サケ(鮭 Oncorhynchus keta)は、サケ目サケ科サケ属の魚。狭義には種としてのO. keta の標準和名であるが、広義にはサケ類一般を指すことが多い。
ここでは種としての「サケ」、通称「シロザケ」について解説する。
別名
シャケ、アキアジ、イヌマス、シロザケ、サーモン、メジカ、トキシラズ、岩手では南部鼻曲り鮭、ブナ(いずれも河川に遡上したものを指す)。ただし「シャケ」に関しては、一説にはこの魚を「サケ」、それを食品用に加工したものを「シャケ」だという見解もある一方で、江戸時代の江戸では「はひふへほ・さしすせそ」の発音が苦手だった為、訛って「シャケ」になったという説もある(サケの語源については「サケ類」を参照のこと)。
生態
日本での遡上は高緯度地域ほど早く10月から12月で、主に北海道・東北地方の川で産卵するが、本州中部から西部・九州の日本海側や一部太平洋側(ちなみに南限は太平洋側で関東地方あたり、日本海側では福岡県あたりまで)の川でも産卵する。
産卵床が作られる河床環境は、カラフトマスよりも流速が遅く砂礫質で湧水のある河床が選ばれる[1]。
水温8℃では、60日程度かかって孵化し50日程度で腹部の卵嚢の栄養分を吸収し終わると浮上する。浮上時は5cm程度でプランクトンを主とした捕食を開始する。
浮上後から海水耐性が発達していて、3月から4月頃に日中に群れで移動し降海する。なお、カラフトマスでは主に夜間に移動することが報告されている[2]。
降海直後は塩分濃度の低い汽水域で過ごし8cmを越える頃に、沖合に移動する。
当年魚は夏から秋にはオホーツク海の水温8℃前後の水域を生活域とし主にオキアミ類などの動物性プランクトンを補食している。水温が5℃程度になると北西太平洋に移動し越冬をする。越冬後はアリューシャン列島からベーリング海中部を餌場として分布し、秋には37cm程度まで成長する。水温が低下する冬期はアラスカ湾で越冬し夏はベーリング海まで回遊する生活を成熟まで繰り返す。
1~6年の海洋生活で成熟した個体は、母川に向け回帰する。
産卵期の成魚の全長は平均で70 - 80cmだが、大きい個体では90cmを超えることもある。なお、成熟速度が著しく高く(早熟)、海洋回遊2年で母川へ回帰するオス親魚は、50cmに満たない。
0歳の稚魚(2004年5月 札幌市豊平川さけ科学館)
遡上する鮭(2005年11月)
産卵後の死骸。生息個体が特に多い小規模河川の河口部では、産卵期に多数見られる。ホッチャレとも呼ばれる。親魚は川を上っている間、餌を取らない。オスはその間に体高が高くなり(背っぱり)、上下の両顎が伸びて曲がる(鼻曲がり)。産卵・放精後の親魚は、1ヶ月以上生きて産卵床を守るメスの個体もあるが、大半は数日以内に寿命が尽きて死ぬ。また、産卵期になると寿命が近く免疫力が低下するため、遡上中のみならず、まだ海中にいるものでも水カビ病に感染し上皮が白く変色することがある。個体によっては一見すると、まるで真っ白な別の魚のように見えることもある。
日本近海のサケの圧倒的多数は、安定した漁業資源確保のために北海道・東北地方を中心に人工的に採卵・放流される孵化場産シロザケが占める。稚魚の放流が行われず自然産卵のみのサイクルが維持されている河川も北海道、北陸、近畿地方にいくつか存在する。北海道沿岸の回帰率は概ね5%であるが本州太平洋側では3%本州日本海側では1%程度と推測されている。
日本ではほぼ全ての個体が降海しており、シロザケの陸封型は存在しないと考えられている。しかし実態が未解明であるイルクーツク州のバイカル湖やモンゴルのいくつかの湖沼等、極東地域とその周辺の冷水湖に陸封種が存在する可能性があるとする説もある。人為的なものでは、中禅寺湖に移入されたシロザケは自然状態の淡水でオスが成熟したという記録がある。また、飼育下では標津サーモン科学館が淡水でのメスの成熟にも成功し、次世代を得たことがあり、2009年には千歳サケのふるさと館が2例目の淡水でのメス成熟と産卵の成功例となった。
漁獲
日本系サケと若干のマス類は、先史時代から漁獲の対象となってきたとされる。
かつて山内清男が縄文文化が東日本でより高度に発達した理由をサケ・マス資源の豊富さに求める説を唱えた。当初、この説に対しては批判的な説が多かったが、その後の発掘において東日本各地の貝塚でサケの骨が発見されるようになるとこの説は再評価された。平安時代の「延喜式」にも日本海沿岸諸国からの河川遡上魚の献上の記事が載せられている。また、江戸幕府(松前藩)によるアイヌ統治時代には、コンブとサケはアイヌ民族から和人への重要交易品目であった。 サケの回帰性に着目した越後国村上藩の下級武士、青砥武平治は、1763年(宝暦13年)に「種川の制」を敷き、三面川(みおもてがわ)にサケの産卵場所を設置した人工川を設けて、サケの自然増殖に努めた。
