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 ハンバーグ、オムライス、カレー。
 ラブの作るものは、どれも大好き。

 でもラブはニンジンが苦手らしい。ハンバーグの付け合せはいつもポテトかほうれん草。
オムライスはグリーンピースしか入れないし、カレーは形が無くなるぐらいまで煮込んで
しまう。

「そうだね。好き嫌いは良くない」

 ある日、お父さんにそのことを話すと、お父さんはそう言ってうーん、と腕を
組んで考え込んでしまった。
 ちなみに私は嫌いなものがない。お母さんやお父さん、それにラブが作ってく
れるものはどれも美味しい。ラビリンスでの食事では感じなかった感動を与えてくれる。
 だから、ラブがニンジンが嫌いなのがわからない。
 ニンジン、美味しいのに。どして?

「そうだ。それじゃあ、今度の日曜日......」

 そんなことを考えていると、お父さんが何かを思いついたらしい。話を聞いて
みて、私に出来るか不安になったけれど、

「ま、僕に任せておきなよ」

 お父さんが胸をドン、と叩いて自信満々に言うので、やってみることにする。
 ちなみにお父さん、カッコつけたのはいいけれど、すぐにゴホゴホと咳き込ん
でしまった。力いっぱい叩きすぎてしまったらしい。私が思わず笑ってしまうと、
お父さんもナハハ、と一緒に笑い始める。
 本当に、お父さんは、いい人だ。


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 日曜日。

「今日の料理、お父さんとせつなが作るんだって?」
「ええ。さっき一緒に買い物に行って、もう作り始めてるところよ」

 遊びから帰ってきたラブが、鞄を下ろしながらお母さんに聞いている。私はそれを
横目で見ながら、慎重に包丁を扱う。ラブやお母さんみたいに、コンコンコンとリズ
ム良くは出来ない。コン、コンとゆっくりと切らないと、指を切ってしまいそう。コ
ツを掴むには時間がかかりそうだ。
 エプロンは、お母さんに買ってもらった。お腹にうさぎのアップリケが付いて
いるのが、ひそかなお気に入り。今日、初めて使うのだけど、あんまり汚したくない
と言ったら、お父さんに笑われた。確かに汚れてもいいようにするのがエプロンなん
だけど......ね?

「せつなー、何、作ってるの?」
「それは後のお楽しみ。先にシャワーでも浴びてきたら? 汗、かいたでしょ」
「はーい。やー、せつなのご飯、すっごく楽しみ♪」


 言いながらお風呂場へ向かったラブだったけれど、しばらくして、

「つめたぁぁぁぁい!!」

 悲鳴が聞こえてきた。ビックリして、危うく包丁を落としそうになってしまう。
その後すぐに、トテトテと裸足の足音がして、

「お母さーん、シャワー、熱くならないんだけど」

 バスタオルを体に巻きつけたラブが、リビングのドアを開けて飛び込んできた。
 あらあら、と立ち上がったお母さんと一緒にラブが見に行って、しばし。私が
料理の最後の仕上げをしていると、困ったような顔でお母さんが戻ってきた。

「お父さん、給湯器が壊れちゃったみたいなんだけど」
「ホントかい? そりゃ参ったな」

 頭をかくお父さん。ラブはといえば、冷たいシャワーを浴びてしまったのか、
頭から水滴をしたたらせていて。ちょっと強めの冷房が寒いのか、足踏みをしな
がら体を震わせている。そんなに冷たかったのかしら。

「明日、修理に来てもらうとして、今日はどうしようかしら」
「うーん......そういえば、近くに銭湯が出来たって、この前、言ってな
かったっけ?」
「ああ、そういえば」

 その話は私も聞いた。なんでも最新の設備を整えた、スーパー銭湯とかいうも
のらしい。何がスーパーかはわからないけれど。

「アタシも知ってる!! 確か、ジャグジーとか、バラの湯とかがあるんだよね!!」

 さっきまでの凹みはどこへやら。ラブは目を輝かせてそう言った。バラの湯、
がどんなものか想像出来なかったけれど、ラブが楽しそうだから、きっと楽しい
ものなのだろう。

「マッサージ機もいっぱい揃ってるって話だったよね、確か」
「ええ、それに美容にいい温泉もあるって蒼乃さんのところで聞いたわ」
「じゃあ、決まりだね。今日はご飯を食べたら、そこに行ってお風呂に入ろうか」
「やったーっ!!」

