*止まる『世界』、回る運命(前編)◆aptFsfXzZw 最初に気づいた異変は、一つ前を走る自動車が停止したことだった。 停車、ではない。一切の速度を落とすことなく、制動距離もあったものでなく。音すらないまま、路から生えたオブジェのように微動だにしなくなったのだ。 低速走行とはいえ、前兆なく出現した障害に対し。未だ事態に気づいているかも怪しい同乗者を振り落とすことなく、一瞬の回避が間に合ったのは、一重に彼の騎乗スキルの賜物だ。 「……これは」 追い抜いた後、文句の一つでもつけながら、異常を調べようとしたライダー――[[門矢士]]はそこで、事態の全容を把握した。 さらに前を走行していた車輌や、街路を行く雑多な人種の通行人。風に煽られていた街路樹の葉々や、街頭スクリーンに映し出された映像。 それらの合唱していた煩雑な物音もろとも、その全てが止まっていた。 その瞬間、『世界』が凍えついていたのだ。 「(ライダー……いったい、何が起こったの?)」 マシンディケイダーに跨る二人以外、視野に収まる森羅万象、その全てが停止した『世界』。 常識外の光景を前にした同乗者――マスターである[[コレット・ブルーネル]]の当惑と不安の入り混じった声無き声が、直接ライダーの意識に響いた。 「……時間が止まっているらしいな」 少女の疑問に対し、ライダーは心当たりを口にした。 今でも思い出せる、あの旅立ちの日。 崩壊に直面した光夏海の世界を、“紅渡”は時間を停止することで保全してみせた。 自身と関係者を除いたあらゆるのものが止まった無音無動のこの空間は、あのシチュエーションとよく似ている。 しかしてそれが、必ずしも特別な瞬間にのみ訪れるわけではないこともまた、数多の次元を旅したライダーは識っていた。 「幾つもの世界の中には、たまにはそういうことができる奴も居る」 「(……わたしも、聞いたことがある。失われた秘術の中には、時を止める大魔術が存在するって)」 まさか、体感するとは思っていなかったという調子でコレットが答えていた最中に――――時は、動き出していた。 寸前、路肩に避けて停車していたライダーは、ヘルメットのバイザーを上げて脇を行く車たちを見送っていた。 「あんまり驚いてる様子はない、な」 第三者から見れば半ば瞬間移動した自分たちの存在で、小さなパニックの一つも起こるかと覚悟していたが――そんな気配もないことを確認したライダーは、さらに念入りに周囲を探る。 「(……なんで、わたしたちは動けたの?)」 その背後で、コレットが当然に行き当たるべき疑問を漏らしていた。 「それはこれから確かめるが、多分こいつに乗ってたからだろーな」 指先でハンドルを叩いて、ライダーは愛車――自身の宝具の存在を強調する。 周囲に術者と思しき気配はない。おそらくは近隣ではなく、こことは違う場所で誰かが、特定の個人や空間ではなく、『世界』ごと時の流れを止めたのだ。 だからこそ、世界にとっての異物として、世界そのものに対する干渉を受け付けないライダーは、その止まった時の世界を認識できたのだと推測できる。 そしてコレットもまた、『世界を駆ける悪魔の機馬(マシンディケイダー)』に騎乗していたことにより、その影響で時間停止に巻き込まれなかったのだろう。 とはいえ、まだ――そのことに対する確証がない、ならば。 「とりあえず場所を移すぞ。しっかり掴まってろよ」 うん、という頷きを背中に感じながら。再びバイザーを降ろしたライダーは、愛車を発進させていた。 ◆ 「えっ、嘘!?」 思わず上げた素っ頓狂な声は、スキルと合わせ、何とか周囲に拾われない程度には抑え込めた。 しかしそれで安心するよりも、絶対の自負を持っていた己の視界が、追跡対象を突如として見失った衝撃の方が、ガンナーの中で勝っていた。 「何で見失――ってない、けど……どういうこと、これ?」 最初の衝撃と、それに伴う混乱が解決するまでは時間を要さなかった。