孵化したてのサケ日本におけるサケの人工孵化は、1876年茨城県の那珂川で試験的に行ったのがはじまりで、1888年に千歳川に本格的な中央孵化場が建設され本格化した。犬吠埼以北の太平洋、壱岐沿岸以北の日本海、オホーツク海、北西太平洋、ベーリング海およびアラスカ湾などの海域が日本系サケの生息域である。日本系サケの回帰数は1997年から2007年までの10年間の平均数から年間6270万匹と推定されているが、この回帰数を維持するためには18億匹の稚魚放流が必要と考えられる。
漁法
沖合漁業については、1950年代に発効した国際条約をきっかけに再開され、1970年代に漁獲量がピークを迎えたとされる。1990年代には「北太平洋における溯河性魚類の系群の保存のための条約」(93年発効)により活動海域が日本とロシアの沿岸200海里以内に制限されることになった。2007年度の沿岸漁獲量は21万トンで、定置網での漁獲が90%以上を占める(なお、日本全体の定置網漁の38%がサケ・マス類となっている)。 定置漁業権に基づいて行われる定置網が中心である。北海道の千歳川流域では、産卵のために川に上る鮭をインディアン水車により捕獲している。ただし、これは稚魚の人工孵化を行うための親魚確保が目的であり、一定量の捕獲に限られている。
鮭児
けいじと読む。訛ってけんちと呼ばれることもある。知床〜網走付近で11月上旬、中旬に漁獲されるあぶらののった若いサケである。通常のサケと見分ける箇所は、腹を開けて胃袋の下側についている幽門垂の数を調べることで、その数が220個程度あれば「鮭児」である場合が多い。卵巣、精巣が未成熟である。漁獲量は普通のサケ1万匹に対して1 - 2匹程度しかなく、幻のサケといわれている。その身は大変に脂が乗っており(脂肪率が通常のサケの2 - 15%に対し、鮭児は20 - 30%である)、美味である。このため、高級食材として珍重されている。水産庁の外郭団体である独立行政法人水産総合研究センターさけますセンター(現・水産総合研究センター北海道区水産研究所)の調査では、「鮭児」の遺伝子の解析結果より、日本の河川で生まれたものではなく、アムール川系のものであることが判明している。[3]
料理
サケを用いた料理には次のようなものがある。
生食
刺身(必ず冷凍し、解凍したものを用いる)ルイベ(冷凍状態の刺身)、寿司、海鮮丼、マリネ
氷頭(ひず:頭の軟骨)をたたきにしたチタタプ
汁物・鍋料理
あら汁・潮汁
石狩鍋:石狩地方発祥のサケと豆腐、野菜などを味噌で煮込む鍋。
十勝鍋:道東地方で食され、石狩鍋に豚肉を入れたもの。
三平汁:塩引きした鮭(新巻鮭)のあら、切り身を野菜と煮込む汁物。
すり身、つみれ団子
焼き物
塩焼き、ムニエル、バター焼き、ホイル焼き
ちゃんちゃん焼き:バターを引いた鉄板に鮭の身を並べ、まわりにキャベツ・ネギ・もやし等を配して焼き、甘塩辛い白味噌を塗って食べる。
揚げ物
サケフライ
漬物
新巻鮭、飯寿司、塩辛、切り込み、めふん、氷頭なます
乾物
燻製、スモークサーモン、鮭とば、ふりかけ、お茶漬けの素(お茶漬け海苔)
缶詰
水煮、サケ缶(醤油煮)、サケの中骨
産卵期に入ったものは、旨み成分であるアミノ酸類や脂肪分が卵や白子の形成に使われてしまうため、ルイベや焼き物、煮物料理には上記の鮭児や沖合いの漁場を回遊中のトキシラズのほうが美味であるが、山漬や新巻等、長期塩蔵加工するものには脂肪分が少なく脂焼けしにくいことから、遡上を開始する前後のブナ模様が発現しはじめた個体のほうが適している。
焼いた塩鮭は、日本の朝食の典型の一つと考えられることもある。旅館、民宿などでは海苔、生卵などと共に焼いた塩鮭が出されることも多い。焼いた塩鮭は他にも、握り飯の種や弁当のおかずなどにも用いられることが多い。塩味をつけたサケの身を崩したものはフレークとして、お茶漬けの具、ふりかけ、サラダなどにも用いられることがある。
卵は塩漬けをした筋子として、あるいは粒をほぐしたイクラとして鮨などに用いられる。また、雄の精巣(白子)は、DNAを豊富に含むため、抽出原料として利用され、核酸ドリンクや固形の健康食品のほか、医薬用、工業用に使われることが多い。
