「あ」
「ブッキーいらっしゃい」
昨日から続いている雨はいっこうに止みそうもない。傘をさしていても少し濡れてしまった髪の毛。ハンカチで拭いながら見慣れたドアを開けた先には予想外の人物がいて、私の足は止まってしまう。
「パッションちゃん?」
「そんな所にいないで入ったら」
雑誌から顔を上げ、本人不在の部屋のベッドからクッションを一つ掴むと、ぽんと床に置いた。どうやらここに座れということらしい。促されるままそこに腰を下ろすと、彼女はまた雑誌に視線を戻した。
私はとりあえずバッグを置いて、髪に残っていた雫を拭き取る。
「美希ちゃんは?」
「買い物。ブッキー来るからって、飲み物とお菓子とか買いに行ってる」
「雨の中?」
「大雨の中」
場違いなのに、パッションちゃんの微笑がとても綺麗で不覚にも私は見とれてしまった。
「あの、こんな中買いに行かなくてもよかったのに」
「じゃんけんで負けたから」
「楽しそうだね」
もう一度パッションちゃんはふっと小さく笑った。
「お菓子はあるんだけどね。飲み物の買い置き二人で飲んじゃったから」
「ああ。日差しはないけど蒸し暑いもんね」
「そうね」
そうはいってみたものの、空調には人一倍気を遣う美希ちゃんの部屋はいつものように、温度も湿度も完璧な状態。パッションちゃんの隣に行って一緒に雑誌を見ながら、
よっぽど喉渇いたんだね
と呟くと、彼女は私と同じくらいの声量で
渇くことをしたから
とぽつりと言った。
そして、平然と次のページをめくる。
「……何したの?」
「聞きたい?」
「いいえ…………泊まり?」
「ううん。朝から」
雑誌にパラパラとこぼれ落ちた髪を彼女がかきあげた。ふと、私の視線が一点に集まる。
白い首にぽつんと赤い痕。
……………………………………………………っ。
「あの、何してたんですか?」
「何してたでしょう?」
雑誌を閉じた彼女はにっこりと眩しいぐらいの笑顔で問い返してきた。聞かなくてもいいのに、むしろ聞かない方がよさそうなのに、私の好奇心がここで話を終わらせてくれそうに………ない。
「……ヤッてたの?」
「祈里からそういうこと聞けるなんてね」
パッションちゃんはへぇと私の発言に感心しているような感じ。ふっと微笑むとそっと私の耳元に顔を近づけてきた。
ふわりと
爽やかな匂いが鼻についた。
ヤッてたわよ
びくっと身体が震えた。彼女の声は艶っぽく、口説かれているような狂わされるような不思議な感じになる。
「掃除をね」
「へ?」
「模様替えしたいっていうから手伝ってたの」
「なっっっ!?」
「微妙に変わってるでしょ?ブッキー顔真っ赤よ」
「その首の赤いのはっ?」
「蚊に刺されたの」
クスクスとパッションちゃんが口元に手を当てて笑い出した。
「ちょ、ひどいよ!」
「私は嘘はついてなかったわよ。祈里が勝手に勘違いして」
「もーーーっ」
私は顔を茹でタコのように真っ赤に上気させパッションちゃんをぽかぽかと叩いた。彼女はごめんなさいと謝りながらもその瞳には笑いすぎて涙すら溜まっている。
「ひどいよぉ」
「あはは、ごめんなさい」
パッションちゃんはひとしきり笑った後ごめんねとウィンクして謝った。その仕種の可愛いことといったら。
「うぅ、許さないわけにはいかないじゃない。美人はいいよね」
「ブッキーは可愛いわよ?」
そういいつつ私の頬っぺたをむにっと両手で挟んで引っ張るパッションちゃんは楽しそうで。
「意地悪」
どうやら私にはこの女王様は扱えそうもありません。
「ただいまー……ってどうしたの?」
「ブッキーが機嫌を直してくれないのよ」
部屋の空気を察した美希ちゃんが恐る恐るパッションちゃんに聞くと、苦笑して彼女は答えた。私はベッドの上でクッションを抱きしめたまま二人に背中を向けている。
だって恥ずかしいんだもん。
「何したの?」
「ブッキーが美希の午前中の予定を知りたがったから」
