校門を出ようとしていたせつなの鞄から、可愛らしい音が鳴った。それは、メールの着信を知らせる音。
誰だろう?
せつなは、小首を傾げて鞄を開ける。取り出したリンクルンのディスプレイに並ぶのは、「ブッキー」の文字。
せつなちゃん、この前一緒に金木犀を見た日、楽しかったね。
ところで、わたしもせつなちゃんにイメージの重なるお花を見つけたの。
お母さんが鉢植えで育ててるお花なんだけど、良かったら今から見に来ない?
*いのり*
追伸:美味しい紅茶とケーキもあるの。
可愛らしい誘いのメールを読むうちに、あの日の楽しかった帰り道を思い出し、せつなの顔は知らず知らずほころんでゆくのだった。
祈里の家の玄関の前に立ち、チャイムを鳴らす。
「はーい」
「ブッキー? せつなよ」
「いらっしゃい、今開けるね」
ガチャリ、と大きな扉が開いて、待ち構えていたかのように祈里が出迎えた。
すでに私服に着替えている祈里の姿に、せつなは思わず眼を奪われた。
襟と袖口とレースが焦げ茶色で統一されたオフホワイトのワンピース。
その髪にはやや明るい茶色のリボンが結ばれ、季節感あふれる装いだった。
自分を見つめて立ちすくむせつなの様子に気づいて、祈里はたずねた。
「この服……へんかな?」
「ううん、とてもよく似合ってる。すごく可愛いわ」
「……ありがと、嬉しい」
「でも、何だかいつものブッキーの雰囲気とは少し違うなって思ったから」
「ふふ。その訳は後でわかるよ。それより上がって」
「お邪魔します」
長い廊下を抜けて通されたのは、山吹家の広い裏庭。
そこには花壇や鉢植えがところ狭しと並んでいて、祈里の母の手によって植えられた多くの花々が咲き乱れている。
「ブッキー、どの花なの?」
「こっちよ、せつなちゃん」
手招きする祈里の足元に、鉢に植わった一輪の焦げ茶色の花があった。
「チョコレートコスモス」
「え?」
「この花の名前。コスモスの種類なんだけど、一般的なピンクや白のコスモスと違って、そんなに見かけない色でしょ。チョコレートみたいな色をしてるから、そういう名前」
「ほんとね」
「ほんのちょっぴりだけど、チョコレートの香りもするの。ほら」
祈里に促され、せつなは花に顔を近づけてみる。
ほんのわずかだったが、カカオの香りがしたような気がした。
その花弁は、光の加減では赤く見えないこともない。穏やかな秋の陽光を受けて、ビロードのようななめらかな光沢を放っている。
「焦げ茶色の花びらが夜露に濡れて、その姿が清楚で可憐で凛々しくて。その姿を見ていて思ったの。何だかせつなちゃんみたいだなって」
思わず、祈里を見る。
優しく花を見つめて話す祈里の顔には、穏やかな微笑みがたたえられている。
「……そんな風に言わないで。どうしたらいいかわからないわ」
せつなは頬を赤らめ、うつむいた。
それを見た祈里は、面白そうに言う。
「今のせつなちゃん、この前のわたしみたい」
先程とは打って変わって、にんまりとした祈里の笑顔は、してやったりと言わんばかりだ。
「ひどいわブッキー、仕返しだったのね!」
「きゃあ! 許してー」
「許すもんですか!」
「ごめんなさーい」
「こら! 待ちなさいっ」
けして狭くはない裏庭だが、走り回るにはやや手狭だったため、すぐに追いかけっこは幕を閉じた。
祈里はせつなの腕に捕えられ、背後から羽交い締めにされていた。
「さあブッキー、捕まえたわよ。覚悟するのね」
笑いながら言うせつなに抱きすくめられたまま、祈里はつぶやいた。
「でも、さっきのは本当だもん」
「やめてよ」
「本当の、本当だから」
「わかったから」
「照れてるせつなちゃん、可愛い」
「もう!」
眩暈がするような感覚を覚えたせつなは、恥ずかしさの余り祈里の髪に顔を埋めた。
顔から火が出るというのは本当のことだったのか。
「せつなちゃん? ごめんなさい」
「……」
「もう言わないから許して。反省してるから」
「……」
「……く、苦しいよ……」
せつなは慌てて祈里を離す。
「ご、ごめんなさい、大丈夫?」
「ん……平気。ね、許してくれる?」
「そうね、おあいこよね」
「でもね、本当だよ」
「わかってるわ、金木犀さん」
「もう! ……ふふっ」
「あはは」
ひとしきり笑い合った後、祈里がせつなの手を取った。
「行こ。今度は本物のチョコレートの出番。美味しいチョコレートケーキがわたしの部屋で待ってるの」
「わあ、楽しみ。何だかお腹空いちゃったわ。そういえばその服、この花をイメージしたの?」
「そう! よくわかったね」
和やかに会話しながら、手を繋いで裏庭を後にするふたりの少女。
誰もいなくなった庭に咲くチョコレートコスモスは、少女たちのあどけない後ろ姿をじっと見送っているかのように、風に揺られて佇んでいた。
最終更新:2011年10月21日 23:33