あなたの視線、気付いていたわ。
その意味も。
あなたは知らないのよ。
熟れたての果実が目の前にあるのに、それをもぐことを許されないことの辛さを。
star story ~setsuna side~
「あ~気持ち良かった!!」
お風呂から出てきたラブを、リビングで迎える。お母さんは晩御飯の食器を洗っている最中。お父さんは
まだ仕事から帰ってきてない。
「長かったわね、お風呂」
「うーん、今日もミユキさんのダンスレッスン、ハードだったからね~」
お風呂の中でゆっくり揉みほぐしてたんだ、と伸びをしながら言って、ラブは私を見る。
「ね、せつな。お願いしていい?」
「ええ、いいわよ。けど、私にもお願いね?」
「オッケー、任せといて」
私達はダンスレッスンの後、お互いにマッサージをし合っている。腕や脚、背中の張りを取るの為に。
それだけ、ダンスのレッスンは疲れるということ。
「せつなのマッサージ、超ウマイんだもん。気持ちいいんだよ~」
「そりゃ、毎回のようにやってたら、上手になるわよ」
リビングのカーペットの上でうつ伏せになったラブの上に馬乗りになり、まずは肩をゆっくりと揉み解していく。
「ふわ~。気持ちいい~」
本当に気持ち良さそうなラブの声を聞きつけて、お母さんが笑っている。
私も、笑う。
けれど、本当は余裕なんて無かった。
ラブの下ろした髪から香るのは、桃のシャンプーの香り。
私と一緒の匂い。なのにどうしてこんなに、ドキドキするんだろう。
肩から腕に手を移す。ゆっくり、じっくりと張りをほぐす。少しずつ、少しずつ。
うっかりするとラブは、このあたりで眠ってしまう。交代で私にもしてあげる、と言っていたとしても、だ。
一度、私がそれを責めたら、照れ臭そうに笑いながら、
「だって、せつながあんまり気持ち良くしてくれるんだもん。それでうっかり・・・・・・」
無邪気に笑う彼女に呆れながらも、私は責められない。
だって、たとえラブが眠ったとしても、私が念入りなマッサージを続ける理由は、ただ一つ――――
桃色のパジャマの上から、背中を親指でギュッ、ギュッと指圧のように押す。
図書館で借りたマッサージの本で勉強したせいか、どうやら私はだいぶマッサージが上手になってきたらしい。
今もラブは、幸せそうな、そして今にもまどろんでしまいそうな声で、
「あ~、そこそこ。そこ気持ちいい~」
なんて言っている。
わかってるわよ、ラブ。あなたの気持ちいい所ぐらい、私が知らないとでも思ってるの。ほら、ここを触られるのも
好きなんでしょ?
「ふわ~」
掌をお尻に当てながら、腰骨の周りの筋肉を親指でほぐすと、いっそだらしない、と言えるぐらいの声を出すラブ。
どんな顔してるのかしら。そんなことを思っていると、台所から出てきたお母さんがラブの顔を見て、呆れたように
言った。
「ラブ、よだれ、よだれ」
「ふえ? お、お~っと」
手の甲で口の辺りを吹いて、にはは、とラブは照れ笑いをする。やっぱり、寝かけてたらしい。
「ごめんごめん、せつな。また寝ちゃいそうになってたよ」
「もう。後で私にも、って約束、守ってよ?」
わざと唇を尖らせながら、また横になったラブの、今度は脚をもみ始める。
太ももに触る時は、要注意。ラブはここが一番敏感だから。特に太ももの内側が。一度、うかつに触ったら、
よほどこそばゆかったのか、キャッ、と叫んでラブが上げた足が、私の顎を直撃したことがあった。だから要注意。
「んん・・・・・・」
少し、艶のある声になるラブ。私はゆっくり、ゆっくりと太もものこりを揉み解す。ギュッ、ギュッと。時々、ピクッって
ラブの身体が強張る瞬間がある。多分それは、よっぽど気持ち良いからだろう。
「ホントに、せつなはマッサージが上手だよねぇ」
そんなことを言うラブに、私は黙って笑う。
ごめんね、ラブ。
マッサージが上手になったのには、わけがあるの。
