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(……眠ったのかな?)


ラブは胸元に顔を寄せて、規則正しく肩を上下させ始めたせつなを覗き込む。
せつなを起こさないよう、慎重に体を離す。少し体をずらし、寝顔が見えるように。
長い睫毛が影を落としている。熱のせいか、いつもより唇が赤い。
頬や顎の線が痩せた為に少し鋭角になっている。


けど寝息は、すぅ、すぅ、と心地よく聞こえ、少し前の浅い呼吸の寝苦しさは
感じられない。



(少しは安心してもらえたのかな……。)



せつなを安心させてあげられなかった。
それは、他ならぬラブ自身が安心してなかったから。

(よく言えたもんだよね……。)
さっきの自信満々な自分の態度がおかしくなる。せつなが自分から
離れて行かないか……、それに夜も眠れないほど怯えていたくせに。


せつなに出会って、恋に落ちて……、今までの自分からは考えられないような
自分にいくつも出会った。
誰かを好きになる。それってすごく楽しくて幸せな気持ちになるんだと思ってた。
今までも、人を好きになった事がなかったわけじゃない。
でも、どれも(…いいな。)と思う程度の、好意にほんの少しの甘酸っぱさを
加えた幼く淡い想い。
その人を思うとほんのり胸が熱くなって、ちょっとくすぐったいような。
幸せで温かい気持ち。


だから、恋もその延長上にあるんだと思ってた。
もっと幸せで、もっと熱くて、もっとドキドキするような。
それは半分当たってた。想像してたよりうんと、熱くて、激しくて。
どうにかなってしまうんじゃないかと思うくらい心を揺さぶられ、掻き乱される。

そして、幸せと同じかそれ以上の不安や苦しみ、知らなかった自分の醜さも
嫌と言うほど思い知らされた。


会う度に違った姿を見せたせつな。
初めは古びた洋館の占い師。次に出会った時は、ちょっと不思議な雰囲気を纏った、
でも、とても綺麗な女の子。
そして、いつも高い所から見下ろし、容赦なく痛めつけてきた敵。
ラビリンスのイース。


その二人が同一人物だと分かったとき、世界が砕け散るような衝撃を受けた。
どん底まで落ち込んで、けど、諦められなくて……。

いつせつなを好きになったのか……、今となってはもう思い出せない。
気が付けば、それは当たり前の事実として胸の中に根を這わせていた。
せつなへの想いを認める葛藤の時間すらなく、二転三転する事態に翻弄され、
再び手を繋いだ後は………

もう二度と放さない。どこへも行かせない。
それしか考えれなかった。

(あの頃のあたしってば、すごい行動力だよね……)


取り戻した、と思った矢先のイースの死。
そして、その現実をまだ受け止め切れないまま迎えたパッションの誕生。
その時の震えるような歓喜。
だけど彼女は差し出した手を取ってはくれず、目をそらして立ち去ってしまった。


あたしは焦ってた。
以前の、イースだった頃のせつなはいつだって、フラりと現れては
またいつの間にか消えてしまうような女の子だった。。
いつも姿を見せるのは彼女の方から。連絡しようにも、捕まった事はない。
それでも途切れる事なく会っていたから、それほど不自然には感じなかった。
こちらから連絡しなくてもちょくちょく会いに来てくれるんだから、
好意は持ってもらってる。そんなふうに、深くは考えてなかった。
今にして思えば、敵であることを隠してたんだから、余計な情報
は与えないようにしてたんだろう。
いつも巧くはぐらかされていた気がする。


気付かないうちに、心の奥底で不安が燻っていた。
いつか、会えなくなるんじゃないかって………。


今しかない。せつなを丸ごと手に入れる。
せつながプリキュアである事を受け入れ、仲間としてやっていく事を誓ってくれた。



せつなの行き場が無いことを理由に、半ば強引に家族として迎え入れた。
心配だから。力になりたいから。すべてせつなの為に。

でも、本当の理由は……


今なら、せつなにはあたしかいない。
今なら、あたしだけを見てくれる。
だから……



だから無理矢理、恋人にした。
愛される事を知らなかった彼女に、徹底的に身勝手な愛を叩き込んだ。
心に目隠しをして、あたし以外がその瞳に映らないように。
体を繋ぎ、愛してると囁き、愛されると言うのはこう言う事。
そう、繰り返し……繰り返し…。



せつなが、周りを見渡す余裕が出来た時には、もうすべてあたしのものに
なっているように。
身も心もあたしのせつなに。



(………その結果がこれ……)



