今日は世界中で一番チョコレートが飛び交う日。ここ、私立鳥越学園中等部もまた、その例外ではない。
芸能人のタマゴたちが通う私立の学園という環境のせいか、普段からお菓子を持ち込む行為は黙認されてきた。もちろん、授業に差し障りのない範囲内で。
当然、今日のような特別な日ならば、学園にチョコレートが存在しない方が不思議と言えた。
いつの時代にも、学園にはアイドルという存在は付き物である。だがしかし、蒼乃美希はひしひしと実感する。自分にはその役目は少々荷が重すぎる、と。
そう実感するくらい、両手にひとつずつ持つ紙袋はずっしり重かったのだ――――ぱんぱんに詰め込まれたチョコレートのせいで。
いつもより距離が長く感じた帰り道をようやく歩き終えた美希は、勝手口を開けるとリビングのソファに雪崩のように座り込んだ。
「た……ただいま……お、重かった……」
「おかえりなさい、美希」
声のする方に振り返ると、そこには制服の上に真っ赤なエプロンを身につけた可憐な少女の姿があった。
「せつな! 来てたんだ」
「おばさまから、お店が忙しいから手伝ってって連絡もらったの。さっきひと息ついたところよ」
「ごめんね、いつもママが勝手に……」
「いいのよ。バイト代はずんでもらえるし、私も助かってるから。それより、今年もずいぶん多いわね。去年より増えたみたい」
勘のいいせつなのことだからすぐに気づかれて当然だったのだが、去年とは違う点がある分、美希は焦りを感じてしまう。
去年はせつなはただの友達だった。けれど、今年は違う。少なくとも、美希にとっては。
「べ、別に欲しくなんてないのよ!」
「そう」
「重いし、手が痛いし、お返しも大変だし……」
「そう」
「だけど、断り方がわからなくて」
「……そう」
ふて腐れたように言う美希は、心の中で言い訳がましい自分に舌打ちしたい気分だった。
対するせつなは、じっと何か考えこんでいる。そして、ふいに話し出した。
「教えてほしい?」
「え?」
「断り方」
「……うん」
「こう言えばいいわ。好きなひとがいる。だからもらえない、って」
そう言うとせつなは、くるりと背を向けてキッチンへと進み、弱火にかけていたお鍋をかきまぜ始める。杓子ですくってマグカップに注ぐと、ぷんと甘い香りが立ちのぼり美希の鼻孔をくすぐった。
「……何の匂い?」
「飲めばわかるわ。はい」
「……?」
熱々のマグカップを、せつなはテーブルにそっと置いた。湯気の立つカップには、とろりとした真っ白な液体。
美希は黙ってひとくち、口に含む。ふくよかな甘味が拡がった。
「……ホットチョコレート?」
「ホワイトチョコレートで作ってみたの。美希好きでしょ」
「うん。美味しい、すごく。……ありがと」
胸が苦しい。嬉しすぎて。目の前の少女が愛しすぎて。
「断らないのね。これだって立派なチョコレートよ」
「それはだって……」
「ごめんなさい、美希は知らなくて飲んでしまったんだものね」
「違うわ。そうじゃない」
「じゃあ……どして?」
「断らない理由、教えて欲しい?」
頷くせつなの頬はほんのりと赤い。意を決して放たれる美希の言葉によって、よりいっそう赤みを増すとも知らずに。
「す、好きなひとが作ってくれたからよ!」
そう言うと、美希はカップの中身をひと息に飲み干した。まるで、恥ずかしがるのをごまかすように。
「あっつ!!」
「バカね、火傷するわよ」
慌ててせつなは立ち上がると、冷蔵庫から氷を取り出し手早く氷水を準備して美希に含ませた。
氷水を飲んで、ふう、と息をついた美希の横に、せつなが座る。
「もう……仕方のないひとね」
「ごめん、カッコ悪くて……呆れた?」
「そんなことないわ。さっきの美希……すごく素敵だった」
「……ホント?」
「ホントよ」
見つめ合う。美希はせつなを、せつなは美希を。お互いの瞳に互いの姿を映し合い、そして――――。どちらともなく身体が近づいていき、くちびるが今にも触れ合いそうになった、その時。
お店と繋がるインターフォン越しに、美希の母親レミの声がリビング中に響き渡る。
『せつなちゃ〜ん、手伝ってぇぇ!!』
その拍子に、驚いてビクッと身体を震わせながらお互いのくちびるが触れ合った。歯も当たったらしく少しだけ鉄の味がした。
「もう! ママのせいで、ファーストキスの味が鉄の味になっちゃったじゃない!!」
くすくすと笑うせつなを見下ろし、腕の中にしまいこむ。
「約束よ。あとで絶対リベンジするって。……場所はアタシの部屋で、ね?」
「……ええ」
「せつな……いい匂いがする」
「それは……チョコレートを刻んでたから……」
「違う。シャンプーの匂い」
ぎゅっとくっついてせつなの髪に顔を埋め、香りを楽しむ美希は、せつなをなかなか離そうとはしない。
再びレミの叫び声がリビングに響き渡って、渋々せつなを離す。やっと手に入った彼女を離すのが名残惜しくて仕方がない、そんな気持ちでいっぱいになりながら。
美希の気持ちを察したのか、いったんお店に向かったせつなが小走りに近づいてきて、美希の耳元でささやいた。
「大好きよ、美希」
去り際にくれた、頬への優しいくちづけ。そのキスで、言葉で、恥ずかしそうな笑顔で、美希の心はすっかり沸騰させられてしまう。
ひとりリビングに残された美希は、せつなのくちびるが触れた部分を無意識になぞり続けた。
ホットチョコレートさながらに熔かされてしまった美希の心は、静かな幸せのなかで揺ら揺らとたゆたい続けていた。
最終更新:2012年02月14日 22:05