「それじゃ、行ってきます」
トントン、とつま先で地面を叩いて靴を履き、私は家を出る。背中の向こうから、おばさまのいってらっしゃいの声。
もう一度、私は言う。
行ってきます。
なんだかこそぐったい。でも、私の家は、ここなんだ。
リンクルンの時計を見る。デジタルの数字は、十時三十分を指し示していた。
待ち合わせの場所は、いつもと一緒。クローバータウンストリートの、天使像の前。
待ち合わせの時間は、十二時。まだ一時間半程もある。
今頃、ラブは起きてきた頃かしら。それとも、もうシャワーを浴びてる? でも一番、可能性が高いのは、まだベッド
の中ってところかな。昨日も夜更かし、してたみたいだし。
ついつい浮かんでくる笑みを、噛み殺しながら、私はクローバータウンストリートをゆっくりと歩いていったのだった。
待ちぼうけ
最初に私が入ったのは、本屋さん。一番初めに見に行くのは、新刊のコーナー。ざっと眺めてると、ブッキーに
薦められた小説の新刊が出てるのに気付く。『まりぃ様が見てる』という女子校を舞台にした小説で、生徒会長・
西園寺まりぃと、彼女の周囲の人間達の学生生活を描いたドタバタコメディものだ。
こう書くと、主人公は西園寺という人かと思われるかもしれないけれど、実際の主役はアンドロイドの少女・あ~る
ちゃんと、天衣無縫・最強を誇る鳥坂という先輩だったりする。ともかく、一読の価値はあると思う。ブッキーに教え
られた時は、本当に面白いのかしら、と疑問に思ったけれど、今ではすっかりとはまってしまっている。
平積みにされた本を一冊取り、今度は雑誌コーナーへ。
前に、美希から教えてもらったファッション誌を手に取る。パラパラとめくっていると、モデルの中に美希の姿が
あった。別のモデルさん、かしら。二人で一ページ、大きく載っている。けど、美希のことだから、いつか表紙に
載ったりするんじゃないかしら。そうなったら、私、三冊ぐらいは買っちゃうかも。
その本を持ったまま、最後に、参考書のコーナーに行く。
お目当ては、歴史の参考書。数学や理科なんかは、ラビリンスもこちらの世界も変わらないけれど、歴史は全然違う。
だからだろうか、この教科を、私は苦手としていた。
当然だ。そもそも私は、この世界の歴史に触れる機会なんて無かったのだから。
適当に何冊か選んで、パラパラとめくる。わかりやすく書いてあって、覚えやすそう。
そう思ったけれど、私はその本をまた棚に戻した。
実は、ラブは歴史は得意みたい。だから、他の教科は私が教えてあげることが多いけれど、歴史は私が教わってる。
得意そうに、
「いいくに作ろう、鎌倉幕府、だよ。せつな」
そう言って人差し指を立てる彼女は、とっても可愛らしい。ちょっと勉強に集中出来なくなっちゃうぐらいに。
私は、そうしてラブと過ごす時間が好き。だから――――歴史は、ずっと苦手科目のままでもいいかも。
レジで新刊と雑誌を買って、鞄の中に入れる。時計を見れば、十一時十五分。結構、ゆっくりし過ぎちゃったかしら。
ちょっと早いけれど、そろそろ行こうかしら。思って、私は店を出た。
ゆっくりと歩いてみたけれど、待ち合わせの十二時より三十分も前に着いてしまった。
お昼時前だからだろうか、辺りはとっても混んでいる。色んな人が、色んな理由で待ち合わせをしているんだろう。
友達だったり、家族だったり、恋人だったり。それぞれが、それぞれの理由で、待っている。私も、その中の一人。
実は、私、こうして待っているのは、嫌いじゃない。ううん、好きな方かも。
特に、こんな風にたくさんの人が集まって待っている所が。
だって、皆、待つ相手が来たのを見つけた時に、とっても幸せそうな顔をする。
その人の所に駆け寄っていく姿を見ていると、こっちも嬉しくなっちゃう。
