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新-233

“ひゅん”


 突然、せつなの足元から旋風が巻き起こる。それが広がるかのように強い風が吹き付け、木々の梢を大きく揺らす。
 たっぷりの水分を含んだ、青葉の匂いを運ぶ温かい風。

 陽の短くなった秋の夕方には、決してあり得ないはずの――――それは、真夏の風だった。

 せつなを中心にして、空間があるはずの無い姿へと変転していく。

 儚げな夕日は、突き刺さるような暑い日差しに変化する。
 木々はそれまでの紅葉が嘘であったかのように、深緑の命の輝きを取り戻す。


(何が……起こっているの?)


 背後から人の気配を感じて、せつなはとっさに身構える。そして気が付く。
 それは、近寄ってくる人物を敵として認識していること。相手から、殺気を、戦意を感じ取っていること。
 この世界に住むようになって、久しく忘れていた感覚だった。

 一人の少女が近づいてくる。

 薄いグレーの半袖シャツに、黒のハーフパンツ。年頃の女の子にしては珍しいシンプルな服装。
 何も持たない両手は、固く拳を握りしめる。瞳に闘志を讃え、ミディアムレイヤーの黒髪を風に揺らしながら――――







帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。せつなが帰る日(後編)――』







(これは――――かつての私? 夢でも見ているの? 違う! 夢は匂いまで感じ取ったりしないわ)


 黒髪の少女はせつなに気が付くこともなく、歩を緩めずに一本道を真っ直ぐに進んでいく。
 このままでは衝突する! せつなは横に移動して道を譲ったものの、肩と肩とがぶつかりあってしまう。

 ぶつかりあってしまう――――はずだった。
 少女の肩はせつなの肩をすり抜け、何事もなかったかのようにそのまま歩き続けた。


(幻覚……じゃない、気配や殺気まで感じ取っているのだから。時間、いや、空間がズレているの?)


 だとしたら、自分だけ相手を知覚できるはずもない。原因は判らないが、ラビリンスの科学力すら超える奇跡の力が働いているらしかった。
 とにかく少女の後を追う。


(私の記憶の通りなら、後、二百メートルほどで……)

 向かい側から、同じくらいの背格好の女の子が駆けて来る。
 ピンクにハート柄のタンクトップ。黒のショートパンツ。そして、薄茶色の髪の大きなツインテール。
 瞳に強い決意と、深い愛を讃えた少女。

 二人が対峙したその瞬間、空が彼女たちの心を映したかのように雲を纏う。風は、見守るようにピタリとその動きを止めた。


「お前を探しに行くところだった。わざわざ現れるとは、手間が省けたよ」
「気が合うね。あたしもせつなに会いに行こうとしてたとこだよ」

「今日こそ! お前と決着を付ける」
「うん、そうだね。こんなこと、もうやめにしよう。ううん、必ず止めさせてみせる!」


“スイッチ・オーバー”
“チェインジ・プリキュア・ビートアップ”


「お前が友達だと思っていたせつなとは、この私。お前の変身アイテムを奪うために近づいたのだ。そうとも知らず気を許すとはな」
「今でも友達だと思っているよ。その友達をラビリンスから抜け出させるために来たの。あたしの全てを賭けて!」

「お前の――――そういうところが頭にくるんだよ!」


 何もかも記憶の通り。イースとキュアピーチに変身した少女たちは、激しい戦いを繰り広げる。
 静まった風の代わりに、イースとピーチの拳と蹴りが大気を切り裂く。
 更に近づいてくる二人と一匹の足音。美希、祈里、タルト、シフォンだった。彼女たちもせつなには気が付かない様子だ。


(干渉のできない過去の追体験というわけね。私に何を見せようというの? 全て知ってることなのに)


「アタシたちも変身よ!」
「うんっ」
「待って! ここはあたしに任せて。お願い、二人は手を出さないで」


 イースはピーチ以外の者には一瞥もくれない。どうでもいいからだ、彼女たちが参戦しようとしまいと。
 勝利のために、戦っているのではないのだから……。

 雨足が強くなる。風の吹かない静かな森の中、小さな水滴だけが自然の存在を主張するかのように。
 二人の悲しみを、共に嘆いているかのように――――

 イースとピーチの戦いは更に激しさを増す。
 見ているだけで、せつなにも二人の気持ちが伝わってきて、苦しみに胸が張り裂けそうになる。


(二人の気持ち? イースの気持ち? イースはかつての私のはず、他人として何かを感じているというの?)