追跡していた二人組、彼らの乗るオートバイクがロストした地点からほんの数十メートル先に停まっているのを、彼女の千里眼は瞬時に再捕捉したのだから。 だが、立ち直ると同時に芽生えた疑念が口を衝いて飛び出した。 ――――確かにこの目で捉えていた標的が、ガンナーの認識すら掻い潜った刹那の間に、数十メートル程度とはいえ予兆もなく転移した。 宝具、『億千万の鉄血鉄火(インフィニティ・ガンパレード)』として再編された銃神としての権能により、銃砲を扱う術理の一つ、狙撃手の技能として生前の気配遮断を再現していた以上、追跡に気づかれたとは考え難い。相手の様子を伺う限り、その推測が誤りとも思えない。 となると、考えられる要因としては自身や眼前のイレギュラーだけではなく、第三者による影響が自然と浮かび上がって来る。 その第三者が、近隣に居るとは限らないものの。建物の影に身を隠すなり、即座に索敵の範囲と精度、そこに割くリソースを増したガンナーは果たして、新たなサーヴァントを発見するに至った。 「何かから逃げている……その影響であたしの認識が狂わされたのか、それとも追手側の能力かしら?」 新たに捕捉したサーヴァントは霊体化し、そのマスターともども人混みに紛れながら、南東から来る何かを避けるかのように移動している。 もう少し近づけば事の詳細もわかるかもしれないが、前提として、ガンナーの身は一つしかない。 「ねえトワイス。あなた、使い魔は」 「(残念ながら、君だけだ)」 あらかじめ念話を繋ぎ、現状とそれから展開した推論を伝えていたマスターは、既に距離の開けた中央病院の一室から期待していなかった予想通りの回答を寄越した。 [[トワイス・H・ピースマン]]は偶発的にマスターと化した元NPC。医者として治癒のコードキャストにだけは長けているが、それ以外のウィザードとしての能力は最低に近い。 サーヴァント以外に自力で使い魔を用意するだけの技量も、彼は持ち合わせてはいないのだ。 「そうよね。となると」 「(君をして認識の外から干渉され得るのだとすれば、まずはそちらを叩くべきだろう。イレギュラーを優先し過ぎては足をすくわれかねない)」 「ええ、あたしも同意見だわ。幸いツカサ達にはまだ気づかれていないみたいだし。少し後回しにしましょうか」 時を同じくして、どこかしらに向けて発進するバイクを背中越しに見送りながら、ガンナーもまた駆け出した。 そして次なる標的へ近づくに連れ――戦女神の顔には、新たな期待の色が滲み始めていた。 ◆ 「――止まれ、マスター」 霊体化していた肉体を結実させながら、キャスター(ジェロニモ)は警告の声を発した。 「まさか、もう追いつかれたのか?」 緊張感をさらに高めた様子で振り返ろうとするサンドマンに、しかしキャスターは首を振る。 「いや……下手をすればもっと悪い。我々は挟まれたかもしれないぞ」 そう。撤退と、まだ見ぬ同門との接触のための行軍を止めたのは、背後から迫るかもしれない敵に追いつかれたからではなく。 いつの間にやら交戦距離まで接近していた、新たなサーヴァントの存在を察知したがためだ。 「すまない。どうやら気配遮断の術を持つ相手のようで、発見が遅れてしまった」 「ということは、アサシンか? ……ならば、正面戦力は乏しいはずだ」 キャスターから伝えられた情報を即座に咀嚼した次の瞬間、サンドマンは背後にその精神の像(ビジョン)を出現させた。 インディアンの装束を纏った人型のスタンド、イン・ア・サイレント・ウェイを。 突如出現したそれは、常人には視認できない。何も気づかず行き交う通行人を睥睨したサンドマンは、のどかな雰囲気に反した言葉を続けた。 「障害物も多い。場所が良いとは言えないが、それでも先手を取れば、わたしとあなたならやれる。手土産を一つ増やせるかもしれないな」 「落ち着け。私も危機感を煽り過ぎてしまったかもしれないが、精霊たちが気配遮断した相手に気づけたのは――」 「こんにちは。ちょっとお待たせしちゃったみたいね」 キャスターが制止を言い終える前に、それは呆気なく姿を現した。 