とてもラブには言えない理由。
それはね。
あなたの体に、触れたいだけなの。
誰の目も、気にすることなく。
いつだったかしら。
ブッキーのいる前でもラブは同じことを言ったわよね。
せつなと毎晩マッサージをし合ってるんだ、って笑顔で。私は何気ない口調で、し合ってるんじゃなくて
私がしてるの、ラブはすぐ寝ちゃうじゃない、と言ったのだけど。
けれどね、ブッキー。
その時のあなたの悲しそうな目。そしてそこに込められた、羨望。
私、気付いてたわ。
そうね。私、知ってる。
ブッキー、あなたがラブのことを好きなことを。
友達としてでなく、それ以上の存在として。
そんなあなたからしたら、こんな風にしていられる私のこと、確かに羨ましいと思うでしょうね。もしも私が
逆の立場だったら、同じように思うだろうから。
けど、ブッキー。
あなたは知らないのよ。
幸せは甘すぎる果実だってことを。
一口、食べられれば満足。
最初はそう思っていても、どんどんと食べたくなる。
もっともっとと貪欲に欲しがるようになる。
まるで麻薬のよう。
こうして、マッサージと称して、私はラブの体に触れている。
時々は、ラブに触れられている。
その時、私の心臓は早鐘のようになっている。
ラブが気持ち良さそうな声を出すたびに、衝動に襲われる。
抱きしめたい。ラブを、ギュッと抱きしめたい。
もっと、気持ち良くなって欲しい。もっともっと、その声を聞かせて。
そして私も一緒に、気持ち良くなりたい。
そんな衝動に。
私のこの感情は、邪まだ。
ブッキー。あなたのようにピュアなものじゃない。プラトニックなものじゃない。
心が満たされればそれでいい。そう思うのは、幸せと言う果実を食べていないから。
一口、食べてしまえば、貪欲になる。
心だけじゃ、物足りなくなる。体が、欲しがるの。求めるの。
ラブという存在を。
でも、それは許されないこと。
一つにそれは、私達が女同士だから。
ラビリンスにだって、結婚という概念はあった。全てがコントロールされた世界だったけれど、だからこそ、
それは全て異性婚だった。子供を生み、増やす為には、男と女が結ばれなければならないから。
この世界に来て、しばらくたって。私は自分の感情に戸惑った。同性のラブに、こんなにも執着するのは
どうしてだろう、と。
こっそりと図書館で調べて、知ったわ。世の中には同性を愛する、ううん、同性しか愛せない人がいる、
ってことを。
多分、私がそれなんだ。
私はラブしか、愛せない。女の子のラブしか。
けれど、ラブは?
愛は、一人では完結しない。同じように、ラブが私を愛してくれなければ。
ラブはどうなのかしら。私と同じで、女の子を愛する人なのかしら。
もしもそうでなかったら――――私の気持ちは、ラブを困らせるだけだ。
いつも私に笑顔を向けてくれるラブ。時々、手を繋いでくれるラブ。私が冗談を装って抱きついたら、
ギュッと抱きしめ返してくれるラブ。
でもそれが、友情以上のものでなかったなら。
想いを、拒絶されたら。
私は、どうすればいいのだろう。
だって私には、この場所しかない。
この家にしか、私の居場所は無い。
なのにラブとギクシャクしたら――――いたたまれない。
だから私は言えない。この想いを。
そして、もう一つ。
「ただいまー。いやー、今日も疲れたー」
「あ、おかえりなさーい、お父さん」
「おかえりなさい、あなた」
「おかえりなさい」
帰ってきたお父さんが、肩を回しながらリビングに入ってくる。そこで私がラブをマッサージしているのを見て、
お父さんは苦笑した。
「またラブはせつなちゃんにマッサージしてもらってるのかー。いっつもされてばっかりだな」
「そうよね。ラブったらいっつも、せつなちゃんにマッサージされてる間に寝ちゃうから」
「きょ、今日は違うもん!!」
