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6-871

『それでね、今日は一晩、飲み明かしちゃおうかなーって』
「はいはい。わかったわ、ママ。あんまり飲みすぎないようにね――――うん、ちゃんと戸締りもしっかりしとくから、心配
しないで――――それじゃ、おやすみなさい」

 そう言って、美希は電話を切る。そして、ベッドの上に座っていたせつなを見て、

「久しぶりに会った友達と飲んでるから、ママ、今日は帰らないんだって」
「・・・・・・そう」

 頷いて、軽く目を伏せるせつなに、彼女は言う。

「帰ってもいいのよ? 別に、あたしは――――」
「ううん、平気」

 ゆっくりと頭を振って、せつなは立ち上がった。

「シャワー、借りるわね」
「ええ、どうぞ――――着替え、持っていくから」

 ありがとう。美希の方を見ようとしないまま、彼女は部屋を出て行く。パタン、と音を立てて閉まるドア。せつながいなく
なった途端、急に部屋が寒くなったような気がして、美希はわずかに体を震わせる。それは多分に、ほんの数分前まで、
彼女を抱きしめていたせいだろうけれど。

 平気、か。

 せつなの台詞を思い出して、美希は小さく唇を噛む。

 平気って、何が?

 彼女の台詞に、そう聞き返せなかった自分。その弱さに、彼女は苦悩する。
 シトシトシト
 聞こえてくる音に、カーテンをそっと開ければ、いつからだろう、雨が降り出していて。
 シトシトシト
 小さな雨音が、やけに大きく聞こえるのは、この部屋の静寂のせいだろうか。自分しか、いない、この部屋。

「せつな」

 窓の側で、呟いてみる。ガラスが曇って、外の景色が白く濁る。一つ、溜息。また白くなる、風景。
 やっぱり、寒い、な。ああ、せつなの着替え、浴室に持っていってあげないと。
 思いながらも、美希は、動けぬまま。
 そっと外を眺め続ける。
 雨に煙る、街並みを、眺め続ける。




       Eas of Evanescence X







 せつなと交代で、シャワーを浴びる。いつもは快適なこの時間が、今は例えようも無く苦しい。
 肌を流れる雫。ぬくもりが、けれど、感じられない。心が冷たくなってしまっているからだろうか。
 それでも、永遠にそうしているわけにもいかず。美希はノズルを回し、シャワーを止めた。
 脱衣所で、体を拭こうとして、ふと、鏡に気付く。完璧なスタイルを保つために置いた、姿見に映るのは、いつものように
完璧な自分の体。
 真っ白の肌は、ほのかに赤みを帯びている。プルンと張って、ツンと上がった胸。くびれのはっきりとわかる腰。スラリ
と細く長い足。努力に努力を重ねて、築き上げた自慢の体だ。
 けれど、それはもう一つの意味を持っている。

 イースに――――せつなに、抱かれた体と云う意味。

 この体に、たった一箇所以外、彼女に触れられていないところはない。それほどまでに、激しく求められた。思い出す
だけで、頬が赤くなる。胸が、せつなくなる。
 声を出さずにいることは、本当に辛かった。愛に気付いてからは、なおさらに。それでも、耐え切ったのは、愛する故か。

 その彼女の言葉。

「美希のことも、好きなの」

 思い出しながら、美希はそっと胸に手を当てる。硬くなった蕾の向こう、体の奥で、激しく脈打つ鼓動。歓喜に、震えて
いるのだ、心臓が。


 パジャマを着て部屋に戻ると、すでに電気は消えていた。廊下から差し込む光で、美希はせつなを探す。が、すぐに
気付く。ベッドの布団が、膨らんでいる。誰かがその中に、いる。
 廊下の電気を消して、薄暗闇の中を、そっとベッドに近付く。
 かけ布団をそっと上げて、ゆっくりと潜り込むと、暖かなぬくもりがあって。