自身の接近に気づかれたことを、既に把握していたかのような口ぶりで、笑顔で手まで振って来るのはフリッツヘルムを被った鉛色の髪の女だ。 キャスターが視認した次の瞬間、直接は何も感じられなかった女から、サーヴァント特有の強い魔力波長が漂って来た。意図的に気配遮断を解除したようだ。 その態度から敵意は薄い、と思われるが……同時にキャスターは、無視できない違和感に襲われる。 (体が重い……?) 「『第七階位(カテゴリーセブン)』……」 戸惑いを覚えるキャスターの横で、今この時点で読み取れる情報を、マスターであるサンドマンが呼びかけの形で通達してくれた。 「そ。ところで、そっちは……」 美しい女だが、欧州系の白人らしい外見に、微かに敵愾心を抱くサンドマン。 その視線を無防備なほど意に留めない第七階位のサーヴァントは、やや暗い色調の銀の瞳でキャスターの顔を覗き込んでくる。 「『枝』が違うけれど……やっぱりジェロニモよね、あなた!」 「!?」 そして再会を祝すような、喜色満面の笑顔で真名を言い当てて来る女に対し、二人のインディアンは思わず身構えた。 「キャスターで召喚されたのね。……ウィンチェスターは持ってきてないみたいだし、あたしの居ない『枝』の方が精霊と縁深くなってるなんて複雑だけど、本物の召喚士(シャーマン)になったあなたを見られたのは感慨深いわ」 「おまえ、いったい……っ!?」 「逸るな、マスター――これは、如何なる導きかな?」 未だ敵意を見せない相手を刺激しないよう後進を抑えながら、底知れぬ者との交渉にキャスター――ジェロニモは打って出た。 「どうか答えては貰えないか、異なる編纂事象より来訪した精霊よ」 そう、シャーマンであるがこその、交渉役として。 「何!? いや、そういうことか……!」 驚愕した様子の少し後に、サンドマンも合点が言ったという様子を見せた。 先程キャスターが伝え損ねた情報――大地の精霊が何故、気配遮断した相手の接近を察知できたのか。その理由が、同種が縄張りに踏み入ったが故の敏感さと思い至ったからだろう。 そしてこのサーヴァントが個人の昇華された英霊ではなく、元より精霊の概念に属する霊格であるならば、シャーマニズムのスキルを持つジェロニモが交渉を試みる価値のある相手だ。 その事実を悟ったように、彼は遂に一歩引き下がる様を見せた。 一方、どこか満足したような笑みを浮かべて、精霊の女は口を開く。 「ここで会ったのはただの偶然よ。さっき変な目に遭ったから、その犯人を探していたら最初にあなたたちを見つけただけ」 「ふむ。申し訳ないが、君の言う変な目、というものに我々は心当たりがないな」 「ええ。顔を合わせて確認させて貰ったけれど、あなたたちじゃないわ。多分、原因はあっちから追いかけて来ている方みたいね」 さらりと、精霊はキャスターが恐れた視線の主――水族館に潜んでいた陣営が、やはり自分達を標的に据えていたことを伝えてきた。 同時、疑念が走る。眼前の精霊が先に発見し接触できたのは自分達で、それからさらに遠方にいる間に、水族館の陣営から干渉を受けた……? 「精霊よ。君が遭った出来事というのは……」 「詳細は言えないわ。というより、まだあたしにもよくわからないというか……気づけたのも偶然だし」 お手上げとばかりに肩を竦める彼女からは、嘘を吐いているという様子は見受けられない。 同じく大地の精霊たちも、何かしらの工作を察知した者はいない。少なくともこの周辺には。 ならば本当に、追手が何をして来たのか、彼女さえも把握できていないという可能性も高い。 「ともかく。そういうわけで確認も済んだし、あたしはもう行くわね。犯人の方に用事があるから」 「――まさか。殿を引き受けてくれる、というのかね?」 「うん。だって、今のあなたたちじゃ敵わないから逃げていたんでしょ? それで追いつかれそうなら、ね」 至極当然のことのように、今しがた顔を合わせたばかりのサーヴァントは言い放った。 