 ビシッ、と腕を上げるラブ。ああ、そんなに動いたら。

「って、お?」

 案の定、体に巻いていたバスタオルがパサリ、と床に落ちる。慌てて胸を隠し
ながら屈みこみ、バスタオルを拾うラブ。

「はしゃぎ過ぎよ、ラブ。銭湯ではそんな恥ずかしい真似、しないでね」

 言いながら苦笑するお母さんとお父さん。呆れ混じりに見ていると、ラブと目
が合って。

「ニハハ」

 照れ臭そうに笑うラブに、やっぱり私も苦笑してしまったのだった。


「せつなー、まだー?」
「もう出来たわ。持っていくわね」

 髪を拭いて着替えたラブが、食卓で催促してくるのに、私はそう答えた。ちら
り、と見上げるお父さんの顔。うん、と頷かれて、私も頷き返す。この作戦がう
まくいくかは、私次第なのだ。

「お待たせ、ラブ、お母さん」
「わーい、待ってましたっ!! せつなの初めての手料理だー」

 喜ぶラブの前に、私は皿を置く。

「うわー、美味しそ......う!?」

 ギリギリ、と硬い動きでこちらを見るラブ。

「ね、せつな? 何だかすっごく、オレンジ色なんだけど......?」
「そう? 気のせいじゃない?」

 私がラブの前に置いたのは、お父さんと一緒に作った肉じゃが。ニンジン多目の。
特にラブのお皿にはたっぷりニンジンが入ってる。確かに見た目は、すごくオレ
ンジだ。

「ニ、ニンジン......」
「ラブ? まさか、せつなちゃんがせっかく作ってくれたものを食べない、なん
て言わないわよね?」

 打ち合わせをしていたわけでもないのに、お母さんはちょっと意地悪く笑いな
がらそう言う。私は、悲しそうな顔を作って、

「ラブ......私の肉じゃが、食べてくれないの?」
「う......」

 ラブは、私と肉じゃが、両方を交互に見て、やがて観念したのか、

「いやー。美味しそうだなぁ、せつなの肉じゃが。すっごく美味しそうっ!!」

 わざとらしくそう言った。半分、やけ気味だったけれど。
 私はこっそりと胸を撫で下ろす。これで作戦の第一段階は完了だ。
 そう。第一段階。
 この後にまだ、第二段階が残っている。


「ちゃーんと、残さず食べないとねー。せつなちゃんが作ってくれたご飯。せつ
なちゃんは、ラブが作ったもの、全部食べてるもんねー?」

ニコニコとするお母さんの前に、お父さんがはい、と二品目の器を置いた。

「それじゃお母さんも、これをちゃーんと食べないとね」
「う......」

 今度はお母さんが、顔を強張らせる。私が作った二品目は、ゆがいたほうれん草。

「お母さん、まさか残すなんて言わないよねー? せつなが愛情込めて作った、
初めての手料理を?」

 ここぞとばかりに言い募るラブ。散々言われた仕返しのつもりなのだろうか。
 お母さんは無理矢理な笑顔を作って、

「も、もっちろん、全部食べるわよ。ホント美味しそうー。手が込んでるわー」

 ――――お湯に通して、鰹節を乗せるぐらいしかしてないんだけれど。
 でも、作戦、第二段階も成功みたい。

「さぁさぁ、皆で食べようか。せつなちゃんの手料理、美味しそうだねぇ」
『ム』

 朗らかなお父さんの笑顔に、ラブとお母さんが視線を交し合う。多分、気付い
たのだろう。今回の作戦の立案者が誰なのか、ということに。

「さぁて、晩酌、晩酌と」

 楽しそうに缶ビールの蓋を開けようとするお父さんだったが、

「あらぁ、お父さん? せっかくせつなちゃんが料理を作ってくれたって言うの
に、ビールなんか飲む気なのかしら?」
「そうだよー、お父さん。酔っ払ったら、せつなの料理の味がわからなくなっち
ゃうじゃなーい」

 お母さんが缶を取り上げ、ラブがお父さんのコップを奪う。
 二人とも笑顔だけれど、ちょっと意地悪な笑顔だ。

「ええー。そんなぁー」

 情けない顔と声で抗議するお父さん。だけどお母さんもラブも、返す気は無い
らしい。

「クスクスクス」

 皆の会話と態度に、私はこらえきれず声を出して笑ってしまう。一瞬、私の方
を見た皆も、やがて、

『アハハハハ』

 揃って笑い出す。食卓は、とても明るい笑い声に包まれて。

「それじゃ、改めて、いっただっきまーす!!」
『いただきます』

 その日の夕御飯は、いつもよりたくさん笑って、会話も弾んだ。
 みんなでおうちで夕御飯。楽しい。幸せ。
 私、本当に、この家に来れて、良かった。
 ありがとう。ラブ。お父さん。お母さん。
最終更新:2010年01月11日 21:51