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「そういえば」

 ふと、思い出したようにせつなが言った。

「この前、美希が腕を組んで歩いてた人、彼氏なの?」

 思わずあたしは、飲んでいたコーヒーを噴出しそうになってしまった。




    Sunset Walk, My Secret




「大丈夫?」
「へ、平気・・・・・・」

 なんとか噴出すような無様なことにはならなかったけれど、あたしはすっかりむせ込んでしまった。
 十分、無様か。あたし、全然完璧じゃない。

「あたし、彼氏なんていないわよ」

 せつなが差し出してくれたティッシュで口の周りを拭きながらのあたしの言葉に、彼女は首を傾げて、

「でもラブが言ってたけど。あの人が美希の彼氏だって」
「ラブもいたの?」
「ええ。確か、前の日曜日だったかしら。駅前のデパートにいたでしょ?」

 思い当たる節はある。
 ラブの奴・・・・・・!!

「あれは弟よ、弟」
「弟? 美希、弟なんていたんだ?」
「ま、ね。わけあって、一緒には暮らしてないんだけど、時々は会ってるの。ラブも知ってるんだけどね」

 そうなんだ、と言いながら、せつなは自分の前にあるコーヒーカップを手に取って、ゆっくりと口に運んだ。

 最近、あたしとせつなは仲が良い。放課後にこうして外で待ち合わせて、一緒にお茶したりしてる。
 自分でも驚いてるんだけど、せつなといると楽しい。
 彼女がイースだった頃は、正直、少し苦手だった。警戒してた、という方が正しいか。ラブに近付いてるのも、
何かの魂胆があってのことじゃないかと思えて。
 ま、実際にそれは正しかったんだけど。さすがあたしの勘。完璧だわ。
 けど、キュアパッションとして生まれ変わって、仲間になってからのせつなは、すっごく素敵な女の子。何事にも
精一杯に頑張ってる姿は、見ていて微笑ましいし、あたしも頑張ろうって気になる。
 それに、この世界のことをまだよくわかってないから、色々と教えてあげなきゃ、って気になる。
 前にせつなのおつかいに付き合った時、マグロが見つからなくて困ってた。パックに入ったマグロの刺身を
取ってあげたら、首を傾げてあたしにこう言った。

「これ、お魚なの? 図鑑で見たマグロと全然違うわ」

 って。魚は切り身で泳いでるって思ってた、って子供の話は聞いたことがあるけれど、せつなの場合はその逆で、
どんな魚も魚の姿のままで売ってるもんだと思ってたみたい。
 そういう勘違いも、可愛らしいんだけれど、ね。
 なんというか、せつなって、母性本能をくすぐってくる。頼りにされると嬉しいし。
 だから最近は、あちこち連れまわしてたりする。色んなことを教えてあげるために。
 特に、女子力を磨くようなところが多い。せつなって可愛らしくて、あたしから見ればダイヤの原石みたいなもの
なんだけど、その自覚が無いのよね。お化粧なんてしたことないみたいだったし。それであの綺麗さなんだから、
ちょっとずるい、って思っちゃうけれど。
 そんな風にあたしがせつなと一緒にいることが多くなって、ラブから一度、ブーイングを食らったことがある。

「美希たん、最近、せつなと遊び過ぎ。アタシだってせつなと遊びたいのにー」

 いいじゃない、ラブ。あなたはせつなと一緒に暮らしてるんだから。他の時間はあたしにくれたって。
 ま、そんなやり取りがあったわけだけど、多分、ラブったらそれを覚えてたのね。だからせつなにあんな嘘を
教え込んだんだ。
 まぁ、悪意の無い冗談だろうけれど。ラブのことはよくわかってるから、何を考えてるのかもわかる。ちょっとした
悪戯なんだろうけれど、せつなに言ったら信じ込んじゃうじゃない。
 って、あたしもラブに、和希のことを彼氏みたいに言ったことがあったから、おあいこか。


「でも」

 またふと、何か疑問に思ったのか、せつながあたしを見つめてくる。

「腕を組むのって、恋人とか、夫婦とか、そういう人同士じゃないの?」

 お父さんとお母さんも、時々、腕を組んで歩いてるわ。彼女はそう続ける。
 そうなんだ。ラブのところのお父さんとお母さん、相変わらず仲が良いのね。ちょっと、羨ましいかな。あたしの
場合、物心ついた時にはお母さんしかいなかったから。
 って、そんなこと考えてる場合じゃなかったわね。

「家族でも腕を組むことぐらい、あるわよ。あたしの場合がそう」
「ふぅん? じゃあ、あの子達も家族なのかしら?」

 せつながあたしの背後に目を向けて、そう言った。振り返ると窓の外には、高校生と思しき女の子達が二人、
腕を組んで歩いていて。
 どう見たって彼女達は、家族じゃない。