「こんなはずじゃ……。こんなはずじゃなかった!」


“国民番号ES4039781イース様。あなたの寿命は今日限りです。 お疲れ様でした”


 間近に迫る死を前に、嘆きと悲しみ、そして悔しさを拳に込めて振るうイース。
 その姿は、まるでピーチに泣きついている子供のようでもあった。

 実際に泣いているのはピーチだった。イースの苦しみを感じ取り、自分の悲しみに変えて泣いていた。
 そんなピーチの悲しみを感じ取り、美希と祈里も泣いていた。


(そうだったの……知らなかった。みんな泣いていたのね)


 笑顔と幸せが輪になって広がっていくように、悲しみと不幸もまた輪となって広がっていく。


(だから――――私はいつも周りを不幸にしてしまう)


「お前といると、私の中の何かがおかしくなっていく。お前といると、私が私でなくなっていく!」
「せつなっ!」

「初めて会ったあの日、幸せが訪れるなどとデタラメな占いを真に受けては喜び、その後も些細なことで幸せを手に入れたと言ってははしゃぎ、
 罠にかけようとしているのに微塵も疑うそぶりも見せず、いつもいつもバカみたいに笑ってる。
 そんなお前が……お前が――――! うらやましいと思った!」


“魂の叫び”


 死を前にして自分の気持ちと向かい合う。これほど純粋な想いが他にあるだろうか?

 うらやましい――――
 その言葉には一切の希望がなく、祈る余地もなく、ただ、届かぬものに対する憧れだけがあった。

 互いの想いの全てを込めた、イースとピーチの渾身の一撃が空中で交差する。
 眩い閃光の後、力を使い切った両者は地表へと落下する。


「うらやましいと……思ったんだ」
「そっか、よかった。やっぱりイースじゃない、せつなだったんだね」


 穏やかな表情、素直な気持ち。やり残したことを終えたイースの、本当の素顔がそこにあった。


「変ね。あれだけ激しく戦ったのに、心が清清しい」
「それはね、ラブの心が伝わったからよ。ラブはね、ラビリンスからせつなを取り戻そうとして、心を鬼にして全力で戦ったの」
「心を、鬼にして……」
「あたしも、悩んでた気持ちがすっきりしたよ。せつなの心が伝わったから」

「ほら、立てる?」
「フン、私の心など……。あっ……あれは――――幸せの素?」
「すごいよ! せつな。幸せを運ぶ四つ葉のクローバーはね、心から幸せを望んでいる人じゃないと見つけられないんだよ」
「心から幸せを?」

「今からでも、きっとやり直せるよ。さっ、幸せをつかみとって。せつなが見つけた幸せでしょ? ほらっ!」


 それは、イースの境遇を知らないからこそ言えた言葉。
 やり直せない――――もう、間に合わない。だからこそ、会いに来たのだから……。
 それでも、イースは手を伸ばそうとした。

 そう――――届かないなんて、叶わないなんて、許されないなんて。
 そんなこと、夢を見ない理由にはならない。見れない理由になんてならないんだ!

“時間です”


「せつな……どうしたの?」
「えっ?」
「なっ、何?」
「どうしたんや、急に?」


 後、数センチ。もう少しで四つ葉のクローバーに手が届こうというその時、イースの身体が崩れ落ちる。
 苦しみも、痛みも感じることなく。まるで、糸の切れた人形のように――――


 そこで時間が止まる。

 ピーチも、美希も、祈里も、タルトやシフォンまでも。
 森の木々や風や雨までも、その全てが動きを止める。

 せつなは駆け寄る。
 うつ伏せに倒れたイースの身体を、触れないと知りつつも抱き起こそうと手を伸ばす。


(えっ? どうして……)


 先ほどはすり抜けた彼女の身体に、何故か触れることができた。
 まだ、ぬくもりが残るイースの身体を抱き上げる。


(くっ……。っぅ――――――――!!)


