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 お気に入りの洋服。タオルにパジャマ。ラブと一緒に買った小物入れに、美希
からもらったリップと、祈里おすすめのハンドクリームを入れて。
 必要なものと大切なものを全て詰め込んで、せつなはトランクの蓋を閉める。
そして、もう一度、彼女は辺りを見渡す。
 綺麗に片付けられた、自分の部屋。

 忘れ物は、何もない。


     Departures, now


「それじゃ」

 玄関を出て、せつなは振り向いた。見送りに出てきているのは、あゆみに圭太郎の二人。

「気をつけてね」
「はい」

 圭太郎の言葉に、彼女はゆっくりと頷く。まだ何かを言い足りないけれど、何
を言っていいのかわからない。そんな様子を見せる彼に、

「もう、お父さんたら」

 苦笑しながらあゆみは、せつなに白の帽子を手渡す。

「はい、これ。今日は暑いから」
「――――ありがとう、お母さん」

 つばの広い、リボンのついた帽子。きっと、彼女が今日、白のワンピースを選
んで行くことを知っていて、それに合わせて買ってくれたのだろう。
 ちょこん、とせつなは帽子を頭に乗せる。偶然にもそれは、かつて彼女がイー
スと呼ばれていた頃と同じ姿。
 けれどその目の輝きと、顔に浮かぶ微笑みは、イースだった頃には無かったもの。

「うん、可愛い。とってもよく似合ってるわよー」
「やだ、お母さんったら」

 母の言葉に、頬を赤く染める姿も、また。

 せつなはふと、見上げる。
 ちょうど一年前に、この家に招かれ、桃園家の一員となった。あれから色々あ
って、少しずつ本当の家族になっていって。
 楽しかったな。感慨にふけりながら、せつなは目を細める。
 それでも、今日が旅立ちの日であることには、変わりない。
 持てるものは全て、トランクに詰め込んだ。次に戻ってくる時には、思い出を
たくさん詰め込んでこよう。


「お母さん、ラブは?」

 いよいよ出かけようというのに、姿を現さない彼女の姿に、せつなはあゆみに
問いかける。が、彼女は困った顔をして、二階へと続く階段を見上げるだけ。

「あの子、よっぽどせつなちゃんが行くのが嫌なのね」
「――――そっか」

 思わず目を伏せるせつなに、圭太郎が言う。

「気にしなくていいんだよ。せつなちゃんが決めたことなんだから」
「お父さん......」
「そうそう。後は私達に任せて、ね?」
「お母さん......」

 暖かく見つめてくる二人に、せつなはゆっくり、はい、と頷く。
 本当に、素敵なお父さん、お母さん。彼女は、感謝の念を新たにする。
 私、この家に来れて、良かった。

「そろそろ、時間じゃないのかい」
「あ......」

 腕時計を見て、せつなは驚きの声を上げる。確かに、思っていたよりも約束の
時間に迫っていて。

「ホント。もう行かないと」
「あの、お母さん。ラブに伝えておいて欲しいことが」
「あら、何?」

 少し迷った後、彼女は、本当に伝えたいことを見つけて口にする。

「行ってきます、って」
「うん。わかったわ」

 ニッコリと微笑むあゆみに思いを託し、ペコリと頭を下げたせつなが彼女達に
背を向けたその時。

 ダダダダッ

 階段を駆け下りてくる、足音。そのまま廊下を走り抜け、こちらに向かってくる。
 そして。

「せつなぁっ!!」

 何も履かずに裸足で飛び出してきたラブが、振り向いたせつなに飛びついてきた。


「せつな、せつな、せつなぁっ!!」
「もう、ラブったら」

 最初は驚いていた彼女の顔にも、すぐに苦笑が溢れる。ギュゥ、っと苦しいほ
どに抱きしめられながらも、せつなはされるがままになっていた。
 その耳元で、ラブが言う。

「行かないでよ、せつな」
「ラブ、無茶言わないの」

 答えたのは、あゆみ。だがぶんぶんと首を振るラブに、困った子ね、と言いな
がら溜息をつく。

「だったら――――アタシも一緒に行く!!」
「それは――――出来ないわ」

 一緒に行きたい気持ちは、せつなも同じだった。けれど、それは絶対に出来ない。
だから口にする。拒絶の言葉を。
 ラブも、それはわかっていたのだろう。反発はせず、ただギュッと、より一層
強く、彼女の細い体を抱きしめるだけ。

