5-635

秋のとある晴れた日の午後。
それは、教室の窓際の席に座る人にとっては、睡魔との戦いの時間。
お弁当を食べてお腹も満足しているところに容赦なく暖かい日差しを浴びせられるという、
圧倒的に不利な状況の中を無事に生き残る事はとても難しいとされている。
それは、例え伝説の戦士であっても例外ではなく……。


「ふああ……あふ」
「あれ?せつな、どうしたの?」

歴史の授業の時間。
隣の席のせつなが、目に涙を滲ませつつ口元を押さえているのを見たラブが声をかける。

「うん……昨日借りて来た本が面白くて、つい夜ふかししちゃって」
「気をつけてよ、この授業の先生、厳しいことで有名だからちょっとしたことでも
 見つかったら廊下に立たされちゃうよ?」
「大丈夫……精一杯がんばって聞くわ」

最後に、ラブじゃないんだからね、と小声で付け加えて笑ってみせるせつな。
もう、ひどいなあとこちらも小声で返しつつ、
ひとまずは安心したラブは、とりあえず授業に集中することにした。





「さて……次のここは誰かに答えて貰おうか」

授業は進み、一通りの解説を終えた教師が、黒板に書いた設問の解答者を探し始める。
教壇の上のその目がゆっくりと教室中を巡っているのを注意深く見守る生徒達の表情は多種多様。
しっかり予習してきているので、平然と済ました顔でいる者もいれば、
自分の方に来ませんようにと心中で必死に願う者もいる。
そして、ラブの思いも後者のそれだった。

(う~、ここ全然勉強していないところだからわかんないよ~
 あたしのとこには来ませんように来ませんように……)

そんな彼女の願いが通じたのか、教師の視線はラブをそれて、ある一点で止まる。

「よし、じゃあ東……これ答えてみろ」

そして呼ばれる解答者の名前。

(……あーよかった、あたしじゃなくてせつなか、せつななら楽勝だよね)

それが自分で無かったことに安堵しつつ、ラブは指された隣の少女の方を見る。

(……って、えええっ!)

映りこんだ予想外の光景に目を見開くラブ。
そこには、右手にシャープペンシルを握り、左手は開いた教科書を押さえて、
一見授業に真面目に取り組んでいるように見えるようで……
実際は両目の上と下のまぶたが完全にくっついてしまっているせつなの姿があった。
しかもよく見ると、頭から上半身にかけて小刻みに、ゆっくりと前後に揺れてたりする。

(わ、せつな、寝ちゃってるよ……)

一瞬、真面目な彼女がこういう風になっているのを珍しい、と思ったが
すぐに今の状況を思い出して、その思考を頭から追い出す。
今現在、せつなは先生に指名されているのだ。

「ん?どうした、東?」

教師の促す声。
とっさにラブは、立ち上がって声を上げた。

「先生!あたしが答えます!」
「なんだ、桃園か……まあいい、答えてみろ」

教師は解答者が代わったことにはさほど関心を持たなかったようで、
先程までと同じように、新しい解答者に答えを促す。

「……あー、えーと……」

ラブは口ごもる。
この設問は、さっきまで解答が全くわからなくて自分の所に来ない事を願っていたものだ。
とっさにせつなを庇おうと声を上げたのはいいが、
彼女への想いだけで解答がピンと閃くほど世間は甘くはない。
ラブが沈黙したまま、時間だけが過ぎていく。

「桃園?早く答えなさい」

二度目の催促の声。
そしてラブは、覚悟を決めた。

「あ、えーとですね、その……わかりません」

その言葉が終わると同時に、教室にどっ!と笑い声が巻き起こる。
なんだよそれ、とかラブなにやってんの、といったクラスメイト達の声に応えるように
右手で頭を掻きながら、えへへへ、と照れ笑いをするラブ。
和やかな雰囲気が教室中に満たされる。

「桃園……」

そして、そんな雰囲気とは対象的な反応の歴史の教師。

「自分から名乗り出ておいて、答えがわからないとは……いい度胸だ」

声音こそ冷静を装っているようだが、
そのこめかみには青筋が一つ、二つと浮かんでいる。
怒っている、確実に。

「あの、先生、ごめんなさい……って謝っても……ダメ、ですよね?」

おずおずと声を掛けるラブ。
わざわざ聞くまでも無い、わかりきった返事が返ってくる。

「ダメだ、授業が終わるまで、廊下に立ってなさい」
「はーい……すみませんでした」

今度は素直に謝罪の言葉を口にすると、廊下に向かおうとするラブ。
すると、それと同時に教室にもう一つの動きがあった。

ゴンッ

何かと何かがぶつかる音。
ラブが何事かとその音の方を振り返ると、それは。

「せ、せつな……」

先ほどからずっと舟を漕いでいたせつなの頭が、
その振り幅に耐えられなくなって机に激突した音だった。

「いたたた……、あれ、ラブ?
 なんで教室出て行こうとしてるの?もう休み時間?」

打った額を押さえながら、ラブに声を掛けてくるせつな。
その言葉に、再び教室中からどっ!と笑い声が巻き起こる。
東さんでも居眠りするんだ、意外だなー、とかでもそういう所もいいよな、といった
クラスメイト達の声にも今一状況が理解出来ず、目をぱちくりさせるせつな。