ガバッと起き上がったラブは私に、
「せつな、さ、横になって。今度はアタシがせつなを気持ち良くしてあげる」
さぁさぁと詰め寄ってくるラブに、私は苦笑しなが首を横に振る。
「私はいいわ。それよりも」
言いながら私は、お父さんに目を向ける。つられて目を動かしたラブ。
自分でも言ってたけれど、よっぽど疲れてるんだろう。スーツを脱いでハンガーにかけた後、お父さんは首を
回している。肩、こってるんでしょうね。
それを見て、私が言いたいことがわかったんだろう。ラブは立ち上がって、椅子に座ったお父さんの背後に立った。
「お父さん。お仕事、お疲れ様!!」
「お、なんだ、急に」
ビックリするお父さんの肩を、ラブはトントンと叩き始める。最初は驚いてたお父さんも、嬉しそうな顔でされるが
ままになっている。
「あら、いいわね~、お父さんったら」
台所から出てきたお母さんが、その光景を見て和んだように笑う。
「お母さんには、私が」
「せつなちゃんが? うーん、じゃ、甘えちゃおうかしら」
お父さんの隣に座ったお母さんの肩を、私は優しく揉み始める。最近、パートで出かけることが多いから、
疲れてるんだろう。だいぶこっているのが、掌から伝わってくる。
「うーん、気持ちいいね~」
「ほんとにね~」
二人の言葉に、私とラブは顔を見合わせて笑う。
「お父さん、お母さん」
「いつもご苦労様」
それはきっと幸せな光景。
家族。そのあり方としては、最高のものだろう。
私はそれを、壊したくない。
一緒にいて。
もしかして、って思う時がある。
もしかして、ラブも私のことを愛してくれてるんじゃないかって。
私の気持ちを、受け止めてくれるんじゃないか、って。
心だけでなく、体をも重ねあわせたいという欲求を、ラブも持ってくれてるんじゃないか、って。
唇を重ねあって。抱き合って。素肌で相手のぬくもりを感じたいと思ってくれてるんじゃないか。
そう、思う時がある。
でももし、私達がそうなったとしたら。
一線を越えたとしたら。
お父さんは、お母さんは、どう思うかしら。
私のことを――――どう思うのかしら。
居候、っていう言葉があることを、私は知ってる。
私の立場が、まさにそれだ。
桃園家の一員として、迎えられた私。家族として、お父さんお母さんが私を愛してくれていることもわかってる。
そしてそのことに、私はすごく感謝してる。
だから、ラブにした時よりもさらに念入りに、お母さんの肩を揉み解す。
大事な大事な、家族だから。
そう。大事な家族。
だから、壊したくない。
居候として入ってきた私が、ラブと愛し合ったとしたら。
お父さんは。お母さんは。
私に、裏切られたと思うんじゃないだろうか。
変わらず家族として、私を受け入れてくれるんだろうか。
私は気付いてる。気付いてしまってる。
私の想いは、この幸せな家族を壊す。
それは決して、許されないこと。
ねぇ、ブッキー。
これでも一緒にいたいと思う? 一緒に暮らしたいと思う?
ベランダで並んで、星を見る私達。
その肩は触れ合っている。
でも、それ以上は。
私にとってラブは、うれたての果実。
手を伸ばし、もぐことが出来るんじゃないか。食べられるんじゃないか。そう思えるほどに、近い。
けれど私は、それを星だと自分に言い聞かせる。
遠い、遠いところにあって、手が届くように錯覚してしまうけれど、絶対に手が届かないものだと思い込ませる。
だから、手を伸ばすような馬鹿なことはするなと、自分に命じる。
そうでなければ。
全てを壊してでも、禁断の果実を食べてしまいたくなるから。
ねぇ、ブッキー。
私はあなたがうらやましいの。
あなたは、知らないから。
満たされきらない幸せというものが、どれほど身を焦がし、心を狂わせるか。
どれだけ辛く、厳しいものか。
あなたは、知らないから。
最終更新:2009年10月10日 06:25