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 風邪ね、とお母さんに言われた。今日は学校、お休みしなさい、とも。
 大丈夫、と強がろうと思ったけれど、お母さんの厳しい目付きを見て、素直に頷いた。
 普段は優しいお母さん。でも、怒らせると怖いことは知っている。

「せつな、大丈夫?」
「平気よ。気にしないで、学校に行って?」

 遅刻ギリギリに出るまで、ラブは私の側にいてくれた。おかげで髪を梳けなかったのだろう。お気に入りの髪型
じゃなく、下ろしたまんまで走って出ていった。
 ごめんね、ラブ。

「大丈夫かい? 今日はゆっくり寝てるんだよ」
「わかったわ、お父さん」

 出かける間際に、お父さんも部屋に来てくれた。ゆっくりと頭を撫でてくれる。
 なんとなく、ほっとする。大きな、お父さんの手。優しくて、あったかい。
 ありがとう、お父さん。

「んー、やっぱり私、今日はお休みしようかしら」
「心配しないで、お母さん。ちゃんと横になってるから」

 パートの仕事を休もうとするお母さんに、私は何度も平気と言った。お薬を飲んで、だいぶ楽になったから、と。
ちょっとだけ、嘘。でも、心配をかけたくはなかった。
 結局、何度も何度も、何かあったら連絡するのよ、と言って、お母さんは出て行った。
 行ってらっしゃい、お母さん。それから、嘘付いてごめんなさい。

 お母さんが出かけていってから、大人しくベッドに入っていた私。熱で少し朦朧とする頭。
 やがて本当に薬が効いてきたんだろう。
 気が付いたら私は眠っていた。





    弱気の虫




 夢を見ていた。
 ラビリンスにいた頃の夢。

 灰色の街。どんよりと暗い空。鈍く輝く太陽。
 その中を、足並みをそろえて歩く人々。
 ただ前だけを見ている。その視線は、けれど、誰も見ていない。
 立ち止まった私。でも、誰も私のことなど気にしていない。

 それが当たり前だと、思っていた。
 人は一人で生きていくもの。友情や愛情なんて言葉は、それが出来ない弱さを隠す為の嘘っぱちだと思っていた。 



 まどろみから、ゆっくりと目が覚めていく。チク、タクと時を刻む部屋の時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
 短針が指し示すのは、十三時。長針は、十五分のちょっと前。

「目、覚めたんか?」
「キュアー?」

 心配そうな声に、顔を向けると、そこにはタルトとシフォンの姿があった。二人とも、その表情を曇らせていて。

「平気よ、これぐらい」

 笑って言ってみるが、自分でもわかるぐらいに弱々しい。私のその様子に、タルト達は余計に心配そうな顔になる。
 ほぅ、と息を付きながら、布団の中から手を出して頬に当てる。やっぱり、まだ熱い。汗をかくほど体は熱いのに、
背筋はゾクゾクと寒いまま。そして全身が、気だるい感じ。

「なんかして欲しいことあるか、パッションはん」

 タルトの言葉に首を横に振ってから、私はベッドから起き上がる。やっぱり体は重いし、ちょっとだけフラフラする
けれど、立てない程じゃない。

「なんや、どないしたんや? 無理せんときやー、何か欲しいもんがあったら、わいが取りに行ったるさかい」

 いつも以上に多弁になって、私を寝させようとするタルトに、私は小さく、

「おトイレよ」
「あ・・・・・・えろうすんません」


 おトイレの後、私はタルト達と一緒に一階に降りる。寝ていたせいで、まだお昼ご飯を食べてなかったから。
 本当は食欲はなかったけれど、食べないとお薬を飲めない。だから、ちょっとでもいいから食べなさい、と
お母さんに言われていた。
 鍋の中のおかゆをあっためて、お皿によそう。

「梅干を入れるとええで」

 タルトの言葉に、冷蔵庫の中から梅干を探して、その身をほぐしておかゆに混ぜる。見ているだけで酸っぱくなる
口の中。どして?

「ちぃっと食欲、出るやろ?」
「うん、ホントね」

 タルトの言う通り、思っていたよりはすっとお腹に入っていった。心なしか、少し元気になった気がする。
 そういえば、お母さんが、冷蔵庫の中にリンゴをすったのが入ってる、って言ってたっけ。
 探してみると、ラップがされたお皿があった。それを開けて、食べ始める。ヒンヤリほど良く冷たくて、気持ちがいい。
なんだか熱も下がってきたみたい。

「シフォンも食べる?」
「タベゥー」

 小皿によそって、シフォンにもお裾分け。タルトにも、ちょっとだけ。

 だいぶ良くなってきたけれど、お薬を飲んで、またお布団に潜り込む。タルトとシフォンは、寝るのを邪魔しないようにと
気を使ってくれて、今は一人きり。
 ほっぺに触ってみる。だいぶ、熱くなくなってきた。けど、油断は禁物。私は目を閉じる。

 けれど、なかなか寝付けない。

 目を開けて、天井を見る。そっと、耳をすませてみても、何の音も聞こえない。時計が時を刻む音以外は、何も。
 ぼんやりとそうしているうちに、ふと、気付く。
 そういえば、こんな風に病気で寝込むなんて、初めてのことだったっけ、と。
 ラビリンスにいた頃に、私は風邪などひいたことがなかった。何しろ、寿命ですら管理される世界。体調だって全部、
管理されていた。病気で寝込む、なんてことはありえなかった。

