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(1)
「し~んぱいないって! ……だいじょ~ぶ、美希たんのママが付いてきてくれるから!
 よくバーベキューやってる人がいる、あの河川敷だよ。ね、行ってもいいでしょ?」
電話越しの母に、ジェスチャー混じりの熱弁をふるうラブの姿を、せつなはじっと見ていた。
『今夜、花火やらない? なぜか、ウチに余っちゃってるのよね』
ダンスレッスンの帰り際、美希の提案に目を輝かせたラブと祈里の姿が瞼の裏によみがえる。
ラブの説明によると、美希が言うハナビはお祭りの夜に見たそれとは似て非なるものらしい。
『う~ん、きれいな光ってのは一緒なんだけど、あの時の花火よりずっと小っちゃくて、手に持ったり、床に置いたりして……。
 とにかく、楽しいよ!』
今ひとつ釈然としないものの、熱心に母に頼み込むラブを見ていると、きっと胸躍るものだろうとせつなは思った。
ラブが勧めて、せつなが心を動かされなかったものは今のところ、只の一つもない。
「……うん、うん、ありがとう! 行ってきます!」
振り向いたラブの満面に浮かぶ笑顔が、せつなにはまぶしい。
「お母さん、花火に行ってもいいって! 幸せ、ゲットだよ!」
「そう」
素っ気ない返事に気を悪くする風でもなく、ラブはせつなの手を取った。
「じゃ、行こっか! ……って、タッハー! もう、こんな時間!?」
「お母さんの休憩時間まで、電話を待たなきゃいけなかったものね……」
「あそこまで、結構遠いし……。せつなぁ、こんな時こそ……」
「わかってるわ」
二人はポーチに出て戸締まりを確認し、せつなは懐からリンクルンを取り出した。
「河川敷へ」
念じた瞬間、ラブとせつなの姿が淡い光りに包まれる。
「……あ~、よう寝たら腹ァ減ったわ。……ピーチは~ん? パッションは~ん、どこでっか~?」
二階から発せられている声は、忽然と姿を消した二人の耳には届かなかった。


(2)
「あ、美希たんちの車!」
河川敷に着いたラブは辺りを見回すと、止まっているワゴン車に向かって歩を進めた。
見当通り、見慣れた影が車の近くにあって、二人に気付いた祈里が駆け寄ってくる。
「こんばんは、ラブちゃん。せつなちゃん」
「こんばんは、ブッキー」
「遅くなってごめんなさい」
律儀に頭を下げるせつなに祈里は慌てたように両手を振った。
「いいの、いいの。私は車に乗せてもらったから早く着いたんだし、花火だってまだ準備中だし」
「そう……。花火って、どんな準備がいるの?」
小首をかしげるせつなに、車の反対側から答える声がある。
「まずはマッチとローソク、それに風除け」
「あとは水を入れたバケツかしらねぇ」
蒼乃母娘が姿を現して、全員が揃ったことを互いに確認した。
「こんばんは。あなた、せつなちゃんだったわね? 改めて見るとホント可愛いわねぇ」
「は、はぁ……。ありがとうございます」
上から下まで自分を眺める視線に妙な迫力を感じて、せつなが一歩後ずさる。
「あ~っ! せつなが可愛いからってヘアメイクのモデルにしちゃダメですよ、アフロとか」
「もう、ラブちゃん、そんな昔の話なんかしちゃイ・ヤ」
じゃれ合うレミとラブの前で、せつなはかすかに眉をひそめる。
(アフロって、何?)
