新-230

「あ」
「ん?あ、ごめんなさい。これ美希のね」

苦笑して彼女はあたしのコップをテーブルに戻した。あたしの声に一度は中断された会話が、なぁんだという微笑とともに快活な少女によって再開される。あたしも笑顔を作り、会話に戻る。ドクドクと高鳴る心臓に気づかないフリをして、彼女が置いたコップを握る手を微かに震わせながら。

炭酸ジュース一つと、カフェオレ一つとオレンジ二つ。パラソル付きのテーブルでドーナツを囲むように置かれた飲み物。
頼まれた飲み物を人数分買ってきた幼なじみは、あたしに飲み物を手渡すとき首を傾げた。その目は珍しいねとでも言っているようだった。
ありがとうと言ってそれを受け取り、思ったよりも渇いていた喉を潤す。甘さの中にすっきりとした酸味。嫌いではないが、随分と飲んでいなかった気がする。
そしてあたしの隣にはもう一つのオレンジジュースがコトンと置かれた。

全ては仕組まれた事故だ。
ポーカーフェイスには自信があったはずなのに、自分で仕掛けたものにああも反応してしまうのは想定外だった。


今がいいだろうか

自然なタイミングで

もう誰も気にしていないだろう


「せつな、ドーナツついてる」
「わっ、ラブ。もう……ありがとう」

トーン低めの黄色い髪の少女、桃園ラブがテーブルを挟んで漆黒の髪色の少女東せつなに手を伸ばし、その頬についたドーナツのかけらを取り口に入れた。
持ち上げようとしたコップをあたしはもう少しで倒してしまうところだった。


からん、からん

あたしはストローをコップの中で上下させる。
作戦は成功したのに、結果を喜ぶことができない。自分はこんなに惨めなことをする意気地なしだっただろうか。
間接キスを仕組みながらそのストローに口をつけることさえできなくなった。

友人の話は頭から流れ、ただ悪戯に、氷がとけていく。


「―――よねっ美希たん?」
「えっ?」

不意に話しかけられハッと声のした方を見る。声をかけたラブだけではなく、せつなと祈里も訝しげにあたしを見ていた。

「大丈夫?」
「うん。ごめん、何だっけ」
「明日の合宿。せっかく海の近くだし、海で遊びたいねって」
「え、ええうん。泳ぎたいわね」
「でしょ?こっそり水着持ってこうかなー」


話についていけたことにほっと息をつき、喉を潤すため自然にストローに口をつけた。
意識をし過ぎているのかもしれない。違うことに意識が移り、気にしなければこうして普段通りになる。

「気にしてるのかと思った」

その時、小さな声でせつなが話しかけてきた。反射的にあたしも小さな声で何を?と返す。

「飲み物飲まないから。潔癖?って言うんだっけ。それだったら悪いことしちゃったなぁって」

意味に気づくとかぁっと体温が上昇するのがわかった。彼女が自分を見ていたことに急に恥ずかしくなる。そして、余計な心配をかけたことを反省する。

「ごめん。何か今日ぼーっとしてて。あたしは仲のいい友達なら平気よ」

あと、潔癖はあんまりよく受け取られないわよとあたしらしくお小言。せつなはごめんねと微笑んだ。
罠を仕組んだことを心の中で詫びつつ、あたしの心は彼女の笑顔で少しずつ晴れていく。

「もしかしたら苺チョコ取ったから怒ってるかなとも思ったし」

これは嘘。からかうようにせつなは自分の食べかけのドーナツを指差す。
あたしの一番好きな苺ソースの乗った甘くないチョコ生地にチップ入りのドーナツ。売れ行きがよかったらしく今日は一つしか残っていなかった。

「あたしはそんな子供じゃないわよ」

彼女にも食べて貰いたくて薦めたドーナツ。今は残りが三分の一ほどだ。

「美味しいでしょ?」
「ええ、でも……」

次の瞬間あたしの口内にふわりと甘さが広がった。せつなはしてやったりの顔をしている。

「いつもクールなのにこれを食べた時の、美希の緩んだ顔は見物よね」


甘くてほろ苦いドーナツ。
あたしは一口大だったそれをゆっくり咀嚼もせずに飲み込んだ。

高鳴った心臓は当分正常な働きをしてくれないだろうとどこか遠いところで考えながら。



END
最終更新:2011年08月05日 01:51