7-177

夜も更けた、桃園家。
自分の部屋のベッドの中で、せつなはゆっくりと目を開けた。

「……んん」

まぶたを半分だけ開けた状態で、ゆっくりと身を起こすと、
まだまどろみの中にいるような、緩慢な動作で右、左と振り向き周囲を窺う。

「……」

そして、目当てのものが机の上にあることに気が付くと、
もぞもぞとベッドから這い出したのだった。



「……?」

ラブは、違和感に気づいて目を覚ました。
後ろから何かにしがみ付かれているような感覚。

(もしかして……)

それが、ほんのりとした温かみを持っていることを感じ取り、その正体を察知。
横向きにしていた体をゆっくりと180度回して、その「何か」の方に向き直る。

「……あ、やっぱり」

ラブの予想通り、そこにいたのは赤いパジャマ姿のせつなだった。
そしてその傍らには、彼女の持ち物である赤いリンクルンが
アカルンが刺さった状態で置かれている。
音を立てて起こさないように、というせつななりの配慮なのか、
わざわざ隣の部屋からテレポートして来たようだ。
しかも、ベッドの布団の中、それもラブが寝ている位置の真横に
直接テレポートするというかなり精度の高い瞬間移動をこなしている。

「……全く、この娘は」

一緒に寝たいならそう言えばいいのに、そう思い、ラブはやれやれと溜息。

(そんな素直じゃないところも可愛いんだけどね……っと)

そして、自らの手を広げると、せつなの体を包み込むように抱きしめる。
あたしだってせつなが来てくれて嬉しいんだぞ、という気持ちを込めて。





「……」

せつなの目が再び開かれる。
今度も半分だけ開かれたまぶたの中で、やや焦点の合わない目が
自分の状況を確認しようとする。

「……!」

目に映りこんだ映像が頭の中で形となり、せつなに伝える。
今、目の前にいるのは、彼女にとってとても愛しい人であるということ。
そして、体に伝わる感覚が、その人に抱きしめられているということを伝えてくる。
それを理解したせつなの顔に浮かぶのは、至福の笑み。

「……んぅ~」

目の前にある愛しい人の頬に自らの頬を擦りよせる。
そうすれば、心の中の嬉しい気持ち、相手を愛おしく思う気持ちを
相手に伝える事が出来るのではないか、まるでそう思っているかのように。
何度も何度も繰り返す。

「……ん」

やがて、その行為に満足したのか、相手に頬を擦り付けたまま、再び眠りに付こうとする。

「……?」

しかし、せつなは何かに気づいたかのように、ふと動きを止める。
その心によぎるのは、何かが足りない、という違和感。

「……!」

しばし思いを巡らせ、それが何なのかに気が付いた彼女は、
先程から傍らに置かれたままの「それ」にゆっくりと手を伸ばすのだった。

暫くして、部屋の中に赤い光が一回、二回と満ちては消える。
その光がもたらしたのは、せつなが望んだもの。

「……ん」

周囲を見渡し、満足気に頷くと、今度こそ眠りにつくのだった。





「……で、これは一体どういうこと?」

自分のベッドの上の状況が理解出来ず、困惑するラブ。
朝になって、目を覚ました彼女が見たものは、
両脇で眠っているパジャマ姿の美希と祈里だった。
その光景に軽く思考停止しかけたラブだったが、
自分の体の上にのしかかっているものの存在に気づいて、状況を理解する。

「多分……ていうかこの娘の仕業だよね、やっぱり」

いつの間にかうつ伏せになっていたラブの胸元。
そこには、それを枕変わりにしているせつながいた。

「……すぅ……すぅ」

彼女は、ラブの胸に顔をうずめ、体を重ね合わせるようにして眠っている。
その右手は隣の美希の、また左手は反対側の祈里の腕に絡められている。
大切な人、かけがえの無い仲間達に囲まれているせつなの顔に浮かぶのは
何かをやり遂げたかのような満足気な笑み。

(……もしかして、またパジャマパーティーがやりたっかった、とか?)

先日、久しぶりに桃園家で行われたパジャマパーティーのことを思い出すラブ。
初参加だったせつなが、やることの一つ一つに目を輝かせて喜び、
終始楽しそうにしていた事は良く覚えている。
またみんなと一緒にやりたい、とせつなが思ったとしても不思議は無い。

(だとしてもこれはちょっとやりすぎでしょ!まったく……)

これは流石に後で言い聞かせておかないと、とラブは思う。
同時に、早めに次のパジャマパーティーをやってあげよう、とも。
そうすれば、こういう困った事態を引き起こすことも無くなるだろうから。

「さて……まずはこの状態をなんとかしないとね。
 で、まずは誰から起こしたらいいんだか……」

とりあえずは後の事より目の前の事態の収拾。
それを思い、一人頭を抱えるラブだった。





「なるほど、状況はわかったわ。だけど……」
「……それって、せつなちゃんを起こすしかないんじゃないの?」

結局、美希と祈里を起こす事にしたラブ。
巻き込まれた者同士で話をした方が早そうだから、と判断したからだ。

「いやあ……それはわかってるんだけどさあ……だけど……」
「ラブ、今日が平日だってこと忘れてない?
 貴方達はともかく、アタシとブッキーはせつなに送り返して貰わないと
 学校にも行けないのよ?」