そう思ったものの何か嫌な予感がして、せつなは質問するのを止めた。
「それじゃ、花火は車の中にもたくさんあるからジャンジャンやってね。
 ジュースもあるけれど、おばさんのビールと間違えて飲んじゃダメよぉ」
「ちょっと、ママ! ママがお酒飲んじゃったら、帰りの車はどうするのよ!」
「大丈夫よぉ、代行運転を呼ぶし、ラブちゃんたちにはタクシーで帰ってもらうからぁ」
そう言いつつ、レミはいつの間にか手にしていた缶ビールのタブを開けると中身を一息にあおった。
「はぁ~、風流、風流」
「……ママのことはもう良いから、私たちも始めましょ」
ご満悦のレミを尻目に、美希は火をつけたローソクを少し傾けて、したたり落ちたロウの上に本体を固定させる。
手慣れた感じで準備を進めるラブたちを前にしつつ、自分だけが何をすればいいかわからない。
胸の奥にじわりと広がる黒い染みに、せつなは気付かないふりをした。


(3)
「わぁ……」
嘆声を漏らす祈里の側で、せつなは声もなく、手持ち花火片手にはしゃいで駆け回るラブの姿を眺めていた。
筒から溢れる色とりどりの光がラブの動いた軌跡をなぞり、闇に溶けていく。
美希が置いた小さな紙の箱から光が溢れかえって、辺りを鮮やかに照らす。
祈里が投げた環状の花火がシュルシュル音を鳴らしては、忙しく動き回って祈里自身を驚かせている。
「せつなもやってみなよ!」
ラブに手渡された棒形の花火の先端を、恐る恐るローソクの先に近づける。
パチっと音がして、手元に寄ってくる輝きの美しさにせつなは顔をほころばせた。
「どう、せつな。花火って楽しいでしょ?」
「ええ、とっても楽しい。……それに、驚いてる」
「あんまり、きれいだから?」
「うん……。それもあるけれど、こういうことを楽しいと思える自分に驚いてる」
火薬が燃え尽きて、せつなが手にしている花火から輝きが消えた。
手元に残された煤けた竹ひごを、バケツの中に入れるとジュッと僅かな音がする。
「目を灼く閃光、耳をつんざく轟音、こびりつく火薬の匂い……。それは私が不幸を集めてきた場所に溢れていたモノだから。
 そんなモノからでも幸せを生み出せる、この世界の人たちは素敵だなって」
せつなが瞼を伏せても、瞳の奥にたたえた憂いは深いことがラブにはわかっていた。
「せつな……。あの頃のことを、気にしすぎちゃダメだよ」
「ありがとう。……ラブに出会う前の私なら、花火を見ても資源の浪費としか思わなかったでしょうね」
「せつな」
ラブが何かを言いかけたとき、車の方から身も世もない声が聞こえた。
「ウ~ィ、美希ちゃん、水。水ぅ~」
「ママったら、放っておいたら何本飲んでるのよ。ブッキー、悪いんだけどお水買ってきてくれる?」
「え、うん!」
駆け去る祈里の背中を目で送って、美希は花火が入った紙袋を差し出した。
「そんなワケで、ラブ、せつな。そろそろお開きにしないといけないから、シメの一本を選んで」
「うん。シメって言ったら、やっぱコレでしょ!」
ラブが手にしたのは、せつなが目にした中で最も細く、棒状ですらなかった。
「これも花火? 細い紙を縒っているの?」
「線香花火っていってね、これは静かに見守るのがイイんだ……よっ、とっ」
しゃがみ込んだラブがつまむようにして持つ、花火の先端に膨らんだ赤い玉が不安げに揺れる。
それを見た美希は苦笑混じりのため息をついた。
「とにかく、じっとしているのがコツよ。じゃ、ローソクも消すから終わったら来てね」
「う~ん、じっとしているのってニガテだけど、最後まで見たいし……」
「要は動かなければいいんでしょ」
そう言ってせつなはラブの側で膝を折ると、自らの左手をラブの肩に、右手をそっとラブのそれに重ねた。
「わわっ」
「ラブの支えになるように、私も精一杯がんばるわ」