確かにキャスターは精霊との交渉で力を借り得るシャーマニズムのスキルを持つが、これは正当に得られる対価の範疇を越えているだろう。 「何故だ? そちらの『枝』において、私と君はそこまで深い仲だったというのかね?」 「特別に親しい、というわけじゃなかったわ。世界大戦の前、あなたの時代のあたしは、まだそこまではっきりした霊格じゃなかったから。でも、あなたは本気で、色んな願いをあたしに託してくれていた、思い出深い戦士の一人だった」 そう答える精霊の手には、いつの間にか一挺の小銃が握られていた。 彼女が愛おしそうに見つめる、使い込まれたその銃身を視た瞬間、キャスター……アパッチ族の戦士ジェロニモは息を呑んだ。 「だから今更でも、一度ぐらいは肩入れしてあげたい、と思っているわけね。せっかくサーヴァントになって、神様の公平さから自由になったんだし」 胸の内を告白する精霊の手に握られていたのは、ウィンチェスターライフルM1876――つい先程言及された、ジェロニモが生前に愛用した銃であったからだ。 それも、あの部品の磨り減り加減はおそらく、ジェロニモ自身が扱った銃そのものだ。 何故、彼女がそれを所有しているのか――外見の特徴と、此度の現界に当たって座から与えられた知識とを合わせた推測は、一柱の候補者を導き出した。 「並行世界の、銃を司る精霊――君は、マックルイェーガー……か?」 自然を疑神化した古きカミガミではなく。かつてジェロニモがその命と祈りを弾丸に託したように、銃という概念へ兵士たちが捧げた信仰から生まれた、運命を定める人工物を擬神化した存在。 それはキャスターの属する編纂事象では未だ現れていない新種の精霊。二度の世界大戦を経て、一度は神霊にも届いたという、新しき戦女神の名。 「流石ね、ご名答。マックルで良いから、祖霊の皆さんにもよろしく言っておいて」 己の真名を言い当てられたことに、マックルはむしろ笑みを深めていた。 知られても構わないという自負か、これで対等だとでも思っているのか、はたまた他の理由なのかはともかく。 どうやら彼女はキャスターに真名を知られることを、別段問題視していないようだ。 キャスターとサンドマンの間をマックルが横切る。その姿を追う瞬間、サンドマンと視線が噛み合う。 「……待ってくれ、銃の精霊よ」 マスターと頷きを交わした直後、キャスターは改めて交渉を再開した。 「力を貸してくれるというのであれば、私たちも共に戦おう。我々は小狡い獣ではなく、誇り高き血を引く戦士なのだから」 「残念だけど、今はまだ誰とも組む気はないわ。あたしのワガママも、マスターがそこまでは許容してくれていない」 半身だけ振り返ったマックルは、同盟を結ぶ気はない、と言う。 だが普通に考えて、単身で挑むよりは徒党を組む方が、追手に対抗するには有効なはずだが―― 「気遣いは無用よ。あなたたちにここを無事逃げ延びて貰うのは、マスターの意向でもあるから」 瞬間、何か薄ら寒いものをキャスターは感じた。 「だってその方が、この聖杯戦争は泥沼になるでしょう?」 そして予感に応えるように。マックルは明るい声の調子を変えぬまま、そんなことを言ってのけた。 「あなたの得意分野じゃない、ジェロニモ。泥沼のゲリラ戦。長期戦を得意とするキャスターのクラス。長生きして貰えれば、その分戦場が悲惨になって、みんなもっと必死になる。なのに、序盤で脱落されたらつまらないじゃない」 「……何を言っている?」 精霊との対話に慣れていないせいか。突如として別の側面を覗かせ始めた、先程まで友好的だったマックルの並べた言葉に戸惑ったように、思わずと言った様子でサンドマンが疑問を零した。 「もちろん、あたしはあなたたち自身にも期待しているわ。マスターはまだ懐疑的みたいだけど、あなたたちは大きな欠落から狂熱を灯し、それを埋めようとする戦士だもの。きっと次代に語り継がれる物語となるはずよ」 「マックルイェーガー……君はまさか」 静かに張り詰めていく――こちらがそのように錯覚しているだけかもしれないが、重苦しい空気の中でキャスターはマックルに問うた。 