 泥に汚れた銀色の髪をかき分け。せつなはイースの顔を覗き込む。
 ゾクリと感じる恐怖と嫌悪。雷が落ちたかのような衝撃に襲われ、せつなは声にならない悲鳴を上げる。

 安らかとは言い難い死に顔は、まさに彼女の人生そのものだった。
 恐怖を感じる暇もなく、後悔する時間も与えられず、ただ一欠けらの幸せも手にすることなく。

 何の感情も浮かべずに、瞳孔の開いた瞳をいっぱいに広げて――――


 ポタリ、ポタリ――――


 雨は止んでいるはずなのに、イースの顔が濡れていく。
 次々にこぼれ落ちる雫は、泥に汚れた少女の顔を少しづつ綺麗に洗い流していく。

 それが自分の涙なのだと気が付くまで、せつなはしばらくの時間を必要とした。


(どうして、泣いているの? 知ってること、過去にあったことなのに)


 ただ、無性に悲しかった。せめて、幸せの素をつかむ時間を与えてあげたかった。
 一度でいいから、笑顔になれる時間を与えてあげたかった。
 幸せの喜びを、教えてあげたかった……。

 生きる資格なんてないと思った。まして、プリキュアになるなんて――――
 自分は、幸せになってはいけないような気がした。
 それなのに、今、確かにイースを救いたいと思った。幸せになってほしいと願った。

(そうだったのね……。やっとわかったわ、自分は自分では見えないものね)


「許せない過去の私を、イースを、救うべき他人として見せるためにここに呼んだんでしょ? アカルン!」


 その言葉に反応するかのように、景色が再び変転する。
 腕の中からイースの重さがなくなり、やがて実体を失った。
 ピーチも、美希も、祈里も、タルトやシフォンも。みんな透き通るようにして姿を消していく。

 薄暗い雨空は、日の沈む前の紅い夕焼けに変わる。
 深緑の森の木々は、赤と黄色の、美しい紅葉へと戻っていく。


 そして、せつなの前に姿を現す懐かしい姿。プリキュアの妖精。幸せの赤いカギ、アカルン。
 リンクルンを返却し、スウィーツ王国に戻ったはずの、東せつなのパートナーだった。


「久しぶりね。どうしてあなたがここに?」
「キ――――」

「そう、そうだったわね。私とアカルンは繋がっている。あなたの力で生きていられるのだから」
「キ――――」

「ええ、もうわかったわ。やっと、全部わかったの。あなたのおかげよ」


 罪を感じること。反省し、後悔するのは大切なこと。生き方を改めて償うのは必要なこと。
 だけど、自分を傷つけて、その幸せを認めないのは間違ったことなんだ。
 自分を傷つけて罪の意識を和らげたって、そんなんじゃ誰も救われない。

 今、自分がイースの不幸を悲しく思ったように。
 東せつなを愛してくれた人たちだって、その不幸を悲しまないはずがないのだから。


「ラブのように自分から笑えなきゃ、誰も幸せにはできないのよね」


 もう一つ、わかったことがある。


“そっか、よかった。やっぱりイースじゃない、せつなだったんだね”


 ピーチの言葉を思い出す。ピーチは、ラブは、最後までイースをせつなと呼び続けた。
 東せつななんて、この世界に潜入するために自分で付けた名前。だから、そんな子は始めからいなかったんだって思っていた。


「せつなは居たのよね、ラブの中に。私を一番最初に愛してくれた人の心の中に」


 そして、あゆみと圭太郎。美希や祈里。クラスのみんなや商店街の人たち。
 せつなを知り、その名を親しみを込めて呼んでくれる全ての人たちの中に。
 愛を込めて付けられた名前じゃなくても、愛された名前となり、愛される人として居場所を得たんだって。


「キ――――」
「帰る時間なのね。ありがとう、アカルン。私はもう大丈夫よ」

 アカルンは一瞬微笑むと、空高く上昇して消え去った。せつなはその姿を記憶に焼き付けて、アカルンの消えた赤い空に誓う。
 幸せの妖精に選ばれた者として、恥ずかしくない生き方をしようと。

 そのためには――――


“幸せを運ぶ四つ葉のクローバーはね、心から幸せを望んでいる人じゃないと見つけられないんだよ”


 あの時、イースがつかめなかった幸せの素。キュアパッションが受け取るのを拒んだ四つ葉のクローバー。
 もう一度探して――――そして、自分の手で摘み取ってみよう。
 そこから始めようと思った。

 夕焼けの薄暗い森の中、せつなは目を凝らして四つ葉のクローバーを探し始めた。







 陽が沈み、森は深い闇に包まれる。あれからずいぶん時間が経っていた。
 木々の間から覗く星の光だけを頼りに、せつなは四つ葉のクローバーを探し続ける。


(必ず見つける。そして――――帰るんだ!)


 どうしても、今、ここで見つけたかった。
 ここはイースの最期の場所。そして、東せつなの生まれた場所なのだから。


“そんなお前が……お前が――――! うらやましいと思った!”


