新-721

「せつなちゃん!」
 遠くから呼びかけられた声に、せつなは振り返った。笑顔で見つめる先には、白いジャケットに身を包み、黄色いマフラーをふわふわと揺らしながら駆けて来る少女。
「ブッキー!偶然ね、こんなところで会うなんて。」
 やってきた祈里は息を弾ませながら、いつもの穏やかな笑顔を見せる。
 ここはクローバータウン・ストリートの商店街・・・ではなく、住宅街の一角だ。せつなと祈里の家のほぼ中間地点にあるとはいえ、こんなところでばったり出会うとは、確かに奇遇だった。
「この先のお宅を訪ねて行くところなの。せつなちゃんは?」
「図書館からの帰りなんだけど、いろんな家のイルミネーションが楽しくて、つい遠回りしちゃって・・・。夜になってこれが全部灯ったら、凄く綺麗でしょうね。」
 せつなの言葉に、祈里も大きな目をキラキラさせて、うん、と頷いた。

 祈里の持ち物は、いつも持ち歩いている大きめの鞄と、小脇に抱えられた可愛らしい花柄のノートが一冊。そのノートを見て、せつなが微笑む。
「ブッキー。そのノート、もしかして・・・。」
「うん。ワンちゃんの躾とかトレーニングについて、まとめたノートなの。」
 せつなは、祈里に初めてもらったプレゼントを思い出す。絵入りで実にわかりやすくまとめられたノートは、特に必要がなくなった今でも、せつなの大切な宝物だ。

「この前、うちで保護していたワンちゃんの飼い主になってくれたおうちがあって。小学生のお兄ちゃんと妹がいる家なんだけど、その子たちが面倒みるんだって張り切ってたの。だから、少しでも役に立てばいいなと思って。」
「きっと喜ばれると思うわ。」
「ありがとう、せつなちゃん。」
 笑顔の祈里に、せつなは少し真剣な顔になって問いかける。

「あの、保護していたってことは・・・」
「捨てられた子なの。まだ子犬だから、かなり衰弱してて・・・。でも、もうすっかり元気になったんだけどね。」
 動物病院は、捨てられた動物の保護までは出来ないところが多い。だが、山吹動物病院では、里親を探してくれる愛護団体と提携し、なるべく彼らを保護することにしていた。とはいえ、そうそう長い間は難しいのだが。
 祈里の説明を聞いて、せつなは柔らかく微笑んだ。
「ブッキーの病院で保護されて、その犬は不幸中の幸いだったわね。」
「うん。でもね、本当に幸いなのは・・・」
 祈里がそう言いかけたとき。

「待って!お願い!とまって!誰かとめてぇ~!!」
 幼い子供の叫び声と、猛スピードで飛んでくる茶色い塊が、二人に迫って来た。



   幸運の子犬 ~ Family Christmas ~



 せつなは瞬時に、腰を落として身構えた。
 向こうから走ってくるのは、一匹の犬。大きさは、中型犬にしてはやや小さいくらいだが、その太くて立派な足を見れば、かなり大きくなる犬種の子犬であることがわかる。
 子犬は、一度スピードを緩めて後ろを振り返ってから、再び走り出した。そして、待ち構えているせつなに気が付いたのか、彼女の直前でわずかに向きを変え、その脇をすり抜けようとした。
 が、せつなの動きの方が速かった。
 横っ跳びに跳んで、再び犬を正面から見据える。気圧されたようにたたらを踏んだところを、前足の後ろに素早く腕を差し入れ、自分の肩に子犬をもたれかけさせるようにして、抱き留めた。
 急に自由を奪われた子犬は、我に返ったように、ワンワンとけたたましく鳴きたてる。
「よしよしよし・・・。ゴメンね、どこか行きたいところがあるんだよね。でも、あなたを心配して追いかけて来てくれる人がいるから、ちょっと待ってようね。」
 祈里が目を合わせるようにして優しく何度も話しかけると、子犬はやがてクゥンと甘えたような声をたてて、大人しくなった。

「いい子ね。じゃあ、どこに行きたいのか、教えてくれる?」
 祈里の肩の上に、ポン、と黄色いピックルンが姿を現す。既にせつなとも顔なじみになった、祈りの鍵・キルンだ。ワンワンと吠える子犬にその大きな目を向けながら、キー、キー、と祈里にしかわからない言葉でささやき始める。
 と、そのとき。