「東……俺の授業で居眠りとは、お前もいい度胸だな」

そして再び、教室の雰囲気とは対象的な反応をする教師。
そのこめかみには青筋が更に追加されて、三つになっている。

「あ、先生?何かあったんですか?」

そこに尚も状況が判ってないせつなの言葉が向けられたことで、四つ目の青筋が追加され。

「お前も、授業が終わるまで、廊下に立ってろ!」

教師は今度こそ、感情を爆発させるのだった。





授業中の廊下。
教室と壁一枚を挟んだそこは、授業を淡々と進める教師の声も、
外で体育の授業をしているどこかのクラスの声も、
全て幻聴のように遥か遠くに聞こえるだけで、学校であることが嘘のように静まり返った場所。
そこにラブとせつなの二人は、並んで立っている。

「……そうだったの、ごめんなさい、ラブ、折角庇ってくれたのに」

これまでのいきさつを聞いたせつなが、ラブに謝る。
対するラブはとんでもない、と両手を目の前で振る。

「いや、あたし何もしてないから……先生の質問にも答えられてないしねー。
 ……だから、せつなが謝られるようなことなんてないんだよ」
「でも、元々寝ちゃってた私が悪いんだし……」
「それにね」

尚も謝ろうとするせつなを制して、ラブが言葉を続ける。

「せつな、この間あたしの代わりに数学の授業で答えてくれたでしょ?」

つい先日の話。
シフォンがインフィニティとして覚醒して、ラブ達の前から姿を消した時のこと。
心配で、授業に集中出来ないラブが教師に指されそうになったのを
せつなが代わりに解答に名乗り出てくれた時のことだ。

「あたし、今日はあの時のお返しが出来るかと思ったんだー。
 ……まあ、思っただけで、結果はこの有様なんだけど。
 結局せつなまで巻き込んじゃったし……タハー、なにやってんだか」

言葉と共に溜息を一つ、大げさに吐いてみせるラブ。
せつなはそんなラブに、首を振ってみせる。

「……ううん、その気持ちだけで嬉しいわ、ラブ」

そう言うと、隣に立つラブの肩に寄りかかってくるせつな。

「わっ!せつな、何?」
「ラブの気持ちが嬉しいから……今、すっごくこうしたい気分なの」
「え、でも、あたし達今は罰を受けてここにいるんだから、ちゃんと立ってないと」
「そうね、私達、先生に怒られて廊下に立たされてる悪い子なのよね。
 だから、こういう事しちゃうのは、仕方ないのよ」

上目使いにラブの顔を見上げて、ね、いいでしょ?という
同意を求める問いかけの視線を送ってくるせつな。
そんな、時々こんな子供っぽい仕草をみせる彼女を
ああもう、可愛いなあ、と思いながら。

「そっかあ、悪い子かあ……じゃあ仕方ないかな」

ラブはせつなの言葉に応えて、右手で寄りかかる彼女の肩を抱きとめる。

「そういうことよ、ラブ」

嬉しそうに、更にラブに身を摺り寄せるせつな。
薄暗い学校の廊下の中、ひときわ映える赤い二つの影が、そっと身を寄せ合った。





それから暫くして。
ラブは廊下の時計を見ていた。
その長針が、まもなく授業の終了時間に辿り着こうとしているのを見て、一つ溜息。

「ああ……もうすぐ先生出てきちゃうよ……どうしよ」

廊下に座り込んで困った顔をしているラブ。

「……すぅ……すぅ」

そしてラブの膝の上には、それを枕にして、熟睡しているせつなの姿があった。

「いやー、あたしの愛の力でもどうにもならないことって、あるよねえ」

一人呟くラブ。
あの後。
せつなはラブに寄りかかって楽な姿勢になると、元々寝不足だっただけに
あっという間に熟睡してしまったのだ。
意識がコントロールを手放せば、体も制御を失う。
いくらせつなが小柄で華奢だといっても、
脱力したその体を支えるにはラブの力ではちょっと足りなかった。
だからといって、せつなを床に寝かせるわけにもいかないし、
ここで起こすのも可哀想だと思って頭の中で協議した結果が、この状態である。

(本当……どうしたもんだか)

あの先生、こんなトコ見たらまた怒るだろうなあ、と途方にくれていると、

「ん……」

ラブの膝で眠っているせつなが寝返りを打つ。

「わっ……と」

それによって、彼女の頭が膝から落ちそうになるのを慌てて支えて、
もう一度、自分の膝の上に戻してあげるラブ。

「……ん……ラブぅ……大好きぃ……」

せつながまどろみの中で呟く。
それは、眠っているにも関わらず、絶妙なタイミングで放たれた言葉。

「わはーっ……」

その言葉に顔を赤らめるラブ。
照れながら、せつなの幸せそうに眠る顔を見つめる。

(まあ、いいかな……あと一回怒られるくらい。
 それまでこの顔を見ていられるなら……ね)

そう思いながら、ラブはせつなの頭をそっと撫でる。
それに反応したかのように、眠るせつなの顔に柔らかい微笑みが浮かぶ。

授業中の廊下。
教室と壁一枚を挟んだそこは、授業を淡々と進める教師の声も、
外で体育の授業をしているどこかのクラスの声も、
全て幻聴のようにはるか遠くに聞こえるだけで、
学校であることが嘘のように静まり返った場所。
ここは今、ラブとせつな、二人の少女達の、二人だけの世界。
そしてその中で、ラブはこう思っていた。
もしも、このまま、ずっと授業が終わらなかったら、そうすれば。

(……そうすれば、この二人の世界がずっと続いてくれるのにね)
最終更新:2009年11月11日 01:38