もちろん、待たされ過ぎて怒る人だったり、待つのを諦めて帰ってしまう人もいたりする。そんな人を見ると、ちょっと
寂しくなるし、悲しくなる。
けれど、怒っている人が、相手に謝られて、許してあげたりだとか、帰ろうとした人がちょうど来た相手に呼び止め
られたりというのを見ると、凹んだ分、嬉しさも倍増する。
多分、私もきっと、あんな顔をしてる。待ち合わせの相手――――ラブが来たら、きっと。
一緒の家に住んでいるんだから、出かける時も一緒に出ればいい。そう美希とブッキーに不思議がられたことがある。
どうしてわざわざ、待ち合わせなんてするの、と。
私、笑いながら答えたわ。
「だって、その方が楽しいでしょ?」
って。
一応、名目上は、ラブと一緒に行ったらゆっくりしてられない本屋に、先に寄っておきたいから、となっている。でも、
本当は。
こうして待っているのが、楽しいから。
今日、ラブと一緒にやりたいことを、指折り数えてみる。
ボーリングに、カラオケに、プリクラに。
服屋さんを見て、小物屋さんを見て、アクセサリーショップを見て。
毎日一緒にいるのに、やりたいことはいっぱいある。
時間はいくらあっても、足りることが無い。
そんな風にワクワクしていると、十二時を過ぎる。
ラブは、まだ姿を見せない。
最初の五分は、軽くプンプン。もう、ラブったら、また遅れて。
次の五分は、ソワソワする。何かあったのかしら。早く連絡ちょうだいよ。
その次の五分は、怖くなる。
ラブ、何かあったのかしら。事故にでも? もしかして、急病で動けなくなった?
そして、その後は、悲しくなる。
ラブ。もしかして、私のこと、嫌いになった? だから、連絡もくれなくて、ただ待たされるだけなの? やっぱり、私が
イースだったから? ラブのこと、騙してたから?
一人だから。余計なことまで、考えてしまう。
どんよりと、沈み込んでいく。
この世界と私を繋いでいるのは、ラブ、貴方よ。
貴方に嫌われたら、私――――
とってもとっても悲しくなって、泣きそうになった瞬間。
「お待たせー、せつなっ!!」
ラブが、通りの向こうの方から、全速力で駆けて来る。本当に、計ったかのようにベストなタイミングで、私に駆け寄っ
てくる。
それだけで、涙は消えてしまう。ラブに向けて、とびっきりの笑顔になってしまう。
ホント、私って――――現金!!
「ごめん、せつな。ちょっと、寝坊しちゃって」
「ラブ、遅いっ。私、三十分も待ったんだから」
ここに来たのは一時間前だけれど。
まぁ、待ち合わせは十二時からだから、その前は私が物好きにも待ってただけ。ラブに言う必要は無いかな。
「んー、ごめんってば」
「もう、しょうがないわね。カオルちゃんのドーナツ、二個で許してあげるわ」
「ありがとー」
本当に反省しているかどうか、わかったものじゃない。だっていつも、ラブは遅れてくるんですもの。
けど、それも悪くない。
すごく悲しくなった分、今がとっても幸せ。多分、普通に待ち合わせるより、四倍ぐらい嬉しいんじゃないかしら。
「えへへ」
「どうしたのよ、ラブ、急に笑って」
「んー? なんかね。こうして外で待ち合わせるのも、いいもんだよね。何だか、すっごく新鮮な気分!!」
ラブの言葉を聞いて、私は穏やかに微笑む。
うん。そうね。こうして待ち合わせをするのも、たまにはいいものよね。
一緒に暮らしているとはいえ、ううん、一緒に暮らしているからこそ、たまにはこうして、待ち合わせをしてみるのも
いい。
もちろん、いつも一緒がいいけれど、ちょっとだけなら、離れるのも悪くない。
ラブと過ごす時間が、どれだけ幸せなことなのかが、わかるから。
「じゃあ、行こう、せつな。今日は、何しよっか?」
そう言って、嬉しそうに笑うラブの顔を、見れるから。
最終更新:2009年11月11日 21:50