 シトシトシトシト
 雨の音が響く。ただ、その音だけが、響いている。


「――――せつな」

 小さく、美希は呼びかける。
 横になっていた彼女が、こちらを見て。

「――――美希」

 そう呼び返してくる。




 それが、きっかけだった。





 抱きしめる。抱きしめる。
 狂おしい程の想いを込めて、彼女の体を抱きしめる。
 絞るように、強く、強く。
 一つにならんとせんばかりに、激しく強く。
 きっと、せつなは痛いと感じている。その自覚が、美希にはある。けれど、彼女は何も言わない。ただされるがままに
なっている。美希の背中に手を回し、自らも体を近付けようとする。
 それが嬉しくて。

 それが、悲しくて。

「せつな」
「美希」

 ようやく彼女の体を解放した美希は、自分の下になったせつなの顔を見ながら、そっと呼びかける。やはり苦しかった
のだろう、少しだけ息を荒げていた彼女は、それでもしっかりと応える。
 ぶつかる視線。美希は、せつなの手に、自分の手を重ねて。強く握り締める。
 まるで、逃げられないようにしているかのように。
 そんな彼女の行為を、せつなはとがめようとはしなかった。黙って、同じように、握り締める。
 まるで、逃げないよ、と言うかのように。

 そのまま、見つめ合う、二人。美希の長い髪が、せつなの頬をくすぐる。サラサラと。

 やがて近付く、少女達の距離。
 美希は、せつなに――――イースに触れさせていなかった、たった一箇所で、彼女に触れる。

 唇を、唇に。

 最初は、ついばむように、ただ重ね合わせて。
 やがて、美希の舌がせつなの唇に触れる。彼女の前歯を、ノックする。
 そして絡み合う、二人の舌。まるで生き物のように、激しく互いを求め合う。

 淫らな音が、部屋に響く。夢中になって、美希はせつなを味わう。
 どれだけしても、足りないと感じてしまう。もっと、もっとと思う。
 けれども――――

 ゆっくりと、彼女は顔を離す。闇に慣れた目で見れば、せつなの顔は赤く染まっているのがわかる。多分それは、自分
もだろう。

「ファーストキスよ」
「え?」
「あたしの、初めてのキス――――せつなに、あげたから」

 美希のことを何度も犯しながら、イースは、彼女にキスをしたことはなかった。だから、体の全てを触れられ、嬲られた
けれど、唇だけは純潔を守っていたのだ。
 その純潔も、今、失われたけれど。



「美希――――」

 困ったように、目をそらすせつなに、美希は小さく笑う。

「わかってる。せつなは、違うんでしょ?」

 無言は、肯定。多分、彼女のファーストキスは、ラブに捧げたのだろう。

「いいのよ。気にしないで」

 もう一度、唇に軽くキスをして、すぐに離れる。

「けど、覚えておいて。あたしのファーストキスの相手は、あなただっていうことを」
「美希――――」

 何故か泣きそうな顔をするせつなに、美希は小さく笑って。
 彼女のパジャマのボタンに、手をかける。
 一つ、二つとゆっくりと外していく。
 せつなは、何も言わない。
 雨の音に混じるのは、彼女の呼吸。
 全てのボタンを外して、そっと前を広げる。
 横になっていても形の崩れない胸に、美希は手を当てる。
 ひんやりとした空気の中で、せつなの体は火傷しそうな程に熱くて。

「美希」

 彼女の唇から零れる、自分の名前。
 美希は、目を閉じて微笑む。声を出さずに、小さく微笑む。彼女の胸に置いた手は、動かない。触れたまま、ただ、
そのぬくもりを感じるだけ。

「美希」

 もう一度、呼ばれる。
 その声音の中に、覚悟を感じて。
 美希はまた、微笑む。
 そして、そっと彼女の胸に顔を埋めた。

「――――美希?」

 何もしようとしない彼女に、またせつなは名前を呼ぶ。今度は、問いかけるように。
 それに、美希は、顔を埋めたまま応える。

「ありがと、せつな――――ラブに話すの、辛かったでしょ?」

 体から伝わってくる、動揺。彼女が息を呑むのが、わかった。





 泊まってくると言ってある。そう、彼女は言った。
 けれど、それだけじゃないと、美希にはわかった。

 せつなはきっと、ラブに話した。
 自分や祈里とのことを、全て話した。
 だからこそ、せつなは、ここにいる。
 あたしの部屋で、あたしに抱かれている。肌を、重ねている。

