「それじゃ、またね」
「ラブちゃん、せつなちゃん、バイバイ」
「うん、またね」
「バイバイ、美希、祈里」
帰途につく二人を、私はラブと一緒に玄関先で見送る。並んで帰る二人の背中が角を曲がって見えなくなる頃、
私はブルッと体を震わせた。
赤い、赤い夕焼け空。
秋が、深まり始めている。寒さも、少しずつ。
「せつな、大丈夫?」
「え? ええ、平気よ。少し、寒かっただけ。早く家に入りましょ。風邪ひいちゃうわ」
ラブの心配そうな声に、私は笑って家に入ろうと促す。
だが、彼女はとても真剣な目で私を真っ直ぐに見つめてきていて。
「そうじゃないよ、せつな」
一度、首を横に振って放たれたラブの台詞に、私は何も言えなくなる。
ラブは、不思議な子だ。普段は明るくて元気で、呑気な子だけれど、時にとても鋭い。今も、そう。私の
違和感に、気付いたのだろう。隠そうとしていたのに。
「――――とにかく、上がりましょ。本当に、風邪ひいちゃう」
続きは、私の部屋で。言外にそう匂わせると、ラブはゆっくりと頷いた。
秋に愁いて
『せつな/SETSUNA』と書かれたプレートのかかったドアを開けて、部屋に入る。
ベッドの上にせつなが腰を下ろすと、当然のようにラブはその隣に座ってくる。肩が触れんばかりの距離で、
横顔を見つめてくる彼女の視線を感じながら、せつなは膝の上で組んだ手を見つめた。
「それで? どうしたの?」 「ん・・・・・・」
言葉を濁し、こちらを見てこないせつなの姿に、ラブは憂いに眉を曇らせた。 時折、彼女がこうした表情を見せることに、ラブは気付いていた。
何かに耐えるように口をつぐみ、睫毛を震わせるその顔を見る度に、彼女は胸が苦しくなる。隠そうとして
いるから、気付いていない振りをしていたけれど。
せつながそんな顔を見せる原因を、ラブはうっすらとではあるが、勘付いていた。
きっと彼女は、イースだった頃のことを思い出している。思い出して、苦しんでいる。
生まれ変わったといっても、傷跡は消えない。心の傷であれば、なおさらに。
その回数は、時の経過とともに徐々に減ってきているとはいえ、未だ消え去ることが無い。ラブは思う。
悲しいけれど、こればかりはせつなの心の問題で、アタシには支えることしか出来ないんだ、と。
そして、今も。
せつなは言葉を探すように、じっと自分の手を見つめている。膝の上でギュッと握り締めた、自分の両の手を。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
沈黙。重く肩にのしかかるそれに、ラブはやがて自ら口を開いた。
「ノーザ、って人のこと?」
っ。
ビクッ、とせつなの肩が震えるのを見て、ラブはやっぱり、と心の中で頷く。せつながおかしくなったのは、
彼女が現れてからだ。もちろん、おかしくなったと言っても、美希や祈里の前ではいつも通りに振舞っていた。
けれど、ラブの眼は――――いつも一緒に、一番近くにいるラブの眼は、誤魔化せない。
「怖い・・・・・・の」
「え?」
せつなの呟きは、あまりに小さく、弱々しく。思わずラブは、聞き返してしまう。
「怖いの――――ノーザが」
今度は、はっきりと。せつなは、恐怖を口にする。言葉を失い、彼女を見つめるラブは、気付く。せつなの体が、
カタカタと微かに震えていることに。それは決して、寒さのせいではなく。
「私は、知ってる。ラビリンスの最高幹部、ノーザの力を」
カーテンの開いた窓の外を、せつなは見つめる。その目は、夕焼けの紅を受けて、常よりも赤く染まっている。
まるでかつての姿、イースの頃のように。
「けど、今日だって何とかなったじゃない。ソレワターセだって、倒すことが出来たし」
「あんなものじゃないのよ、ノーザの力は!!」
慰めるように言ったラブの言葉は、せつなの激しい拒絶に合って。息を飲む彼女、だがすぐにせつなは
我に返る。
「ごめん、大きい声、出しちゃったりして」
「ううん、大丈夫だよ」
ぎこちなく笑うラブの顔を目の端で捉えながら、せつなは胸の中に生れた重さを持て余すように、再び窓の外に
目を向ける。
その視線の先に見るのは、辿られた記憶。
せつなが、総統メビウスのしもべ・イースとして戦っていた頃。
ノーザの名前は、味方の間ですら恐怖と共に囁かれていた。彼女が歩いたその後には、命という命が根こそぎ奪われてしまっている、と。
一度だけ、イースもノーザの戦いぶりを目の当たりにしたことがある。
それは、蹂躙という言葉ですら優しく思える程の、圧倒的な力での制圧であった。
高笑いと共にFUKOを刈り取るその様は、いっそ異様とすら感じられて、味方であるにも関わらず、イースは
彼女のことを恐ろしく思ったものだった。
そのノーザと、今度は敵として向かい合わなければならない。 思うと、せつなの体は自然と震えてしまって。
「さっきも言ったけれど――――ノーザの力は、計り知れない。とても、強い」
だからこそ、淡々とせつなは事実を口にする。これから戦う相手のことを一番知っているのは、自分なのだから。
「今日、勝てたのだって、シフォンのお陰だし、そんな偶然が何度も続くとは思えない」
ギュッ、と手を強く握り合わせる。口にすればする程に、恐怖が体の隅々まで染み渡っていくよう。
「私達、このままじゃ・・・・・・」
負けてしまう。
最後の言葉を飲み込んだのは、耐えられなくなったから。不安に震える心は、すでに、萎縮しきって
しまっていて。
ノーザ。ラビリンスの最高幹部。総統メビウスに、もっとも近い人間。人のFUKOを蜜の味と言い、
幸せを壊すことを何よりも楽しむ女。
そんな彼女が敵として現れてしまった。私は――――勝てる気が、しない。
「せつなの部屋、さ」
不意に放たれたラブの声が、自らの内に向けられていたせつなの意識を引き戻す。そして、困惑させる。
部屋? 私の部屋が、どうしたの?
