避-565

 彼女の名前は桃園ラブ、その名に恥じぬ優しい子。
 世界を愛して欲しいと願いを込めた、それは素敵な名前。

 私の名は東せつな。本当の名前ではないけれど。
 その名の通り、私は刹那、今の一瞬をただ生きるだけ。
 過去の思い出もなく、夢も無く、そして自分もなかった。


 初めて会った時から、あなたはよく笑っていたわね。
 笑顔なんて虫唾が走る。
 そう思っていたはずなのに、なぜか惹きつけられた。
 どうしてなのか、今ならわかるわ。
 あなたの笑顔の中に、私への好意が溢れていたからよ。


 幸せ?笑顔?馬鹿馬鹿しい、それは愚か者の戯言。
 友達?仲間?家族?くだらない、つるむなんて弱いもののすること。

 欲しくて欲しくして仕方ないのに、求めても決して手に入らない。
 だから憎むしかなかった。壊すことでしか、自分を守れなかった。
 そんな私に、あなたは惜しみない愛を注いでいった。


 徐々に壊れていくイースの心、大きくなっていくせつなの心。
 任務のため、そう思って会っていたのはいつまでだったのか。
 それが会うための口実になってしまったのはいつからだったろう。
 気がつけば、私はいつもあなたを見つめていた。

 私に向ける優しい眼差しが胸に刺さる。
 イースを睨む、ピーチの視線が胸をえぐる。
 私は騙している、欺いている、敵なんだもの、実るはずの無い想い。


「我が名はイース、ラビリンス総統メビウス様が僕」

 何度も何度も自分に言い聞かせる。少し気持ちが落ち着いた。
 もう限界だ。これ以上一緒に居たら私は私でなくなってしまうだろう。


「イース、これをお前に授けよう」

 私はカードを受け取った。命を失うことになるかもしれない。
 これでいい。これが私に許された唯一の生き方。
 心の中で、そっとラブに別れを告げた。


「だけど、あなたが泣いているから」

 痛い、痛い、痛い、でも心のほうがもっと痛い。
 苦しい、苦しい、苦しい、でも心はもっと苦しい。

 やっと決心したのに、イースとして死のうって。
 他にどんな生き方があったと言うの?
 イースの私に優しくなんてしてほしくなった。
 正体を明かす。友情の証を踏み潰す。私はイースだもの。


「あなたの命は今日限りです、おつかれさまでした」

 全てが終わったと思った。
 今までやってきたことも何もかも。
 メビウス様にせめて一言誉めてもらいたかった。
 私を認めて欲しかった。それも儚い夢だった。


「あたしは今でも友達だと思ってるよ、だから戦うの、
 せつなをラビリンスから抜けさせるために、あたしの全てを懸けて」

 ああ、やっぱり。こう言ってくれることがなんとなくわかっていた。
 世界はどうして私に、ここまで優しくないんでしょうね。
 お腹を空かせた子供に、ご馳走の写真を見せるみたいにね。

「それ以上のものを手にいれられると思ったのかい」

 サウラーの言葉が身に染みる。彼はわかっていたんだろう。
 だから必要以上には、この世界に関わろうとしなかったんだろう。


「羨ましいと思った。羨ましいと……思ったんだ」

 生まれて初めて口にする、自分の正直な気持ち。
 そうか、初めてだったんだ。初めて自分の気持ちに素直になれた。
 そう、この一瞬だけ、私はあなたと同じ場所に立つことが出来た。

「さあ、幸せの素を掴み取って、せつな」

 あなたは最期まで私をせつなと呼び続けたわね、ほんと頑固な子。
 そうね、最期の一瞬くらい、本当の自分を始めてみよう。
 わたしは最期に幸せな気持ちになれたもの。だから泣かないで。

 ありがとう、ラブ。



最終更新:2010年01月09日 18:20