2-372

 秋の匂いが漂う河川敷。ワーワーと子供達が野球に熱中する声が空に響く。
 その片隅の草っぱら。傾斜の途中に座る、少女が一人。
 目を閉じて、イヤホンからの音に耳を澄ます。思い描くは、ダンスシーン。ト
リニティの三人が、ステップ、ステップ、ターン、ステップ。指先まで綺麗に手
を両に伸ばして、綺麗にポージング。
 心に描くは容易なこと。けれど、実際に自分がしてみると、全然うまくいかず。
腕に意識を向ければ足がおろそかになり、ステップを気を付ければリズムが狂う。

「体で覚えるしかないわね」

 ミユキにコツを聞いた時、そう応えられたことを思い出す。

「何度も何度も、繰り返し繰り返しレッスン。ダンスを上手くなるには、これし
かないわ」

 頑張ってね。
 笑顔でそう言った彼女は、どれほどの汗を流したのだろう。ステージの上、ス
ポットライトを浴びるミユキのダンスには、揺ぎ無い自信が感じられる。
 すごい。素直にそう思う。
 一つのことに夢中になるというのは、とても素敵なこと。
 私も、いつかはそういったものに出会うんだろうか。

「――――」

 誰かに声をかけられた気がして、目を開ける。それと前後して、後ろから両の
イヤホンを奪われて。

「こんなところで、何やってるの、せつな?」
「美希」

 振り向いたそこにいた親友の姿に、せつなは驚きに目を見広げた後、ゆっくり
と笑ったのだった。




      Whisper in the Wind



「なにこれ。レッスン曲じゃない」

 せつなから奪ったイヤホンを耳に入れた美希は、不思議そうな顔をしながらそ
う言った。首を縦に振る彼女に、

「どうしてこれ、聞いてるわけ? レッスンで飽きるぐらい聞いてるのに」
「それでも、まだまだ聞き足りないから」

 返されたオーディオプレイヤーを鞄にしまいながら、せつなは微笑みながら言
う。隣に座った薄水色のロングスカートの少女からは、鼻をくすぐるいい匂い。
きっと、その長い髪から漂ってくるのだろう。

「なるほど、イメージトレーニング、ってわけか」
「ミユキさんからは、体を動かして覚えろ、って言われてるけどね」

 けど、今日はもう疲れちゃったから。
 苦笑しながらの言葉に、美希は怪訝そうな顔で尋ねる。

「練習してたの?」
「うん。一人で、だけどね」
「あら。ラブは?」
「なにかの委員の集まりだとかで、友達の家に行ったわ。クラスで何かやるみた
い。せつなにも内緒なんだから、って言ってた」
「ああ、あの子、そういうサプライズ、好きだもんね」

 クスクスと顔を見合わせて笑う二人。今頃、友達の家で色々と企んでいること
だろう。

「けど、せつな、ひどい」
「え?」

 唐突に責められて、せつなは不思議そうな顔をする。美希は可愛らしく唇を尖
らせて、

「声、かけてくれれば、一緒に練習したのに」
「ああ、そのこと」

 本気で怒られているわけじゃないと知って、彼女は笑みを見せた。そして、

「だって今日は、お仕事も久しぶりのお休みだったんでしょ? 邪魔しちゃ悪い
かなって。それに――――」
「それに?」
「一緒に練習したら、追いつけないじゃない、私」

 悪戯っぽい表情を見せるせつなに、きょとんとした後、美希は思わず吹き出した。

「なに、それ。負けず嫌いなんだから」
「そ。すっごく負けず嫌いよ、私。知らなかった?」

 澄ました顔で言うものの、すぐにそれは笑みに変わる。美希も、クスクスと笑う。
 秋の風が、二人の髪をそっと撫でて、去っていく。羊の形をした雲が、ゆっく
りゆっくりと空を歩いていて。


「でもね」

 一頻り笑いあった後、せつなは穏やかな顔で言った。

「追い付きたいってのは、ホント」
「ダンスで?」

 コクリ、と彼女は頷く。

「ラブもブッキーも、もちろん、美希も。皆、やっぱり上手いなって」
「そりゃあ、せつなよりは始めたのが早かったもんね」
「うん。だから早く追い付きたいなって」

 その言の葉を口にしたせつなの唇は、相変わらず微笑を湛えている。だが彼女の
瞳には、真っ直ぐな強い光が宿っていて。

「四人のダンスがピタッて嵌ったら、すごくパワフルでカッコイイダンスが出来
る、ってミユキさんが言ってた。けど、私はまだ、慣れてないから、足手まとい
になっちゃう」
「足手まといだなんて、そんなこと思ってないわよ?」