「ちょっとぉー!!」
あははと笑うパッションちゃんに私はクッションを投げつけた。彼女はサラリとそれを受け止める。
「なんだ。ケンカしてるわけじゃないのね」
「だってパッションちゃんが!」
「私は事実を言っただけよ」
「わかったから。ブッキーもこっちおいで」
美希ちゃんがテーブルの上に買ってきた物を並べはじめた。パッションちゃんはそんな美希ちゃんの濡れた髪の毛をタオルで優しく拭いてあげている。
「じゃーん」
美希ちゃんが取り出したのは、私が大好きな店の限定チーズケーキ。ここからだと少し遠いのに。
「ブッキーが喜ぶと思って」
「うん!ありがとう美希ちゃん」
にっこり笑った美希ちゃんはぽんっと私の頭をひと撫で。昔から変わらない彼女の行動。子供っぽいと思われるかもしれないけど、私は彼女のこの行動が大好きだった。
「そりゃブッキーの好きなものは把握してるつもりよ」
「美希ちゃん……」
綺麗を鼻にかけないで、獣医を目指す私のためにテスト前なんかはそっと差し入れをくれるような人。
小さい頃からお姉さんみたいで優しくて、私は美希ちゃんが大好き。
「パッションひゃん何ひゅるの」
そんなことを思っていたらまた横から私の丸い頬っぺたに手が伸びてきた。微妙にさっきより強めに引っ張られてるのは気のせいだろうか。
「これが祈里の胸の柔らかさなのかなぁって」
「変態!!」
「パッション、ブッキーをからかわないで。ほら、食べよ。あたし結構歩いたんだからね」
パッションちゃんの手を取った美希ちゃんは呆れ顔で注意した。
ひりひりする頬っぺたを押さえながら私はパッションちゃんを見る。まさかこんなに親しみやすいとは思わなかった。
「イメージ変わったかも」
「私は祈里に変態のレッテルをはられるのかしら」
「そうじゃなくって!」
「はい、あーん」
「あむっ」
またヒートアップしかけた私を美希ちゃんのフォークに刺さったモンブランが遮った。口の中に甘い味が広がって一瞬で幸せな気持ちになった。
「美味しい?」
「美味しい!」
「美希、私には?」
「ん、食べていいよ?」
美希ちゃんは自分のお皿をパッションちゃんの方に持っていく。パッションちゃんは不満そうにモンブランにフォークを刺した。
もしかして、さっきちょっかいかけてきたのも……
「何怒ってるの?」
「別に……」
「美希ちゃん、パッションちゃんは美希ちゃんにフォークッむっ!!」
パシィと私の言葉は口ごとパッションちゃんの手に遮られた。
美希ちゃんはきょとんとしている。
やっぱり……。
「今日はどうしたの二人とも」
「美希、ジュースじゃなくて紅茶飲みたいわ。アールグレイで」
「え、ああ、うん。いれてくるね。ミルクは?」
「アイスでストレート」
美希ちゃんが部屋を出ていくと、ようやく私は口を解放された。
「ヤキモチ妬いてたのね」
「…………」
「美希ちゃん鈍感なとこあるしね」
「…………」
「パッションちゃん可愛いね」
「もう」
顔を真っ赤にした彼女を見れるなんてかなり貴重だろう。
「美希ちゃんと間接ちゅーしちゃった」
フォークをくるくると彼女に見せると、パッションちゃんはからかわれていることにますます顔を赤くした。
「美希はブッキーたちのことは特別だから」
「パッションちゃんも違う意味で特別でしょ?美希ちゃん一人占めするのはダメー」
「そうだけど。あんなことしなくても。しかも頭撫でられてるし……」
「こんなにヤキモチ妬きだったんだ」
彼女はクッションを握りしめ少し拗ねている。何だろうこの可愛い生き物は。
「ブッキーは意地悪ね」
「えー、初めて言われた」
クスクスと笑って、あーんとチーズケーキを差し出すと軽く睨みつけながらも食べてくれた。
今だ雨は降り続いている。
ラブラブな二人には悪いけど、居心地のいいこの部屋にもう少し居座ろうと思った。
END
最終更新:2011年07月20日 01:45