「まだ……第三次世界大戦を願うつもりなのか?」 「そうよ。ニンゲンがもっと面白くなってくれるようにね」 涼やかな表情で答えたマックルは前を向き、掌をひらひらと振って歩みを再開した。 「それじゃあ、縁があればまた会いましょう。あくまで戦争の敵同士なんだから、次に遭った時は見逃さないわよ」 暗に、これより赴く闘争への水入りに釘を差しながら。ウィンチェスターライフルを担いだ銃の精霊は、人垣の中に消えて行った。 ――背後から仕掛ける、つもりはない。銃の精霊ならばおそらくは、人を超えた視座を持ち合わせているだろう。前準備もなく隙が衝けるとは思えない。 そもそも、折角あの追跡者を相手にしてくれるというのだ。潰し合って貰うのが効率的である以上、敢えて火の粉を被る理由もない。 ただ、クラス特性を理由にこちらを見逃した以上。おそらく彼女は、追手のことも―――― 「あれは邪神の類なのか?」 戦女神の姿が見えなくなってから。思わずといった様子で、サンドマンが呟きを漏らした。 悪魔のてのひらから異能を得た彼でさえも、人格を保った神性との遭遇は初の出来事だったのだ。その体験を前に多少の衝撃も仕方ないだろう、とキャスターは受け止めた。 「そういう側面もある、ということだろう。銃の発展が人類の生息圏を確保する上で有用である事実もある。そうして人間を庇護すると同時、やはり殺戮と闘争のための武器である以上、戦という華を求めるのも道理というものだ。 自らを望み産み出した人の子を害したい、とは思わずとも、結果として血が流れることを厭うような在り方ではないのだろう」 ジェロニモとて、生前は正式なシャーマンではなかった。サーヴァントの身になって初めて実感を得たことだが、それでも次代の同胞に、先人として一つ智慧を伝授する。 「視点が違うのだよ、サンドマン。私たち人間と、大いなる精霊とでは。だからこそ彼らの中では一本芯が通っていても、私たちにはコヨーテのような気紛れ者として映るのだ」 「……その気紛れで、あの精霊には借りができた。だが」 「ああ。いずれ討たねばならないだろう。聖杯戦争に勝利するだけではなく、母なる星を無辜の血で染めないためにも」 そう。仮令、戦女神が敵でも蛮勇を手放しはしない。 何故なら自分たちは、この大地と共生する悪魔――異郷の神を畏れる必要などありはしないのだ。 「……だが、すまない。サーヴァントの霊基を以って現界したという点では同じでも、所詮は一介の戦士に過ぎなかった私だけでは、一度は戦神にも届いた精霊には敵わないだろう」 「だからこそ、ここは奴の思惑に乗ってやろう、ということだな?」 「ああ。人の力は小さい、だが多くを費やせば大自然にも抗し得る。それをあの若き精霊にも教えてやろう」 そのためにもまずは、同じく大地に生きる人間と合流する。 方針を明確にした二人は、これ以上時間を無為にしないため、勝利に向けた行軍を再開した。 ◆ 《――Teleport, now――》 水面のように波打つ空間を抜け出た瞬間、[[空条承太郎]]の前に広がっていたのは寂れた工場地帯の一区画だった。 水族館からほんの数キロ西に広がる工場地帯は産業が盛んではなく、時期によっては稼働していない施設も珍しくはない。 しかし承太郎が空間を転移して現れた周囲は、それを加味しても人の姿が一切見受けられない奇妙な静寂に包まれていた。 そんな通行人の不在は、承太郎を此処まで移動させた同行者の細工に因るものだろう。 ほんの数十秒前。承太郎の目撃した『第八階位(カテゴリーエイト)』のサーヴァントを追うべく、先んじて放たれていたキャスターの使い魔の内一羽が、この付近で消息を絶った。 たかが使い魔といえど、一般市民や野生動物に不覚を取るような生半な代物ではない。害せる者がいるとすれば、犯人はマスターかサーヴァントに限られる。 キャスターは残存した使い魔を急行させると人払いの結界を構築させ、その完成とほぼ同時に打って出たというわけだ。 