「ブッキー、今度、実験台になってよ」
実験台というのは聞こえが悪いけれど、美希ちゃんのお家は美容院だから、
練習のために簡単なカットやシャンプーなどする、いわゆるカットモデルになってという意味。
美希ちゃんは美容師の免許を持っていないからもちろん無料だし、
それに下手な美容師さんより遥かに上手だから、お互いギブアンドテイクの関係になる。
「うん、いいよ。いつにする?」
「じゃあ、今度の定休日に」
今日は美希ちゃんと約束していたお店のお休みの日。
定休日ということで、美希ちゃんのお母さんは出かけて留守らしい。
誰もいないがらんとした店内で、わたし一人だけお客さんということになる。
指定された真ん中の椅子に座ると、美希ちゃんが手慣れた様子でカットクロスをかけ髪の毛を濡らしていく。
「どんな髪型にする?なんなら、髪伸ばしてみない?」
「ううん。わたしの髪って、伸ばすと広がっちゃって・・・湿気の多い時期なんかは特に」
「そっか、くせ毛だとどうしてもボリュームが出るよね。それなら、少しすくけどいい?」
その言葉に頷くと、鋏を手にした美希ちゃんがカットを始める。
ブッキーかラブのどっちかが髪が長いと色々試せるんだけどな・・・なんて、
ちょっと怖い呟きが聞こえたけれど、伸ばすかどうかは別として、
ラブちゃんはカットモデルにはならないだろうなと思う。カツラのトラウマもあるし。
美容師だったら当たり前なのだろうけど、話をしながらでも手は止めず、あっという間に完成した。
見た目はほとんど変わらないけど、夏仕様といったところか。髪と同じで気分も軽くなる。
次にシャンプー台へと促され、ヘッドレストのない椅子に腰掛ける。
椅子に座るとすぐに座面が傾き、仰向きに身体が倒されて頭がシャンプー台へ入る。
濡れないようわたしの顔にタオルを乗せ、手際よくシャワーをかけていく。
温かいシャワーと頭皮に触れる美希ちゃんの指先が気持ちいい。
タオルがあるから見えないけれど、すぐ近くに美希ちゃんがいる気配を感じる。
息がかかる位の至近距離だから、もし美容師さんが男の人だったら緊張するのだろうけれど。
自分でするよりもずっと丁寧で時間をかけたシャンプーが終わるころには、わたしは半ば眠っていて、
子どもの様に美希ちゃんに手を引かれて、さっきカットをしていた椅子へ戻った。
ドライヤーの熱気と手櫛で梳いてくれる感触が心地よく、再び眠気が襲ってくる。
睡魔に身を委ねて目を閉じ、ドライヤーの音を遠くに聞いていると、
突然、頬に冷たいものを感じて、目を開けた。
目を疑うような光景が目の前に広がる。
鏡には美希ちゃんとわたしが映っているけど、
美希ちゃんの唇がわたしの頬にくっつき、キスしているように見える。
だけど、鏡越しに見ているからだと思う。
密着しているように見えるけど、実際にはわたしと美希ちゃんは離れている。そうに違いない。
そんなわたしの思いとは裏腹に、わたしと美希ちゃんの顔の境界線で何かが蠢き、肌を濡らしていく。
濡れた所に息を吹きかけられると、わたしの身体の中まで沁み込んでいく気がする。
一旦は離れた美希ちゃんの顔が、再び近づいてきて、内緒話をする時みたいにわたしの耳許に唇を寄せる。
でも、耳に忍び込んできたのは、言葉なんかじゃなく・・・
「・・・・今のは、夢?」
目を開けると美希ちゃん家の美容院で、鏡の中のわたしはさっきと同じように椅子に座っている。
「目が覚めた?ブッキー」
声がした方を見ると、美希ちゃんは客用の椅子に腰掛けてロッドの整理をしていた。
明らかに急を要しないから、寝てしまったわたしに付き添ってくれていたみたいだ。
「わたし・・・寝てた?」
「気持ちよさそうに寝ていたから、起こさなかったけど。でももう、遅い時間よ」
美希ちゃんはどこも違ってなくて、普段と同じ。
いつもと変わらない美希ちゃんの様子に、わたしは安堵する。
表の方を見ると、もうすっかり日は暮れて外は真っ暗。
美希ちゃんの家に行くと言ってあるものの、お母さん達が心配するだろう。
挨拶もそこそこに、わたしは美希ちゃんの家をあとにした。
翌日、二人と待ち合わせしているいつもの場所に向かうと、ラブちゃんの姿が見えた。
「おはよう、ラブちゃん」
「おはよう、ブッキー」
「今日は遅いね。寝坊した?」
「うん、昨日眠れなくて。美希ちゃんは?」
「美希たんなら、先に行ったよ。今日は早く学校に行かなくちゃいけないんだって」
昨夜は美希ちゃんにちゃんとお礼を言わなかったから、今朝言おうと思ったのに。
でも、美希ちゃんに会わなくて、ほっとしている自分もいる。
家に帰った後、夜に見た夢も美希ちゃん家で見た夢と同じような内容だなんて・・・
「ねえ、ブッキー・・・虫にでも刺された?」
「ううん。そんなことないけど、どうして?」
「だって首の所、赤くなっているよ」
了
最終更新:2012年06月03日 01:12