「あれは友達だからね」
「友達でも、腕を組むことはあるのね」

 なるほどね、と頷く彼女に、あたしの中の何かが囁く。危険信号、と言ってもいい。

「言っておくけれど、せつな。男友達とは腕を組んじゃだめよ?」
「え? どして? 友達でも、腕を組むんでしょ?」

 心底驚いた、といった感じの顔を見せるせつな。あたしは、やっぱり、と心の中で呟く。最近のあたしの勘、
せつなに関してはものすごく鋭くなってる。

「男の子と女の子が腕を組むのは、恋人とか、夫婦とか、家族の間でだけ許されるの。友達にはしちゃダメよ」
「難しいのね」

 ううん、と顎に手をやって、せつなは考え込む。そんなに真剣になるようなことでも無いと思うんだけど。

「女の子同士で、友達なら、腕を組んでもいいのね」
「そうね。男の子と女の子が腕を組んでたら、ま、恋人か家族と思えばいいと思うわ」
「それはわかったけれど、じゃあ、男の子同士でも友達なら腕を組んで歩いたりするの?」

 う、と言葉に詰まる。やられた。想像を越えてきた。完璧だった筈の話の流れは、せつなの一言で崩壊する。
 ええと。ええと。なんて答えればいいのかしら。

「ねぇ、どして?」

 首を傾げて純真な目で見てくるせつなは、やっぱり可愛い――――じゃなくて。
 ああもう。誰か助けてよー。

 結局。
 あたしはせつなの問いに、しどろもどろになりながらも、なんとか誤魔化した。
 彼女は釈然としない顔をしてたけれど、全部説明するのは難しいし、恥ずかしい。
 ようやくせつなが話題を変えてくれた時には、あたしは結構、ぐったりしてた。世間知らずは可愛いんだけれど、
ほどほどにして欲しいわ・・・・・・。

「あ、もうこんな時間」

 せつなが腕時計を見て、ビックリしたような声を出す。
 窓の外の空は、夕焼け色。せつなといると、時間が経つのが早い――――けれど、彼女が気付いちゃったことが、
ちょっと残念。
 実はあたしからは、せつなの背の向こうに時計が見えていた。だから今、何時かも全部、わかっていた。
 あんまり遅くなったらいけない、とわかってたんだけど、少しでも一緒にいたくて、ついつい黙ってしまってた。
 ちょっとだけ、罪悪感。ごめんね、せつな。葛藤はあったのよ?
 でも、本音を言えば、もっとあなたといたかったわ。

「じゃ、行きましょうか」
「ええ」

 お会計を済ませて、外に出る。ちょっとだけ、アンニュイな気分。
 あーあ。楽しかった時間もこれで終わり、か。残念。
 ホント、夕焼け空が恨めしい。ずっとせつなといられたらいいのに。
 なんてことを考えてたら。

「――――!?」

 不意に、右腕に絡まってくるせつなの腕。

「せ、せつな? 急に、どうしたの?」
「え? 女の子で、友達同士なら、腕を組んで歩いてもいいんでしょ?」

 ビックリして裏返った声で尋ねるあたしに、せつなは不思議そうに見上げてくる。

「う、うん。確かにそうなんだけど・・・・・・」

 右肘には、柔らかい感触。前から思ってたけれど、せつなって案外、グラマーなのよね。しかもまだ大きく
なってるって言ってたし。それにしても、気持ちいい。ぬくもりも、その柔らかさも――――ってあたし、何、
考えてるのよ!?

「美希、あたしと腕を組むの、いや?」

 無言になったあたしを、せつなは不安そうに見上げてくる。心なしか、瞳がうるんでいて。
 あたしは、その問いかけに全力で首を横に振った。

「いやなわけないわ。むしろ、あたしも腕を組んで歩きたいな、って思ってたぐらいだし」

 ああ、良かった。空が赤くって。あたしのほっぺの真っ赤さ、せつなに感付かれてないわよね?

「そうなんだ。良かった。美希に嫌われてなくて」
「嫌うわけないでしょ、せつなを」
「ありがと、美希」

 嬉しそうに言いながら、せつなはギュッとあたしに体を寄せてくる。ぷにぷに。肘の感触に、あたしの理性は
崩壊しちゃいそう。
 ちゃんと言ってあげないといけないって、本当はわかってる。女の子同士の友達なら、そんな風に引っ付いたり
しないんだって。せつながしてるのは、恋人同士みたいな腕の組み方なんだって。
 ああ、でも。
 まぁ、女の子同士なら、おかしくはないかもしれない。ううん、きっとおかしくないわ。たまにそういう風に引っ付き
たくなること、あるもんね。うん。そうよ。あたし間違ってない。
 完璧な言い訳を自分にしつつ、あたしは。
 せつなにギュッと腕を抱きしめられながら。
 幸せな気分で、夕焼けの帰り道を歩いたのだった。


  ~後日譚~

「ねぇ、せつな。ラブともこうして、腕を組んで歩いたりするの?」
「ううん、しないわ」
「え? どうして?」
「――――さぁ。どうしてかしらね」

 クスクスと笑う彼女に、あたしは。
 せつなって、基本さえ知れば、すっごく応用を利かせる子なんじゃないか、って感じて、ちょっと怖くなったりも
したけれど。
 ギュッ。せつながいつも以上にあたしの腕を抱きしめてきて、まぁいいか、って思ってしまう。

「私がこんな風に腕を組んで歩くのは、美希だけよ――――美希は?」
「も、もちろん、あたしもよ」

 ごめんね、和希。もうあなたと腕を組んで歩けなくなっちゃったわ・・・・・・
 意志の弱いお姉さんを許してちょうだい――――
最終更新:2009年09月13日 08:11