「……無事に着いたようで何よりだ」 転移早々、既に戦装束を纏っていたキャスターは、攻撃される憂き目に遭うことのなかった己のマスターに対し素っ気ない感想を述べた。 彼は承太郎の申し出を断りはしなかったが、どちらかといえば望んではいない様子だった故の皮肉だろう――知ったことか。 「キャスター。サーヴァントは」 「居るぞ。すぐそこにな」 「わ、もう来たんだ」 問答を行ったまさにそのタイミングで、キャスターの示した廃工場の影から若い女の声が聞こえてきた。 そのままひょっこりと顔を出した、軽そうな頭を物々しい軍用ヘルメットで包んだ女の姿を認めた直後、承太郎は微かに眉を顰めた。 「『第七階位(カテゴリーセブン)だと……キャスター、こいつだけか?」 「そのようだ。どうやら、おまえが目をつけた相手ではなかったらしいな」 どの道やることは変わらないが、と言外に匂わせながらキャスターが答える。 認めるのは癪だが、その点については承太郎も同意見だった。 「『第八階位(カテゴリーエイト)』の居所を知っているか? 肌黒い男のサーヴァントだと聞いているが」 「もう知らないわ」 念のため、といった具合のキャスターの問いかけに、女英霊は拒絶を返した。 「ま、ま、落ち着いて。あなた達から距離を取りたがっていたみたいだから、あたしが代わりに引き受けて来たのよね。あ、別に同盟とか結んでいるわけじゃないから安心して? 暫くは誰とも組む気はないから」 落ち着け、と言いながらも。同じ殺し合いの参加者相手に、共闘の意志がない旨を平然と伝えてくる。 陽気な笑顔の裏が読みきれない女に対し、隙を逃すまいと睨めつける承太郎の横で、キャスターが仮面から苦笑を零した。 「なるほど。奴らの代わりを引き受けてきて、なおかつ停戦の意志もない、か。ならば行き着く結論は一つだな」 《――Connect, now――》 「そうね。でも、まだ引きこもっているからこっちは待ってあげてい――」 「スタープラチナ・ザ・ワールド」 瞬間、『世界』から音が消えた。 指輪に刻んだ魔術により、接続した空間から得物となる短槍の如き魔杖を取り出したキャスター・仮面ライダーワイズマンも。 いつの間にやら、その手の中に――既製品の、珍しくもないライフル銃を握り込んでいた敵サーヴァントも。 時間の止まった『世界』に入門できない全ての存在は、英霊であろうと例外なく、その活動を停止していた。 (――早まったか?) サーヴァントさえも抗えぬ、その現象を起こした張本人――最強のスタンド能力、スタープラチナ・ザ・ワールドを発動した承太郎は、微かに脳裏を掠めた躊躇を検分しながら、一歩その足を踏み出した。 スタープラチナによる時間停止。先程、使い魔を殴りつける際にキャスター――即ちサーヴァントにも通用することは把握していた。 眼前の『第七階位』もまた同じく、その能力から逃れることはできなかったようだ。 ならばキャスターとの連携を予め示し合わせておけば、完全な意識外からの不意打ちを利用した初見殺しさえ成立させられたかもしれない。 あるいは、キャスターの窮地を救うためにこそ温存しておくか。 いずれにせよ、強力さ故に対策される危険性を考慮するなら、こんな初手から考えなしに使うべきではないのがセオリーだ。 だが、今この場ではそれらの有効な活用法を成立させるための大前提、つまりはスタンドによる攻撃そのものが、サーヴァントに通じるという実証が済んでいないことが焦点となる。 敵を知ることは大切だが、何よりもまず、己を知ること。それを疎かにした机上の空論は最悪の場合、逆に首を絞める結果に繋がる。 攻撃が通じる保証のないままでは、連携もクソもない。窮地を救うために発動しても、その時に敵へ通じる攻撃手段を持ち合わせているか否かを把握できていなければ選択を誤る恐れがある。 だから、最初に確認を済ませるべきなのだ。あるいは敵が想定外に弱く、実験の機会を得る前にキャスターが始末し終えてしまう場合――もしくはその逆に、悠長に機会を伺うことすらできない難敵である場合にも備えて。 