 美希の言葉に、せつなは、ううん、と言いながら首を横に振った。

「まだまだ、だっていうのはわかってるつもり。だから皆みたいに、早くうまく
なりたいなって」
「それで一人で練習してたってわけか――――あわよくば、抜かしちゃおう、っ
て思ってたでしょ?」
「バレた?」

 美希の指摘に、せつなはお茶目な顔で舌を出す。

「もう、後輩の癖に、生意気よ」
「アハハ、ごめんごめん」

 怒ったふりで拳を上げる美希。それをよけようと体をそらすせつな。二人はや
っぱり、笑顔。とても明るい笑顔。

「でも、誘っとけば良かったわ。美希とブッキーを」

 しばらくじゃれ合った後、空を見上げながらせつなは言った。その横顔を、
青の少女は見つめる。

「一人が寂しかった?」
「それもあるけれど......私、皆のダンスを見ているのも好きだから」

 空の羊達は、その数を増やしている。ゆっくり、ゆっくりと足踏みをしながら、
彼方へ彼方へと流れていく。


「ラブのダンスは、元気いっぱいで好き。ブッキーのダンスは、女の子らしくて
可愛くて、好き」
「――――あたしのは?」

 二人の名前だけで止まって、不服そうな顔をする美希に、せつなは照れ笑いを
浮かべながら、

「本人の前で言うのは、恥ずかしいわ」
「そう? あたしは、せつなのダンス、頑張ってるって感じがして、すっごく好
きよ」

 う、と言葉に詰まる。流し目の彼女に、思わずドキッとする。頬が熱くなる。

「ほら、今やってる振り付けで、腕を目一杯伸ばすところがあるでしょ?」
「う、うん」
「せつな、こんなに小さいのに、すっごく頑張って大きく見せようとしてるでし
ょ? それがもう、微笑ましくて」
「――――もう!! どうせ私は、美希に比べれば背が低いわよ!!」

 からかい混じりの口調に、せつなは軽く彼女の肩を小突く。アハハ、と楽しそ
うに笑う美希の姿に、彼女はドキッとして損した、と思って。
 美希のダンスは、すごくセクシーで大人びてて、好き。そう言おうと思ってた
けれど、絶対に言ってやらない。言ってやるもんか。

「ごめんごめん、せつな。機嫌直して?」
「知らない」

 プイッと顔を背けるせつな。その様に、また笑う美希。

「冗談よ、冗談」
「フンだ!!」

 せつなは怒ったフリをする。あくまでも、フリ。本当に怒っていたら、その場
を立ってどこかに行ってしまう。それをしないのは、美希だから。
 そして拗ねているだけだとわかっているから、美希も本気で慌てたりはしない。
満足いくまで笑ってから、

「アハハ――――でもね、せつな」
「――――なに?」

 口調を改めた彼女の声に、たっぷり十秒数えてから、せつなは返事をする。

「あんまり、根を詰めすぎないでね? 精一杯、頑張るのはいいけれど、無理は
しないで欲しいの」
「――――うん」

 相変わらず顔は背けたまま。けれど、せつなにはわかった。彼女が、美希が、
今、とても優しい目をしていることが。




「ねぇ、美希」
「ん? なぁに、せつな」
「――――ありがとう」


「いい風ね」

 なんとなく話が途切れて。美希は地面に両手をついて、空を見上げていた。そ
の前髪を揺らす、穏やかな風。とても、気持ちのいい風。
 彼女の声に、しかし返事は無く。

「――――?」

 隣の少女を見ると、座ったまま、目を閉じていて。コクリ、コクリと微かに船
を漕いでいる。気持ちのいい風は、秋の薫りだけでなく、彼女の瞳に眠りを運ん
できたようだ。
 だから、頑張り過ぎだっていうのよ。
 美希は、小さく溜息をつく。それは彼女に呆れたからだけど、しょうがないな
ぁ、という優しい呆れ。
 フラフラと危なっかしく揺れる彼女を起こさないように、そっとその頭に触れ、
自分の膝の上に導く。
 美希のロングスカートの上で、気持ち良さそうに小さく寝息を立てるせつな。
その彼女の可愛らしい顔を見つめる美希は、暖かな笑みを浮かべながら。
 慈しむように。愛でるように。
 そっと彼女の黒髪を、優しく撫で続けたのだった。
最終更新:2010年01月04日 00:11