新-166

「美希」

来ると思ってた。
あたしがそう言うと、きっとせつなはきょとんと首を傾げるだろう。
だからあたしは何も言わずに振り向いた。
せつなは不思議そうな表情で、あたしを見詰めていた。

「せつな」
「なにしてるの、こんなところで。風邪、引くわ」
「平気よ」

あたしはそう言って小さく笑うと、せつなの腕を引いた。
油断していたのか、せつなは容易くあたしの腕の中。
「美希」と戸惑ったような声がして、せつなはもがいた。
けれどそれは表面上だけで、本気であたしの腕から逃れたいわけじゃないはずだ。
その証拠に、せつなはすぐにもがくのをやめた。

「どうしたの、美希。眠れないの」

静かな声が訊ねる。せつなの表情は見えない。
もっとも、後ろから抱き締めていなくても暗くて見えなかっただろうけど。

「わかんないの、せつな」「わかんない?」
「そう、いつも完璧なはずのあたしがね。……よくわかんないの」

夏休みを利用してラブやブッキーを含め四人で旅行しようという話になった。
旅行と言ってもあたしたちはまだ中学生で大した遠出は出来ないので、
ラブの家(ここでもう既に旅行じゃない)に泊まることになった。
結局いつものお泊まり会のようなものだけど、夏休みということで
それなりにテンションが上がり楽しかった。楽しかったけれど、あたしはここしばらく
ずっと抱えていた悩み事のようなものが引っかかって、うまく笑えていなかったように思う。

ラブとせつなの部屋が繋がるバルコニー。
ラブの部屋ではその部屋の主とブッキーが眠っているだろう。
あたしは無理を言ってせつなと同じ部屋にしてもらった。どれもこれも悩み事を解決するためにだ。
あたしはいつでも完璧でいたいから。それなのに一緒の部屋にいるとその悩み事はますます大きくなっていくだけだった。

「ねえ、美希」
「うん?」

せつなを抱く腕の力を強くしたまま黙り込んだあたしに、せつなはふと思い出したようにあたしを呼んだ。
なに、と訊ねると、せつなはその細くて白い指を夜空へと向けた。真ん丸な、お月様。

「……きれいね」
「……そうね」

せつなはきっと今、微笑んでいるのだろう。
あたしは突然、そんなせつなをからかいたくなった。
「月がきれいって英語でなんていうか知ってる?」

「あなたを愛してる」

でしょ?
せつなが振り向いた。月の光に照らされた微笑むせつなはとてもきれいだと思った。

「英語で、って言ったのに」
「それを日本語に直したらそうなるんでしょ」
「誰が教えたのよ。まあラブだろうけど」

ため息。ロマンチックな雰囲気になるかと思ったが違ったみたいだ。
せつなは再び前を向くと、あたしの胸にもたれ掛かってきた。

「美希は」
「え?」
「美希は月がきれい、言ってくれないの」


手に、やわらかな感触。せつながあたしの手を握ってくれている。
あたしは……。そう言いかけてやめた。あたしの悩み事。
もしかして、あたしのせつなへの気持ちは冷めてしまったんじゃないかということ。
よくよく考えれば、せつなはあたしのことを好きでいてくれているのか不安だったことでもある。
だから、今のせつなの言葉でそんな悩み事は吹っ飛んでしまった。

せつなはあたしが好きだと言ってくれるしあたしだって。

「せつながもっともっと好きにならせてくれないと言ってあげない」

けれど、いつでも完璧でいたいあたしはもう二度とそんなバカげたことを考えなくていいように、
せつなの愛の言葉を胸に刻むことにした。

終わり
最終更新:2011年07月17日 17:46