 やっと、見つけたから……。自分だけの夢――――自分の幸せのために見る夢を。
 せつなじゃない、イースが見ていたんだ。その人生の最期に、届かぬ夢として、それでも叶えたい願いとして。


(どうして、もっと早く気が付かなかったんだろう)


 さっき、アカルンが見せてくれた過去。あれと同じことを、アカルンは前にもやってくれていたのだ。
 それは、キュアパッションに生まれ変わる時。東せつなの心の中で。

 公園でダンスに励むラブたちを、寂しそうに見つめる自分。ダンス大会の夢に挑むラブたちを、辛そうに見ている自分。
 本当の自分の願い――――本当の自分の夢を。
 決して見えないはずの自分の姿を、アカルンは見せてくれていたのに。

“なりたい自分を思い描いて、その目標を実現させる”それが夢なのだとしたら、自分がなりたいものなんて決まってる!


(ラブがミユキさんに憧れたように、私はラブになりたい。ラブの輪の中に入って、その幸せを一緒に広げていきたい!)


 それこそが自分の夢。イースが、その恵まれない人生の最期に見た、本当の自分の夢だった。

「やっと、見つけた。あなたの夢は私が叶えてみせるから。お帰りなさい――――イース」


 せつなは大切そうに四つ葉のクローバーを摘み取る。今度こそ、自分の幸せのために。
 そして、背後から近寄る気配に振り返る。この良すぎるタイミングも、運命なのかもしれなかった。


「せつな、探したよ」
「ラブ、私――――自分の夢が見つかったの」


 せつなは手にした四つ葉のクローバーをラブに見せる。これは、“心から幸せを望んでいる人じゃないと見つけられない”もの。
 だから、イースには見つけられたもの。そして今、イースから受け継いだもの。


「“幸せ”に、みんなの幸せと自分の幸せがあるように、“夢”にも、みんなのための夢と自分のための夢があるのね」
「うん、そうだね」

「私もラブのようになりたい。二兎を追って、両方ゲットしたい。ううん――――必ずしてみせるわ!」


 それは一年前、ラブがせつなに誓った決意。せつなが自分の言葉に置き換えて、言い直したものだった。


「ねえ、せつな。せつなの幸せは何? せつなの夢を聞かせて」
「私はラブのようになりたい。ラブのように笑って、同じ夢を叶えたい」

「あたしの夢? ダンサーの夢のこと?」
「ええ、私はプロのダンサーになる。ダンスで、みんなを笑顔と幸せでいっぱいにしてみせる」

「ダンスで、ラビリンスを幸せにするの?」
「世界中のみんなを、よ!」

「そっか。なら、せつなの夢はあたしの夢と一緒だね!」
「そうよ、私はラブのようになりたいんだから」


“いつか世界中のみんなの心を、愛情いっぱいにしてあげられる人になりたい”


 それが、ラブの名前の由来。そして、ラブがおじいちゃんの写真の前で語った夢だった。


「もう一度作ろうよ! あたしたち二人で、ダンスユニット“クローバー”を」
「ええ!」

「待ちなさい! 二人じゃユニットにはならないでしょ」
「わたしたち四人でクローバーじゃなかったの? ラブちゃん、せつなちゃん」

「美希たん! ブッキー!」


 美希と祈里が木陰から姿を現し、そのまま会話に加わる。
 ラブより少しだけ遅れてここに来ていたのだが、お話し中だったので様子を見守ることにしたのだ。


「ダメよ! 美希にはモデルの夢があるじゃない。やっと叶ったんでしょ」
「まあ、ここまで来たんだもの。モデルに専念するのが最善の道なんでしょうね」

「だったら!」
「でも、アタシは完璧なの。bestではなくperfect。それは、何もあきらめないということよ!」

「わたしもあきらめない。自分の夢も、みんなと一緒に見る夢も」
「ブッキー!」

「美希ちゃんと話したことがあるの。せつなちゃんが本当にやりたいことを見つけて、それがダンスだったならって」
「そんな……どうして? ブッキーだって、獣医の夢があるじゃない!」