 多分それは、せつなの優しさ。あるいは贖罪。
 あたしにしたひどいこと、その埋め合わせをする為に、彼女はここにいる。

 そして。

 それを、ラブは知っているだろう。
 知っていて、送り出したのだろう。

 それが、ラブの優しさ。

 きっと今頃、ラブは耐えている。
 自分の隣に、せつながいないことの苦しさに、耐えている。
 そのせつなが、あたしという幼馴染に抱かれていることの苦しさに、耐えている。
 耐えながら、苦しんでいる。
 泣いている、かもしれない。

 せつなはそれを、知っている。
 知っていて、ここにいる。
 多分それは、全てを精算する為に。
 もう一度、最初から、始める為に。
 ラブとの、関係を。
 愛を。
 もう一度、最初から。


 我侭よね、せつなって。
 心の中で、美希は呟く。
 これが贖罪になると思っているのだとすれば、これが優しさだと思っているのだとすれば、見当違いも甚だしい。
 あたしは、同情なんかされたくない。
 あたしは、こんなことを望まない。
 あたしは、あたしは――――

 けれど。
 蒼乃美希という少女は、完璧で。
 完璧すぎて。
 目の前の少女の心も、幼馴染の少女の心もわかってしまって。
 彼女達が、これを優しさだと言うつもりが無いことも。
 彼女達が、苦しんで出した結論がこれだということも。
 理解、出来てしまって。

 だから。
 怒れない。
 ただ悲しいだけ。




 我侭にも、自分勝手にも、なれなかった。
 だからといって、全てを悟ったかのように、自分の欲望を抑えることも出来なかった。

 結果として、半端なまま。
 最後まで達して、親友を傷付けることも。
 逆に、全く触れずに、我慢することも。
 彼女は、出来なかった。

 満たされずに傷付くのは、美希自身なのに。

 キスは、素敵だった。とろけそうになった。
 せつなの体は、とても暖かくて、柔らかくて、もっともっと触れていたいと思った。自分の素肌を、重ね合わせたいと
思った。

 けれども、もう、おしまい。
 これ以上は、出来ない。
 ううん。耐えられない。
 あたしが。

「――――っ」

 ギュッ、とせつなのパジャマを握る。顔を、せつなの胸に押し当てる。
 それでもボロボロと瞳から涙が零れる。
 噛んだ唇から、嗚咽が漏れる。

「美希・・・・・・」
「――――ッ――――ック――――クッ、ヒック――――」

 止まらない。止められない。
 ただ、激しく。胸の奥から、形にならない想いがこみあげてきて。

「――――ッック、アアァァァァン――――」

 とうとう、抑えきれずに、大声を上げてしまう。
 まるで赤ん坊のように、せつなの胸にすがりついて、大粒の涙を流しながら、叫ぶように、泣く。

「ウァァァァァ――――アァァァァッ――――アァァァァッン」

 ただ、泣き続ける。

「ウァァァァァン――――ック――――アァァァァァ」

 ただ、ただ、泣き続ける。

「アァァァァァ、ウァ、ウァ、ウァァァァンッ」

 泣き続ける。せつなの胸は、美希の零した涙でビショ濡れになっている。

「美希――――」

 せつなの声は、微かに震えている。けれど、せつなは唇を噛む。
 泣くな、私。ここで泣くのは――――許されない。

「アァァァァァッ」
「美希――――」

 泣きじゃくる彼女の頭に手を置いて、せつなは。
 自分の胸に引き寄せながら、そっと撫でる。
 それが――――それだけが、彼女の為に出来ることだったから。



 やがて、泣き疲れたのだろう。
 美希は、寝息を立て始める。
 それを聞いても、なお、せつなは美希の頭を撫で続ける。
 逆の手で、彼女の手を強く、握り締めながら。










 チュン チュン
 鳥のさえずりが聞こえて、美希は目を覚ました。
 だが、すぐには起き上がらない。聞こえてくるのは、衣擦れの音。
 隣にあった筈の、ぬくもりがもう、ない。繋いでいた手も、今は外されて。