「ブッキー!誰か来るわ。」
 かすかな足音に気付いたせつなが、祈里に注意を促した。
 ピックルンは、なにもプリキュアだけに見える妖精ではない。変身しているときならともかく、普段彼らと一緒に居るところを見られては、下手をしたら正体がバレてしまう。なんと言っても雑誌に特集記事が載るくらい、この街ではプリキュアの情報が詳しく知られているのだ。
 しかし、子犬の言葉を聞きとるのに夢中になっている祈里には、せつなの声は届いていないらしい。
「ブッキー、誰か来るわよ!見られても知らないわよっ。」
 そのとき、思いのほか近くから聞こえて来た、二つの幼い声。
「・・・お兄ちゃんっ、居た!」
「よ、良かった~。」
(もう、ブッキーったら・・・。)
 せつなは、咄嗟に祈里のマフラーの端を掴むと、彼女の肩に乗っかっているキルンの上に、ぱさり、とかぶせる。やっと事態に気付いたのか、ポン、と再びかすかな音がして、キルンはその姿を消した。

「ん?どうしたの?せつなちゃん。」
 怪訝そうに顔を上げた祈里は、目の前で苦しそうに息をしている二人の子供の姿を見て、ぱっとその顔を明るくした。
「やっぱり、あなたたちだったのね!」
「あ、おねえちゃん、あの動物病院の・・・。」
 小学校の二、三年生だろうか。お兄ちゃんと呼ばれた男の子が、祈里のことを思い出したらしい。小学校に上がっているかどうか、という年頃の女の子が、そんな兄の様子を見て安心したのか、祈里の顔を見て、はにかんだような笑みを見せた。
「ええ、そうよ。わたしは山吹動物病院の、娘なの。」
 祈里はそう言ってにっこり笑うと、そのまませつなの方に向き直った。
「せつなちゃん。悪いんだけど、この子、少しお願いしてもいい?」
「え?ええ、わかったわ。」
 不意を突かれて一瞬ポカンとしたせつなに、祈里は持っていた子犬のリードと、ずっと抱えていたノートを預けると、肩から下げていた鞄を体の前に回して、しゃがみ込んだ。

「お兄ちゃん、膝小僧すりむいてるね。リードを引っ張られたとき、転んじゃったの?」
「うん。」
 小さな声で答える男の子に、祈里は鞄の中から、消毒液と脱脂綿、それに絆創膏を取り出して、テキパキと手当てを始める。それが終わると、今度は水の入ったペットボトルを二本取り出して、一本ずつ二人に手渡した。
「走って喉が渇いたでしょ。あ、待って!転んじゃったんなら、手が汚れてるよね。ハイ、ウェットティッシュ。これで手を拭いてね。それと、疲れちゃって甘いものが欲しいなら、ハイこれ。キャンディとチョコレート、どっちがいい?あ、お腹が空いてるなら、ビスケットもあるわよ。」

 まるで魔法のように次から次へと様々なものを取り出しながら、それに輪をかけて次から次へと言葉を紡ぐ祈里に、せつなはあっけにとられる。普段の祈里は、こんな風にぺらぺらとしゃべるタイプではない。
「せつなちゃん?どうかした?」
「い、いや・・・。ブッキーの鞄って、ホントになんでも入ってるのね。」
「うん。こんなこともあるかと思って。」
 おっとりと浮かべる天使の微笑みは、いつもの祈里のものだったが・・・何だか親友の別の顔を見ているような気がして、せつなは不思議な気持ちで、彼女の笑顔を見やった。

 祈里にもらった水を飲み、チョコレートを食べて落ち着いた兄妹と、祈里は改めて視線を合わせる。そして、せつなから子犬のリードを受け取ると、それを男の子の手に握らせながら、今度はゆっくりとした口調で話し始めた。

「リードは、こうやってちゃんと手首に通して、しっかり持たなきゃダメよ。この子はまだ子犬だけど力が強い犬だから、リードを持つ人も、いつ引っ張られてもいいように気を付けておかなくちゃね。
 それにね。この子、ここに来たばっかりで、あなたたちのおうちにも、お散歩のコースにも、まだ慣れていないの。だから、小さなことでびっくりしたり、不安になっちゃったりすることもあるの。あなたたちも、初めて行ったおうちでは、緊張しちゃったりするよね?
 だからね。この子の家族になったあなたたちが、ちゃんと気を付けてあげてね。怪我をしたり、おうちに帰れなくなったりしたら、大変だから。」