 だから、というわけではないだろうけれど。
 不意に、寂しくなった。
 ラブがいない。お母さんがいない。お父さんもいない。
 タルト達はいる。けれど今はお昼寝でもしているのだろう。呼べば来てくれるだろうけれど、そこまでは。

 一人。部屋に、一人。
 あれ? 私、こんなに寂しがりやだったかしら。
 横になって寝ているだけなのに、どんどんと弱気になってくる。
 寂しくなってくる。

 イースだった頃。
 私は、いつも一人だった。
 ウエスターやサウラーと一緒に暮らしていたけれど、それはただ一緒に暮らしていたというだけだった。
 干渉されたくなかったし、干渉するつもりも無かった。
 一つ屋根の下に暮らしていても、家族なんて言葉とは程遠い。食事だって別々だし、他の二人が何をしてるか
なんて、まったく興味がなかった。まったく顔を合わせずにいたことだって、しょっちゅうだった。
 時々、ウエスターが思い出したように構ってくることがあったけれど、ウザい、と一言で切り捨てていた気がする。




 そんな私が、今は、一人の部屋に、寂しさを覚えている。
 不安を覚えている。
 もしかしてラブ達は帰ってこないんじゃないか。私はずっと一人、ここにいなきゃいけないんじゃないか。
 なんて、そんな馬鹿げた想像をして、勝手に怖がっている。
 今までそんなこと、考えたことも無かったのに。なんでだろう、弱気の虫が騒いでる。



 私。弱くなったのかしら。



 そんなことを考えているうちに、またまどろんでいたらしい。
 今度は夢を見なかった。



 目を覚ますと、額に置かれた冷たいタオル。ひんやり気持ち良い。

「あ、起こしちゃった?」

 小さな声に、私が目を動かすと、申し訳なさそうな顔のラブがいた。

「ラブ・・・・・・帰ってきてたの?」
「うん。割と前にね」

 ニッコリと笑う彼女の服の裾を掴む。ギュッ、と掴む。
 私のその行為に、少し驚いた顔をした後、ラブは小さく笑いながら言った。

「寂しかった?」
「――――!! ・・・・・・うん」

 見抜かれて。
 私は戸惑いながらも、小さく頷いた。そんな私の頭を、ラブはゆっくりと撫でてくれて。

「大丈夫だよ」

 その笑顔は、優しくて、あったかくて。ちょっと、ラブのお母さんの笑顔に似てる。
 キュンとせつなくなる胸。やだ。涙が出そう。たったこれだけのことなのに。
 熱が出ると、涙もろくなるのかしら。

「アタシもね、風邪を引いた時、一人で家にいることがあってさ」

 ベッドの端に顎を置いて、私と同じ高さの視線で、ラブはゆっくりと言う。

「すっごく、寂しかったんだ。病気なんだけど、なんだか寝付けなくて。けど起き上がれる元気はなくて、みたいな」

 ちょうど、さっきの私と同じかしら。

「お父さんもお母さんも、このまま帰ってこなかったらどうしよう・・・・・・って、考えたりしてさ。自分が世界で一人ぼっちな
気がしちゃったりとか」

 やっぱり、私と同じみたい。



「意外ね。ラブってそういうこと、考えなさそうなのに」
「うーん、やっぱり病気にかかると、弱気になっちゃうのかも」

 苦笑するラブ。普段の元気いっぱいなラブしか見ていないから、そんな彼女の姿が思い浮かばない。

「だから、せつなももしかして寂しいと思ってるかなって、急いで帰って来たんだよ」

 ニッコリと、また優しい微笑み。それにね、とラブは続ける。

「多分、今頃――――」

 言いながら、彼女は枕元の私の携帯を開いて、覗く。そしてうん、と頷いて、私に渡してくる。
 寝る時にサイレントモードにしていたから気付かなかったけれど、いっぱいメールが入っていた。友達や、お父さん、
お母さんから。その中には美希や祈里の名前もあった。
 開けてみると、どれも私のことを心配する内容。

「学校でね、せつなが病気で休みだって話したら、皆、すっごくせつなのこと心配してたよ」

 頬を涙がつたって、こぼれ落ちる。 
 やだ。やっぱり私、涙もろくなってる。
 胸がジーンとして。一通一通、見るたびにジンワリ涙が溢れてくる。

 ああ、そっか。
 私、弱くなったんじゃないんだ。
 ラブやお父さん、お母さん、友達がいることに慣れちゃってたんだ。
 だから、皆がいないことが寂しくなったんだ。
 ラビリンスでは、風邪をひくことが無いかもしれないけれど、私を想ってくれる人もいなかった。だって、ずっと一人だから。
 けど、この街では、この世界では。
 こんなにも皆が、優しい。当たり前過ぎて、忘れてしまいそうになっていたけれど。

 だとすれば。
 この寂しさも、弱気の虫も、幸せの一つ、と言えるかもしれない。

 だって、私に思い出させてくれるから。
 貴方はこんなにも愛されているのよ、ということを。

 友情や愛情は、弱さを隠す為の嘘っぱちなんかじゃない。
 それは時に人を寂しくさせてしまうけれど、でも。
 想うこと、想われることは、力になるから。一人で生きていては、絶対に出せない力を。


「ね、せつな。早く元気になろうね」
「ええ――――精一杯、頑張るわ」

 治ったら私、皆に言うわ。
 一人で生きていたら、絶対に言わない言葉を。

 ありがとう、って。
最終更新:2009年09月09日 20:58