 行ってしまうんだ。

 思うと、胸が苦しい。けれど、それをねじ伏せる。
 これでいいんだ。これで。

「美希」

 着替えが終わったのだろう。彼女が、こちらを向く気配。
 そして、遠慮がちに、小さな声で囁く。

「私、もう、行くわ」

 ええ。ありがとう。昨日は、一緒にいてくれて。

「本当に、ごめんなさい――――それから、ありがとう。私の我侭を、受け入れてくれて」

 いいのよ。その我侭も含めて、好きになっちゃったんだから。
 惚れた弱み、っていうのかしら。

「我侭ついでに言うけれど――――もしも、許してもらえるなら」

 許すも何もないわ。あなたはいつだって、あたしの大好きな人だから。
 たとえあなたが、あたしを一番に想っていなくても。

「これからも、仲良くして欲しいの――――都合のいい、お願いだけれど」

 本当にね。
 けれど、いいわ。都合のいい女になってあげる。
 だってあたし、あなたと一緒にいたいもの。せつなと一緒に、生きていたいもの。

 一生忘れないから。
 好きって言ってくれたこと。
 絶対に――――絶対に、忘れない。
 この気持ちは、もう、表に出さないけれど、一生、忘れない。

「それじゃ、行くわね――――さよなら」

 ええ。また、会いましょう。
 その時は、大切な親友として。
 大事な、仲間として。
 また会いましょう。



 せつなの言葉に、美希は起き上がることも、声を返すこともしなかった。
 ただ、心の中で返しただけ。


 横になり、目を閉じたままの美希に、せつなは背を向けて。
 やがて、パタン。
 扉が閉まる。

 それで、おしまい。
 せつなは出て行った。

 残された美希の、きつく閉じられた目から、一筋。
 涙が流れて、それで美希の恋は、愛は。
 おしまい、だった。


 それでいいと、美希は思う。
 これが、ハッピーエンドなんだ、と。


 だから少しだけ、もう少しだけ、彼女は泣く。
 これは嬉し泣きなのと、自分に言い聞かせながら。
 涙を流したのだった。




――――epilogue――――



「おかえり、せつな」
「――――ラブ」

 家に辿り着いたせつなを、門の前で迎えたのは、ラブだった。
 まだ早朝と言える時間。今日は休みだとは言え、こんな時間に起きているとは思わなかった。
 いや――――彼女の眼の下には、わずかに隈が出来ている。
 眠れなかった、のだろう。そして、ここで待っていたのだろう。せつなが、帰ってくるのを。

「ラブ・・・・・・」
「なんか冷えるね。昨日の夜の雨のせいかな。ほら、せつな、早く入らないと、風邪ひいちゃうよ」

 微笑みながら、せつなを迎え入れようとするラブの姿に、彼女は何も言えずに俯く。
 私は――――こんなにも、たくさんの人を傷付けて――――そのくせ、エゴを押し通そうとして、一人、幸せになろうと
して――――

 そんな彼女の表情の変化に、気付いたのだろう。
 不意に、ラブはせつなの手を掴む。

「せつな」
「――――ラブ」

 驚く彼女に、ラブは、微笑む。

「せつな――――笑って? ううん、笑おう。一緒に、笑お?」

 あ、とせつなは、息を呑む。
 ラブの微笑みは、いつもと違う。どこか無理を感じさせるもの。
 それはきっと、辛いから。心が痛いから。
 誰かのことを、彼女は思っている。思って、心を痛めている。
 けれど、それでも彼女は笑う。

 せつなという少女を、その苦しみを、全て受け止める為に。
 笑う。

「・・・・・・ラブ」

 名を、呼んで。
 せつなは、笑った。
 笑うことが、正しいことだと。
 それが、傷付けた全ての人に対する、贖罪になるのだと、そう思いながら。

 彼女は、目をうるませたまま、笑った。



「せつな。おかえりなさい。アタシ達の家に」
「――――ただいま。ラブ」
最終更新:2010年03月07日 16:13