「ごめんなさい。」
「ごめんなさい、おねえちゃん。」
 小さな二人が、しょんぼりと頭を下げる。そんな二人の頭にそっと手を置いて、祈里は立ち上がった。
「じゃあ、行きましょうか。」
「行くって・・・どこへ?」
「この子が行きたがっている場所――あなたたちを連れて行きたいと思っている場所へよ。」
 顔を見合わせる兄妹。せつなは祈里に、目顔で自分も行きたいと告げる。
 祈里は笑顔で頷くと、子犬の首輪の辺りを軽くなでながら、話しかけた。
「お待たせしてゴメンね。わたしたちも一緒に、そこへ連れて行ってくれる?」
 子犬は尻尾を忙しく振りながら、ワン!と一声鳴いた。



 子犬を先頭に、幼い飼い主たちと祈里とせつながやって来たのは、住宅街の外れにある空き地だった。男の子の話では、今日も通った散歩コースだという。その空き地の片隅に、まだ比較的きれいな段ボールの箱が置かれていた。
 子犬はその段ボール箱の前まで行き、首を伸ばして箱の中を覗き込む。そしてまるで促すような目つきで、自分の後ろを付いて来た人間たちを振り返った。

「あ・・・ネコちゃん!」
 段ボール箱を覗き込んで、女の子が叫ぶ。くしゃくしゃに丸めた新聞紙が敷かれた箱の中には、小さな子猫が二匹、うずくまってミイミイと声を上げていた。

「良かった。このワンちゃんのお陰で見つけるのが早かったから、この子たち、きっとちゃんと生きていけるわ。」
 祈里がそう言って、鞄の中からスポーツタオルと使い捨てカイロを取り出す。そしてカイロをくるんだタオルで、子猫の身体を温め始めた。もう鞄の中から何が出てきても驚かないとばかりに、せつなもかがみこんで、祈里を手伝う。
 女の子が寄ってきて、子猫の頭を指で恐る恐るなで始めた。子猫は気持ちがいいのか、目を細めてされるがままになっている。
 男の子の方は、少しの間そんな妹の様子を眺めていたが、やがて何やら真剣な顔つきで、祈里に向き直った。

「おねえちゃん。この子がボクたちをここへ連れて来たがっていたって言ったよね?それって、この子猫たちを、一緒に飼って欲しいってことなのかな。」
 片手でしっかりとリードを握り、もう片方の手で子犬の頭をなでながら、男の子の視線が、だんだんと下を向く。
「・・・ボク、この子を飼いたいって言ったときに、パパとママと約束したんだ。この子の面倒をちゃんと見られるようになって、パパとママがもういいだろうって思うまで、ほかの動物は飼わないって。とにかくこの子を、精一杯育てる、って。」
「それでいいと思うわ。ううん、それが一番、いいと思う。」
 優しく微笑む祈里に、男の子はなおも視線を下に向けたまま、こう続けた。
「ボク・・・。この子のこと、ちゃんと育てられるかな。ちゃんと守ってあげられるかな。」

 祈里は、男の子の正面にしゃがみ込んで、下から彼の目を覗き込んだ。
「あのね。この子があなたたちをここに連れて来たのは、一緒に飼って欲しいってことじゃないと思う。あなたたちなら、あの猫ちゃんたちを助けてくれる。そう思ったから、ここに来て欲しかったんじゃないかな。この子は、あなたたちを信じてるのよ。」
 祈里は男の子としっかりと目線を合わせると、笑みを絶やさずに言った。
「この子のために、あなたが気を付けてあげなくちゃいけないことも、いろいろとあるわ。それにこの子も、これから新しい環境にもっと慣れていくでしょう?そうやってお互いに歩み寄っていけば、きっと大丈夫。」
「ホント?」
「大丈夫に決まってるわ。だって、家族なんでしょ?」

 祈里の隣からかけられる、柔らかい声。その声の主に、祈里は少し目を見張ってから、心から嬉しそうな笑顔を向ける。
「その子だってきっと、家族ができて、とても嬉しいって思っているはずよ。」
 少し首をかしげるようにして、男の子に語りかけるせつなに大きく頷いて、祈里も言葉を続けた。
「ええ。あなたたちと家族になれたことが、この子の一番の幸いだって、わたし、信じてる。」

