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 コン コン

 控え目にドアをノックする音に、しかし、ラブは目覚める。いや、半分、覚めていたようなものだから、
瞼を開けたという方が正しい。

「はい?」

 一体、何だろう。目をこすりながら、鍵のかかっていないドアを開けると、そこには。

「ごめんね、ラブ」

 パジャマ姿のせつなが、少し怯えた顔をして立っていた。その胸に、自分の枕をしっかりと抱きかかえる
姿に、まだ意識の半分が眠っているラブは首を傾げながらも、可愛いなぁ、と感じてしまう。

「ん、どうしたの、せつな?」

 大きく欠伸をしながら問いかけると、せつなは黙ったまま、うるんだ瞳で彼女を見つめてきて。

「あの......ね」

 眠れないの。恥ずかしそうに言うその声をかき消すのは、外から聞こえてくる雨と風の音。

 その日、クローバータウンには、久しぶりの大型台風が訪れていた。



     嵐の夜に



「ごめんね、ラブ」
「別にいいってば」

 一つの布団に、二人は一緒になってくるまる。赤いカバーのかけられた枕に頭を乗せ、申し訳なさそうに
言うせつなの顔を薄暗闇の向こうに見ながら、ラブは苦笑する。

「しょうがないよ。誰にだって怖いものはあるもの」
「うん......」

 恥ずかしそうに頷いて、彼女は口元まで布団を被る。その耳に聞こえてくるのは、地面に叩きつけられる雨と、
激しく渦巻く風の音。それが怖くて、せつなはラブの部屋に避難してきたのだ。

「けど、意外だな。せつなが台風が苦手だなんて」
「そう?」
「うん。だってほら、ハピネス・ハリケーンって台風みたいじゃない」
「ハリケーンは竜巻よ。台風はタイフーンだわ」

 妙なところにムキになって反論するせつなだったが、一層強い風が窓を震わせると、ビクリと肩を震わせて。
 そんな彼女に、ラブはよしよしとあやすように布団の上からその体を軽く叩く。

「大丈夫だよ、部屋の中にいれば、何もないって」
「うん......わかってるんだけどね」

 いつもは、何があっても強がりを言う彼女とはとても思えない、弱々しく素直な声。吐く息が首をくすぐる程の
近くで覗き込むラブの瞳に、せつなは弱々しく笑って見せた。

「やっぱり、苦手なの。台風の音って」
「どして?」


 少しおどけたように、彼女の口癖を真似るラブの肩を、もう、と言いながら彼女は軽く叩く。ごめんごめん、
真面目に聞くよ。そう笑う彼女に疑いの眼を向けつつ、せつなは胸の内の不安を吐き出す。

「ラビリンスには、台風なんて無かったからっていうのもあるけれど――――この、風と雨、嵐の感じが、すごく怖い」

 確かに変よね、と彼女は苦笑した。吹き荒れよ、幸せの嵐。その言葉と共に必殺技を放つ彼女が、嵐を
苦手とするなんて。
 だがしかし、怖いと思ってしまうものはしょうがない。

「こっちの世界に来てすぐの頃だったかな。前に、ひどい嵐が来たことがあったでしょう?」
「そういえば、そんなのもあったねぇ」

 あれは春先のことだったか。季節外れ、という程ではないが、ひどい嵐が街を襲ったことを思い出す。それを
覚えていたのは、楽しみにしていた家族旅行が、それで中止になったからだ。
 轟々と吹きすさぶ風と窓に叩きつける雨、それを部屋の中から恨めしそうに見つめながら、早く雨が止まないか、
何とか出かけられないかと願っていたものだった。
 まだ、せつながこの家に来る前の話だ。

「あの時、私、まだ占いの館に来たばっかりでね」
「うん」
「あの建物、見た目は古いけれど意外にしっかりしてるの。けどやっぱり、あの嵐の時は、ひどく家がきしんでね」

 ギィ。ギィ。初めて体験する嵐のすさまじさに加えて、音を立てて震える家に、その頃はまだイースと名乗って
いたせつなは、慄いたものだった。
 なんだ、この世界は。この、嵐というものは。全てが吹き飛ばされてしまうのではないか。
 不安に胸を締め付けられながら、彼女は一人、館の自室から空を見上げていた。

「なんだかね、すごく、自然の大きさを感じたというか、自分がちっぽけに思えたというか」
「うんうん」

 自分の中に理由を探すせつなに、ラブは小さく笑いながら頷く。その瞳は今、慈愛に満ちたものになっていて。

「とにかく、なんだか自分がとっても無力な存在に思えて......」
「せつな」

 不安を隠すように喋り続ける彼女の体を、唐突にラブは抱きしめる。
 ギュッと。強く。
「ラ、ラブ?」
「大丈夫だよ」

 驚いて目を見開くせつなの背中を優しく撫でながら、その耳元でラブは囁く。

「アタシがいるって。せつなはもう、一人じゃない」


 あ、と小さく彼女は息を飲む。そして、

「もう、ラブったら」

 かなわない、と思う。自分の本当の気持ちを的確に見抜いて、一番の薬を与えてくれるのだから。
 台風は、嵐は、確かに怖いと思う。
 けれど今日、せつながラブの部屋を訪れた、本当の理由は。
 あの時、館の中で一人、怖がっていた自分を思い出したせい。

 ウエスターやサウラーには、頼ることなどとても出来なかった。だから、心細いのを必死に我慢した。夜は布団を
頭まで被り、じっと嵐が過ぎ去るのを待っていた。
 そんな風に、孤独だった頃を思い出して、せつなは耐え切れなくなったのだ。一人でいることが。
 嵐だけなら、一人で我慢出来る。けれど孤独は。

「怖いの怖いの、飛んでいけ」

 不意にラブが優しく口ずさみ、せつなの体を強く抱きしめた。
「なぁに、それ?」
「おまじないだよ。せつなを守ってくれる、ね」

 体を離し、互いの顔を間近に見つめながら、少女達はこそぐったそうに笑い合う。その声は、タルトやシフォンを
起こさない程度に小さく、だがとても晴れやかなもので。

「ね、ラブ」
「なに、せつな」
「――――もう一度、ギュッて、して?」

 頬を染め、照れ臭そうに目をそらしながら言うせつなの頭を、ラブはすぐに優しく、だが強く、胸に抱きしめる。
 感じるぬくもりに、安らぎを覚えながら、彼女は思う。
 私を守ってくれるのは、おまじないじゃない。貴方よ、ラブ。

 やがて時を置かずして、聞こえてくる健やかな寝息、一つ。

「もう、寝ちゃった?」

 小さな、小さな問いかけは、電気を消した部屋の暗闇の中に溶けていって。  そして寝息は、二つになった。



 翌朝。

「わぁ......」

 カーテンを開けたせつなは、一面の青空に思わず息を飲む。どこまでもどこまでも続く、青。

「ん......」

 差し込む光に、目をこすりながら体を起こしてくるラブに、せつなはとびきりの笑顔を向けて言った。

「おはよう、ラブ」
最終更新:2010年01月11日 20:00