彼我の距離はおよそ十メートル。対してスタープラチナの射程はわずか二メートルしかない。 しかし――時が止まっているというのに奇妙な表現だが、停止できる時間だけは、高校生時代の全盛期にも匹敵する五秒を確保できている。 故に、敵が完全に停止していることを改めて確認しながら、本体の承太郎が間合いに捉えるまで接近するには充分な猶予があった。 ……身動きの取れない女が相手だが、その正体はサーヴァント。そして殺し合いに積極的であることは明白である以上、拳を握ることを躊躇う義理はない。 「実験に付き合って貰うぞ――オラアッ!!」 間合いに捉えた敵の得物を払い除け、そして繰り出したスタープラチナの拳が、女サーヴァントの端正な頬を遠慮なく殴りつけた。 (手応え――――アリだっ!) 人間や吸血鬼、下手なスタンドさえも殴りつければ容易に頭蓋骨を破損させるスタープラチナの拳でも、その一撃ではサーヴァントの肉を切った感覚すら得られない。 しかしそれはただ、このサーヴァントが人体や並のスタンドよりも頑丈というだけのことだ。 打ちつけた手応え、与えた衝撃が確かに相手に伝わり、頬の肉を押し込んだ程度とはいえわずかながらも変形させたという感触は、スタンドを通じて本体の承太郎にもフィードバックして来た。 神代からの伝承を保菌して来たスタンドによる物理攻撃は――神秘を伴わない攻撃を無力化する、サーヴァントにさえ作用している! 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――」 一撃目の手応えを理解した次の瞬間、最早刹那の躊躇も挟まず、眼前のサーヴァントの美貌へと拳のラッシュを叩き込む。 顔面そのものを砕いた手応えは未だ得られずとも、視界を封じる目的で眼球を狙い、呼吸を妨げるために鼻梁や喉元にも容赦なく、ロードローラーさえ破壊する連打が精密に降り注ぎ、その身体を大地から引き離し始める。 浮かび上がった的を逃さず、スタープラチナの左手で細い首筋を掴み、全力で締め上げる。その間も止むことのない殴打の軌跡に、やがては微かな血の線が混じり始める。 「オラオラオラオラオラアッ!! ――――そして時は動き出す」 そして最後に、渾身の右ストレートを浴びせると同時に女の首を手放した。 「――!?」 驚愕に息を呑む気配は、承太郎を挟む前後から。停止した時間の中でタコ殴りにされていた女と、認識しないうちに己のマスターが移動し、なおかつ敵サーヴァントを殴り飛ばし終えた光景を目撃したキャスターの、二騎の英霊が揃って見せた動揺だった。 次の瞬間には、スタープラチナのパワーで弾かれた女が錆びついた背後の大扉に激突し、叩き割るようにして押し開いて、無人の工場施設内へと呑み込まれて行った。 「硬いな……だがいつかの爆弾ほどじゃあない」 流血にこそ追い込んだが、数秒間殴っても握っても、骨を砕けたような確実な有効打としての手応えはなかった一方、こちらの拳が砕けるようなこともなかった。 スタープラチナの攻撃はサーヴァントにも通用する神秘を持つことは確認できた。だが、有効な攻撃力とまで評して良いのかは悩ましいところだ。 「そういった能力が在るならば事前に示し合わせろ。警戒されてないうちならばそのまま仕留められただろうに」 「そいつは悪かったな。何せ、そもそもスタンドでサーヴァントに干渉できるかも確証がなかった……誰かさんが殴らせてくれなかったせいでな」 キャスターの文句に言い返しながら、彼が隣まで歩いてくるのを待つ。口惜しいが、単身で追撃を仕掛けるのは危険であるとも今の実験で結論できた。 ようやく、この戦いにおける己を一つ理解した。 本番はこれからだと気を引き締め直し、この時ばかりはキャスターと足並みを揃えて、承太郎はブチ開けた工場の入口にその長身を潜らせた。 ***NEXT:[[止まる『世界』、回る運命(後編)]] ---------