「そうだ。これ。」
 祈里は、ずっとせつなに預けっぱなしだったノートを、小さな兄妹に差し出す。
「良かったら、これを読んで参考にして。この子の躾のこととか、トレーニングのこととか、役に立ちそうなことをまとめてみたの。わたしからの、クリスマス・プレゼント。」
「おねえちゃん、ありがとう!うわぁ、トレーニングなんかできるんだ。よぉし、ラッキー!ボクたちと一緒に、頑張ろうねっ!」
「えっ?その子の名前も、ラッキーっていうの?」
 ぴったりと揃った祈里とせつなの声に、男の子は目を丸くした。
「そうだよ。ボクが付けたんだ。おねえちゃんたち、ほかにもラッキーっていう名前の犬を知ってるの?」
 その質問に、二人は顔を見合わせて、自然と笑顔になる。
「ええ。強くて優しくて、とっても幸せな犬よ。」
「あなたより少し大きい男の子が飼ってる犬でね。その子に・・・家族に、とっても愛されてるわ。」
「そうかぁ。ラッキー、ボクたちも仲の良い家族になろうねっ!まずはパパとママも一緒に、みんなでクリスマス・パーティーだ!」
「お兄ちゃんばっかり、ずる~い!あたしも、ラッキーの家族なんだからぁ!」
 かわいらしく頬を膨らませる女の子の様子に、祈里とせつなは、再び顔を見合わせて笑い合った。



「それにしても、ブッキーは凄いわね。」
 子猫を二匹抱きかかえている祈里の代わりに、彼女の大きな鞄を肩にかけて、せつなは感心したようにつぶやく。二人と一匹と別れての帰り道。さすがに祈里の鞄にも、スポーツタオル二枚は入っていなかったらしく、彼女は二匹の子猫を一枚のタオルでくるんでいる。

「あんな状況で、ちゃんと落ち着いてあの犬の言葉を聞いて、あの子たちを空き地に連れて行くんだもの。」
「ううん、あそこへ連れて行ってくれたのは、ラッキーだから。」
 あ、さっきのラッキーね。二匹同じ名前だと、ややこしいね・・・そういたずらっぽく首をすくめてから、祈里はせつなの顔を見てニコリとした。
「せつなちゃんこそ、お兄ちゃんを励ましてくれてありがとう。せつなちゃんの言葉で、あの子もきっと、ラッキーと家族なんだって実感できたと思う。」
「私は別に・・・。」
 照れたようにあさっての方を向くせつなに、祈里はもう一度ニコリと微笑んで、いつもの穏やかな口調で、こう続けた。
「それに、実を言うとね。わたし、ラッキーの言いたいこと、ほとんど聞けなかったの。」

「えっ!?」
 何を言ってるんだ、という顔つきで、せつなは祈里の顔を凝視する。祈里の方は、相変わらずのんびりとした口調で、こう言った。
「あの子、凄く興奮してたみたいで・・・。一生懸命話そうとしてくれたんだけど、何が言いたいんだかよくわからなくて、キルンも苦労してたみたい。キルンは動物さんたちの言葉は教えてくれるんだけど、気持ちまでわかるわけじゃないみたいだから。」
「じゃあ、どうして・・・」
「ラッキーが走ってきたとき、何度かスピードを落として、後ろを振り返ってたでしょ。きっとあの兄妹が追いかけて来てるのを知ってて、確認してたんだと思ったの。だから・・・」
「ラッキーが、あの子たちを連れて行きたい場所があるんだって、そう思ったわけね。」
 せつなは呆れたようにひとつため息をつくと、肩にかけた祈里の鞄を、よいしょと揺すり上げた。

「まったく・・・ブッキーは、やっぱり凄いわ。かなわない。」
「ううん。わたしは、ワンちゃんをたくさん見てるから。」
「いや、そのことだけじゃないわ。」
「え?ほかのことって、何?せつなちゃん。」
「・・・・・・。」
「ねえ、教えてよ。」
「・・・・・・。」
「ねえってば。気になるじゃない。」
「じゃあ、気にしてて。」
「ええっ?それって・・・いつまで?」
 思わず吹き出したせつなに答えるように、祈里の腕の中で二匹の子猫が、ミイ、と日だまりのような声で鳴いた。


~終~
最終更新:2011年12月27日 23:26