せつなをボロボロにした。
祈里の心を玩び、壊した。


とりとめなく浮かんでは消える思考の欠片。
せつなの寝顔を眺めながら涙が滲んでくる。
後悔、と言うには余りにも苦い思いに胸を掻き毟りたくなる。


自分だけが悪かった、とは思わない。
けど、最初に間違ったのは間違いなく自分だ。


祈里がせつなに送る視線。それは確かな質量と熱を持っていた。
且て、自分がせつなに送っていたのと同じ種類。
だから、思い込んでしまった。祈里も同じだと。


祈里はせつなを欲しがってる。
あたしと同じように、身も心も。



本当にそうだったんだろうか。


祈里がせつなに送る愛おしそうな視線。
ただ、祈里は愛でていたかっただけなのかも知れない。
その姿を。声を。微笑みを。


ふと見付けた、今まで見たことのない花が蕾をつけ、日に日にほころんでゆく。
どんな色をしているのか。どんな香りを放つのか。
息を詰めて見守り、そっと大切に。触れる事すらせず。
誰か一人のものになるなんて、考えもせず。


なのにその花は、いつの間にか無遠慮な手で摘み取られてしまっていた。

誰のものでもない、そう思っていたのに。


摘み取った手は自慢気に見せびらかす。

(ほら、綺麗でしょ?)

けど、決して自分以外は触れさせない。

(あなたは見るだけね。)

これは、もうあたしのものなんだから………。



あたしが焦って突っ走らなければ、


そうかも知れない。違うかも知れない。後悔がそう思わせてるのかも。


(あぁ……、ダメダメだぁ……。)
また思い込みで凝り固まりそうになってる自分に気が付き、溜め息が出る。


前向き、と言えば聞こえは良い。
何でも良い方に考える。ネガティブな事も自分に都合良く解釈する。
今までずっとそうやってきたけど、今回ばかりは無理だ。
どうやったって誰も悪く無い、とはならない。
自分が悪かった。そう思うのは簡単。でもそれじゃ、自分の傷を舐めてるだけ。

せつなは祈里との事、切っ掛けは結局話せなかった。(……庇ってるの?)
そう思うと、自分で話さなくていいと言っておきながら胸の奥が
ザワザワと波立つ。
そこでも、せつなと祈里の関係はせつなが望んだものではない。
祈里に強要されたんだ、と当たり前のように思っている。


せつなは悪くない。裏切ってなんかない。

祈里を傷付けたのはあたし。祈里だって苦しい。


幾つもの気持ちが攻めぎ合い、浮かんでは消える。
(あたしは、どうしたいんだろう。)


元に戻りたい。でもそれは無理。
見てしまった光景は忘れられない。気付いてしまった自分の汚さからも逃げられない。
せつなの傷は癒えても消えはしない。



祈里はせつなを傷付けた。それは間違いないだろう。絶対に許せない。
そして同時に、せつなと同じくらい祈里を失いたくないと思っている自分に気付く。


せつなは戻ってきてくれた。
傷付いて、ボロボロになって、怯えながらも自分の意思であたしを選んでくれた。
ううん、最初からせつなの心はどこにも行ってなかったのに、
あたしが見失ってたのかも知れない。
せつなは罪人のように震えながらもあたしに手を伸ばしてくれた。
自分で鎖を断ち切り、血を流しながらも自分で自分の場所を決めた。
あたしの側にいてくれるって。



誰より大切で愛おしいせつな。今、腕の中で眠ってくれている。

もう、どこにも行かない。


身勝手で欲張りなあたし。


これさえあれば他に何もいらない。一度手に入れ、失ったと思い込み、
でも再び抱き締める事が出来た。

その途端に、今まで持っていたものも手放すのが惜しくなる。

優しく温かだった親友。
お互いに何も言わなくても通じ合う、幼い頃から培ってきた居心地の良い空気。

(ブッキーは、もう、ブッキーじゃなくなったの……?
……あたしが、そうさせちゃったの……?)



いつも思ってた。祈里の笑顔はふんわりと優しくて、まるで甘いお菓子みたい。
その笑顔を瞼の裏に思い描こうとする。
なのに、大好きだった筈の笑顔は像を結んだ途端に滲んでゆき、
その形を成さない。


眠っているせつなに額を寄せる。


一言も、あたしも祈里も責めなかったせつな。
あたしに、せつなくらいの勇気があるだろうか……。
傷付いても、血を流しても、自分でどうするか決める。そんな勇気が。


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最終更新:2009年10月08日 20:42