
――俺の、名前を、呼んでいた?
「……あ……」
――まさか。有り得ない。嘘だ。冗談だ。不可能だ。そんなことあるはずがない。
止めろ。止めてくれ。言うな。頼むから言うな。言わないでくれ! 頼むから!!
「貴方も壊してあげるよ。マリア義姉さんみたいに」
今度こそ。ヘンリーの思考も、身体も、完全に停止した。
ゆっくりとデールの持つマシンガンの銃口が向けられる。
けれども翡翠の瞳は虚ろなままだ。マネキンのように固まったまま、運命の時を待つだけだ。
逃げる気力も、そうするだけの意思も。今のヘンリーには残っていない。
「安心してよ。貴方の子供は、僕が守って育てる。
あの子は壊さない……何故だかわからないけど、あの子だけは壊したくないんだ」
デールは笑った。今までとは明らかに違う、淋しげな笑顔で。
もしかしたら、それは彼に残された最後の正気であり、良心だったのかもしれない。
けれども――デールは、トリガーに指をかけ――
「止めろ!」
引き金を引くより早く、投げられた盾が、彼の手を弾いた。
振り向いたデールの視界に、緑髪の少年と、小さな子供の姿が映る。
ソロとビビは一瞬目を見開き、睨みつけるデールと棒立ちになったままのヘンリーを交互に見つめた。
「え……ヘンリー、さん? 二人……?」
邪魔が入った。デールは大きく舌打ちし、身を翻す。
この状況で二人を追い払うのは不可能だ。ここは一先ず退くしかない。
「あ……ま、待て!」
ソロとビビが後を追うが、それはマシンガンの弾幕によって阻まれた。
「ヘンリー! いいか、次に会うまで何があろうと生き延びろ!」
硝煙と夜の帳の向こうで、ヘンリーに良く似た声が響く。
「誰にも殺されるなよ……貴方を壊すのは僕なのだからな!」
ソロとビビは、呆然とその言葉を聞いていた。何がどうなっているのか、混乱する二人の耳に虚ろな声が届く。
「なぁ、ビビ。お前、俺に聞いたよな……本当に悪いやつなんかいないよね、ってさ」
「ヘンリーさん……?」
棒立ちになったまま。弟の去った方を見ながら。ヘンリーは機械的に呟く。
「俺もいないと思ってたんだ。好きで人を殺す奴なんかいないと……思っていたんだ……
でも、違った……はは、あいつがマリアを殺したってさ。
俺の弟が、俺の最愛の妻を殺したんだってさ。壊したいから殺した、ってさ」
「悪い奴だな、俺は。弟を殺したいなんて考える兄貴は、悪い奴に決まってる。
でもな……でもなぁ! あいつは、デールは、あんな奴じゃなかったんだよ!」
翡翠色の瞳が揺れる。涙が、ヘンリーの目からとめどなく零れ落ちる。
「俺の弟はあんな奴じゃなかった! あんな狂った男じゃなかった!
ガキの頃から俺の後追っかけてよ! いつも人の事ばっか心配しててよぉ!
どうしようもなくトロくて! ソロ、お前みたいにお人よしで!
俺なんかよりずっと……優しくて……イイ奴で……」
ソロもビビも、何も言えなかった。なんと言葉をかければいいのかわからなかった。
ただ、黙って聞くしかできなかった。
「俺の知ってるデールは、あんな奴じゃない。デールは、もう、俺の知ってるあいつじゃないんだ。
マリアを殺して、俺も殺して、みんな殺すつもりで……あの、デールが……
それで、俺は、あいつを殺すんだ……殺してでも止めるんだ……
俺はあいつの兄貴で、親分で、だから俺が、殺してでも止めないといけない……俺が殺すんだ、弟を」
「ヘンリーさん……」
「なぁ……ソロ、ビビ、教えてくれ。誰でもいいから教えてくれよ。
どうして、こんなことになっちまったんだ……
なんでこんなことになっちまったんだよ……教えてくれよ、頼むから。
誰か、俺に教えてくれよ!! なんでこうなっちまったのかをよぉ!!」
慟哭は風に乗り、夜空へと散る。
答えられぬ問いと、硝煙の匂いと、長い沈黙だけが。いつまでもいつまでも残されていた。
【ビビ 所持品:スパス
【ソロ(MP消費) 所持品:さざなみの剣 天空の盾 水のリング
【ヘンリー(負傷) 所持品:G.F.カーバンクル(召喚可能・コマンドアビリティ使用不可)
第一行動方針:
ピサロ達と合流するまで待機 第二行動方針:仲間を探す(ソロ、ビビ)/デールを殺す(ヘンリー)】
【現在位置:レーベの西】
【デール 所持品:マシンガン、アラームピアス(対人)、ひそひ草、アポカリプス+マテリア(かいふく) リフレクトリング
第一行動方針:一旦退く 第二行動方針:皆殺し(バーバラ[非透明]とヘンリー(一対一の状況で)が最優先)】
【現在位置:レーベの西→移動】
【カイン 所持品:ランスオブカイン ミスリルの小手
【アーヴァイン(HP4/5程度) 所持品:竜騎士の靴 G.F.ディアボロス(召喚不能) グレートソード キラーボウ 毒蛾のナイフ
第一行動方針:ピサロ+レナ達のグループを襲撃する 第二行動方針:殺人者となり、生き残る/ゲームに乗る
【現在位置:レーベの村・民家の屋根の上を疾走中】
最終更新:2008年02月15日 22:46