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もう見て見ぬふりはできない。
最近何をしていても浮かぶのは彼女の顔ばかりで。


・・・・・美希ちゃん。会いたいよ。


祈里がこのもやもやに気がついたのは、いつだっただろうか。
気がつくと、ただ一人だけを目で追っていた。
幼馴染で、小さいころからずっと一緒だった。
臆病な自分と違って自信に満ちていてかっこいい美希は祈里の憧れだったのだ。
でも、大きくなって、完璧だと信じていた彼女が、弱さを隠して、
影で努力していることを知って、彼女もまた自分と同じ一人の女の子なのだと思った。
そして、憧れはいつしか違う感情に変わっていた。


美希が他の人といるのを見ると、
胸の辺りが締め付けられるようで、息が苦しくなる。
わたしだけを見てほしい。その笑顔をわたしだけのものにしたい。
その声でわたしを呼んで、その手でわたしに触れてほしい。
こんなこと自分でもばかげていると思う。
しかし、とめどなくあふれる感情を止める術を、祈里は知らなかった。


これは恋なのだろうか。
違う。恋なんて甘い言葉は似合わない。
こんなどす黒い感情には。

わたし、いやな子だな。
なんでこうも自分勝手なのだろう。


祈里は暗闇の中で助けを求めてもがく。
助けて。誰か助けて。お願い。
叫ぶ。彼女の名前を何度も、何度も。
でもとどかない。いくらこの手を伸ばしても。
自分のどろりとした感情の波に足をとられて身動きがとれない。飲み込まれる。

「美希ちゃん・・・」


美希のことを考えているうちにいつの間にか眠っていたらしい。
祈里が目を覚ますと、全身にぐっしょりと汗をかいていた。
最近こんな夢ばかりを見ている。
胸が苦しい。こんなに苦しいなら、いっそこんな想いなんて捨ててしまいたい。
シャワーを浴びたら、いやな汗と一緒にこんな気持ちもどこかへ流れてくれるだろうか。
辺りはしんと静まり返っていて、自分のため息がやたら大きく聞こえた。
祈里は自嘲するように薄く笑うと、部屋を出た。


次の日から、祈里は美希を避けた。
目が合いそうになれば視線を逸らし、
話しかけられそうなときには、美希から離れてラブやせつなに話しかけた。
4人で歩くときも、なるべく隣に行かないようにした。
不自然過ぎないようにたまに美希と話すこともあったが、
祈里は決して美希の目を見なかった。
しかし、諦めようとすればするほど想いは強くなっていく。
ダンスの練習をしているときも、ドーナツを食べているときも、
勉強をしているときも、頭の中は美希のことでいっぱいだった。
辛かった。でも、我慢し続ければ、いつかこの気持ちが消えて、
美希とまた友達として普通に接することができるようになるはずだと祈里は自分に言い聞かせた。


そんな日が何日か続いた。
ダンスレッスンが終わり、帰ろうとした祈里の腕を誰かがつかんだ。
その力の強さにわずかに顔をしかめつつ振り返ると、美希が立っていた。
とっさに目を伏せる。
一瞬見えた美希の顔には怒りや苛立ちの他に、悲しみや寂しさがにじんでいた。


「美希ちゃん・・・?どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ!・・・なんであたしのこと、避けるの?
 あたしブッキーに何か悪いことした?」


美希の気迫に押されて、祈里は思わず顔を上げる。
今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめる美希が目に入り、ずきりと心が痛んだ。