「うん、ダンス大会の前から迷ってた。わたしの夢は獣医だから、プロになりたいわけじゃなかったし」
「浮かない顔してたことあったよね、あたしも気になってたんだ……」

「わたしね、引っ込み思案を治したくてダンスを始めたつもりだった。だけど、本当はそうじゃなかったの」


 ラブにダンスに誘われた時、祈里はみんなの前で踊るなんて自分にはできないと断った。
 それなのに、毎日のようにラブと美希のダンスの練習を盗み見ていた。

 胸が締め付けられるような憧れと、羨望と、そして悔しさ。それもまた、自分の夢だったんじゃないかって。


「逆だったの。ダンスがしたいのに言い出せなかった性格を治したかった。わたしも、ダンスが好きなんだって!」
「本当にいいの? ブッキー」

「うん。歌って踊れる獣医さん、全然ありだって言ったのラブちゃんだよね?」


 ラブ、美希、祈里、せつな。四人の視線が交わる先に、それぞれの腕を真っ直ぐに突き出して掌を重ねる。


「ダンスユニット“クローバー”再結成だね。みんなの幸せも、あたしたちの幸せも、まとめて両方ゲットだよ!」
「当然でしょ! アタシたちは完璧だもの」
「きっと叶うって、わたし信じてる」
「私、精一杯がんばるわ!」


 今度こそ、せつなは心に誓う。この手のクローバーが、自分の幸せを運んでくれるように、
 ダンスユニット“クローバー”を、みんなの幸せの素にしようって。


「さっ、そろそろ帰りましょう。いくらアタシのママが奔放でも、この時間じゃね」
「わたしも連絡はしてあるけど、さすがに心配してると思う」

「そうだね。帰ろう、せつな。あたしたちの家に」
「そうね、私たちを心配してくれる人のところへ」


 帰り際に、せつなは今日あったことをラブと美希と祈里に話した。


「アタシたち、アカルンに先を越されちゃったわけね」
「どういうこと?」
「ううん、なんでもないの」

「でもいいな~、あたしもピルンやシフォンやタルトに会いたいよ」
「アカルンちゃんは瞬間移動があるもの」
「もともと、自由気ままな子だったしね……」

 昨年の夏のあの日のこと。アカルンと再会したってこと。懐かしい思い出に、会話を弾ませながら。







 ラブとせつなが家に帰り着いたのは、日付も変わろうとする時刻だった。
 あゆみと圭太郎が心配して玄関に飛び出してくる。
 安堵と喜びの表情を浮かべたあゆみが、やがてうつむいて震えだす。その手はギュっと握られていて――――

 直感で危険を察して、一歩下がるラブ。せつなはキョトンとその様子を眺める。


「せっちゃん、こんなに遅くまで、一言も無しにどこに行ってたの?」

「ただいま、おかあさん。あのね……」
「勝手にいなくなって、遅くなってごめんなさい」


 玄関で頭を下げるせつなに、険しい表情のあゆみがツカツカと歩み寄る。
 そして、大きく手を振り上げた。

 パァァ――ン

 少し離れて様子を見守っていた圭太郎がびっくりするほどの、大きな音が深夜の桃園家に響き渡る。
“平手打ち”ラブですら、ここまで強く打たれたことはないかもしれない。そのくらいに強烈な愛の鞭だった。


「せっちゃん、覚えておきなさい。親に心配かける子は、こうやって叱られるのよ」


 頬に走る衝撃よりも、混乱の方がずっと大きかった。一体何が起きたのか、しばらく理解できなかった。
 ようやく事態が飲み込めて、せつなは恐る恐る口を開く。


「おかあさん……。一つ教えて」
「なあに?」

「ラブは、心配してもらえるのは幸せだって言ってた。でも、心配するのは幸せなことなの?」
「心配するのは幸せじゃないけど、心配な人がいるのは幸せなことでしょ。だから、ほどほどにしなさいね」

「はい……。ごめんなさい――――おかあさん!」


 せつなはあゆみの胸に自分から飛び込んだ。そして、身体を震わせて泣いた。
 ごめんなさいと、ありがとうを繰り返しながら。
 まるで――――小さな子供のように。

 それは、今まで厳しく律していたせつなの心の開放だった。
 ラブの幸せを分けてもらっていたんじゃない。ラブに憧れたせつなが手に入れた、本当の自分の幸せなんだって。
 頬の痛みが、髪を優しく撫でる手の動きが、確かにそう教えてくれていた。


 せつなは部屋に戻って異空間通信機を起動させた。ウエスターとサウラーに今日の出来事を話し、やっぱり戻れないと伝える。
 この世界で、叶えたい夢を見つけたから。

 いつか、自分自身とラビリンスを含めて、


 世界中のみんなを、笑顔と幸せでいっぱいにしたいから――――



新-270
最終更新:2011年08月15日 14:48