何故か言葉を濁すラブに、美希がもっともな点を指摘する。
時計を見ると、まだ余裕が無いわけでもない時間だが、
ラブとせつなとは通う学校も通学路も異なる二人のことを考えると
問題の解決に時間を掛けていられないだろう。

「うーん……」

それでも、ラブの態度は煮え切らない。

(あたしだって……それくらいはわかってるよ。でも……)

目の前にあるせつなの顔を見る。

「……んう」

身じろぎと共に、その眠っている顔の表情が変化する。
出てきたのは、頬を緩ませた無邪気な笑顔。

(わはーっ!……か、可愛いっ!!)

その爆発的な輝きを持った笑顔の前に、ラブが一瞬で陥落する。

「ゴメン美希タン、あたしにはこのせつなの笑顔を奪う事なんて出来ない。
 ……あたしも付き合うから、みんなで一緒に遅刻しよう」
「いやいやいやいや、それわけ判らないから」

頬が緩むどころか、完全に惚けきった顔でせつなを見つめるラブ。
ダメだこの子は、アタシがなんとかしないと。
魅了状態からの回復が期待できそうもないラブを見限り、
美希が心を鬼にして行動に出ようとした刹那。

「んふふふふふふ~」

嬉しそうな声と共に、せつなが美希に絡めていた腕を引っ張った。



「わわっ、せつなっ!」

不意を衝かれた行動に、美希はせつなのなすがままに引き寄せられる。
それによって、美希の顔の至近距離に、ラブを陥落させた笑顔が配置されることになる。

(うわ……これは確かに……可愛いっ!
 いやいや、気をしっかり持てアタシの心!
 ここでラブと同じ道を辿った日には遅刻確定よ!)

その圧倒的な破壊力の前に、顔を赤らめながらも必死で平静を保とうとする美希。
しかし。
運命とは常に無情なもの。
そんな彼女に、意外な方面からの伏兵が襲ってきた。

「美希ちゃん、顔真っ赤だね。
 ……そんなに見惚れるくらい、せつなちゃんのこと可愛いって思ってるのかな?」

何かに例えるなら、真冬の極北に吹きすさぶブリザード。
そんな声が、せつなの笑顔の後方から聞こえてきた。

「……え?」

効果音をつけるなら、ガ行の二番目の擬音。
そんなぎこちない動作で首を回し、美希はその声のした方を見る。

「ねえ美希ちゃん、今すぐに話をしたいんだけど、ちょっとだけいい?」

声の主である山吹祈里は、返答を待たずして立ち上がると、
ベッドから降りて美希の背中の真後ろまで移動。
せつなちゃんごめんね、と美希に絡ませていた方の腕もほどくと、
目標を諸手でがっちりとホールドする。

「さ、行きましょ」
「……あの、ブッキー……怒ってる……?」

極寒の声色で言葉を紡ぐ祈里に、美希は恐る恐る尋ねる。

「ううん、怒ってないわよ。
 ……やだなあ美希ちゃん、ちょっとお話しようねって言ってるだけだってば」

受け答えは普通。
目も、口元も笑っている。美希がよく知っている天使のような笑顔の祈里。
―――ただ、声色だけがどこまでも冷たい。

「あ、ラブちゃん、ちょっとベランダ借りるわね」

先程から惚けたままのラブに一応声を掛けると、
祈里は美希を引きずって移動を開始する。

「え?ベランダって……、ちょっとブッキー、
 今の季節にパジャマでベランダはまずいでしょ!
 ……ちょっと、ブッキーってば!」

美希の必死の抗議も虚しく、ベランダに続く窓が開かれて―――
――そして、閉じた。







「ラブ~、せっちゃ~ん、そろそろ時間よ、起きなさーい!」

部屋の外、階段の下から聞こえてくるあゆみの声。
それを耳にして、せつなは意識を覚醒させた。

(……あれ?お母さんの声?)

いつもならこうして呼ばれる前に起きて、ラブを起こしに行く。
その為の目覚ましをセットしている筈なのに今日は鳴った記憶が無い。
違和感を覚えつつも、せつなは上体を起こして、ゆっくりと目を開く。

「……」

その目の中に飛び込んできた光景。


自分がラブの部屋の中にいるという事実。

惚けた表情でこちらを見つめているラブ。

ラブの背中越しに見える窓の外で、パジャマ姿で正座している美希と、
その前で仁王立ちしている祈里。


その全てがせつなの頭の中で一つの形となり、
彼女の口からの言葉となって紡ぎだされる。
首を傾げる行為と共に発せられた一つの言葉。それは。





「……………………どして?」





後で聞いてみたら、せつなはその日の夜の事を何一つ覚えてませんでしたとさ。

<おしまい>
最終更新:2009年11月22日 21:49