鮭の心臓は「どんぴこ」という名称で三陸沿岸で昔から食べられている。心臓のみならず肝臓の食感も、潮の香りの漂う鶏のモツといったところで、刻みネギとともにしょうゆ又は塩胡椒で味付けしたバター焼きや、串焼きにすると美味である。また鮭の頭部の軟骨は「氷頭」(ひず、ひゅうずとも)言われ、これもマイナーながら通好みの食材として好まれている。氷頭は酢の物、膾として食べることが多い。頭部のゼラチン質の部分や眼の周りの脂肪分は焼き物や煮物にすると美味である。
近年では鮭の背骨(中骨という)を柔らかく煮てそのまま食べられるように加工された物も存在する。これは主に缶詰として流通される。
他にバター焼きにする、シチューの具に使うなどの調理法がある。
稚魚はイカナゴのように、佃煮にすると美味である。
鱗は海洋性コラーゲンの製造原料になる。
このように捨てる部位がほとんどなく、アイヌには「神がくれた魚」として崇められた。内臓や骨なども料理の出汁になるのを含めれば事実上無駄になる部分はない貴重な魚ともいえる。また、前述の鮭の回帰性を発見した青砥武平次を生んだ新潟県村上市には、100種類以上にも及ぶ鮭料理が伝わっている。
サケ類にはアニサキスが寄生していることが多いため、冷凍処理を行わないものを生食することは感染のおそれが高い。アニサキスは鮭の身を加熱するか、ルイベのように(厚労省や各国の公的機関が通達する手順で)一旦冷凍することで死滅する。死骸になってもゴムのような弾力があるが、見た目心理的なことを除いて魚肉とともに食べても問題なく害もない。他にもサナダムシが寄生していることもある。寿司屋などで食される刺身は必ず、冷凍されたものを解凍したものである。
サケの身は赤いが、生物学的には体側筋が遅筋から成る赤身魚ではなく、速筋から成る白身魚に分類される。サケの赤色は遅筋の色の原因である酸素結合性タンパク質、ミオグロビンによるものではなく、餌として摂取された甲殻類の外殻に含まれるカロテノイドであるアスタキサンチンによる。卵が赤いのもこの色素による。このアスタキサンチンは抗酸化作用などが注目され、多くのサプリメントや健康食品に利用されている。[4]
アイヌとサケ
北海道のアイヌ民族は鮭を「カムイチェプ」(神の魚)と呼び、生活の大半をその恵みに依存していた。
漁期が近づけば天空の天の川を見上げて「天の石狩川」「天の天塩川」など、その地一番の大河になぞらえ、どこが一番濃く見えるかで漁の豊凶を占った。白老や登別付近では、頭がハゲたカラスが現れれば、豊漁の兆しとしてよろこんだ。
やがて最初に上って来た鮭を捕らえるや、それを神に捧げる「アシリチェプカムイノミ」(新たなる鮭の祈祷)を行い、イナウとトノト(どぶろく)を共に捧げて祈った。サケは回転式の銛「マレク」で突くか、ウライ(簗)で捕らえ、水量のあるところでは2艘の丸木舟の間に網を張って漕ぎ、サケを追い込む「ヤーシ漁」(網漁)を用いた。W字型をした天空のカシオペア座は2艘の舟と網に似ていることから、アイヌは「ヤーシ星」と呼ぶ。暴れるサケはそれ専用に作られた神聖な棍棒「イサパキクニ」で打って止めをさす。鎌などで引っ掛けることは神を冒涜するものとされた。漁期には物忌みが守られ、生理中の女性は川に近づくことを許されなかった。
サケは河口のコタンで独り占めはせず、上流部へもいきわたる様に節度を持って獲る。そしてチポロ(イクラ)やウプ(白子)を持った美味いサケを狙うのではなく、産卵を終えて弱ったサケ「ホッチャレ」を重点的に獲った。来年への資源確保も重要だが、脂肪が抜けきった「ホッチャレ」のほうが乾燥保存に向く、という事情もあった。
こうして獲られたサケは、一部を当座の食用に回すほかはすべて保存食に加工した。腹を割いて内臓を取り除き、戸外の物干し棚にかけて乾燥させる。屋内の囲炉裏の上に吊り下げ、燻製にする。あるいは雪の中に埋めて凍らせる。乾燥サケを「サッ・チェプ」(乾いた魚)、もしくは「アタッ」と呼ぶ。食べる際は水に戻し、魚油を加えて旨味を足しながら煮込む。 凍ったサケが、有名なルイベである。食べる際はマキリ(小刀)で大まかに切り分け、ヤナギの串に刺して火にあぶって解かし、少量の塩で味をつけて食べる。塩は交易でのみ得られる貴重品なので、保存料として大量には使えなかった。アイヌの伝統的な食文化に、塩引き鮭、新巻鮭は存在しない。
アイヌの代表的な鮭料理としてはルイベのほか、「チェプオハウ」(鮭の煮込み汁)、「チタタプ」(エラと白子のたたき)、「チポロサヨ」(イクラ粥)が揚げられる。特に白米のチポロサヨは鮭の漁期に貴重な白米が入手できてこそ作られる料理であり、大変なごちそうだった。
アイヌ料理の項も参照
最終更新:2011年04月09日 12:07