「もう、大げさよ、ラブ。二度と会えなくなるわけじゃないんだから」

 その両の肩に手を置いて、せつなはラブの体をゆっくりと押しやる。抵抗せず
に離れた彼女の、俯き加減の顔を覗いて、せつなは笑った。

「すぐにまた会えるわ。そうでしょ?」
「......うん」

 頷くラブは、だが、泣きそうだ。
 もう、しょうがないな。思いながらせつなは、今度は自分から彼女を抱きしめる。

「大丈夫。私の帰ってくる場所はここよ。そうでしょ?」

 そう言った彼女の背中に、おずおずとラブは手を回し、そして。
 二人の少女は、抱きしめ合う。別離を惜しむように、優しく、強く。


「そろそろ、行かないと」

 どれほどの間、そうしていただろう。せつなはそう言って、ラブから身を離す。

「あ......」

 遠ざかるぬくもりに思わずラブは吐息を漏らす。だが彼女は、トランクに手を
やって、それを持ち、そして。

「それじゃ。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「本当に、気をつけていくんだよ」

 あゆみと圭太郎、二人の言葉に頷いて笑った後、せつなはじっとラブを見つめる。

「ラブ」

 肩に置かれた、あゆみの手。うつむいていたラブは、ゆっくりと顔を上げる。

「行ってらっしゃい、せつな......!!」

 とびっきりの笑顔で彼女は、そう言った。笑え、笑え、アタシ。涙なんか、
見せちゃいけない――――!!

「ええ。行ってきます、ラブ」

 応えるようにニッコリと笑顔を見せたせつなが、背を向ける。
 そして彼女は、一度も背を向けることなく。
 旅立って行ったのだった。



「もう、ラブったら。裸足でこんなとこまで出てきて」

 そう言うあゆみの胸に、ラブは顔を埋め、思いの丈を口にする。感情のままに、
心の赴くままに。

「アタシも、行きたかった――――一緒に行きたかった!!」

 まるで子供みたいね。思いながら、あゆみはそっと娘の頭を撫でた。


 そして――――


「あなたが悪いんでしょ!! テストで赤点とって、明日から補修なんだから!!」
「だってだって!! 赤点取ったら林間学校に行けないなんて知らなかったんだもん!!」
「知らなかったからって、赤点取っていいわけないでしょ!!」
「すっごく楽しみだったのに!! 高原で三日間、天体観測しながら過ごす林間学校!!
せつなと一緒に行くの、ずっとずっと楽しみにしてたのに!!」
「だから普段からちゃんと勉強しなさいって、あれだけ言ってたでしょ!!」
「せつなだけ行くなんてぇぇぇ」
「自業自得でしょ。せつなちゃんはちゃんと、普段からお勉強してたもの。頑張
ったせつなちゃんには、林間学校で楽しむ権利があるんです!!」
「あぁぁぁぁぁぁっ。アタシのバカ、バカ、バカ!! アタシってば、FUKOぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」





 その夜。

「ラブ。起きて、ラブ」
「ん......ん? せつな!?」
「しっ。お母さん達が起きちゃう」
「ど、どうして、ここに?」
「アカルンで、戻ってきたの。またすぐに、帰らないといけないけど......」
「そうなんだ。でも、なんで?」
「もう――――ラブに会いたかったからに決まってるでしょ」
「――――クッハー!! せつな、大好きっ!! 幸せ、ゲットだよっ!!」
最終更新:2009年08月26日 22:56