ひやりとして、滑らかなせつなの肌の感触が伝わってラブの鼓動が高鳴る。
「顔が赤いわよ、どして?」
「な、何でもないよ~。何でも」
ラブの態度を訝しみつつも、せつなは、いつしか火花を発するようになった赤い玉をじっと見つめた。
果実のように熟し、激しく火花を散らす赤い玉の勢いは長くは続かないということが、せつなには感じられる。
存在を証明するために、我が身を焦がして得た、禍々しい刹那の輝き。
生まれ変わっても、消え去ることは無い自らの所行をせつなは思い出していた。


(4)
「せつな、せつな」
「……ラブ?」
気がつくと辺りは暗闇になっていて、耳元ではラブが自分の名を呼んでいた。
「ちょっと顔色が悪いような気がするけれど、大丈夫? 暗くなったから恐くなっちゃったとか?」
たははと笑うラブの横顔にかける言葉がない。
ラブの身体を離し、残されていた燃えかす入れのバケツのハンドルを掴んでせつなは立ち上がった。
「は~い、それじゃ今夜はここで解散。ラブちゃんたちとぉ、祈里ちゃんはこれで帰ってねぇ」
ひとしきり後片付けを終わらせた一行の前で、へべれけになったレミがラブと祈里にタクシーのチケットを渡す。
「それじゃ、また明日ね」
「お休みなさい」
美希たちに手を振って車が動き出した後、二人はしばらく無言だった。
窓外で流れていく街の灯りは先ほどまでの光のようには、せつなの心に届かない。
「あ、ここでいいです」
唐突にラブが運転手に告げて、車が止まった。ラブに引っ張られるように車から降りると、生暖かい空気が全身を包んだ。
「どうしたのよ、ラブ。家まではまだ遠いわよ?」
「ん~。少し、せつなと歩きたいな~と思って。イヤだった?」
「そんなことはないけれど……」
歩き出したラブを軽く追いかけて、隣に並ぶ。
街灯が道を照らしていたものの、人通りが少ないこの道は夜に少女が歩くのに適しているとは思えない。
やはりアカルンで、せつながそう言いかけたとき、無言だったラブが口を開いた。
「変なコト聞いちゃうみたいだけど……。せつなは、さ。暗いのが恐い?」
「本当に、変な質問ね」
「たはは、ゴメンゴメン。せつなが、そんなの恐いわけ……」
「恐いわ」
ラブの言葉を遮って、せつなが短く答えた。
「私は闇が恐い。暗いところに一人でいると、私の中に残された闇が知らない内に拡がって……。
 最後には私を塗りつぶして、また、あの頃に戻してしまう気がする。私は私でなくなるのが、恐いわ」
「そっか……。じゃあ、明るいのは?」
「今夜のラブはなんだか意地悪ね……。強い光は私の過ちや弱い心を暴き立てるような気がして、少し苦手」
「う~ん、難しいモノだね……。花火の時にせつなが難しい顔してたから、何か相談に乗れないかなって思ったんだけど」
「大丈夫よ。ラブはもう、私の力になってくれている」
「えっ!?」
「ラブが、私にも幸せという光を分けてくれたから。小さいけれど、優しくて暖かい光を。この光がある限り、私は大丈夫」
「そうなんだ……流石、あたし! 正直、よくわかんないところもあったケド、せつなが幸せならあたしも幸せ!」
「ふふっ、ラブらしいわ。それじゃ、遅くなったことだし。アカルンを……」
懐を探ろうとしたせつなの手を、ラブがとっさに掴んだ。
「ううん……。歩こうよ!」
「ラブ……」
「歩こうよ、暗い道でも……時間がかかっても……二人で!」
「ええ……。そうしましょう」
つなぎ直したラブの手から伝わる温もり。また少し大きくなった、胸の奥の灯火。
(花火の光は闇に溶けてしまったけれど、この光はきっと)
せつなは空いている右手で、自らの胸を軽く抑えた。
それほど速く歩いているわけでもないのに鼓動が早くなっていくのがわかって、せつなは少しだけ頬を朱に染めた。
最終更新:2009年08月24日 21:59