「だいぶ、せつなのものが増えたよね」
あの鉛筆とか、あの本とか。あ、あの服もそうだよね。一つ一つ、指差しながら、ラブは言う。
「それが、どうしたの?」
「最初は、アタシと一緒に買い物に行ってもさ。ほとんどアタシが選んで買ってあげたんだよね、せつなのものって」
この家に住むことになってすぐの頃のことだろう。確かに、この世界に必要なものを教えられながら、選んで
貰ったことを彼女は思い出す。
「うん、そうだけど・・・・・・?」
戸惑いながら頷くせつなの顔を見ながら、ラブは、でもね、と続ける。
「今は、違うでしょ? アタシと一緒にお店に行っても、せつなは自分で欲しいものを選んでる。鉛筆一本だって、
せつなが可愛いと思ったものを買ってる。そうでしょ?」
「え、ええ。けど、それがどうしたの?」
ノーザの話、だった筈だ。なのにどうして、ラブはこんなことを言っているのだろう。
「うん、だから、だんだん本当に、この部屋はせつなの部屋になっていってるんだなぁ、って思って」
「私の部屋?」
「そ。せつながこの家に来た時は、この部屋は空き部屋だった。けれど、せつながここで暮らすようになって、
段々とせつなの色に染まってきてるんだよ」
ホントの意味で、ね。そう続けて、ニコリとラブは笑う。
それを聞いて、せつなは思い出す。
この部屋を与えられた時、せつなは自分だけの部屋が出来たことが嬉しかった。私の部屋、私の机。
それが何だか、宝物のように思えた。 けれどそれはまだ、何色にも染まっていないまっさらなものだった。
改めて、せつなは自分の部屋を見渡す。
ラブの父親に作ってもらった机に並ぶ本は、彼女の教科書と、彼女が選んで買った本。
ベッドの脇に置かれたぬいぐるみは、祈里と一緒に行ったファンシーショップで可愛いと思って買ってきたもの。
ハンガーにかけられた服は、美希と行った服屋で買ったんだっけ。
そっか、と改めて気付く。
あの頃、まっさらだったこの部屋が今は、染められている。
東せつなという人間がここで暮らしていることで、私という色に染まってきているんだ。
「この街だって、そうだよ。皆、せつなのことを知ってる」
確かに、一人で街を歩いていても、よく声をかけられるようになった。ラブと一緒にいなくても、この街の
住人だと認めて貰えていることを、肌で感じることが出来る。
「皆ね、せつなのこと、大事に思ってるんだよ。それはね、せつなの色に、染まってきてるからじゃないかな」
「私の、色に?」
「そう。そう思うとさ――――とっても、大切なものに思えてこない?」
穏やかに、ラブは笑う。笑って、言う。
その言葉に、せつなは改めて部屋の中を見回す。私が選んだ、私だけのもの。私の机。私の部屋。
私の街。
「うん――――大切」
隣に座るラブに目を向けて、せつなは一つ、頷く。
「じゃあ、美希タンや、ブッキーのことは?」
「大切よ」
「タルトは?」
「大切――――アイスを勝手に食べなければ、ね」
「じゃあ――――シフォンは?」
ああ。せつなはようやく、納得する。 どうしてラブが、こんな風に言ってきたのか、それが判って。
「もちろん、大切よ」
はっきりと言い切る彼女を見て、ラブは目を細めて満面の笑みを浮かべる。そして、
「大切なものだったらさ――――守らなきゃだよね」
「ええ」
二人は顔を見合わせて、ゆっくりと頷き合う。
「ノーザは、確かに強いけどさ――――アタシ達、勝つ為に戦ってるわけじゃないよ」
せつなが忘れていたことを、ラブは思い出させるように言う。
「アタシ達が戦うのは、大切なものを守る為だよ。そう考えたらさ」
もっと強くなれる気がしない?
微笑むラブの顔は、窓の外から差し込む夕焼けに赤く染まって、とても綺麗で。
頷きながら、せつなも微笑む。
守る為。そう、大切なものを守りたい、その思いがあれば、ノーザなんて。
いつの間にか、体の震えが止まっていたことに、せつなは気付く。
ノーザの力は圧倒的で、計り知れないかもしれないけれど――――守る為になら、もっと強くなれる。
インフィニティを、ではなく。
シフォンを。
そして、この街を。この部屋を。この暮らしを。
守る。守るんだ。絶対に。せつなは、そう心に誓う。
「ありがと、ラブ」
「えへへ」
感謝の言葉を口にすると、ラブは照れ臭そうに笑いながら、頬をかき、そして勢い良く立ち上がった。
「さ、そろそろ晩御飯の準備だよ。せつな、手伝ってくれるよね?」
「ええ、もちろん」
そして部屋を出ようとしたラブが、不意に立ち止まり、振り返る。
「どうしたの、ラブ?」
「さっき、聞き忘れてたんだけど」
少し悪戯っぽく笑いながら、彼女は問いかけてくる。
「ね、せつな――――アタシのことは?」
判ってる癖に。とは、口にしなかった。
ただ、せつなは一度、クスッと声を上げて笑ってから答えたのだった。
「とっても、大切よ」
一番大切な、私の、親友。
最終更新:2010年01月12日 00:20