「避けてないわ」

動揺を悟られないように素っ気なく答えると、祈里は美希の手を振り払った。

「ごまかさないで!今だってそうやって・・・目も合わせてくれないじゃない!
 あたしのこと嫌いになったならそう言ってよ!」

嫌い。
その言葉に、かっと頭に血が上る。

「そんなことない!」

こんなに、こんなにも好きなのに。


「・・・っじゃあどうして!」
「好きだから!美希ちゃんのことが・・・好き、だから」

言ってしまった。目の前が真っ白になる。
きっと拒絶される。
涙があふれた。もういやだ。このまま消えてしまいたい。
祈里の歪んだ視界に呆然としている美希が映った。

「え?ブッキー、それって・・・」
「美希ちゃんのことを考えるだけで胸が苦しいの。
 だから、忘れようとして、それで・・・」

次から次へと涙が祈里の頬を伝う。
その涙を美希の指がそっと拭った。


「ばか」
ひどく優しい声だった。
さっきとは違って、ゆるりと腕を引かれる。
導かれるように足を踏み出すと、美希の腕が祈里の背中に回される。
祈里は、美希の体がかすかに震えていることに気がついた。
泣いているのだろうか。
何か言おうと口を開くが、言葉が見つからない。
ふいに、ふわりと美希からいい香りがして、くらくらする。


「本当に、辛かったんだから。ブッキーに嫌われたんじゃないかって。
 ・・・こわかった。ブッキーがあたしから離れていくのが。
 変よね、最近それで全然調子でなくて」


あたし、ブッキーがいないと完璧じゃないみたい。
そう言うと、美希は祈里から体を離す。


なにが起こっているのかわからなかった。
祈里はぼんやりと美希を見つめる。
もう、ここまで言って何でわかんないのよ、と
呆れたような美希の声が聞こえる。
その声もずっと遠くから響いてくるようだ。


「あたしも、ブッキーが、祈里が好き」
祈里の目に真剣な顔の美希が映る。
考えるより先にまた涙があふれた。
ブッキーは泣き虫ね。
そうからかうように笑うと、美希は再び祈里を抱き寄せた。
おずおずと祈里も美希の背に手を回す。


「・・・あのね、もう一回祈里って呼んでくれない?」
「言われなくてもこれから何度だって呼んであげるわよ、祈里」

頬が熱くなる。
名前を呼ばれるだけで、こんなに嬉しいなんて。
ようやく実感がわいてきて、祈里はぎゅっと腕に力を込める。

「ありがとう・・・美希」

最後の部分は蚊の鳴くようなか細い声だったが、美希にはしっかり聞こえた。
その響きはあまりにも甘くて、美希の心がとろけるように疼く。
からだの芯が熱い。囁かれた耳が火照る。
同じく真っ赤になっているだろう顔を見られたくなくて、
美希は抱きしめる力を強めた。
腕の中で身じろぎした祈里から苦しいよ、と声が上がる。
慌てて祈里を解放して、短く謝罪する。
そんな美希がかわいくて、祈里は、もう、と少し怒った顔をしてみせた。

一瞬の間があって、2人同時に噴き出す。
なんでもないことがすごく楽しい。
幸せってこういうことなのかな。ふとそんなことを思った。


次の日、またダンスレッスンがあった。
祈里と美希は待ち合わせて一緒に公園へと向かっていた。
たわいない会話がたまらなく嬉しい。
話しているうちに、無意識のうちに2人の距離が近づいていたらしい。
指先が触れ合った。思わず手を引っ込める。
互いの反応を見て、顔を見合わせて笑う。
祈里の手がそろりと差し出された。
その手に躊躇いがちに美希が手を重ねようとする。
ごくり、と喉が鳴った。


「おーい!美希たーん!ブッキー!」

突然声をかけられて、びくっと全身がはねた。
振り返ると、手を振りながら走ってくるラブと、
その後ろをすこし遅れてついてくるせつなの姿があった。
美希と祈里は、あまりのタイミングに曖昧な笑みを浮かべながら手を振り返す。

「仲直りしたんだ!よかったー。
 最近2人がぎくしゃくしてるみたいだったから心配してたんだよー。ね、せつな」
「ええ。本当によかったわ」

気づかれていたのか。祈里は苦笑する。
無理もない。今考えると、あからさますぎた。

「心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」

祈里が言うと、美希も隣でうなずく。


「よーし!じゃあ早く行こう!」

ラブの元気な声につられて、みんなが走り出す。
走りながら、祈里が美希の袖を引っ張った。
美希だけに聞こえるように囁く。

「おあずけだね」

いたずらっぽく笑うその瞳から目が離せない。
敵わないわね。
美希の呟きは流れる風景とともに、あっという間に後ろへ消えた。
最終更新:2009年10月07日 23:58